キース・マックスと初めて会った日の事はよく覚えている。ヒーローはランクが上であればある程に人気も上がると認識している。今や私が住むニューミリオンでは当たり前な存在である彼らは、メジャーヒーローともなればそこらの芸能人よりよっぽど有名人だ。レジェンドと言われるレオナルド・ライト然り、この近年ではスーパーヒーローと言われ、親しまれるジェイ・キッドマンも誰もが知るヒーローだった。私はそこまでヒーローに対してミーハーな気持ちも持っていた訳でもなく、友人がかなり熱心なヒーローマニアでよく話を聞くから知っている程度だった。
そんなある日の事。そのヒーローマニアの友人とイエローウエストでショッピングをしていて、彼女の買い物が終わるのを店の外で待っていた時、不意にけたたましいサイレンが鳴り響いた。何が起きたのか分からずに周囲を見渡すも状況は掴めない。やがて誰かがイクリプスだ!!と声を張り上げた事で辺りは一瞬でパニックになった人々の悲鳴に囲まれた。イクリプスの襲撃から逃げる為に皆が一目散に走り出す。友人を連れて急いで避難しようにもその店までの僅かな距離が、逃げ惑う人々で溢れかえったその通路では難しい状況だった。漸く人の合間を掻き分けて辿り着いたその店先には見た事も無い出で立ちの人間なのか機械なのかも分からない存在が居た。その時に私は直感で気付いたのだ。ああ、多分これがイクリプスで、私はここで死ぬんだ。短い人生だったな、せめて店に居る友人は無事だと良いけれど。そう心の中で友人の無事だけを願い目を閉じたその刹那、いつまで経っても自分に降り掛かって来ない衝撃に疑問を感じながら恐る恐る目を開けると、目の前に映ったその光景に私はポカンとただただ口を開く事しか出来なかった。
「怪我はねぇか、お嬢ちゃん」
「え、えええ!? ヒーローのキース・マックス!?」
「おお、オレなんかの事を知っててくれてんのか? 嬉しいねぇ〜」
私が目を開けた刹那に飛び込んできたその光景とは、先程私が出会ったイクリプスをヒーロー能力で軽々と浮かび上がらせて、地面に叩き付け何でも無い様に煙草を吹かしながら私に話しかけるキース・マックスの姿だった。確か彼のヒーローランクはAA。ヒーローとしてはあまり有名じゃ無いけれど彼はかの有名なジェイ・キッドマンが初めてメンターを務めた研修チームのルーキーだった。ジェイが指導した三人のルーキーはジェイ命名、ミラクルトリオと言われファンの間でも有名で、ルーキーを卒業した今では更に人気が出ていると聞いている。私の友人がその内の一人、ディノ・アルバーニの大ファンな為、ディノと親しい彼の事は私も良く知っていた。
「しかし街の奴らは安全な場所に避難したっつ〜のに何でこんなトコに居るんだ? オレが来るのがあともうちょい遅かったら怪我するどころじゃ済まなかったかもしれないぞ」
「すみません……実は店の中に友人が居て彼女がイクリプスの襲撃に気付いていなかったら逃げ遅れちゃうと思ったら居ても立っても居られなくて」
私のその言葉にキースは一瞬驚いた様に目を丸くして私を見るも、直ぐにフッと力を抜いて優しく笑んだ。友人に見せられるSNSではいつも気だるげな表情の彼しか見た事の無かった私はその見た事の無い彼の優し気な表情に目を奪われてしまう。
「……友達想いなんだな。だが自分の命が第一優先だ。もしまたこう言う事があった時はちゃんと自分の身を一番に案じてくれ。その友達もお嬢ちゃんが自分の所為で何かあったと知れば責任を感じちまうだろ?」
「確かにそうですね……、私が軽率でした。キースさんにも迷惑かけちゃってすみません」
彼のごもっともな指摘に頷いて素直に謝罪の言葉を口にすれば、彼は徐に私の頭に手を置きポンポンと優しく撫でた。
「まぁ、そうならねぇ為にオレ達ヒーローが居るんだけどな。次に何かあってもまた守ってやるよ。いや……流石にこれは臭ぇな」
そう言いながら苦笑して自分の頭をガシガシと掻くその姿に、私が彼のファンになるきっかけとしては充分だった。
それから憧れていたディノに連れられて危険な目に遭ったにも関わらず、目を見事なハートマークにしながら再会出来た友人の姿に彼女の逞しさを感じ、私たちはすっかりエリオスの阿吽コンビと呼ばれる彼らのファンになったのは言うまでも無い。それから数ヶ月が経ったある日の事、とんでもない悲報が私達ファンの間に舞い込んできた。ディノ・アルバーニがロストゼロにて殉職したと。初めは信じられなかった。ディノはヒーローランクは低くても対イクリプス部隊に抜擢される程の実力者だ。実際に彼の活躍を目の前に見た友人もあっという間に敵を殲滅出来る程の強さだと言っていた。そんな彼が殉職。本当にヒーローって死と隣り合わせなのだとその時に初めて知った。当たり前だが友人は酷く落ち込み、暫くは塞ぎ込んで慰めるのに苦労した。自分が大好きなヒーローが殉職したのだ、無理も無い。けれどやはり逞しい友人は一年も経てば恋人が出来て順風満帆な毎日を送っていた。現金な様に見えるかもしれないが人間とはそんな生き物だ。私も落ち込んで悲しんでいる彼女を見るより幸せそうに笑っている彼女を見る方が嬉しい。けれどディノの悲報を聞いてからすっかり表には顔を出さなくなったキースの事が私は気がかりで仕方無かった。彼がディノにはかなりの気を許しているのはSNSを見ても直ぐに分かった。ヒーローとしてだけでは無く彼らはプライベートでも阿吽と呼ばれる程に仲が良かった。ディノのSNSにキースと出掛けた! キースとご飯! などよく名前を見たしキースの方も滅多にエリチャンを更新しない事で有名な彼が更新する内容はディノにせがまれて飯作った、やら野球観戦に連れ出されたと言った殆どがディノの事ばかりだったのだ。恐らく彼の性格上、キースは狭く濃い友好関係しか築かない。それこそディノ以外に見かける名前はアカデミーの頃から一緒のブラッドさん、そして元直属メンターのスーパーヒーローのジェイ、あとは飲み仲間だと言っていたリリー様。それぐらいで、キースのエリチャンの9割はディノの事ばかりだった。よくは知らないけれど恐らくキースにとってディノは特別な相手だ。だから彼の殉職を彼がどう受け止めたのか、私は心配で仕方なかった。ヒーローになると決めた時点で殉職は覚悟の上なのかもしれない。けれどもヒーローだって人間だ。親しい人の死をそんな簡単に受け入れる事なんて出来ないだろう。直接のファンではない私ですら直ぐに受け止める事なんて出来なかったのだから。全く表舞台に姿を見せなくなったキースと偶然にも再会を果たせたのはディノの悲報が流れてから三年程の月日が流れた頃だった。
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大学生活も残り一年となったとある日、私は最近決まったバイト先であるこじんまりとしたバーでキースと再会した。何と彼が私のバイトするバーにお客さんとして来たのだ。
「いらっしゃ……、えっ」
「何でも良い。強めの酒を出してくれ」
そう一言だけ呟いてカウンター席へと私と向かい合う形で座る彼はエリオスの制服を着ていた。表舞台にはこの三年全く姿を見せなかったが、良かった。彼はまだヒーローを辞めた訳では無かったらしい。チラリと失礼にならない程度に胸に刻まれた勲章を見れば何と彼は私の知らない間にメジャーヒーローになっていたのだ。
「メジャーヒーロー……」
その私の呟きが聞こえたのかキースは自嘲する様に笑う。
「オレみたいな自堕落な奴にこんなヒーローとしての最高ランク寄越すなんていい加減だよなぁ〜笑ってくれて良いぜ」
「そんな……」
私は貴方ががまだヒーローを続けてくれていただけでも嬉しいのにメジャーヒーローにまでなっていたなんて、ファンとしてどんなに嬉しいか……そう言いかけて彼の三年前とは違った翳ったその瞳を見て止めた。元々いつも気だるげではあったが三年前の彼はここまで何もかもを捨てた目はしていなかった。良かった、ディノの殉職を受け止めて彼は更に強くなる為の努力をして、それが実ったのだ。そう一瞬でも思った自分が恨めしい。彼がヒーローとしての任務で会っただけの只の一般人な私の事なんて覚えている筈も無い事よりも、私はキースの、親友を喪って壊れてしまった様に見えるその姿の方がショックで仕方なかった。当たり前だ、そんな簡単に受け入れられる筈なんて無いのだ。彼は私達ファンとは全く違う。同じ立場に居て、何年もの月日を共に過ごして、キースの数少ない彼の理解者で大切な存在だったのだ。私は何て言葉を掛ければ良いのだろう。いや、只のファンである私なんかがそもそも声を掛ける事すらあってはならない。
「私の恋人なんですけど、来年は社会人にならないとなのに働きたく無いって言ってて」
「は?」
「ずっと学生でいたい、遊んでいたいって子供みたいな事言ってて困ってるんですよね。私、今の彼とは結婚も考えてるのに」
「お、おお? そりゃあ困った彼氏だなぁ〜」
私の突如始まった自分の恋人の話にキースは驚いて反応が遅れるも直ぐに私の話に合わせてくれた。その対応に心の中で安堵しつつ、私は数年経っても、大切な人を喪って心が壊れてしまっても変わらない優しさを持ったキースに少し安心した。結局その日は最後まで私が彼に一方的に話し掛け、キースはほぼ相槌を打ったりたまに私の恋人の立場に立っての意見をくれたりして店じまいの時間になった。少し酔っては居たけれど、自分の足でしっかり歩いて帰って行った彼はありがとな、とだけ告げて店を出た。もう会う事は無いかもしれないけれど、どうか彼にはいつまでも健在で居て欲しい。そう願わずには居られなかった。
それからまた一年が経った。私は無事に希望していた高級ジュエリー店への就職を果たし、毎日を慌ただしく過ごしている。私が就いたこの店は芸能人もよく訪れる店で、ミーハーな友人にはかなり羨ましがられた。そんな中、何と殉職したと言われていたディノが生きていてエリオスに復帰したのだと友人に興奮気味に伝えられた。やがてディノがエリチャンに上げた偽りの無い、彼が消えていた四年間の真実にはかなり驚かされたが、ディノの誠実さはファンの間でも有名で、多くのファンが彼のヒーローとしての復帰を喜んだ。勿論私の友人も然りだ。(最近までは彼氏に夢中だったのにディノの復帰を知ってからはディノの事ばかり話していたため、振られてしまったらしい。しかし現金な彼女は今度はディノに猛烈アタックすると息巻いている)私はここ最近仕事がかなり忙しくてエリチャンを見ている暇が無かったがずっと心の中でキースに良かったね、と呟いていた。
そんなある日の事、漸く大物芸能人の高級ジュエリーの依頼を全て終えて肩の荷が降りた私の所に何の運命の悪戯か先程まで関わっていた大物芸能人より更に私を驚かせる相手が来店した。
「あ〜……えっと、プロポーズしようと思っている相手への指輪をオーダーしてぇんだけど」
「ハイ、婚約指輪ですね、少々お待ち下さい。ただいまカタログをお持ち致します…………へっ!?」
婚約指輪の接客はとても重要で負担も多い仕事だけれども、私はこのオーダーが一番好きだった。誰かの幸せに携われるこの仕事に誇りを感じるからだ。笑顔で来店相手を迎え入れれば私は声を掛けて来たその相手を見て硬直した。慣れないだろう高級ジュエリー店でその高身長を少し屈ませて、周囲を気にする様に佇むその相手は何とキース・マックスだったのだ。私の驚いた態度に彼はヒーローとして今はかなりの有名人になった自覚があるのか気まずそうに小声で話しかけて来た。
「ココ、客のプライベートにも考慮してくれるって聞いたんだが……」
「は、はい。勿論お客様の事は個人情報含め、全てのプライバシーの保護に万全を期しております。当店は芸能人のご来店も多くありますので。ヒーローの方も同じくです」
「そうか、そりゃあ助かる。今年のルーキーに情報に通じた奴が居てよ、ソイツの耳にでも入ったら一瞬で広まっちまうからそれだけは避けたいんだ。渡す相手がかなり人気ある奴だから変な噂が立っちまうのも困るし」
「ご安心下さい。必ず約束はお守り致します」
その私の言葉にキースは助かる、と安堵した様に頷いた。あのキースが結婚だなんて……!! ディノが生きて帰って来た事で彼の中での何かが変わったのだろうか。一年前に見たあの仄暗さは今は何処にも無く、ただただ愛する人へと送るサプライズの事で頭が一杯な彼はとても幸せそうに見えた。それにしてもキースが結婚したくなる程の女性って一体どんな人なのだろうか。キースが仲が良い女性なんて私の知っている限りはリリー様一択だけれど、リリー様は既に何年前かにご結婚されているし……。相手の想像が全く出来ないけれどとにかく物凄く羨ましい。あくまでも私にとってのキースは、推しのヒーローで彼に恋愛感情を抱いている訳では無い。それに私にはどうしようもない奴だけれど、放っては置けない彼氏が居る訳だしその人との結婚もずっと考えている。
(そう言えばキースにも話したっけ。私のどうしようもない彼氏の話!)
あの頃のキースはいつ死んでもおかしくない程に憔悴していたし、酔っても居たから覚えてなんて居ないだろうけれど。でもヒーローなんて何人も居るのにこうやって何度も出会うのは変な意味では無く何かしらの縁で結ばれているのかもしれない。まぁ彼は全く私の事なんて覚えては居ないだろうけれど! そう思いながらこっそり心の中でクスリと笑えば、ふとキースが書いて貰っている指輪のオーダー表に目が行った。推しの指のサイズ知れるなんて役得だなぁ、と思っていればお相手の指のサイズに思わず目が止まる。キースよりかは幾分細身のサイズではあるが明らかに男性サイズであるその号数に私はただただ静かにパニックになった。
(待って!? 推しの結婚相手がまさかの同性!?)
私が混乱しているだなんて知らない彼は書き終えたオーダー表を渡して来た。そこで漸く指輪に刻むメッセージを見て私は感動でオーダー表を受け取る手が震えた。
『Always with you(いつもあなたと一緒に)』
……そうか。そういう事か。キースにとっての生涯を共にしたい相手。どうして私は彼のファンでありながら気付かなかったのだろう。ディノが自分のエリチャンで、自分の事をずっと信じて待っていてくれた人の為にも俺はこれからもヒーローとして生きて行く。そう書いていた。私は単純にそれはディノのファンの事だと思っていた。けれど殉職を発表されたファンが待っているだなんて今考えたらあり得ない話なのだ。ディノの生存をずっと信じて待っていたのはキースだ。憔悴していたのはきっと何処に居るかも、生きて居るのかも分からないディノをずっと探し続けていたから。面倒くさがりで上の立場になんてこれっぽっちも興味の無かった彼がメジャーヒーローにまで上り詰めたのはその方がディノを探す為には有利だったから。そうすれば全てが繋がる。私が推しているヒーローは本当は優しい事を私は知っているじゃないか。
「お、おい何で泣くんだ!?」
突然泣き出してしまった私にキースはギョッとして私を見る。彼が驚くのは無理も無い。見ず知らずの店員がいきなり泣き出したら誰だって驚くだろう。
「すみません……実は私、随分前からキースさんのファンで……貴方が幸せなのが嬉しくて」
よく考えたらいくら自分のファンだからと、自分が幸せである事に喜んで泣かれるとか気持ちが悪いだろう。そう思った私は一瞬で我に返った。
「大変失礼致しました……私情が入った店員ではご不満ですよね!? 直ぐに違う担当に変えさせて頂きますので……!」
そう言って別の者を呼ぼうとした私をキースは呼び止めた。
「あ〜いや、寧ろすげぇ嬉しいから大丈夫だ。オレはアンタに担当をして貰いてぇんだ。人の事ばっか考えて行動しちまうお人好しなアンタにな」
「えっ、それはどういう……?」
キースの言葉に私は目を丸くした。まさかそんな。覚えている筈なんてない。彼はヒーローで、私は何処にでも居る極々平凡な一般人だ。そんな事がある訳ない。
「悪いがアンタの友達に謝っておいてくれるか? ディノとの結婚は先約があるから諦めてくれって」
そう言って軽くウインクするキースに、私は溢れる感情を隠す事なんて出来なかった。コクコクと泣きながら頷く私に彼は更に言った。
「ああ、アンタの彼氏にもな。お嬢ちゃんみたいな良い女は絶対に他には居ないんだから逃したら後悔すんぞ〜ってキース・マックスが言っていたとも」
ああ、本当に私の推しは世界で一番カッコイイヒーローだ。やがて、誕生日を迎えたディノが載せたエリチャンにはキースが送った指輪を身に付けたディノの写真が上がり、私はそっと誰に言うでもなく呟いた。
「誕生日おめでとう、ディノ。そして結婚おめでとう!! 推し!!」