消えない炎コツコツコツーー
冷たいコンクリートの床を打つ革靴の音が、並んだ鉄格子の扉の一つを選んで、止まった。
「…タチアナ・バラノフ」
扉に書き留められた名前を、警察官の格好をした男が静かに読み上げた。
「タチアナ・バラノフ……俺のことがわかるか?」
コンクリートで囲まれた部屋の格子のついた窓から見える空は、どんよりと鼠色をしている。部屋の主人は、その視線を壁のシミから男に向ける。
「……さぁ、わからないわ…面倒なことを聞かないで、早く自分の仕事をなさい」
タチアナは錆びたパイプ椅子を鳴らしながらゆっくり立ち上がり、男の前に手を広げたーー
思ったより早かった。
タチアナが真実を話すことで都合が悪くなる人間なんて、掃いて捨てるほど居る。裏社会の人間はもちろん、政界にも経済界にも、もちろん警察関係にも。そのうちの誰かが暗殺者を送り込んでくるだろうことは、想定の範囲内であった。
ただ、勾留中に来るとは。思ったより仕事の早い人間がいたようだ。まあ大方、留置場にいる時の方が手を出しやすい、警察関係の誰かであろう。
目的を悟られた男は、怒りに顔を歪ませながらその瞳に恨みの炎を一層宿す。
あぁ、この眼は。この眼を、タチアナは知っている。
「ーーーッ!お前のーーのせいーーーッ!俺は一生ーーー許さなーー!!」
激昂した男が吐き散らす暴言。自分に向けられたマカロフの銃口。そんなものはどうだって良い。
彼のその眼、一体どうして。どうしてこんなに知っているのだろう。
「警察を騙してッ!俺はここまできたーー俺がお前を殺さなければッ!」
お世辞にもプロの仕事とは言えない。個人的な恨みを晴らすための行為。
騒ぎを聞きつけた警察官の集まる気配がする。
「お前、何をしている!銃を下ろせ!」
「ッ!クソッ!」
ーーーバンッ!バンバンッ!!
焦った男が引き金を引いた。
世界がゆっくり傾いて、ぼやけていく。恨まれて殺される、私に似合いの死に様じゃないか。
「ーーお前のこともッ!俺に流れるお前の血もッ!俺はッ!俺は一生恨み続けるからなァ!!」
集まった警察官に取り押さえられながら喚く男。
燃えるような恨みの炎を湛えたその瞳。ああ、なんてことはない、あれは私だ。毎朝鏡で見ているのと同じ。
私は知っている。
その炎は何をしても消えることはない。殺しても征服しても、時間が経っても。
私のこの体が朽ちても、私はその炎の中で焼かれ続けるだろう。