無題しん、と静まり返った薄暗い廊下。収入が多い役職に就いていた先祖が建てた無駄に大きい屋敷。昔は我が家に伝わる炎の呼吸の継子達が居候しながら修行をしていた為大きな屋敷が必要でしたが今は一人たりとしておりません。人気のない廊下をきしきしと小さな音を立てながらとある部屋の前に辿り着くと僅かな隙間から漏れ出る酒臭と加齢臭。いつもの匂い。
「父上、食事の用意が出来ましたよ。」と、障子越しに声をかけると「そこに置いておけ。」と酒焼けした声が聞こえてきたので俺は手にしていた箱膳を部屋の前に置いてまたきしきしとその場から離れました。
縁側に出ると太陽が暖かく大地を照らしていました。風のない長閑な昼。近所に生えている桜の木も桃色に染まり、ちちち、と鳥の可愛らしい鳴き声が静けさに彩りと心地良さを加えて俺は自然と笑顔になります。
縁側に腰掛け、足をぶらぶらさせながら春の陽気を楽しんでいるとお勝手口の方から「はっくしょん!」と大きい声が響いてきました。
「ああ、この時期は何故かくしゃみが出て堪らん。目も痒い。」
そう言いながら此方へ歩いて来たのは兄上でした。
「カタルですか?兄上。」
「ああ。」
鼻をぐずぐずさせながらまた「はっくしょん!」と大きなくしゃみをして気怠そうに嗚呼、と呟く兄上に同情の目を向け、俺はこんなに男前で桜が似合う兄上なのに鼻カタルとは勿体無い、と心ながらに思いました。
「兄上、鼻水が出てますからこれで鼻をかんでください。イケメンが台無しですよ。」
俺は袂から懐紙を取り出して兄上に手渡し、豪快に鼻をかむ兄上を見守っておりました。
「今夜は任務はあるのですか?」
「いや、こんな状態では全集中の呼吸も使えん、暫く休暇になった。」
それはそうだ。兄上達は呼吸が基本の技を使うのに鼻が詰まっていては集中すら出来ない。鼻詰まりが原因で鬼にやられていては元も子もない。
「俺の代わりに渋々ではあったが伊黒が行ってくれている。事情が事情だからやむを得ん。はっくしょん!」
「大丈夫ですか、兄上。」
「うむ、大丈夫だ。はっくしょん!」
「しのぶさんに薬を貰ってきてはどうでしょうか?」
「もう既に漢方を貰った、暫くはこれで様子を見る。」
「早く良くなるといいですね。」
「そうだな…、はっくしょん‼︎」
俺はまた懐紙を手渡して自分の部屋へ向かう兄上を見送りました。それから納屋へ行き、竹箒を取り出していつものように門前の掃き掃除をしているとチリンチリンと自転車のベルの音を鳴らしながら電報屋がやって来て俺に紙切れを手渡して行きました。誰からだろう?と思って見てみるとそこには『サクラサク』とあり、差出人の欄には『ジョウゲンサン』と書かれておりました。ジョー源さん。誰?源さんなんて知り合いいたっけかな?異国の人?確か大工職人にそんな苗字の人がいたような…。なんて取るに足らない現実逃避を少しした後俺はみるみる青褪め、震える手で電報を握りしめて家の中に飛び込みました。
あいつが帰って来た…!遠くに追いやった筈なのに…!見つけたのか?あれを…!だけどそんな物は存在しない筈…!なのに帰って来た…!源さん、じゃない、上弦の参が…!