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    ポン酒

    @ponz018

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    ポン酒

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    妄想ポストを、夏らしいホラー風味に肉付けしたやつ。
    ガイアくんに「悪い子だ」って言って欲しかっただけです。

    山の怪異あの夏のことを、今でも夢に見る。
    蝉の鳴き声が妙に耳に刺さる日があると、胸の奥に、冷たい風のような何かが這い寄ってくる。
    湿った土の匂いと、風の中に紛れたあの声。

    あれはきっと夢なんかじゃなかった。

     





    たしか、小学四年の夏休みだった。
    その日、俺は朝から妙に落ち着かなかった。

    きっかけは、図書館で見つけた郷土資料の本だったと思う。
    「地元の山には、地図に載らない沢がある」
    「誰にも知られていない滝がある」
    そんな曖昧な言葉が、子どもなりの想像力に火を点けた。

    (もしかしたら、俺にも見つけられるかもしれない)

    そう思った。いや、そう思いたかったのかもしれない。
    クラスではいつも引っ込み思案で、ドッジボールは当たる前に逃げるタイプ。
    でも、そんな自分でも、“誰も知らない何か”を見つければちょっとだけ特別になれる気がした。

    母には「友達と遊んでくる」と嘘をついて、小さなリュックに水筒、懐中電灯、ノートと鉛筆を詰めた。
    今思えば、それはままごとのような冒険準備だった。
    けれど、あのときの俺にとって、それは本物の冒険だった。

    舗装された登山道から外れ、小さな踏み跡を見つけて、草木の茂る獣道へと入っていく。
    人の手が入っていないその道は、子どもの身長をゆうに超える雑草と枝に包まれ、
    何度もクモの巣に顔をしかめながら、それでも足を止めず、前に進んだ。

    風が強くなり、葉がざわざわと鳴く。
    もう戻ったほうがいいと、本当はわかっていた。
    それでも、引き返せなかった。

    ――そして、足を滑らせた。

    湿った土と苔の斜面に足を取られ、ぐるりと視界が回る。

    「っう、あ……っ!」

    体が転がるたびに枝が頬を掠め、手のひらが地面を引っかいた。
    最後に何かにぶつかって止まる。

    しばらく、息すらできなかった。
    耳の奥がキーンと鳴り、土の匂いが鼻を突く。
    擦りむいた膝と肘がじんじんと痛み、どこかを切ったらしく口の中が鉄の味で満たされた。

    喉の奥が震える。
    でも、声を出したら泣いてしまいそうで、黙ったまま、ただただその場にうずくまっていた。
    もしかしたら、もう泣いていたのかもしれない。

    ――その時だった。

    「少年」

    耳のすぐ近くで、声がした。

    ぴたり、と空気が止まる。
    さっきまで喧しく鳴いていた蝉の声が、嘘みたいに消えていた。

    ゆっくりと顔を上げると、そこに“誰か”が立っていた。

    黒いバンダナを巻き、上下スエット姿の青年。
    スニーカーは泥にまみれ、長い道を歩いてきたような風情。
    けれど、目だけが、まるで人ではない“なにか”のような。

    灰色の瞳。
    薄い、霧みたいな色をしていて、まるで底がなかった。光を反射しないその目は、じっと俺を見つめていた。

    綺麗な顔をした青年は、整った輪郭のどこかに、人間らしさのようなものが欠けていた。
    目の奥の、時間が凍っているような静けさが、なによりも怖かった。

    「こんな山奥まで1人で来るなんて……悪い子だ」

    そう言って、彼は笑った。

    その笑みは、たしかに優しかった。
    けれど、背筋に冷たいものがすっと走った。

    俺は声も出せず、その場にへたり込んでいた。
    青年は、すっと膝をついて、俺の手を取った。

    その手の温かさに、安堵した事を覚えている。
    確かに血の通った、生きている人の手だった。

     



    その後、どうやって帰ったのかは、覚えていない。

    気がついたら、俺は家の布団の中にいた。
    泥だらけの服のままで、ぐっしょり汗をかいていた。
    そんな俺の姿を見て、顔を真っ青にした母には、酷く叱られた。
    「何があったの?」と訊かれても、俺は首を横に振るしかなかった。

    本当は、誰かに会ったような気がする。
    でも、よく思い出せない。

    ただひとつ、今でも胸の奥に焼きついているのは――
    灰色の、底のない瞳。

    そして、あの夏の午後の風にまぎれて届いた、優しい声。

    「悪い子だ」

    今も時々、蝉の鳴き声が止んだ際にふと、その声が耳に蘇る。
    まるで、また俺のことを見ているかのように。







    あれから十数年が経った。
    大学を卒業し、就職先も決まり、もうすぐ引っ越しを控えていた頃だった。

    なにかを忘れている気がして、落ち着かなかった。
    何を――と訊かれたら、うまく答えられない。
    ただ、胸の奥でずっと何かが燻っていて、それを見ないふりをしてきたような、そんな感覚だけが残っていた。

    きっかけは、たまたま机の奥から出てきた、子どもの頃のノートだった。
    震えるような字で、「ひみつのやま」「あしあとがふたつ」なんて書いてある。
    覚えていなかったはずの言葉を目にしたとき、背中がぞわりと冷えた。

    そして俺は、再びあの山へ足を踏み入れることにした。

     



    梅雨明けが早く、すでに街は真夏の陽射しだった。
    駅からバスに乗り、そこから歩いて登山口まで向かう。
    昔と違って、地図もスマホもある。でも、俺はあえて紙の地図だけをポケットに入れてきた。

    登山道を外れ、小道に入る。
    草が伸び、道はさらに細くなっていた。
    それでも俺の足は、まるで呼ばれるように迷わず進んでいた。

    (思い出した……体が、覚えてる)

    あのとき転げ落ちた斜面の手前で、足を止めた。
    空気がぬるく湿っている。
    蝉の声が遠く、風が吹いていないのに、草だけがざわざわと揺れていた。

    まるで、山全体が、俺に気づいているかのようだった。

    ――そして、見つけた。
    昔、身体をぶつけて止まった岩。
    そのすぐそばの、木陰に。

    “彼”が、立っていた。





    全身が一瞬で冷えた。
    そこにいるはずがない、と頭では理解している。
    けれど、目の前にいるのは、十数年前と全く同じ姿の男だった。

    黒いバンダナとスエット。泥にまみれたスニーカー。
    背丈も、肩幅も、声も、なにもかも、あの時のまま。

    「やあ」

    そう言って、彼は微笑んだ。

    あの夏と、同じ声。
    たしかに、あの声だった。

    「君は、あの時の少年かい?」

    背筋が凍る。
    十年以上前の記憶と、いま目の前にある現実が、音を立てて重なった。

    俺は、咄嗟に言葉を返せなかった。
    ただ、息を呑んだまま、彼の目を見た。

    薄灰色の瞳。
    深く、底がなく、まるで人の感情を映さない湖面のような目。

    あの時、子どもだった自分は、それを“きれいだ”と思った。
    でも、いまの俺はわかる。
    これは、人間の目じゃない。

    「覚えていてくれて、嬉しいよ」

    彼は、穏やかに笑った。
    十数年の時を経て、まったく同じ声。まったく同じ顔。
    時間だけが、俺の中で勝手に進んでしまったような錯覚。

    「でも、またこんなところまで来るなんて」

    彼は草の揺れる音も立てず、一歩だけ近づいた。
    その動きさえ、風の一部みたいに自然だった。

    「……どう、して。あなたは、変わらないんですか」

    息を呑むように問いかけると、彼は首を少し傾けて――
    懐かしむように、語った。

    「私は、自然そのものだから」

    それは、朝露が落ちるのと同じくらい当たり前に響いた。
    疑う余地も、肯定も拒絶も入りこめない言葉だった。

    「風も、石も、水も……ここにあるものは、変わらない」

    その声には、悲しみも怒りもなかった。
    ただ、事実があるだけだった。

    「君だけが、ずっと遠くに行ってしまっただけだよ」

    そう言って、彼はふわりと笑った。
    その笑みは、どこか子どものようで、
    拗ねた弟のようで、
    それでも、どうしようもなく――おそろしかった。

    「でも、戻って来た」

    そしてもう一歩、俺に近づく。

    灰色の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜くようにのぞき込んできた。
    その唇が、懐かしくて、ぞっとする言葉を紡ぐ。

    「少年。こんな山奥まで、また1人で来るなんて……悪い子だ」

    ぞくり、と背中が粟立った。
    十数年前とまったく同じ声。
    まったく同じ台詞。

    俺は、彼のことを“忘れていた”はずだった。
    なのに、彼は俺のことを、“覚えていた”。

    俺は何も言えず、その場に立ち尽くした。
    逃げる理由も、残る理由も、まだ見つけられないまま。

    そんな俺を、あの目が見ていた。
    風のない山の奥で、灰色の湖面のように、あの夏からずっと。
    まるで、忘れられることを許さないように。
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