神の子でもきっと気付かない。 オクタンにとって《数》は最も分かりやすい正義だった。フォロワーは多ければ多いほど良いし、アップする動画も多い方が良い。祝い事やイベントは大人数で開催した方が楽しいと思う。客人をもてなす料理も様々な趣向を凝らす方が美味しい。
勿論、その夜を明かす相手も多種多様なテイストを好んだ。
自分好みの相手やそうじゃない相手。オクタンは全ての味を楽しみたいと思っている。それはえり好みをする事に飽きているのもあるし、それを可能にする自由がオクタンの《普通》だった。何の悪意も感じてはいない。
オクタンはそれを肯定するように何度も肌を重ねてきた。
☆
「勝手にしろ」
冷たくあしらう一言にオクタンは顔をしかめた。他人を突き放す彼の言動は、今に始まったわけではない。
「コースティック。俺はアンタのために言ってるんだぜ?せっかくのクリスマス・イヴなのに、アンタはこじんまりとしたこのツマンナイ自室で、煙たい化学薬品と一緒にツマンナイ夜を明かす気か?」
「寛大な気遣いに感謝しろと言いたいのか?随分と偉くなったものな。」
依然としてコースティックは黄色い液体が入ったフラスコから目を離さない。オクタンはこちらに向く素振りを見せない彼氏を睨む。人の心に興味が無いと常々思っていたが、全く成長しない人でなしの背中に、沸々と怒りが込み上げてきた。
「じゃあ!!」
「じゃあ……いい」
俺一人で行くよ。と言い残して、オクタンは部屋から出ていった。
「……」
コースティックはフラスコから目を離して、寂しげな扉を眺める。机に手を付いて腰を上げようとするが、オクタンの返事が脳内をリフレインし、追いかけるのを止めた。
それからは、何事も無かったかのようにコースティックは研究を再開した。
☆
シンジゲートが主催するクリスマスの前夜祭は華やかなものだった。レジェンドとゲームを支援する企業、その他有力事業主を招いた大掛かりな交流会は、煌びやかなドレスやスーツ姿の紳士淑女であふれていた。オクタンもそれに準ずるようにライトグリーンの背広を着こなしてパーティに臨む。
シンジゲートが主催であるならば、当然父親の会社も絡んでいる。父親の息がかかった関係者もいるだろう。そう思うとオクタンは複雑な気持ちになった。
「暗い顔ね」
ハッとして顔を上げると、いつもの黒ずくめの服装とは異なるドレス姿のレイスが声をかけてきた。
黒を基調としているが、肩の部分がふっくらしたキャンディスリーブに、ゆったりとしたデザイン。上半身が程よく透けたレースと、広がりすぎないマーメイドシルエットが甘めな女性らしさを引き出している。戦闘に邪魔だからと纏めているだけのお団子ヘアも、今は程よくほぐれ、チュールと黒い花の髪飾りがふわりと揺れた。
シャンデリアから降り注ぐライトアパタイトの瞳がキラリと反射した。
「一瞬、誰かと思った」
「上手いわね」
「ホントだぜ?世辞なんて言わねぇよ」
「そういうことにしておくわ」
レイスはあの厳めしい科学者が、オクタンの傍らにいない事に気が付いた。
「でも、ちょっと意外だった」
口を開いたのはオクタンだった。
「こういうの興味ない方だと思ってたしよ」「そうね。私もそう思う」
レイスは伏し目がちに答える。「最初は出席するつもりは毛頭なかった」
「楽しい所だけど、いつもより騒がしいもの。私にとっては」
「今も?」
「そう、今も」
虚空からの声は戦闘時にかかわらず、常にレイスの頭の中にいるらしい。自分ではない自分の声が常時聞こえるという感覚はオクタンには分からない。しかし、居心地が良いとは決して言えないだろう。
「じゃあ何で?」
「私に似合うドレスを見つけたんですって」
嬉しそうにレイスは堪えた。
「先に言い出したのはミラージュ。彼はいつも通りだから、私は断った。別に私がいても何も変わらない。彼には多くのファンがいるから。そうしたらパスがこのドレスを見せに来たの。センスが良いわね、と返したら、二人でこれを選んだんだって」
向かいのテーブルでレイスを呼ぶ声が聞こえる。一人と一機の胸ポケットには、レイスの髪飾りに似た黒い花が挿さっていた。
「私は二人と一緒に楽しむわ。だからあなたも、やせ我慢しないで」
「(やせ我慢?)」
クリスマスは皆で祝うものだ。大勢で料理を囲み、祝いの言葉をかけて、その空気に酔いしれる。沢山のものに囲まれて楽しむのに、何が不満なのだろうか。
「……」
心に溜まるモヤモヤとした気持ちを冷まそうと、オクタンはバルコニーへ向かった。
☆
「絵になりますね」
空のグラスを手に持って、何の気なしに外を眺めていると、賑やかなホールの方から男の声が聞こえた。オクタンは徐に声がした方に目線を向ける。
「失礼。一人に見えたもので、つい」
返事を聞かないまま、男はオクタンの隣へ近づいた。
おそらく年上だろう。クリプトか、ミラージュくらいの年齢に見える。背丈は自分よりも高く、ブロンドでオールバックに整えられた髪と少し垂れ目なブルーアイ。ダークグレーのスリーピーススーツを着ており、小奇麗な印象を受ける。
「貴方がレジェンド、オクタンですか?」
「今更聞くのか?アンタほどの人間が」
オクタンは左手で頬杖をつき、男を見定めた。
おそらくどこかの有力企業だろう。目の前の人物は知らないが、ここまで図々しい態度をとる人物は、自尊心の高い切れ者か、よほどの馬鹿かのどちらかしかいない。
「ゲームで拝見する貴方とはまるで雰囲気が違いますから。お恥ずかしながら、少し興奮しています」
「俺のファンってこと?」
「今の貴方に見惚れて、ファンになりました」
拍子抜けの返答に思わずズルッとずっこけた。
「あ」
男は素早くオクタンの肩を支え、グラスを持つ右手を優しく包んだ。
「大丈夫です?」
「え?おう……」
「はは、そんな表情もするのですね。グラス、危ないので返しましょう」
するりとオクタンからグラスを取り、近くにいるボーイを呼んだ。コースティックとは異なる繊細な手だが、確かに逞しさが伝わってくる。
「(上手いんだろうな)」
だが歯が浮くような文句はどうかと思う。オクタンは傍にいる男を眺めた。
「アンタ、俺が誰か分かって口説いてる?」
「……勿論。そうであるからこそ、皆あなたに夢中なんでしょうね」
男の指がオクタンの輪郭を緩やかになぞっていく。ゆっくり頬から下がっていき、顎先に到達すると人差し指と親指を使い、優しく持ち上げた。
オクタンも嫌がる素振りを見せず、それに従う。
「この賑やかな夜に孤独に待ち続けている貴方を放っておけなかった。私でその寂しさが紛れるなら、夢が醒めるまで付き合います」
「(待ち続けている?)」
男の甘い言葉が、彼女の言い残した言葉を呼び起こした。
☆
大抵の事は上手くいかない。
コースティックはその事を重々痛感していた。今まで選んできた選択も実験も、総じて共通する点なのは間違いない。
時刻は既に夜の11時半を過ぎていた。シンジゲートが主催するパーティが始まってから暫く経過している。
コースティックは大きく息を吐いて背凭れに上体を預けた。ギシ、と金属が軋む音が主しかいない静かな部屋に響く。
静寂な空気が、何故かコースティックを焦らせた。トントンと右手の人差し指を使い、小刻みに叩き始めた。乾燥した髭を無意味に弄び、変化するはずのない机上をジッと睨む。
トントントン……
トントントン……
トントントン…… カシュカシュ……
「…… ……?」
机を叩く音と重なって違う物音が聞こえると気が付いたのは、オクタンが走りながらコースティックの部屋に転がり込んですぐの事だった。
すぐにあの妙な音は義足の音だと分かった。ふわりと仄かなアルコールの匂いがコースティックの鼻を掠める。コースティックは呆れながら息の荒いオクタンに向かって声をかけた。
「静かに入る事すら出来んのか」
突然、オクタンはコースティックを抱き締めた。顔を埋めて表情は見えない。コースティックを逃がさまいとギュッ、と力を込めた。コースティックは慎重にオクタンの肩を軽く叩いた
「何だ。黙ったままでは分からん」
「行こう」
「?」
「行こうぜ。パーティ」
コースティックは溜息を吐いた。
「貴様はちゃんと理解しているか?私は行かん」
「アンタがいなきゃ、」
オクタンの声が僅かに震えた。
「俺は……コースティックと楽しみたいんだ。他の、誰でもない、アンタと一緒に」
「……手を除けろ」
静かだが、先程までの取り合わない雰囲気から明らかに変わっていた。
オクタンはコースティックの言う通りに手を離す。走った所為でお酒が回り、薄く紅潮している。
「さっきも言ったが、私はパーティには行かない。他のレジェンドは知らんが、薄っぺらな会話しか交わさない集まりなど時間の浪費でしかない」
それを聞いてオクタンはショボンと肩を落とした。
「……だが、貴様だけなら話は別だ」
「え?」
ソファーで待っていろ、とコースティックはオクタンを置いて自室にある簡易キッチンの方へ向かった。オクタンは困惑しながらも、コースティックの言葉通りにソファーに座った。
1〜2分経って、コースティックはオクタンの所へ戻ってきた。両手で持って来たそれらをソファーの前にあるテーブルに置く。
オクタンの目の前に映るそれは、コースティックに似つかわしくない物だった。
「ケーキ……」
「それ以外の何に見える」
薄緑色の可愛らしいケーキの隣にミルクコーヒーを置いた。フォークも添え、コースティックは作業椅子を引いて、オクタンの正面に座った。彼の前にはチョコでコーティングされたケーキが置かれている。
「……コースティックが選んだのか?」
「休憩がてらに食べようとしたものだ」
少し早めな返答。オクタンはこそばゆさを覚えて口を緩めた。
「そうかぁ。なら、俺も一緒に選びたかったぜ」
一人でケーキを二つ買う彼の姿を見てみたかったけど、という言葉は心の中に留めておいた。
それでも、パーティでは微塵も感じなかったパチパチとした歓喜が、オクタンの身体中を駆け巡っていた。
パーン……
部屋の外から爆発音が聞こえた。
「そういえば、0時過ぎると花火上げるって言ってた」
「無駄遣いも甚だしいな」
金をかけなければならない問題はいくらでもあるというのに、と小言を零しながらコースティックはケーキを食べる。
「あー…えーと」
オクタンは気恥ずかしそうにポリポリと頬をかいた。
彼は絶対にこういうのが嫌いだ。しかも、頑固で意地っ張りで、テコでも動かない偉大な先生は、これかも変わりはしないだろう。
「メリークリスマス、コースティック」
神も隣人も祝わないクリスマスがあって良いと思う。
「……あぁ、そうか。貴様はそう思っているのか」
コースティックはニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「え?」
「終えたら着替えて戻ってきなさい。貴様が良いなら私は止めんが、何にせよ後で文句を言うのは貴様だからな」
「…え?」
「この惑星は夜があって助かったな。聖夜を楽しむにはうってつけの環境だろう?ロマンチストの貴様にピッタリだ」
「……え」
「心配しなくていい。ジャンキーな貴様が満足するようなモノは全て揃えている。あぁ、せっかくのクリスマスだからな。今夜が明けるまでと、日が暮れた後。2回楽しめるぞ、良かったな」
「…………」
「今日だけなら、貴様の好きなようにして構わんぞ。
オクタビオ」
オクタンはマグカップを両手で持って、ちびちびとミルクコーヒーを飲んだ。
今の時間がいつまでも続いてほしいと願う焦りと、コースティックのエロティックな笑みに含まれた期待で湧き上がる熱を、オクタンは懸命に冷まそうと努めた。