プレゼント 二人で暇潰しの探索に出かけた大社跡、その帰り際。
「そうだ! ねえミドリさん、いい物見せたげる!」
「ゴッドカブトだったらしばき回すわよ」
突然何かを思い出して目を輝かせたイブキをミドリが神速で一蹴すると、夕陽で赤らんだ空に照らされていつも以上に血色良く見えるイブキの頬が、たちまち餅のごとくぷうっと膨らんだ。
「違うし! もっといい物!」
「ネオが付いてもダメよ、分かってる?」
「分かってるって! もー‼ 見せてあげないよ⁉」
頼んでないので別に見てやる義理はないのだが、それを言ったら拗ねてますます面倒になる。言い出したら聞かないのだ、こいつは。
「はいはい、分かった分かった。で? 何?」
ミドリが巨大な溜め息と共に降参したのを認めるや否や、イブキは再びキラッキラの笑顔でこう言い放った。
「ミドリさんにそっくりなもの!」
「……はぁ?」
◇◇◇◇
「ちょっと! どこまで引き返すつもり⁉」
「なーいしょ!」
苛立ちと非難が存分に混じったミドリの怒号にもまるで動じず、むしろうきうきと弾んでいるイブキの声。さぞかし楽しそうな顔をしているのであろうが、アオイの背にしがみついて疾走するミドリからは、同じくカシワに跨がって前を駆けているはずのイブキの表情は見えない。
いや、何も見えない。自分がどこを走っているのかも、先ほど既に日が傾いていた空が今どれだけ暗くなっているかも、何も分からない。何故なら、目隠しをされているから。
「せっかくキャンプ手前まで戻ってたのに……何なのよ『いい物』って!」
「虫じゃないから心配無用ニャ~」
イブキの代わりに、共犯者であるカガミが呑気な声音で返してきて、きっちり施された目隠しの下で、ミドリのこめかみに青筋が浮いた。
ミドリがイブキに付き合ってやる態度を見せた途端、イブキは何事かをオトモ達にこしょこしょと耳打ちし、カガミに手拭いで目許をぐるぐる巻きにされ(お陰で化粧が台無しだ)、アオイの背中に乗せられて、為す術もなく運搬されているのが今。もちろん目的地は不明である。これでミドリの機嫌が良いはずがない。
「これで虫だったらあんた達まとめて蜂の巣だわ! あのねえ、私は疲れてんの! 早く帰りたいんだけど⁉」
「まあまあ、もうすぐだから。タイミングもばっちり……あ、ここから崖上がるからしっかり掴まってなね」
「そういうのは先に言いなさいよ‼」
移動ベクトルが突然横から縦になり、危うく振り落とされかけたミドリは金切り声で喚き散らした。視界が奪われた状態でガルクに騎乗するなんて、普通に考えたら無理な話なのである。英雄だからなんとか転げ落ちずに耐えられているが、凡ハンターだったら耐えられなかった。
そう、大体アオイもアオイだ。何を吹き込まれたのか知らないが、イブキとの内緒話を終えた瞬間、なんだか怪しげな笑顔をちらりとミドリに向けてきて、それっきりイブキ達の言いなりになってしまったではないか。ふかふかの背中から伝わってくる躍動感が、狩猟の時とは少し違う。あのクールなアオイが、僅かながらはしゃいでいるようなのだ。これまた非常に気に食わないことである。
まあ、アオイが悪い話ではないと判断したのなら、連れて行かれる先がネオゴッドカブトのレストランということはないだろうが、どうもイブキ達のノリに侵食されつつあるような気がしてならない。最近ちょっとつるみ過ぎただろうか。
延々と野を越え山を越え(多分)、真っ暗闇(自分だけ)の中で訳も分からず上下左右に振り回され。首回りや手足に少しひんやりとした空気を覚え始めたミドリの肌感覚が正しければ、もうすっかり日も落ちている頃だろうか。
ようやく、ガルク達の足が止まった。
「とうちゃーく!」
「……」
声の響き方や風の通りからして、開けた高い場所であるようだ。が、確認する気力もない。相変わらず元気いっぱいのイブキとは裏腹に、ミドリはもはや声も出せぬほど疲弊して、アオイの背でだらしなく伸びていた。
視界がないゆえ勘だけでアオイにしがみつき続けていた手足はもう限界を越えてガクガクだし、正直ちょっと、いやかなり酔っている。ガルクの扱いに長けたカムラの英雄がガルク酔いなど到底受け入れ難いことであるが、普通は前を見て乗るのだから致し方ない。こんなに長時間になるなら、身体ごと括りつけさせて寝ていればよかった。
「よーし、完っ璧だわ。ね、ね、取っていいよそれ。早く早くっ」
そんなミドリの心情や体調などお構いなし。イブキはしきりに目隠しを取れと騒いでいる。こちとら、もうこの謎めいた長距離走行の目的すら忘れかけているというのに。
「なんでそんなに急かすのよ……散々連れ回しといて……」
「今じゃないとダメなんだって。はーやーくーっ」
「あ゙ーもー分かったわよ、取ればいいんでしょ取れば……」
言われた通りにするのも癪だが、無駄に引き延ばしても自分が余計に疲れるだけだ。こんな所で半端に寝るより、さっさと用を済ませてイブキを満足させて、帰って自室で寝る方が良い。そういった合理的判断のもと、ミドリはのろのろと目隠しへ手を遣った。
果たして何が出てくるのやら。瞼をおそるおそる開ける。すると――
「……」
ガルク酔いの吐き気も不機嫌も忘れ、純粋に心が真っ白になって、言葉を失った。
手拭いで覆い隠され続けてすっかり光を忘れたはずの瞳に、優しく柔らかな光がふわりと染み込んでくる。切り立った断崖の頂点に立ったミドリの全身を、全方位から包む薄暮の紫空。宇宙に近い漆黒の頭上からは満点の星が降り注ぎ、くっきりと橙に輝く山の稜線が、薄暗い空間を横一閃に走っている。
そして、自然が織り成す幻想的なグラデーションの狭間を不規則に漂う、大小様々の淡い紫焔。橙と紫の境目によくよく目を凝らすと、遥か遠くの山の頂きに悠然と腰を下ろし、ゆらり、ゆらりと尾を振る一匹の獣が見えた。
「……マガイ、マガド……?」
目の前に広がる光景の美しさに呆けながらも、ミドリが見知った紫焔の主の名をぽつりと口にすると、イブキは嬉しそうににっこりと微笑んで言った。
「あの個体、晴れた日のこの時間帯に、必ずあそこに来るみたいなの。体内のガスの調整かなぁ、何してるのかまでは分かんないんだけどさ。……へへっ、すっごい綺麗でしょ? 好きなの、この景色。山も空も、マガイマガドの鬼火も、ぜーんぶひっくるめてね」
「……」
そう語るイブキの横顔を呆然と眺めていたら、さっきまで忘れていた、ここへ来た目的を唐突に思い出した。
イブキが『いい物』を見せてやると言うからついて来たのだった。確かに虫ではなかったし、悪いものでもなかった。それは認めてやる。タイミングがどうこうと言ってやたら急かしたのも合点がいった。太陽が完全に沈んでしまう寸前、そしてマガイマガドがあの場所に留まっている僅かな時間にしか、この光景は見られないからだ。
そして、イブキは得意気にこうも言っていた。見せようとしているのは『ミドリさんにそっくりなもの』だと。だからつい、聞いてしまった。
「……あんたには……その……私が、こんな風に見えてるわけ……?」
「え? うん!」
「……フン」
聞かなきゃよかったとすぐに後悔した。どうせイブキは何も考えていないに決まっているし、ミドリの耳の先がほんの少し熱くなったことにだって、気付くわけもないのに。自分だけ真面目に受け取って馬鹿みたいだ。
まあ、いいだろう。イブキにこの光景の説明を受けてここまでせっせと走り、今は宵闇のファンタジーと己の主を見比べながら誇らしげに胸を張っているアオイに免じて、許してやることにする。