月の夜偉大な伝説の終わりは、正しく世界を塗り替えた。
これから先、時代はどのように変化していくのか、それは誰にも分からない。
信じられるのは己一人か、仲間か。それとも。
「弔い酒かい、おニィさん」
とある小さな島の、寂れたBAR。老練なバーテンダーの他に、客は一人だった。客の名はクロコダイル。真っ黒な厚手のコートに身を包んだ彼は一人、シェリー酒を嗜んでいた。
そんな彼に、後から疲れた様子のマルコが声を掛ける。
「……ナンパなら他をあたれ」
「こんな夜にするかよい」
軽口で返してみても、双方元気は無い。店内に静かに流れるシャンソンが、これまた哀愁を誘う。
マルコはクロコダイルの隣に座り、同じものを頼んだ。
「傷の具合は?」
「……」
「医者として聞いてんだ。そう睨むなよい」
「別に、かすり傷だ」
確かに、見たところ大怪我はしていないようだ。あれだけの戦闘をしておいて、更にはジョズとも相対したのにも関わらず、それくらいで済んでいる。
流石、オヤジに挑むだけのことはあるな。マルコは出されたシェリー酒を口に含み、ゆっくりと飲み下す。
「こんなとこで呑んでていいのか。どうせ……弔い合戦に行くんだろ」
「当然。ただ、今夜は皆それぞれオヤジやエースを偲んで過ごしてる。昼は二人の亡骸を弔って、明日からまた海に出るよい」
「そうか」
墓の場所は聞かなかった。聞いたところで参りに行くわけも無し、大体あの男達が死してなお同じ所に居続けるとは思えない。
どこまでも自由、それが海の男というものだろう。
クロコダイルは席を立とうとして、空にしたつもりのグラスに、いつの間にか酒が入っていることに気付いた。
「オイ」
「いいじゃねェか。付き合えよい」
「親に似て、人の都合も考えねェのな」
聞こえるように舌打ちをし、座り直す。程よく冷えたシェリー酒はやけに回るのが早い。黙々と飲み進めるクロコダイルを見つめ、マルコは頬杖をついた。
「淋しいのはお互い様だよい」
失ったものは大きくて、得られたものは己の命と未来への希望。それぞれ、自分の中に深く根を張っていた存在を失って、その隙間を冷たい風が吹き抜けている。
多くの者にとってあの人は、太陽であり酸素であり海そのものだった。雄大で、必要不可欠。永久指針なんて目じゃないくらいに。
それは、二人も例外ではなくて。
「おれは違う」
「……」
「……おれは、どうだっていい。どうだっていいのさ、全部」
憧れた男も、その男が守ろうとした命も守り切れず。辛うじて麦わらは逃げ仰せたようだが、行方は知れない。仲間なんて、絆なんて、家族なんて。結局一人で居た方が、傷付かずに済む。
やりきれなさが滲むクロコダイル。マルコはどんな言葉も、薬も彼を癒すには至らないと察する。それは自分も同じで、他の誰でもなく、自分の弱さが口惜しいのだ。
「それが……淋しいってことだろうがよい」
「……囀ずるなよ。お前におれの何が分かる」
睨み付けてくる琥珀色の瞳が潤んで見えるのは、酒のせいなのか、それとも感情が抑えきれないのか。マルコは敢えてそれを確認せず、手前の酒を飲み干した。
「確かに分からねェよい。でも、だからこそ、都合が良いってこともある」
「傷の舐め合いなんざゴメンだ」
「そうかい?アンタの傷を治せるのは、おれくらいのモンだよい」
伝説の男が右腕に置いた男の台詞は、妙な説得力がある。下手にベタベタして来ないところも良い。誰よりも近い距離で彼を見てきたコイツなら、或いは。
ほんの少しの興味と好奇心が、クロコダイルの抱え込んでいた暗闇に光を灯す。
「大した自信だ。そうやって女も口説くのか?」
「野暮なこと言うなよい」
フフンと笑うマルコはグラスの下敷きになっていたコースターをズボンのポケットに入れた。
「手癖の悪ィ駄鳥だなァ」
「趣味なんだ。何年も前から集めてて、スクラップにしてある……見に来るかい?」
「クハハッ!まんま女に使う古い手じゃねェか」
クロコダイルは思わず吹き出し、今度こそグラスを空にして立ち上がった。
「敵船にヤりに行く馬鹿がいるかよ」
我関せずなバーテンダーに料金を差し出し、コートを翻しながらマルコに背を向けた。その背中はやはりどこか寂しげで、マルコは自分の背もこんな風合いなのだろうかと思う。
「そりゃそうだ。もしアンタが良けりゃあ、その辺に宿でも取るよい」
その背中を隠すように、後ろから肩を抱いた。体格はしっかりしているのに、思いの外すっぽりと収まる。
クロコダイルはマルコの手を振り払うこともなく、小さく嗤った。
「この島には、壁の薄い宿しかねェぞ」