四人の矢印「タイジュ、ちょっと……今良いか?」
シュミレーター終わりに、人目を気にしながらアブトがタイジュに声を掛けた。
「はい、構わねぇですよ」
アブトの部屋に入る。タイジュはなんだろうと思ってアブトを見た。何か言いたそうに、でも言い出せないような、そんな珍しい雰囲気だった。
「アブトくん、どうしました? 自分、何かやらかしましたか?」
タイジュは少し不安になって尋ねた。
「いや、タイジュの事じゃなくて……その、相談があって」
「相談……ですか、自分に」
タイジュは少し嬉しくなった。あまり人に頼らないイメージのアブトが、シンやハナビではなく自分に相談だなんて。
「どうぞ、なんでも言ってください」
タイジュに笑顔で促され、アブトは意を決したようにタイジュに顔を向けた。
「ハナビの事で……その、俺……ハナビが、好きみたいなんだ」
「え?」
タイジュは聞き間違いかと目を見開いてアブトを見た。
「ハナビが……好きなんだ」
タイジュは口を結んで黙っていた。なんと言えば良いか迷っていた。その様子にアブトは俯いて話し出す。
「悪い、こんな事……シンに言うとなんだか冷静に考えられないような気がして、タイジュなら言えるなって思って……」
「そう、ですか……」
タイジュはそう言葉を絞り出した。
「自分、アブトくんに相談してもらえるの嬉しいです」
タイジュは笑顔だった。アブトはその言葉に微笑んだ。
「ハナビくんは……アブトくんを好きだと思います。その……たぶん、友達として、ですけど」
「だよな」
アブトは苦笑いをした。タイジュは不確定な事を口には出来なかった。それにもうひとつ、タイジュがアブトの気持ちを全力で応援出来ない理由があった。
「でも……可能性はゼロじゃないと思います。上手く言えなくてすまねぇですが……」
タイジュはシンの言葉を借りた。こうやって言う他無いのでは、とタイジュは思った。
「そうかな……ありがとう。タイジュに言ったらちょっとスッキリしたよ」
アブトが笑顔になる。それを見て、タイジュも笑った。心の中は複雑だった。
その夜、タイジュはなかなか寝付けなかった。アブトの話を思い出していた。
「アブトくんも……ハナビくんを……」
あんなに自慢できるところばかりのアブトに、果たして自分はどうすれば良いのか、勝算を見出せないまま眠りに落ちていった。
翌朝、学校へ向かう道中にタイジュの後ろからハナビが話しかけた。
「タイジュ! 一緒に行こうぜ」
「ハナビくん。もちろん、良いですよ」
アブトの姿は見えない。ギリギリに来るつもりだろうか。
ハナビはいつもと変わらない明るさでタイジュを笑わせる。時々タイジュが言う一言に、ハナビは楽しそうに笑う。タイジュはこの時間が無くなってしまうかもしれない淋しさをなんとなく感じていた。アブトがアプローチすれば、きっとハナビはアブトと居る方を選ぶ。
苦しいな、とタイジュは思った。
「なぁ、タイジュどうかしたのか?」
ハナビはシンに話しかけた。
「なんで? なんか変だった?」
「うーん……ちょっと反応が鈍いっつーか……ぼーっとしてるっつーか……あれ、いつも通りか?」
「それちょっと失礼じゃない?」
シンはハナビのセリフに苦笑いする。
「でも確かに、ちょっと変かもね」
シンの言葉にハナビはパッと顔を明るくした。
「だよな? なんか……悩みでもあんのかな……」
「オレが聞いてみようか?」
シンがすぐにそう提案し、ハナビは驚いた。
「あ……そう、か? そうだな。オレには話そうとしなかったから……じゃあ聞いてみてくれよ」
「うん」
シンはハナビを見て、力強く頷いた。
シンも気付いていた。学校帰り、大宮に向かう途中に帰宅中のタイジュを見かけた。声をかけようと近付いたが、どこかをぼーっと見つめ、ため息を吐いていた。初めてそんなタイジュを見たシンは、力になりたいと強く思ったのだった。
「タイジュ、大丈夫? なんか悩んでるの?」
優しい声に、シュミレーターを終えてそれぞれに部屋に向かう背中を見送ったタイジュが顔を上げる。
「シンくん……」
じっと見つめられ、シンは少し目を泳がせた。タイジュが弱っている。力になれる、シンは嬉しくなった。
「いえ、その……大丈夫です」
シンは眉間に皺を寄せた。
「大丈夫って顔してないよ。ねぇ、オレには言えない事?」
シンの真剣な顔に、タイジュは困惑した。こんなふうに言われると、何か言わなければならないような気がしてしまう。でも言えない。アブトの事も、自分の事も。
「すまねぇです……言えねぇです……」
タイジュの項垂れた様子に、シンはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「そっか……じゃあ、言えるようになったら聞くから、いつでも言ってね」
シンは笑顔でタイジュを見つめた。タイジュはほんの少し、心がほぐれた。
「ありがとうございます」
笑顔を見せたタイジュに、シンは頷いた。
「タイジュが元気無いと心配だよ」
タイジュは、シンの優しさに嬉しくなった。
「オレには言えないって」
「マジか。シンに言えねぇってじゃああとは誰に言えるんだよ」
翌日の大宮支部で、ふたりは腕組みをして瞼を伏せていた。
「アブトか」
ハナビはそう言うとZギアを取り出し、メッセージを入れた。
「タイジュ」
寮の廊下を歩いていたアブトが後ろから声をかけると、ビクッと身体を正し、振り返った。
「すまない。悩ませているのか」
アブトは顔を曇らせた。タイジュはアブトの事と自分の事の両方で身動きが取れないこの状況を、どうやって解決したらいいのか分からなかった。
「いえ……その、こういう事を相談してもらったの初めてで、ちょっとどうしたら良いのか分からなくなってて……」
アブトは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「タイジュはそのままで居てくれればいい。ハナビの近くでいつも通りにしてくれればそれで」
タイジュはドキッとした。
アブトはタイジュの気持ちを知らないからそんなふうに言えるのだと、今まさにアブトの言葉のせいでこんなにも困惑しているのだと、タイジュの胸の内はどんどんと解決出来ない問題が積まれていった。
タイジュはアブトにひとつだけ聞いてみたくなった。
「アブトくんは……自分がハナビくんの隣に居ても気にならねぇんですか?」
自分だったらどうだろう。ハナビの隣にアブトやシンがいつも居たら、少なからず嫉妬しただろうか。
アブトは少し考える素振りをすると、
「だって付き合ってないだろ?」
と言った。タイジュは目を見開く。
「そうですけど……」
タイジュは鈍器で殴られたような衝撃が走った。アブトはハナビを自分のものにするという目標に対してストイックだった。他の人間の感情はアブトの中では問題では無かった。他にハナビの事を好きなやつがいるかも知れない、でもそれはアブトの行動には関係ない。
タイジュは言葉が出て来なかった。知ってしまったアブトの本心を、知らなかったことにしてハナビに告白なんて出来ない。フェアじゃない。でもここでアブトに言ってしまったら? それこそ変な空気になってシンとハナビを困らせてしまう。敵が現れた時にきっとそれが出てしまう。誰か怪我をするかも知れない。
タイジュの思考はどんどんネガティブな方へと向かっていった。
「シン、これは非常事態だぜ」
翌日の土曜日、大宮支部でハナビはシンと頭を突き合わせて言った。
「だね。なんかアブトも変だもん」
ハナビは頷いた。
「さっきの見たか? タイジュ、全然オレの話聞いてなかったぜ」
「つまんなかったんじゃないの?」
「は? 今まで一度だってあんなふうにあからさまに聞いてなかったこと無いぜ」
「うーん……アブトもなんかキョロキョロして落ち着かないし……なんなんだろう」
「いや、待て……もしかしてあいつら……」
「えっ? ……アブトとタイジュが?」
「もしそうならふたりともが挙動不審なの納得出来ねぇか?」
「えええー……そんなふうに全然見えないんだけど……」
「そう……だな。悪い。冗談だ」
シンはタイジュを見た。今日はシュミレーターどころじゃない鈍いタイジュと、常に神経を尖らせているように見えるアブト。何かはあったんだろうが見当がつかずにシンとハナビはため息を吐いた。
「オレが……タイジュに吐かせる」
ハナビは意を決したように低い声で言った。シンは無理だろうと思いながらも任せることにした。
「あんまり無理矢理はやめてよ。可哀想だから」
「わーかってるって! 大丈夫大丈夫!」
ハナビは笑いながら答えた。
タイジュの部屋のドアをノックする。返事が聞こえるとドアを開け、中に入った。
「あ……どうかしましたか?」
机に向かっていたタイジュはハナビに体を向け、驚いた様子で声をかけた。
「なぁ、タイジュ。無理に聞くのは良くねぇけど……なんかあったんだろ?」
タイジュは無言でハナビを見つめる。心の中は大嵐だった。アブトの好きな人、自分の好きな人、そして唯一自分のことを赤裸々に話せる人。
「な、なんにも……」
どうしよう。どうしたら良い? どうしたって様子がおかしいことはバレている。
このまま嘘をつき続ければ良いのか? 一体いつまで。アブトとハナビが付き合うまで? ——違う、自分がハナビと離れる時まで、だ。それまでこの気持ちをずっと隠しておかなければいけないのか。アブトと付き合い出したハナビを、楽しそうにアブトの話をするハナビを、アブトのことで相談がある、と知りたくもないふたりのやり取りまでも聞かされながら本心を隠して過ごさなくてはいけないのか。
そこまで一気に想像して、タイジュは大きくため息を吐いた。無理だ。もしアブトとハナビが付き合うことになったら、シンカリオンに乗るのをやめようと思った。そしてそれを決めたタイジュはもう一方の決心もついていた。
「タイジュ……おい、大丈夫か?」
ハナビは唸ったりため息を吐くタイジュの目の前まで来ると、顔をじっと見つめた。
タイジュは顔を上げ、ハナビを見つめる。
「どうした?」
心配そうに見つめるハナビに、タイジュは笑顔になった。
「大丈夫です。あの、ハナビくん」
「ん?」
「自分、ハナビくんが好きです」
「ん、おお、……え?」
ハナビは最初、もちろん友達としての好きだと思って返事をしたが、タイジュの真剣な眼差しに別のものを感じた。
「えっ、ちょっ……」
タイジュは慌てるハナビに、やっぱり、と息を吐いた。
「良いんです。自分の気持ちを伝えたかっただけなので、ハナビくんはいつも通りにしてください」
タイジュは無理に笑顔を作り、そう言った。そして立ち上がるとハナビの肩を掴んで向きを変え、部屋から追い出そうとした。
「待てタイジュ! ほ……本気、か?」
なんとかドアの前で踏みとどまったハナビは振り返るとタイジュの顔を見上げた。
「本気です……でも、ハナビくんの好きなようにしてください」
「は?」
間抜けな声を出した瞬間、ドアを開けるタイジュに押されて廊下に出された。
「おい……なんなんだよ……」
ハナビは何を考えたら良いのか分からず、そこで立ち止まってしばらく呆けていた。
「ハナビ?」
アブトの声にハッとして、目を見開く。
「よお……」
「どうかしたのか?」
「いや、まぁ……アブト、ちょっと良いか」
部屋にハナビを入れるや否や、アブトは驚いて言葉を失った。
「タイジュに……告白……⁉︎」
「された。オレ全然気付かなかったぜ……どうしよう」
悩むハナビを横目に、アブトは頭を抱えた。
そうだったのか。いつから? 俺が相談したことでこんな事態になっているのか? 戦線布告なんだろうか。いや、タイジュに限って好戦的な意味は無いのだろうけど、でもこのタイミングで……。
「アブト?」
棒立ちのまま顔を硬らせていたアブトを覗き込むハナビに、アブトはドキッとする。
「なんでもない」
ハナビは首を傾げ、じっと見つめた。
「そう言えばアブトもなんか様子おかしかったもんな。なんか悩みでもあんの?」
この鈍感男が、とアブトは眉を寄せた。こいつのせいで俺もタイジュも振り回されてるんだと思うと、好きなはずなのにイライラしてくる。
「別に、関係ない」
思いの外そっけない言い方になったアブトは、顔には出さなかったが自分に驚いた。
「なんだよ、それ……ったくこっちは心配してやってんのに……」
ハナビはアブトの態度にイラつき、ため息を吐いて言った。
それを見たアブトはハナビの胸ぐらを掴んだ。
ハナビは目を見開く。
何か言おうとしたその唇をアブトの唇が塞いだ。数秒、そのまま動かなかった。
「……分かるか」
体を離したアブトはハナビの服を掴んだまま、目を真っ直ぐ見つめた。ハナビは目を逸らせず、眉間に皺の寄るアブトを見つめ返した。
「お前のことを……俺も、タイジュも……好きなんだよ」
何も言えなかった。ハナビはアブトの気持ちもタイジュの気持ちも、そしてアブトの行動も全くの予想外で、何を言えばいいのか分からず頭が回らなかった。
アブトはハナビから手を離す。ふらついたハナビはハッとして踏みとどまり、そのままの格好で表情を曇らせた。
「オレに……どうしろってんだ……」
本心だった。大切な仲間だと思っていたふたりを心配していたのに、その理由が自分を好きだと悩んでいたからだと告白され、そしてその後の判断を委ねられている。責任重大な自分の立場を案じて何が悪いのだろうか。
アブトは一言、
「答えを出してくれれば良い」
と言った。随分な物言いだなとハナビはアブトを睨んだ。しかしその視線を受け止めたアブトは口角を僅かに上げた。
ハナビはアブトの部屋を出た。数歩進んだところでしゃがみ込み、文字通り頭を抱えた。なんなんだよ、ふたりして。なんでオレなんだよ。どっちかを選ばなきゃダメなのか? それともどちらも選ばない選択肢はあって良いのか? オレはどうすれば……。
ハナビはゆっくりと立ち上がり、自分の部屋へ向かった。ドアを開け、ちらりとアブトとタイジュの部屋のドアを順に見る。チッ、と舌打ちをし、中に入ると部屋のドアを閉めた。
翌朝、ハナビは疲れ切っていた。一睡も出来ずに朝を迎えたのは初めてだった。こんな状況ですやすや眠れるほど鈍感ではない。
「学校……行きたくねぇ……」
どうしたって顔を合わせなきゃならないふたりに、どんな顔をして居れば良いのか全く分からなかった。
ふと、タイジュのことを考えた。アブトはタイジュが告白をしたことを知っている。だけどタイジュはアブトがオレを好きなことをどうやって知ったのだろう。アブトが相談したのか? タイジュが好きだと知らずに相談したことがきっかけで、こんなことになったんだろうか。
「はぁー……わっかんねぇ……」
ハナビは呟く。そして今一番分からないのは、自分がどうしたいかだった。オレは誰かを特別に好きになったことがあっただろうかと考える。たぶん無い。だから比較のしようが無い。
コンコン、とドアをノックする音に、ハナビは反射的に返事をした。
「ハナビくん、大丈夫ですか?」
何が、と聞こうとして時計に目をやり、学校へ行く時間が近づいていることに気付いた。
「あっ、やっべ! タイジュサンキュー!」
バタバタと準備をする。ドアを開けるとタイジュが待っていた。
「おはようございます。行きましょう」
タイジュはいつも通り、に、見えた。たぶんものすごく無理をしている。ズキン、とハナビの胸が痛んだ。いつもより元気のない笑顔。口数も少ない。無理矢理話題を見つけようとしているのが分かる。ハナビはタイジュの隣に居ることがただ苦しかった。
教室に入ると一番後ろの入り口から一番遠いはずのアブトと目が合った。常にアブトの視界に入るハナビと、常にハナビの視界に入るタイジュ。タイジュがプリントを渡すときにぎこちない笑顔で振り向くのも、アブトにそれを渡すときにハナビが無表情になるのも、どうしようもなかった。給食もいつもより美味しく感じなかった。
ようやく放課後になると、ハナビは教室から出て行った。Zギアを起動させ、ナガラにメッセージを送る。人通りのほとんど無い、特別室のある廊下でうろうろと歩き回る。しばらくすると電話がかかってきた。
『ハナビ?』
「シマカゼ……!」
『どうしたの? 珍しい。ナガラが走って教室に来たからびっくりしたよ』
いつもの穏やかな声。それだけでハナビは少し落ち着いた気持ちになった。
「突然悪い。どうしても……オレだけじゃ解決出来そうになくて……」
『オレだけ? なんか込み入った話かな』
わざわざ自分に電話をしてくるなんてよっぽど大事に違いない、とシマカゼは構えた。
「どうしたら良いのか分かんなくなっちまって……」
『うん、順番に話してくれる?』
「あ、そうだよな。……うん」
ハナビは少し黙るとゆっくり話し出した。
「少し前からタイジュとアブトの様子がおかしくて、シンと相談してオレがタイジュに話を聞きに言ったら……その、タイジュがオレを好きだって言って」
シマカゼは何も言わない。ハナビは拳を握り、続きを話す。
「そしたらアブトもオレを……」
ハナビは言葉を濁した。シマカゼは、うん、と言うと僅かに間を置いてから言った。
『それは驚いたね』
その言葉にハナビは、ああ、と声が漏れた。
『それは……誰にも相談出来ないね』
シマカゼの優しいセリフにハナビは力が抜けた。何も言わないハナビに、シマカゼは次の言葉を探した。
『ハナビ、君は……ふたりとも好きなんだね』
え、と、ハナビが声を出した。
『そんなに悩むのは、ふたりとも傷付けたく無いからなんじゃないかと僕は思ったよ』
ハナビはシマカゼの言葉を素直に聴いた。
「ふたりとも……大切な仲間だと思ってた」
シマカゼから、うん、と返事が来て、小さく笑う声がした。
『近くに居すぎるとそういう事になっちゃうんだね。毎日隣に居るから気持ちが抑えられないのかな』
誰に質問するでもなく、シマカゼは言った。
「シマカゼは特別な好きって分かるか?」
『え?』
シマカゼはすぐには答えなかった。
『……分かるよ』
と一言口にする。
『でも自分の都合で会いには行けないから……苦しいね』
シマカゼの気持ちのこもった『苦しい』の言葉に、ハナビはハッとした。
「あいつらも苦しんでる」
『うん』
「オレがちゃんと返事をしてやらねぇと」
『ハナビ、でも焦っちゃ駄目だよ。焦ると間違えるからね』
「……でも」
シマカゼは、うーん、と言うと、
『じゃあハナビはアブトとタイジュ、どちらかと友達以上のことが出来るかな』
「え?」
『手を繋ぐ……とか、キス、とか』
キス、と聞いてハナビはドキッとした。アブトに無理矢理されたキスを思い出した。あれが出来るかだと?
『想像してみて出来ると思った方が……たぶん、好きなんじゃないかな。たぶんね』
「シマカゼは好きなやつとしたいと思うのか?」
話が自分のことになり、シマカゼは、えっ、と言うと少し黙った後に、
『思う』
と言った。
「そっか……」
まだ答えがはっきりと出ないハナビの返事に、シマカゼは微笑んだ。
『ナガラからアドレスを送っておくから、いつでも連絡して良いよ。電話番号も教えておくね』
優しいな、とハナビは思う。
「シマカゼ、サンキュー」
『ううん。あまり悩みすぎないで、ハナビ』
通話が切れる。はぁ、とため息を吐くとZギアが鳴った。タイジュだった。
「……はい」
『ハナビくん⁉︎ どこに……どうしたんですか? 教室にカバン置いたままですよ?』
焦る声と心配そうにするタイジュに、ハナビは眉尻が下がった。いつものタイジュだ。オレの好きなタイジュ。——好きな?
『ハナビくん? まだ学校に居ますか?』
返事のないハナビに、タイジュは益々焦って声が上擦る。そんなタイジュの様子に笑いが込み上げてきた。
『は、ハナビくん、なに笑ってるんですか! 心配してるんですよ?』
タイジュの様子が容易に想像出来てしまう。
「悪い、タイジュ。もう教室戻るから待ってな」
『分かりました。まだ学校に居たんですね』
ホッとした声色に変わったタイジュに、ハナビはまた笑う。
アブトはそれを死角で聞いていた。優しい声でタイジュの名前を呼ぶハナビに、胸がグッと詰まる。そしてすぐに足を進め、思った。——少し、見つけるのが遅かったみたいだ。
朝よりは自然に話しかけるタイジュに、ハナビは不思議な気持ちになっていた。タイジュ、オレのこと好きなんだよなぁ、とシマカゼの話を思い出しながら確認した。キスしたいとか思うのかな、とハナビは思った。
見つめられていることに気付いたタイジュは顔を赤らめ、視線を逸らした。
「あ、悪い。なんか……ちょっと安心して」
え? とタイジュは首を傾げた。
「やっぱタイジュの隣に居ると落ち着くって言うか……」
恋愛を抜きにしたら、タイジュと居る時間が一番自分にとってリラックス出来るのかな、とハナビは思った。
「それは嬉しいです」
たぶんこの笑顔は本物。まだ赤い顔を、ふにゃ、と柔らかい笑顔にする。好きだなぁと思う。
「え……」
ハナビが立ち止まり、自分の今思ったことを問うた。どの? どんな好きだと思った? 正直分からなかった。こういう感覚になったことはある。タイジュが心を開いてくれていると分かる言動にとても惹かれるのは、嬉しいからだと思っていた。違うのか?
困惑しながら寮に着く。するとシンが待っていた。
「シンくん、どうしたんですか?」
「タイジュ、ちょっと良い?」
シンはチラリとハナビを見るとタイジュに話しかけた。
「はい」
ハナビはそのまま自室に戻る。少し違和感があったシンの様子に、首を捻った。
「少し前からなんか様子がおかしいんだけど、なんかあったんだろ?」
シンはタイジュの部屋に入るといきなり本題に触れた。
「ハナビが理由を聞くって言ってたけどあれから何にも言わないし……ハナビも様子がおかしいし、やっぱりなんかあったんだろ?」
シンはやきもきしていた。自分だけが置いてきぼりにされた様な感じがしていた。
「タイジュが元気が無いのが嫌なんだ。さっきは……元気そうだったけど」
シンは眉を寄せた。じっと見つめられてタイジュはどう言おうか考えていた。
「タイジュ、聞かせてくれないか……オレ、タイジュのことが大切なんだ」
「えっ?」
シンは言ってから、口を押さえた。今の言葉はどんなふうにタイジュに取られただろうと俯いて一瞬考え、そしてタイジュの目を見ると口を開いた。
「タイジュ、オレ、お前が好きだ」
ぽかんと口を開け、タイジュはシンを見た。どんな意味の好きかは一目瞭然だった。
「ずっと……たぶん二回目に会った時からずっと……好き、なんだ」
シンは目を逸らさない。タイジュは、ああ……と心の中で嘆いた。嬉しいのに、こんなに自分を想ってくれる人が居るのにその想いに応えられないなんて、なんて自分は欲張りなんだろうと思った。本当に欲しいのは、自分を欲してくれるシンではなく、手が届かないハナビなのだ。
シンに告白されて尚ハナビへの気持ちが膨らむのを、タイジュは切なく感じた。そして正直に言わなければとも思った。
「シンくん……ありがとうございます。気持ちは、すごく、嬉しいです……」
シンは、すぐにタイジュの口から逆接の言葉が出てくると察知した。
「オレじゃダメなの?」
食い下がり、反応を見た。タイジュの眉尻はいつも以上に下がり、嬉しいと言ったのにそんな表情はしていなかった。
「シンくんは、とても素敵な人です。でも……本当にすまねぇです。……自分、他に好きな人がいます」
シンは何か言いかけて口を開いたが、留まった。目を泳がせ、タイジュの顔を見て、そして顎を上げると結んでいた口を開いた。
「誰か、聞いてもいい?」
タイジュは驚いてシンを見る。
「っ……」
タイジュは迷った。名前を口にしたらどうなるだろうと考えた。言わない方が失礼なのかとも考えた。そしてタイジュの想い人があまりにも近くの人間だという事を思い知らされる。
「聞いたら……どうするんですか」
タイジュは思い切って尋ねた。
「分かんない。でも知りたい。タイジュが誰を好きなのか」
正直だなぁとタイジュは苦笑いする。
「ハナビなの?」
「へっ⁉︎」
いきなり言い当てられてタイジュは苦笑いのまま固まった。
「……やっぱり、そうなんだね。そんな気はしてた。だってずっと一緒に居るし……すごく楽しそうだから」
タイジュは無言で頷いた。
「そっかぁ」
シンは天井を仰ぎ見る。うーん、と唸るとタイジュを見て言った。
「今から結構酷いこと言うけど、振られたんだから許してね」
「……え?」
「ハナビに振られたらオレのところおいでよ」
シンは無理矢理作った笑顔でそう言った。
「そんな酷いこと……出来ません、そんな……シンくんに甘えるなんて」
「良いんだ。それは分かって言ってるから。もしそうなったらオレがタイジュを慰めたいだけだから」
タイジュは苦しくなる。何故シンはこんなにも自分を好きで居てくれるんだろうと喜びより切なさが襲う。
「シンくん……ありがとうございます」
タイジュは頭を下げた。
「タイジュの良いところいっぱい知ってるから、だからオレはきっとタイジュを元気にしてあげられるよ」
シンは、振られる前提で話すことに嫌悪を感じていたが、そう言うしかなかった。だってそれが今本当に望んでいることなのだから。
「実は、もう、言ったんです……ハナビくんに」
「そうなの⁉︎ ……なんて?」
シンはタイジュを覗き込んだ。俯いたタイジュは拳を握る。
「返事はもらってません。自分、言い逃げしました」
シンは、そっか、と言った。
「返事を待つのも結構辛いね」
シンの言葉に、タイジュは頷いた。
「シンくん、この事は……」
「内緒ね」
シンは悲しい顔をして微笑んだ。シンを悲しませる選択をした自分に、タイジュは胸が詰まる。
「あのね、タイジュ。オレを振ったことを悩まなくて良いからね」
「シンくん……」
「それは違うよ。気持ちを押し付けたのはオレだもん。タイジュに選ぶ権利はもちろんある。だから今選ばなくたって未来にオレを選ぶ可能性はゼロじゃないでしょ? オレはそれにかけてるんだから心配しないで」
今度はちゃんと笑顔になったシンを、はい、とタイジュが口角を上げて見た。
「タイジュが自分に素直になってくれたらそれが一番だよ」
「……はい」
うん、とシンは言うと部屋を出て行った。笑顔でドアを閉めた。
「初恋は実らない、か」
そう呟くとシンは歩き出した。
ハナビはアブトのことを考えていた。あいつと居る時の自分はどんな気持ちになっていただろう。みんなのもの、という気持ちが強かった様に思う。それとシンの相棒の様な目で見ていた気がする。いつも一緒に居るふたり。まさかアブトが自分を好きだったとは、本当に驚いた。
キスをされておいて、キスが想像出来るかとシマカゼに言われたことを思い出すが、してしまったのだから想像も何もない。
ハナビは唇を触る。アブトの挑発的な態度を思い出してしまう。あんな顔は初めて見た。
部屋のドアをノックする音に、ハナビは唇から指を離した。
「誰?」
「オレ。入るよ」
「……シン?」
ドアが開く。椅子に腰掛けていたハナビは、シンが何か言いたげな顔で入ってきたのを見ていた。
「今度はオレたちの番だね」
「ホワッツ?」
「今、タイジュにオレの気持ちを伝えてきた」
「……は⁉︎」
「知らなかったでしょ? 今ハナビはどんな気持ち?」
シンは穏やかに笑っている。シンがタイジュを、好き、なのか?
「どこまで……聞いた」
「タイジュの気持ちと、告白したことまで」
「全部じゃねぇか」
「タイジュを振っても良いよ。そしたらオレがタイジュをもらうから」
シンの言葉にハナビはカッとなった。
「てめぇ……タイジュをモノみてぇに……っ」
「でも本当のことでしょ?」
シンは落ち着いている。その態度がハナビの機嫌を逆撫でした。
「うるせぇ……あいつがどれだけ苦しんだか分からねぇくせにそんな酷いことよく言えるな……」
「ハナビの言うセリフじゃないよ」
シンはきっぱりと言った。
「タイジュのことを一番見てきたのはオレだよ。そりゃ、最初から全部は知らないけど、ハナビにとやかく言われるのはとっても不愉快だね」
シンは真顔になった。
「本当は、タイジュがハナビのことずっと目で追ってるのも知ってたし、ハナビがずっとタイジュの隣で楽しそうな顔をしてるのも見てきた。タイジュが言えばふたりは付き合うんだろうと思ってた。だからこの状況が許せない」
シンは目の奥に怒りの火を点した。タイジュを弄んでいる様に見えたのだろう。ハナビは小さく、違う、と言った。
「何が違うの? タイジュを待たせる理由がどこにあるの?」
「アブト……! にも、……告白された」
「……えっ」
シンは目を剥いた。
ふたりはしばらく無言だった。
「……じゃあ、ハナビはアブトと付き合えばいい」
「だからお前はそういう」
「じゃあ!」
シンはハナビのセリフを遮った。
「じゃあ、ハナビはタイジュをちゃんと笑顔にしてあげられるの?」
ハナビは口をつぐんだ。
「どっちが好きかとかじゃなくて、ハナビはどっちかと付き合いたいと思うの? そうじゃないならちゃんと言わなきゃダメだよ。ふたりとも可哀想だ」
正論だった。ふたりの気持ちは宙ぶらりんのまま、丸一日が経つ。
「シン、教えてくれ。どうしたら好きか分かる? シマカゼに聞いたら、友達以上のことが想像出来るなら好きなんじゃないかって言われた」
「……ずっと、その人のこと考えちゃうんだよ。会えない時間をずっとタイジュのこと考えて、タイジュがハナビを好きだと気付いた時からはずっと苦しくて、どうしたらオレをハナビ以上に好きになってくれるか考えて……」
ハナビは顔を伏せながら話すシンを見つめていた。シンが悩んでいた様子は微塵も感じなかったハナビは驚いていた。
「恋愛ってめんどくせぇな……」
机に頬杖をついてボソッと言ったハナビを、シンは見据えた。
「でも逃げちゃダメだからね。ふたりとも……ううん、三人とも本気なんだから」
「……分かってる」
翌日の土曜日、朝からハナビの姿は無かった。昼になり、流石に三人もおかしいと気付いた。
ハナビの部屋のドアをノックする。返事は無い。ノブを回してみると鍵がかかっている。
アブトが電話をかける。コールはするのに応答が無い。
「出ない」
アブトは尚も呼び出し音を聞き続けた。一向に出る様子はない。
「どこかに行く時は……今までなら絶対誰かに言ってから出てましたよね」
「メールしてみる」
シンがメッセージを送る。と、すぐに返事が来た。
「今日中に帰るから大丈夫、だって」
「そうですか……」
アブトは何も言わずに腕組みをしていた。
夕方、ドアのノックの音に、タイジュは振り返った。
「タイジュ、オレ」
「ハナビくん!」
タイジュは椅子から立ち上がり、急いでドアを開ける。少し疲れた様子のハナビがタイジュを見上げた。
「どこに行って……、いえ、入ってください」
ドアを閉めたタイジュが部屋に向き直りベッドを勧めようとした時、トン、と背中に何かが当たる衝撃があった。
「え、ハナビく……」
ハナビはタイジュの背中に頭を預けていた。
「タイジュ、そのまま聞いてくれ。……オレ、お前が好きだ」
「……っ、は、……えっ⁉︎」
タイジュは瞬時に理解が出来ず、言葉が上手く出てこなかった。
「今日……あちこち歩き回って、ひとりで過ごしてて……隣にタイジュが居てくれたらって何度も思った。メシ食ってて美味いなって思ったらタイジュの顔が浮かんだし、面白そうな店見つけて……やっぱりタイジュの顔が浮かんだ。……なぁ、これって好きってことなんだよな?」
「それを自分に聞くんですか?」
自嘲的なその言い方は、タイジュにしては珍しいかった。
「きっとそうだと思いますよ」
タイジュはもうそれで良いと思った。そう思ったのなら自分のものになれば良いと、今思っている全てを言ってしまえたらと思った。
嬉しい、勘違いだとしてもいい、ハナビの好きという感情が一瞬でも自分に向くのならそれでいい。
ハナビは頭を離し、タイジュの目の前で足を止めた。
「そっか……うん、なんかやっぱりそうなんだなって思っちまった。オレタイジュのこと好きなんだ」
タイジュは眉を寄せた。
泣く? と思ったハナビの腕をタイジュが掴んだ。耐えるように何かの感情を抑えこんで見えた。
「ハナビくん……」
「ん?」
「嬉しいです……」
そう言った言葉はハナビのお腹の辺りにすとんと落ちて行った。胸がじんわりと暖かくなる。その体感にハナビは微笑んだ。
だがタイジュは手放しで喜べないでいた。そしてハナビも、もうひとりこの自覚した感情を伝えなければならない人物がいた。
ふたりはその相手の顔を思い浮かべて短くため息を吐いた。
「タイジュ、どうした?」
「ハナビくんこそため息……」
「恋愛って楽しいばっかじゃねぇんだなって思って」
ハナビの顔を見て、タイジュはアブトの告白が過ぎった。自分だけじゃなく、もしかしてアブトにも何か言われてたのだろうかと邪推する。
「みんながみんな、自分の好きな人と結ばれればいいんですけどね」
ぽろりと零すタイジュに、ハナビは眉を下げて頷いた。
「今は……嬉しい気持ちになってても良いよな?」
意味深なセリフ。タイジュは邪推が確信に変わる。そうなのか、とアブトの不安げな顔を思い出した。
「はい。自分も嬉しいですから、とっても」
タイジュは少し頬を染めた。ハナビはそれを可愛いと思い、その気持ちに驚いた。今の気持ちが好きという感情から来ているものならば、新しい見方を見つけた気がした。
タイジュはハナビから向けられている視線に気付く。一瞬目を見開き、パッと逸らした。初めて見るその笑顔に、タイジュの心臓はうるさくなった。
ハナビとタイジュはそれぞれに伝えるべき相手のところへ向かった。