ニコセイワンドロ
「桜」「ただいま」
「今週末、いよいよサクラが見頃を迎えます。満開の桜を見られる絶好のタイミングになるでしょう」
任務に出る朝、朝食を食べながらぼんやりとニューミリオンの朝のニュース番組を見ていればお天気キャスターが桃色の花を咲かせた木の下でそう話していた。サクラ……、確か日本で有名な花だ。この季節に大きな大木に桃色の小ぶりの花を咲かせて、見る者を魅了する。ここ、ニューミリオンでは主にグリーンイーストにあるリトル・トーキョーで沢山のそれを見る事が出来る。まだおれがヒーローになったばかりの、ルーキーだった頃に研修チームの皆で花見ってやつに行ったっけ。テレビで今みたいにニュースでやっていたのをセイジが見て、行きたい! って話して、それにビアンキが便乗してビアンキが行くなら俺も行くってジュードも乗り気で。それならチームの皆で行きますかってロビンが話してヒーロー男五人でちょっとした料理やお菓子を持ち寄って行ったんだ。
「見て見てニコ!! テレビで見るよりもっとずっと綺麗だね。桃色で小さくて可愛いなぁ〜」
可愛いのはこんな花でそんなに目をキラキラさせて喜べるセイジの方だってその時に思ったけれど、流石にそんな事を言ったら困らせるのは分かっているからおれはぐっとその言葉を飲み込んだ事を覚えている。後でこっそりビアンキに指摘されたけど。この時はまだおれもセイジへの気持ちをちゃんと理解していなくて、この感情が世間一般的に言う恋愛感情だなんて分からなかったんだ。おれの家は普通の家庭じゃなくて、子供の頃から自分に向けられていた視線は畏怖か、打算か、媚びしか無かったから。だからセイジみたいに純粋で真っ直ぐで綺麗な気持ちを向けられた時、初めはどうしたら良いのか分からなかった。おれに何の見返りもなく話しかけてくるのは何でだろう? 仲良くなりたいんだって言葉の裏は何? そんな風に疑ってしまった事もあったな。でもセイジの言葉に裏なんて全く無くて。ただ純粋に、おれと“友達”になりたいって簡単な事だけだった。父親からは他人を信じるな、誰にも心を許すなって教えられたおれは結局家を出てからも家族である父親まで信じられなくなり、自分の身を守る為にはその言葉通りに生きるしか無かったから。けれども、セイジのおれに向ける感情はいつだって優しくて温かかった。そこに打算なんて無い。だって、おれに親切にしても今のおれに差し出せる物なんて何も無いから。ただただ真っ直ぐに友達になりたいのだと言う言葉と、その綺麗な瞳におれが頷くのは当たり前な事だった。
セイジと一緒に居ると何故だか分からないけれど心が満たされる。今まで視界にすら入らなかった数々の風景や物がセイジと一緒に見るとキラキラして見えた。美味しい物を誰かと共有したいって思える相手が出来たのも初めてで。今までは自分の胃袋を満たすだけだった料理も、美味しい! って嬉しそうに食べてくれて褒めてくれるセイジの為にも色々と工夫して作る様になった。喜んでくれる顔を見たくて。こんな気持ちになったのは初めてだ。やがて自分はセイジの事を他の誰とも違う目で見ていて、特別視しているんだって事に気付いた。でもきっと、セイジはおれに対しておれと同じ感情を持っている筈が無いだろう事を理解した。セイジは皆に平等に優しいから。でもそれでも良かった。だっておれはそんなセイジに惹かれて好きになったのだから。例えおれと同じ気持ちを向けられなくても、きっと一番近い友達はおれだから。何かあった時に一番に頼って貰えるのがおれならそれで良い。そう思っていた。
やがて、研修期間を終えておれとセイジは別々の道を歩む事になった。おれとビアンキとジュードは対イクリプス部隊へと配属が決まった。研修チームの中でセイジだけがその部隊への配属希望は通らず、そのままサウスセクター配属となった。希望する部隊に配属が決まらなかった事は勿論、おれ達と離れ離れになる事が寂しいと言うセイジにおれは同じアパートで隣同士に住む事を提案した。本音を言えばおれはセイジとまた一緒に住みたかったけれど、それは流石に自分が色々と我慢出来なくなりそうだから。そんなおれの提案にパァッと顔を明るくさせてセイジは嬉しそうに承諾した。おれを疑う事なんて絶対にしないセイジはきっとおれが彼の為に提案したって思っている。でも本当は自分のため。少しでも近くに居たくて、隣に住めば気軽にご飯にも誘えるし、セイジに何かあれば(勿論無いのが一番だけれど)直ぐに駆け付ける事が出来る。こんな風に誰かに固執するなんてヒーローになる前は想像もしていなかった。
そんなある日の事、任務を終えていつも通りにアパートに帰宅すれば、おれの部屋の前でセイジが座り込んでいた。
「セイジ!? どうした、何かあった?」
おれの部屋の前で座り込み、蹲っていたセイジにおれはギョッとして彼の肩を優しく揺さぶる。もしかして体調が悪い? それともパトロールで何かあって怪我でもした? 今日レッドサウスストリートでイクリプスの襲撃があったなんて話は聞いてないけれど。そんなおれの不安を他所にセイジはボンヤリした顔でおれを見上げた。
「わっ、ニコ!! ご、ごめん。ニコが帰って来るの待ちきれなくていつの間にか寝ちゃったみたい」
そう言って慌てて立ち上がったセイジの膝の上からポロリと何かが落ちた。
「これは……、サクラの枝?」
「うん。今日パトロール中に市民の方に頂いたんだ。レッドサウスにも少しだけ咲いている場所があるんだけれどこないだの強風で枝が折れちゃったみたいで。数日しかもたないだろうけどって言ってたけど、どうしてもまたニコとサクラが見たくなっちゃって」
「……それで、おれが帰ってくるまでココで待っていたのか? だいぶ暖かくなってきたけれどまだ冷えるし風邪を引いたらどうするんだ。メッセージをスマホに入れてくれたらよかったのに」
「あはは、確かにそうだよね。ニコに直ぐに見せたくて……待ってる間にうたた寝しちゃったみたい。ごめんね、心配かけて」
そう言って申し訳なさそうに笑うセイジにおれは少しキツく言い過ぎたかなって思い直すも、けれどもセイジが自分のせいで体調を崩したりでもしたらそっちの方が嫌だった。少しの沈黙が二人を包んで、やがて居た堪れなくなったセイジがもう一度ごめんね、と謝り自分の部屋に戻ろうとしたその手を取った。
「ニコ……?」
「週末、セイジは仕事?」
「えっ? ……えっと、土曜日は夜勤で日曜日はオフだったかな……」
「そう、おれも日曜日はオフ。それなら二人でリトルトーキョーに行こう。今朝、ニュースでこの週末にリトルトーキョーのサクラが満開を迎えるって言ってた。花見に合う料理、沢山作っておくから」
そのおれの誘いにさっきまでしょんぼり顔だったセイジの顔が一気に明るくなる。それはまるで蕾が花開く様に、やがて満開を迎えるだろうサクラも顔負けの笑顔だった。
「うん!! 楽しみにしているね。僕もとっておきのアップルパイを作って持って行くから二人で食べようね」
「うん。セイジの作るアップルパイは美味しいから楽しみ」
「またお花見に行けるなんて思って無かったから嬉しいなぁ。ありがとう、ニコ。あっ……それと」
「うん、どうしたの?」
満開に咲き誇る笑顔を少しだけ落ち着かせてセイジは真っ直ぐにおれを見てこう言った。
「おかえり、ニコ。今日も一日お疲れ様!」
その言葉におれはゆっくりと少しだけ、目を見開く。誰かにおかえりなんて言われたのはいつの頃以来だろう。もしかしたら、ルーキー時代に何回かあったのかもしれないけれど、あまり気にした事が無かった。でもセイジが言うとおれにとっては全てが“トクベツ”なそれになる。
「……ただいま、セイジ」
そのおれの返事にまた満開な笑顔を見せてくれたセイジに、ああ……やっぱり大好きだ。と改めて感じた。週末、セイジの笑顔には劣るだろうけれど満開に咲いたサクラの木の下でおれの今のこの想いを伝えよう。おれが“ただいま”を伝えるたった一人の相手になって欲しいと。
END