Happy birthday, our love. 六日前
あのね、ははうえのおたんじょうびにね、ケーキつくるの。ないしょだけど、ははうえにはおしえてあげる。ちちうえとヘンリーには、しー、よ?
愛らしいくちびるをリチャードの耳にぴたりと付けて、小さな我が子がささやく。注ぎこまれる音色のくすぐったさに思わず微笑を浮かべると、気を良くした我が子はヒヒッと楽しげな声をあげ、あのね、あのね、と繰り返した。
四日前
どんなケーキにしたいか、絵を描いて教えてくれないか。父が仕事を終えたら、見せてくれ。
二人の子どもたちにそう言い聞かせた日の夜、己によく似た上の子は、得意げな笑みで一枚の画用紙を差し出してきた。
描かれているのは、子らの母であり、バッキンガムの伴侶であるリチャードの誕生日ケーキ、その完成予想図だ。
月の初めにあったバッキンガムの誕生日が過ぎたあと、子らは「ははうえにケーキつくりたい」「父上、おてつだいして?」とねだってきた。伴侶と子らの望みは全て叶えると誓ったバッキンガムは快く承諾し、二人に特別な任務を与えたのだが……ケーキの完成予想図であるはずの絵は、子どもらしく壮大で、色彩鮮やかで、バッキンガムの想像を遥かに超えるものだった。
「ヘンリー、この平らな土台……スポンジの部分は、パンケーキでいいのか?」
「そうだよ」
「では、表面を塗りつぶしている、このピンク色は……」
「いちごのクリーム! あのね、いちごいっぱい! たくさんがいいの!」
「そうか、リチャード。母もお前も苺が好きだからな。そうしよう」
バッキンガムが小さな下の子の頭を撫でると、伴侶によく似た子は嬉しそうに笑った。
「確認を続けるぞ。ヘンリー、この、ケーキの上に乗った棘が生えた球体はなんだ」
「それ描いたの、リチャードだよ」
「きゅうたい?」
「丸いものだ。白い、トゲトゲを描いただろう?」
「しろいのはね、しろいの!」
「……そうか」
小さなリチャードの言う『しろいの』とは、国内の有名ブランドが手がける、白いいのししのぬいぐるみのことだ。
「その隣の黒い……馬、か? これは……」
「『黒いの』」
「だな。よく描けている」
黒い馬を模したぬいぐるみの『黒いの』も、同ブランドのぬいぐるみだ。二人とも彼らに愛着を持ち、大事にしている。愛する母に自分たちの愛するものを受け取ってほしい思いから、このぬいぐるみを絵に取り入れるだろうと予想はしていた。
問題は、ケーキの真ん中に描かれたカラフルな生き物(恐らく、生き物)だ。
赤、黄色、緑、水色、茶、灰色……とにかく、あらゆるクレヨンで塗られている。正確な色ではないが、特徴はよく捉えていて、答えはすぐに浮かんできた。
「これは恐竜だな?」
「そうだよ。なんで分かったの?」
「夏に自然史博物館に行っただろう。楽しかったか?」
「うん、また行きたい!」
「あぁ、そうしよう」
珍しくはしゃぐ上の子が微笑ましく、顔がほころぶ。
二人の子らは、言われたことをきちんと守り、母への愛に溢れた素晴らしい絵を仕上げた。これを形にし、子らからの愛を伴侶へ伝えるのは、父であるバッキンガムの役目だ。
画用紙を覗き込みながら「いちご、いっぱいのせよ?」「クッキーに、母上おめでとうって書くんだよね?」と交互に話す子らに頷きながら、バッキンガムは三日で製菓を極める算段を立てはじめた。
二日前
ヘンリーは緊張していた。愛する母のために立てた計画を、本人に隠したまま、手に入れたいものを手に入れるため、小さな嘘をついたからだ。
ヘンリーはまだ幼いが、嘘がどんなに悲しいものか知っている。隠しごとも、仲間はずれにされたみたいでつらい。
けれど、母の驚いた顔を見るためにも、誕生日ケーキを作る計画だけは、絶対に隠し通さねばならなかった。
「ほら、これでいいか? お前には少し長いが、上の方で結べば大丈夫だろう」
「うん、ありがとう。父上にやってもらう」
「あぁ、そうしてもらうといい」
手に入れたかったもの……エプロンを母から受け取り、ヘンリーはいつもと変わらぬ表情の母を見上げた。
どうして必要なのか、いつ使うのかといった問いかけを、母はひとつもしてこなかった。何も聞かないということは、ヘンリーを信頼している証拠だ。隠しごとを抱えていることでそれを裏切っているような気がして、ヘンリーの胸はちくりと痛んだ。
「母上、あのね、あいしてるよ」
いじわるで内緒にしているわけじゃないと伝えたいが、伝えられない。
せめて愛だけは示したくて母の手をぎゅっと握ると、ヘンリーの大好きな優しい顔は、不思議そうに微笑んでくれた。
前夜
「ねえ、明日は何時におきるの?」
「いっぱいねたらいーよ?」
おやすみのキスを交わした上の子と、伴侶に抱かれた下の子に交互に問いかけられ、リチャードは「どうしてだ?」とたずねた。
「……なんとなく」
「んとね、あしたね、」
「リチャード!」
上の子の慌てた声に呼ばれ、下の子は大きな目をさらに大きくさせて、ハッと両手で口を押さえた。
数日前からの企みの決行は、どうやら明日らしい。下の子に「ないしょにしてね」と囁かれたことを思い出し、リチャードは伴侶へと目を向けた。素知らぬ顔が上手い男は、しばしリチャードと見つめあっていたが、何も言わずに上の子へと視線を落とした。
「そうだな……明日は、少し遅くまで寝ているかもしれないな」
「本当? ぜったいだよ?」
念を押されて頷くと、ようやく安心したのか、上の子は伴侶の服を引っ張ってリビングルームを出た。
「遅くまで寝てるって! 間に合うかな?」
「大きな声で喋ると、聞こえるぞ」
「母上より先に起きるから、起こして」
「おこしてね」
小声で話しているつもりだろうが、しっかりとリチャードの耳に届いている。
さて、明日は待っているのか。らしくもなくソワソワとしてしまい、リチャードは胸をトントン、と軽く叩いた。
Happy birthday 10.2
眠りにつく前にも十分というほどもらった言葉を口付けとともに甘くささやかれ、リチャードは重ねた唇の端で笑った。
「何度言えば気が済むんだ。一度で足りるだろう」
「足りるものか。俺に与えられた時間は少ない。一日分の言葉を今伝えなければ、夜になってしまう」
「何か企んでいるのだったな」
「なんのことだ」
「リチャードが教えてくれた。内緒だと言っていたが」
「まったく……あの子は」
「仕方ないさ、まだ小さい」
なだめるように頬を撫でると、バッキンガムはリチャードの手を取り、指先へと唇を寄せた。
「今日は覚悟することだな」
「恐ろしいもの言いだ」
「なに、あの子たちはあんたが喜ぶことしかしない。ただ、少し疲れるかもしれないが」
くすくすと笑みをこぼしていると、ふいに寝室の外から物音がした。同時に動きを止め、気配を潜めて様子を窺っていると、扉の開閉と子どもの足音が聞こえてくる。
「早いな」
リチャードが思わず驚きの声を漏らすと、バッキンガムは答えるようにため息をついた。
「戦に向かうとするか」
リチャードが寝坊をするということは、子らの朝をバッキンガム一人で対応しなければならない、ということだ。くわえて、今朝は特別な準備があるらしい。
「武運を祈っている」
ベッドを出たバッキンガムの背にむけて言うと、男は名残惜しそうにリチャードの手を握り、離した。
「誕生日おめでとう。あんたの生まれた日に、祝福を」
何度目かも分からない言葉に笑みを返し、リチャードは子らとの約束を守るために、まぶたを閉じた。