しまった、と思った時にはもう遅かった。父や兄の後ろ姿も、従者たちも、どこにも見当たらなかったのだ。
はぐれた。迷子だ!
焦りながら駆け出す。走れば追いつくかもしれない。海が物珍しくて、気になるものを見ながらのんびり歩いていたから置いていかれたのだ。だから、急げばきっとすぐ見つかる、そう思った。息が上がってきた。結構走った気がする。
ふと立ち止まると、そこは薄暗く湿った裏路地だった。
「あ、」
またやってしまったのだ。考えなしに行動するなと父にあれだけこっぴどく叱られてきたのに。だって、まっすぐ走ってきただけなのに、こんなところに着くなんて思わなかったから、と、脳内の父に言い訳する。
「……なんだ、お前」
後ろから声がした。驚いて振り返ると、澄んだ海のような髪色の男の子がそこに立っていた。綺麗だなぁ。いや、そんなことを考えている場合ではなくて。
「たすけて!」
「は?」
「君はこの辺に住んでるの?」
「あ、ああ、そうだけど……」
「じゃあ助けて!!」
「な、何をだよ!」
彼はいい人だった。声をかけてくれた時点で、この人なら大丈夫だろうと思った自分の勘は正しかったらしい。家族とはぐれたことを伝えると、「知らねぇよ」と言いながらもこちらを振り解いて立ち去ったりはしなかった。道案内をしてほしい、と素直にお願いする。
「たのむ!お願い!お礼するからぁ!オレね、貴族なの!イシュガルドの!」
「は!?バカお前こんなところでそんな事デカイ声で言うんじゃねぇよ!危ねえだろうが!」
「え?」
「……ハァ、とにかく黙ってろ!いいか、絶対オレからはぐれるなよ」
「わ、わかった」
聞けばここはあまり治安のいい場所ではなく、外国の金持ちなんか格好の獲物なのだと教えてもらった。今までただ人通りの少ない静かな通りだったのに、その話を聞いた瞬間とんでもなく恐ろしい場所に見えた。思わず彼の腕を掴む。
「うっとおしいしがみつくな!」
「お、お前が怖いこと言うからぁ」
「これだからボンボンのガキは……」
「お前もガキだろぉ!ていうかなんでそんな危ないところひとりで歩いてたんだ……?」
「あ?近道だよ近道。そのへんの大人なら撒いて逃げれるしな。捕まりそうになっても殴ればいいし」
「ふぅん……お前強いんだ」
「……まあな」
褒められて気を良くしたらしい。彼の目はキラキラしていた。
羨ましいな。オレは戦うのなんて向いてないから。向いてないけど、やらなくちゃいけないから。彼みたいに強ければ、狩りもうまくやれて、父にも叱られずに済んだのかなと、そう、思った。
「おい」
呼びかけられて顔を上げると、視線の先に人混みが見えた。さっきの大通りだ。戻ってきたのだ。
「ここまで来ればもういいだろ。今度ははぐれんなよ」
「あ、うん!」
彼にお礼を言わなければ。そう思ったときに、後ろからエマネラン、と呼びかけられた。兄の声だ。
「どこに行ってたんだ、皆探したんだぞ」
「ご、ごめんなさい」
「……無事で良かった。父上のところに行こう」
「お父上、怒ってる?」
「当たり前だろう」
「そんなぁ!」
「もう一人で行動するなよ」
一人で。そうだ、彼のことをちゃんと伝えなければ。
「一人じゃな……あれ?あいつどこ行ったんだ?」
「あいつ……?」
「ここまで案内してくれたやつがいて……」
見渡しても、あの少年はどこにもいなかった。お礼するって言ったのに。
兄は怪訝そうな顔でこちらを見た。
「エマネラン、タイはどうしたんだ?」
「えっ」
確かに、首元が寂しい気がした。ふわふわのフリルタイがすっかりなくなっている。夢中になって走っていたから落としたんだろうか?いや、あの子に会ったときにはまだ、着けていたはずだから……
「父上のお説教が一つ増えるな」
「戻りたくないぃ!」
「こら」
これから父に怒られることを考えると気が沈む。また頬をぶたれるのかなぁ。嫌だなぁ。
視線を横に向けて、海を見た。これを見てたくてはぐれたんだっけ。水面は、あの少年の髪のようだった。
また、会えるかな。
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少年は、上等な布地で作られたフリルタイを手元で回しながら歩いていた。
「何がお礼だ。人攫いだと思われたらたまったもんじゃねえよ……」
これで充分だわ、と、奪ってやったものを握りしめる。
もう二度と会わねえだろうな、あんなやつ。