共にに居るということ「ただいま戻りましたよ、っと……」
相棒からの返事はなし。
真っ白な漆喰壁のお洒落なヴィラの玄関から、勝手知ったる様子でリビングへと歩みを進める。
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3週間、いつにも増して濃い時間であった。
チェズレイの療養と家族への挨拶も兼ねた南国生活は、思いの外忙しい日々だった。
チェズレイの入院、動けるようになったら母への挨拶、母から紹介を受けて一番上の兄の一家と妹のところへも2人で挨拶に行った。兄一家は子供が多く上は新成人から下は6歳まの、6人兄弟。言わずもがな、それはそれは賑やかであった。
平和で穏やかなこの国で過ごす毎日の中で、今まで向き合ってこなかったことと向き合い、考えた。もちろん、相棒の隣でね。
そんな南国生活も今日までで、明日の朝には発つ。
そろそろ動きたいでしょう?とチェズレイからの提案に乗っかり、今日は日雇いのショーマンの仕事をこなしてきたわけだ。この国のテレビでもニンジャジャンは放送されているようで、ショッピングモールの一角で行われたショーは大盛況の中幕を閉じた。
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廊下を抜けた先、リビングの入り口から見える光景がまるで絵画のようで、モクマは思わず足を止めた。
大きな窓から差し込む夕陽。茜色に染まったリビング。中央奥の窓の外には、テラスのデッキチェアに腰掛けるプラチナブロンドの麗人。
夕陽が差しただけで絵になるとは、さすが南国リゾートの最上級ヴィラ。さすが仮面の詐欺師。穏やかな海風が、プラチナブロンドを揺らしている。
「チェズレイ、戻ったよ」
外で読書とは珍しいねと、テラスに出たモクマが声を掛ける。
「おかえりなさいモクマさん、お勤めご苦労様です」
チェズレイは本を閉じ、アメジストの瞳をモクマに向けた。
「今日のショー、いかがでした?」
スペシャルゲストには喜んでいただけました?と言いながら、チェズレイの長い舌がご機嫌に踊った。
「あー、やっぱりお前さんの仕業かぁ……兄貴と兄貴のところのやんちゃ坊主たち、最前列で見てるからそりゃびっくりしたよぉ」
モクマは白髪を掻きながら困ったような照れ臭いような、難しい顔をしている。まんざらでもなさそうなのは確かだ。
「この国でもニンジャジャンは人気のようですし、彼らにも好評かと思ったのですが……」
「うん、喜んでくれてる様子だったよ!おじさん、いつもより張り切ってカッコつけちゃった!」
「その割に随分ご帰宅が早い気がしますが。もしかして、ご挨拶なさらなかったのでェ…?」
「ちょっと話しておきたい気持ちもあったけどさぁ、ヒーローの中身でしたーなんて、なんか無粋じゃない?」
それに、と、少しトーンを落として続けた。
「……なんだか慣れなくてサ、嬉しいような恥ずかしいような……むず痒くって居づらくてねぇ……」
逃げるようにそらした視線をそっと相棒に戻すと、慈愛に満ちたアメジストの瞳がモクマを柔らかく見つめていた。細めた目を縁取るブロンドのまつ毛が、夕陽に透けて輝いている。
家族、か。いいもんなのかもな。久方ぶりに再会した母もこんな眼をしていたと、モクマは思った。
この国で過ごす最後の夜。
夕飯はいいとこのレストランで、とも考えたが、チェズレイの体がまだ本調子ではないことも考慮してモクマの手料理と相なった。ショー帰りに仕入れた新鮮な食材と、冷蔵庫に残っていた食材たち。オールキャスト出演の南国最後の晩餐だ。作りすぎた!と言いながら結局モクマが残さず食べきる。これはいつものお決まり。
「……”家族って、いいもんだな”」
夕飯を食べ終えて皿を下げようとモクマが立ち上がるタイミングで、チェズレイからぽろりと零れた言葉。
「んん?なになに、急にどしたの?」
「あなたがテラスで思っていたことです。」
立ち上がりかけた体を椅子の上に戻したモクマは、居直ってチェズレイの次の一手を待った。
「家族……モクマさんはあのような、”家族"に憧れますか?」
何かにつけて言葉遊びを仕掛けてくる詐欺師からの真っ直ぐな質問に、憧れかどうかはわかんないけど……と無精髭を弄りながら答える。
「兄貴みたいなのも楽しそうだとは、思ったかなぁ……というか、今思えば楽しかったんだな……」
「……と、言いますと…?」
「おじさん6歳になったぐらいでマイカの里に修行に出たんだけどさ、その前はあんな感じで過ごしてたんだよね。男ばっかり5人兄弟の末の弟だったもんで、兄貴たちにもみくちゃにされてサ」
随分遠い昔のことだから兄貴の家族に会うまで忘れてたよ、と笑うモクマに、あなたの記憶は元よりアテになりませんとチェズレイがいつもの調子で返す。
チェズレイはどうなの?と、グレーの瞳が答えを待つ。
「……私には共に育った兄弟はいませんし、”家族”への理想も憧れもないです」
ただ、とチェズレイは視線をテーブルに落とす。
「母とあの場所で過ごした時間は、きっと……」
いろいろことがあった。辛いことの方が多かったかもしれない。眼を閉じれば鮮明に思い出す、濁り。
それでも、だ。それでも、草原で2人で野花を摘み笑い合った幸せな時間が、チェズレイの芯の部分にあることは間違いなかった。
「……きっと私も、楽しかったんだ、と思います」
「ん、そうか」
長いまつ毛が、まるで淡い紫色の瞳にかかったレースカーテンのようだ。眼を細めてそれを見つめるモクマの瞳は、母のそれのような優しさを湛えていた。
「ときにモクマさん。約束や美学ではかれない情で結びついている私たちの関係は、なんと呼ぶべきなんでしょうね?」
パッと顔を上げたチェズレイが、いたずらっ子のように口の端を持ち上げて尋ねる。
相棒?親方と子分かな?恋人…?などと、次々に言葉を並べて、2人で笑い合う。
「あはは、まあ言葉は難しいけどサ、これから先はずっとお前さんと同じ道を行くのは変わり無し!」
カッコつけて誤魔化しましたねェ、と言うチェズレイも、まんざらではないのだ。
「この関係に名前を付けたくなったら、その時つければいいさ」
ダイニングテーブルを挟んで見つめ合う2人は、いつの間にか同じような顔をしていた。
「もし、いつかお前さんが兄貴みたいな生活をしてみたくなったら、その時は一緒に考えよう。養子をとるのも悪くないかもね!お前さんがやりたいことをして生きよう」
「”私たち”が、やりたいことをして生きましょう、ね?」
さぁて、お皿片付けますかね!とモクマは再び立ち上がった。
手早く食器をまとめる白髪頭に、ご機嫌な声が問いかける。
「今日、私がなんでテラスにいたかわかりますか?」
「それ!外で読書なんて珍しくて驚いたのよ!なんでかは、わかんないけど……」
これだからあなたの記憶力は……と、癖の強い白髪に手を伸ばして弄りながら、とっておきの秘密を打ち明けるように答えた。
「あなたが今朝言ったからですよ。きっと今日は気持ちいい風が吹くよ、と」