撃鉄 コンコン、と扉を叩く音がした。
試験管が何本も立ち並ぶデスクの前に座り、コースティックは独り黙々と研究結果をパッドに書き込んでいた。本来なら紙に書き、その結果を部屋の壁に貼り付けて経過を眺めていたいが、エアシップの構造上、個人に充てがわれた部屋は決して広くない。それでも研究を続けるには、さして問題は無かった。
コンコン、と扉を叩く音がした。
コースティックはようやく走らせていたペンを止め、扉の方へ視線を移した。どうやらこちらに向かってノックしているらしい。
空耳だろう。コースティックは再び研究に取り掛かった。
……… ………。
バンバンバン!!
「……… ………」
残念ながら幻聴ではない。ようやく確信したのは、扉を叩く音が最早壁に穴を開けるような粗暴な音に変わってからだった。
短く息を吐いて眉間に指を添えた。短絡的な憤りと苛立ちで、目の前の作業を水の泡にしたくない。今にでも喉から湧き出る衝動を飲み込み、椅子から徐に立ち上がった。
「よう」
薄緑色の髪が目下で揺れた。
扉を開けるとそこに居たのは、何度も戦場で見かけた事のある義足の男だった。意外な来訪者にコースティックは暫く静かに観察した。
「返事が無いから居ないのかと思ったぜ。お陰でオッサンから借りたグレネードを使わなくて済んだけどな」
jajajaと、冗談混じりにオクタンは笑った。
「今ヒマか?」
「……私に対して言っているのか?」
「アンタ以外にこの部屋の中いんの?」
「質問を質問で返すな」
「最初に返したのはアンタからだぜ、コースティック」
思いがけず揚げ足を取られ顔を顰める。オクタンはそれ以上語らず、口を一文字に結んだコースティックの様子をじっ、と伺っていた。
目敏い餓鬼が。
「……何の用だ」
そう聞き返すしかない事実に腹が立つが、これ以上目の前の若者に弄ばれている方が、彼自身最も見過ごせない問題だった。閉じることは容易だが、それは敗北と同義と言ってもいい。
「それだけどさ、部屋入って話せねぇかな」
「なんだと?」
予想外の提案に耳を疑った。
「だからここじゃ言いにくいんだよ。通路だし」
「入らずとも用件ぐらいは聞ける。貴様を部屋に入れる利点が私には全く無い」
真っ当な意見に口を紡ぐオクタン。それを見逃さず、心の底でほくそ笑んだ。「言えないなら出て行け」
「俺はアンタの為に言ってるんだぜ。ここはシェの姉貴や他のレジェンドだって通るし、話し声もよく響く。変に目立って色々詮索されるのは好きじゃないだろ」
「………」
その悪知恵は一体どこから働いているのか、一度頭の中を開いて見てみたいものだ。
コースティックはしぶしぶ身体を横に開いて道を開けた。オクタンは揚々に扉の敷居を跨ごうとすると、眼前に大きな掌が突き出された。訝しげに顔を上げるオクタンに、コースティックは言葉を投げ掛けた。「持っているのか」
「………いや、まさか。アンタもビックリすんのかなってカマかけただけ」
「出せ」
ピシャリと跳ね除けるコースティックに暫く目を合わせていたが、オクタンは観念したように両肩を小さく上げて息を吐いた。指先の空いた黒いグローブが右ポケットに入り、少し弄ってから、彼の細い指がポケットから顔を出す。
そこには、黒々としたこぶし大くらいのグレネードが握られていた。
コースティックはそれを奪い取り、ようやくオクタンに入室する許可を下ろした。
極度の潔癖症ではないが、人を招く必要のない自室は部屋の主一人だけで事足りるスペースしか確保されていない。黄色い液体の入った試験管、床に転がった電子パッド、顕微鏡や配線が通る機材。よく分からない機械や資料が乱雑に置かれている。手を伸ばして触ろうとすると、手首を掴まれ制された。
「触るな。叩き出されたいか」
一回り大きな手に力が入る。
「悪い、つい気になっただけだ」
潔く引くとコースティックの手も離された。手首は、少しジンジンする。
「……遠心分離機だ。比重の異なる物質を遠心沈下で沈降させる」
「ふーん」
淡白な反応に多少の苛立ちを覚えたが、一々それに付き合う義理も必要もない。
オクタンは部屋に一つだけあるソファーに腰掛けた。
「それで、何の用だ」
コースティックは早々に話を切り出した。
「アンタに相談したいんだよ。お礼は何でもする。……まぁ、俺の出来る範囲で」
「………例えば?」
「そうだな、興奮剤の材料とか?」
「興味深いが、条件としては唆られない」
「んー、じゃあアンタが決めていいよ」
右手をヒラヒラと振りながら背もたれに深く身体を預けた。
コースティックは暫く思案した後、オクタンと向かい合う様に椅子を向けて腰を下ろした。
ギシ、と軋む音が部屋に響く。
「非常に協力的な被験者がいるのは結構だが、いかんせん個体が似通っていては目新しい結果は生まれない」