【臨時ルームサービス】◇◇◇◇
一人で出かけた狩りで、少し派手に怪我をしてしまった。俺がラージャンと戦っている時に偶然クルルヤックが後ろを通りかかったのだが、どうやらラージャンの殺意に怯えてパニックを起こしたらしく、俺の死角から思いっきり岩を投げつけてきたのだ。
お陰様で岩をぶち当てられた背中はズル剥け、転倒して地面にぶつけた肩にも少しヒビが入った。怒ったラージャンは更に大暴れするし、我を忘れたクルルヤックは狂ったように俺の周りを走り回るしで、あの時は本当に死ぬかと思った。
とは言え、それだけだ。
クルルヤックは追い払った。ターゲットだったラージャンは無事捕獲した。そして自力で治療をして、ちゃんと自力で拠点まで帰ってきた。
少しトラブルがあっただけで、結果としてはいつも通り。しばらく安静にしていれば、怪我もすぐに治る。だから大したことはない……と、俺は思っていたんだけど。
コン、コン。
「こんばんは。フィオレーネ様より、あなた様のお手伝いを仰せつかって参りました」
各所への報告を済ませて帰った自室のドアを控えめにノックする音、落ち着いた女性の声。俺は慌てて散らかった武具を部屋の端へ押しやりながら、「大事になってしまった……」と深く溜息をついた。
手当てで時間を食って帰還にいつもより時間がかかってしまったせいで、フィオレーネさんやガレアス提督に随分と心配をかけたらしく、俺は一週間ほどの休養を命じられてしまった。その時にフィオレーネさんが「ルームサービスが休暇を取っているから代わりの世話役を寄越す」と言っていたので、おそらくこの人がそれだ。
確かに、部屋に戻ったらルームサービスくんはいなかった。彼らにも休暇なんてものがあるんだな。そりゃあそうか。
……しかし参った。ただでさえ知らない人は得意じゃないのに、よりにもよって女の人が来るなんて、聞いてない。
俺としてはお引き取り願いたいところだが、それじゃあこの人も言いつけられた仕事ができなくて困るだろう。ならばあまり待たせても申し訳ない。ここで適当に時間を潰してもらって、仕事をした風な顔で帰ってもらえばいいか。
結局観念した俺は、まだ閉じたままのドアへ向かって「どうぞ」と声をかけた。
「ぷっ」
?
なんか今、吹き出す声が聞こえたような。気のせいかな?
ガチャッ。
「じゃ、お邪魔しまーす!」
「えええぇぇいぃぃイブキちゃん 誰」
「誰ってわたしだよ、イブキ。何言ってんの?」
「いやそうじゃなくて! えっ、あの、さっきの人は」
「っははははは まだ分かんないの ……『御用があれば、何でもお申し付けくださいね』」
「ひえっ」
「やったー引っかかったーっ! あははははは」
大喜びで笑い転げるイブキちゃんを、俺は呆然と見つめるしかできなかった。あんなに大人っぽい声も出せるなんて知らないし、まずそれ以前に、イブキちゃんが堅い敬語を使ったという時点でズルだと思う。分かるわけないじゃないか。
「な、何しに来たんだよ……?」
「フィオレーネさんから聞いてない? てかさっきも言ったじゃん。お手伝いだよ、お手伝い。ルームサービスくんの代わり」
「いやだって、イブキちゃんはハンターじゃないか。狩りは……?」
「わたしも来週まで休んでろって言われたの。そんな大した怪我じゃないのに」
「えっ? イブキちゃんも……怪我を?」
「そうそう、ショウグンギザミにスパーッとやられちゃって。ここ、なんかいっぱい縫われた」
そう言いながら肩を指し示すイブキちゃん。よく見ると、服の袖口や首元から真新しい包帯が見え隠れしている。
「切り口が鋭いから、痕は残らないだろうって。いやぁ、すごいねギザミの爪。ホント刃物だわあれは」
「そ、そうだね。俺もやられたことあるよ」
「そうなの? カムラくんも被弾することなんてあるんだ」
「あるよそりゃあ。俺はちょっと傷残っちゃったけど……イブキちゃんは綺麗に治るんだね。よかった」
俺はほっと胸を撫で下ろした。一応彼女も女の子だから、俺みたいに傷が残ったら可哀想だと思ったのだ。仮に残ったとしても、本人はあんまり気にしなさそうではあるけど。
「普通に動けるから大丈夫って言ったんだけど、提督に無理するなって怒られちゃってさ。で、暇だなーどうしよっかなーと思ってたら、カムラくんはもっと怪我してるから身の回りの世話をしてやってくれって、フィオレーネさんが」
「よ、余計な事を……」
「えっ何?」
「いや……何でもない……」
俺は困惑に困惑を重ねてばかりだが、イブキちゃんは、自分がルームサービスみたいな役割を与えられたことに何の疑問も持っていないようだ。もしかして、ハンター同士でこうやって助け合うのは普通の事なのか? 俺に助け合いの精神や助け合う友達が足りないだけなんだろうか。
いくら考えていても来てしまったものは仕方ないので、俺はぐったり疲れた溜息をつきながら、改めてイブキちゃんを室内に招き入れた。
「はぁ~……と、とりあえず、その辺に座ってて」
「はーい!」
元気よく返事をして部屋に入り、ぽすんとベッドに腰掛けるイブキちゃん。本当に警戒心も何にもない。一応ここ、男の部屋なんだけど……男として見られてないんだろうな。まぁ、俺もイブキちゃんのことを変な目で見たりはしてないから、それはいい。
それよりも今は、部屋を荒らされたりイタズラされたりしないかどうかの方を心配しなければ。
◇◇◇◇
イブキちゃんが部屋に来て、一時間ほどが経った。
「――ねぇ。暇」
「 ご、ごめん……」
意外にも大人しくベッドに座ったまま、俺が武具を片付けたりアイテムの整理をしたりしているところを黙って眺めていたイブキちゃんが、ついに口を開いた。
「何か仕事ちょうだいよ。暇」
「仕事……? う、うーん……特にないんだよなぁ……」
そう、特にない。だって一人でできるから。
ヒビが入った肩は動かせないけれど、日常生活を送るのに大した支障はない。狩猟関係の整理は終わったので、あとは寝る支度をするくらいしかやる事は残っていないが、当然それも一人でやるつもりだった。
つまり俺は、仮にも俺を助けるために訪ねてきてくれた女の子を、一時間近くも放置していたのだ。俺が呼んだわけではないのだけれど、イブキちゃんの不機嫌そうな顔を見ていたら、なんだか自分が物凄くダメな男になったような気がしてきた。
脳内の俺が俺を責める。せめて雑談くらいすればよかったのに、と。したらばもう一人の俺がもじもじと反論する。でも、だって、何を話していいか分からないし、イブキちゃんも黙っていたし……まさかこんなに静かにしていてくれるとは思っていなかったから、剣を研いでいる時なんかは正直、ちょっと存在を忘れていたりもしたし……
自分に言い訳をすればするほど情けなさは膨れ上がり、イブキちゃんの暇そうな顔はますます曇る。申し訳ない。とにかくこのままでは非常によろしくない、それだけはさすがの俺にも分かった。
何か一つでもいいから、イブキちゃんがフィオレーネさん達に「手伝いをしてきた」と言えるような事はないだろうか。考えろ俺。何か、何か……
――あった。
「……じゃ、じゃあ、一つだけ……お願いしてもいい、かな」
「おっ! 何ー?」
悩みすぎて項垂れていた俺がようやく顔を上げると、イブキちゃんがぱあっと表情を明るくして、ベッドから身体を乗り出してきた。よっぽど暇だったんだな……
更に申し訳なさが募って、少しだけ素直に頼ろうかな、と思った。
「傷の手当て。腕とかのはもう済んでるんだけど、背中は自分じゃできないから……」
「はいはい、お安い御用よ。んじゃこっち来て、上脱いで」
「脱ぐ ベッドで」
「えっそこ驚くトコ? 脱がなきゃ見えないじゃん。あ、手当てに使う物も貸して」
「あ、そ、そうだよねうん、はい……お、お願い、します……」
イブキちゃんがマトモな事しか言わないと、どうも調子が狂う。もしかしてイブキちゃん、熱でもあるんじゃないか? いや、どう考えても今おかしいのは俺だ。一瞬でも変な想像をしてしまった自分の頭にフォールバッシュを叩き込みたい衝動に駆られながら、俺は棚から救急セットを引っ張り出し、それをイブキちゃんに預けておずおずとベッドに腰を降ろした。
俺が少し手間取りながらシャツを脱ぐ間に、イブキちゃんはさっさと俺の背後に回って、鼻唄を歌いながら治療の道具を準備している。イタズラを仕掛けてくる様子もないし、今日は本当に「お手伝い」に来てくれただけ、なのかもしれない。そんな日もあるのか。ある……? 本当に?
そんな俺の疑念などどこ吹く風。イブキちゃんは俺の背中を一目見るなり、大きな目を更に見開いて、呆れ混じりの苦笑を浮かべた。
「あちゃー、こりゃ確かに派手だね。クルルヤックに岩投げつけられたんだったっけ? フィオレーネさん達が休めって言うわけだわ」
「そ、そこまで聞いてるんだ……そんなに酷いかな」
同業者にそこまで言われるとなると、想像していた以上に悪いのかもしれない。止血は自分でしたけれど、場所が場所なので、きちんと目視はできていなかったのだ。
「うん。裂傷も大きいんだけど、打撲の内出血がかなり。肩の方の影響もあるだろうし、多分これからもっと腫れるよ。なるべく冷やした方がいいかもね」
そう言いながらイブキちゃんは突然ベッドからひょいっと飛び降り、俺のアイテムボックスを勝手に漁り始める。
全身から、血の気が引いた。
「ひっ」
マズいマズいマズい。そこには色々入っているんだ、あれとかこれとか、本当に色々。もちろん奥の奥のずーっと奥の方に隠してはあるけども、もし万が一あんな物を見つけられたら、明日からどんな扱いをされるか……
「ちょっ、イブキちゃん なっ何探してるの、何」
「カムラくんなら、絶対少しは余らせてるはず……あったあった、これ!」
アイテムボックスから顔を上げて振り返ったイブキちゃんの手にあったのは、氷結袋。氷嚢代わりにするつもりで探していたようだ。それならそうと言ってくれればいいのに。
何にせよ、普段から素材を取り出しやすいようにきちんと整理整頓していたお陰で命拾いした。拾いはしたけど寿命は縮んだと思う。
再び俺の後ろに回ったイブキちゃんが、てきぱきと治療を施してくれる。俺が適当にやった綿紗や包帯を解いて、消毒をして、裁断した氷結袋を挟みながら、上手に包帯を巻き直して。すごく手際が良いし出来も綺麗。いつもはおちゃらけていて子供みたいだけれど、この人もエルガドにわざわざ外から招聘されるレベルのハンター。この辺はさすがだ。
あまりに手早すぎて、頼んだ傷の手当てはあっという間に終わってしまった。もうこれ以上お願いできる事は、どれだけ頭を捻っても出てきそうにない。まぁ一つはやってもらったのだから、これで無事に解散できるだろう。
――と思ったがどうやら、そうでもないらしい。
「……ここ以外にもいっぱいあるね、傷。ここも……ここも……にぃ、さん、しー……」
イブキちゃんが何故か、俺の身体に残った大小新旧様々の傷跡を、興味深そうに数えたり観察したりし始めた。何故。
一撃離脱を基本とする大剣使いの彼女より、常にモンスターの足下に張り付いて戦う片手剣使いの俺の方が、どうしても細かい負傷は多くなる。それは武器種の性質上仕方のないことだし、彼女だって知識としては知っているはずだ。でも幸いこれまで命に関わるほどの大怪我はしたことがないから、同業者に驚かれるような傷は残ってない。
俺の身体はどこにでもいるような、ありふれたハンターの身体だ。なのに、何がそんなに気になるんだろう。
「カムラくんのこと、最強の化け物ハンターだと思ってたけど……こうやって見たら、やっぱ人間なんだね。攻撃されたら痛いし、怪我もするし」
背中から見える範囲の傷を数え終わったらしいイブキちゃんは、じわじわと俺の横、そして前へと座る位置をずらしながら、目につく傷を一つ一つ確かめるように見つめ、時々指先でそっと触れたりもしながら、数え続けている。
古傷を触られる度に首筋が少しぞわっとするのは、意図が分からなくて怖いから。怖がっているのはこっちなのに、化け物とは。
「あ、当たり前だろ……化け物って……なんでそんなイメージに」
「だって狩りの時のカムラくん、すっごい強いもん」
「そうでもないからこんなに傷があるんじゃないかな……」
自分を卑下しているつもりはない。事実だ。
強いと評価してもらえるのは嬉しいけれど、俺には別にハンターとしての天賦の才があるわけでも、それこそ彼女のように、人並外れた運があるわけでもない。
身体がありふれた物なら、中身だってそう。俺は、ただの人間だ。
「あはは、そっか。……でも言われてみたらそうだね。普段はこんなに大人しいんだから、そっちで考えたら化け物ってのは違うか」
無造作に俺の傷を指先でなぞっていたイブキちゃんの雰囲気が、心なしか、変わったような気がする。何だろう――
「頑張ってるんだね」
「」
落ち着き払った低めの声――さっきこの部屋の扉をノックしていた時のしっとりと大人びた声がイブキちゃんの口から突然出てきて、俺は激しく動揺した。
ふと我に返れば、イブキちゃんが至近距離で正面からじーっと俺の顔を見ている。もうちょっと遠かった気がするのに、いつの間にそんな所に。ますますパニックになって口をパクパクさせるしかできなくなった俺に、イブキちゃんは突然、こう尋ねてきた。
「ねぇ。カムラくんは、なんでハンターやってるの?」
「……え?」
さっきまでとは別の意味で、頭が真っ白になった。
イブキちゃんは微動だにせずに質問を重ねてくる。
「なんで戦うの? こんなに傷だらけになってまで」
「……」
なんで戦う? こんなに傷だらけになって、こんなに、痛い、怖い思いをして。どうして?
そう言えば最近はとんと、そんな事は考えなくなっていた。目の前に次々と降ってくる問題に対処するので精一杯で。膨れ上がる周囲からの期待に、応え続けなければならなくて。対峙するモンスターはどんどん強くなるし、それについてこられるハンターも段々少なくなってきていて、最近はほとんどが一人での狩猟だったし。
でも、すごく大切な事であるような気がして、俺は必死に考えた。
何故、俺はハンターになろうと思ったんだっけ。ゴコク様からハンター登録が済んだと聞かされた時、里長に「頼んだぞ」と言われた時、俺は、何を考えていたんだっけ。
「……みんなを……守りたいから、かな……」
記憶の奥底からようやく掘り出してきた、俺の原点。見つけた瞬間、胸の奥で「グシャッ」と、紙屑を握り潰すような音がした。
頭の中でこれまでの戦いの光景がぐるぐると巡る。あの時はすごく痛かった。あんなモンスターを倒すなんて、俺には無理だと思った。死を覚悟した瞬間も数え切れないほどあった。それでも俺はただ、里のみんなを、俺を頼ってくれる人達を守りたくて、だから走って、走って走って走り続けて――
「ほぇー……人の為かぁ。えらいねぇ。尊敬するわ」
イブキちゃんの少し間延びした声で、はたと現実に意識が引き戻された。人の為、えらい、尊敬。単語しか頭には入ってこなかったけれど、どうやら誉めてくれているらしい。
「……あ……ありがとう……?」
「お世辞だと思ってるでしょ。ホントだよ? わたし自分の事しか考えてないもん」
それはそれで凄いと思うが……きっと、彼女の自我の強さがあるからできる事だ。何にせよ、どっちが偉いとか凄いとか、そういう問題じゃない。
そう返事をしようとしたら、目の前にあったイブキちゃんの顔が、ニコッと笑顔になった。
「えらいから、誉めてあげよっか」
「……え」
返事をする前に、視界からイブキちゃんの顔が消えた。
氷結袋を押し付けられているはずの背中が、裸だったはずの胸が、暖かい。なんだか少しいい匂いがする。それがイブキちゃんの髪の香りだと気付いてしまったら、たちまち脳が思考停止した。
ハグされている。それしか分からない。身体が動かない。
「頑張ってて、えらいね。えらいよ、カムラくんは」
耳許でそう低く囁きながら、イブキちゃんは俺の短い髪をゆっくりと指で梳き、温かい掌で上から下へと優しく撫で続けている。後ろに回した方の手は、さっき手当てしたばかりの傷に障らないよう気遣ってくれているのか、腰の辺りにそっと添えられていた。
触れられている所の全てが仄かに温かくて、柔らかくて、身体は石のように固まっているのに、心だけが急激にほろほろと崩れていく。
気付けば目許が妙に熱い。涙が溢れてきているのだと分かって、驚いた。
もしかしてこれが、「癒される」ってやつか。
癒されたいと思うほど、俺は疲れてたのか。
と、ようやく俺が自分の状態を自覚したところで、イブキちゃんがふいっと身体を離した。涙でボロボロになった俺の顔を見て一瞬目を丸くしたが、何も言わずにすぐまたニカッと笑う。
その瞬間、俺は急速に覚醒し、来る危機に備えて身構えた。この笑顔はさっきまでのやつとは違う。「いつもの」イブキちゃんだ。
「はいじゃあ次、寝っ転がって! ほいっ!」
「えっ わっ、いてぇっ」
抵抗する間もなくいきなりベッドへ仰向けに転がされ、腫れた背中が悲鳴を上げた。さっき背中を庇ってくれていたのは何だったんだ。気のせいだったのか。
すかさずイブキちゃんが無防備になった俺の傍らに陣取る。両手が上がった。ヤバい、これはヤバい。
「よぉーしよしよしよし! カムラくんはえらいねぇー! いい子いい子~!」
「うわあぁぁぁぁ」
突然、ガルクにするように、全身をわしゃわしゃ撫でくり回されて。
「ああぁぁ、やめて、やめてって! いてっ、だっ、大丈夫、大丈夫だか……わっ いてっいててっ、あひゃっ、あううぅ……!」
俺は、陸に打ち上げられたサシミウオよろしく、ベッドの上でビチビチ跳ね回る羽目になった。
「っ、たた……お、俺……一応、怪我人……はぁ……あー……」
「あはは、わたしも!」
怪我がある肩や背中を庇うために腹や腋を捨てざるを得なかったので、やりたい放題にくすぐられてしまい、俺は息も絶え絶えになってぐったりとベッドに伸びた。ほんの一分もあるかないかだったはずだが、俺にとっては永遠かと思うくらい長かった。
やっぱり、イブキちゃんはイブキちゃんだ。気を緩めた俺が迂闊だったんだ。……と思ったら、またしても想定の斜め上から言葉が飛んできた。
「で、どぉ? ちょっとは肩の力抜けた?」
「え……?」
「さっき触った時、身体中凝り固まってバッキバキだったからさ。疲れてんのかなーと思って」
「……」
言われてみれば、くすぐりでヘナヘナに脱力してしまったせいか、さっきまでより身体が少し軽いような気がしないでもない。俺はまた混乱した。
もしかして。さっきのハグもくすぐりも、からかいやイタズラじゃなく「お世話」だったってこと?
「頑張るのもいいけど、たまにはゆっくり休みなよー。身体も心ももたないよ? ハードな仕事らしいしね、ハンターって」
わたしは別にそうでもないけど、と朗らかに笑いながら、呆然とする俺の痛めていない方の肩をポンと一つ叩いて、イブキちゃんはぴょこんとベッドを飛び降りた。
「んっ、今日はこんなもんでいいかな! わたしがいたらカムラくん寝れないでしょ、帰るよ」
「……」
「……え、まさか帰っちゃイヤ?」
「あっいやごめんそうじゃない。大丈夫、帰って」
「もうちょっと言い方どうにかならなかったのそれ」
「あ……ごめん……そういうつもりじゃ……」
「あはは、うそうそ! いーよ、カムラくんだし」
ケタケタ笑ってあっさり踵を返し、出口へ向かうイブキちゃん。なんともまぁカラッとした人だ。
しかし俺には、どうしても言いたい事があった。嵐が過ぎ去ることに安堵するのは少しだけ後回しにして、俺は渇き切った喉からどうにか声を捻り出す。
「あ、あぁ……あの、イブキちゃん」
「ん?」
「……ありがとう。助かった」
本当は何かもっと色々言いたかったのだけれど、上手くまとまらなくて、たった一言になってしまった。
振り返ったイブキちゃんの目が、くるんと丸くなる。しばらく俺の言葉の意味を考えるように、茶色の瞳は右へ左へと行ったり来たりしていたが、俺を真っ直ぐ見つめ直す頃には、顔全体がとびきりの眩しい笑みになっていた。
「よかった! じゃ、また明日ね!」
バタン。トントントン……
そう言って小さく手を振るや否や、イブキちゃんは軽快な足取りで元気よく帰っていってしまった。
不吉な一言を残して。
「また……明日……?」
俺は思った。ゆっくり休めって言ったのに。もう来なくていいのに、と。
来てもらっては困るのだ。身の回りのことは自分でできるから、頼みたい用事なんて特にない。背中の傷だって、状態さえ分かれば自分できちんと治療できる。
それに――「お手伝い」に来られると、なんだか、調子が狂うから。
俺はフクズクを呼び、「こないで」と殴り書きした手紙を足に括り付けて、イブキちゃんの所へ超特急で届けてくれるよう頼んだ。
明日も臨時のルームサービス嬢が来るのかどうかは、今のところは神のみぞ知るところだ。