お医者様の見たIFの先で「んん……く、そぉ……」
机に突っ伏した金髪は眉間に皺を寄せてブツブツと呟きながらも眠りについている。手元には数字の代わりにアルファベットが書かれている複数のダイスと、それをすっぽりと覆い隠すことができるような大きさの箱が一つ。
それは私と獅子神が初めて出会った「タンブリング・エース」を彷彿とさせるもので、懐かしさに机に転がるダイスを一つ手に取る。
恐らく獅子神が狙った目はあのゲームの勝敗を決めた「A」の目だろう。しかし机の上に散らばるダイスの目はバラバラで、何一つ揃っているものはない。一つだけ「A」の盤面が上に来ているダイスはあるが、恐らく偶然だろう。
「まさかあれからずっと練習しているのか」
それとも、今まで練習はしていなかったが不意に思い出して試してみたか。
どちらにせよマヌケには変わりない。
確か獅子神は、つい先日1/2ライフに上がったはずだ。聞いてもいないのに嬉々として報告してきたからよく覚えている。まあ、他のマヌケよりは多少マシなマヌケだった男だ。ここまで上がってくるのなら及第点だろう。ここから先は、少なくとも今のままではあまりに無謀だが。
本人がそれを自覚しているのかは知らない。一度、恋人のよしみで忠告してやったが、あれを聞いてどう動くのかは獅子神の勝手だ。
私だって、仮にも恋人の男が早々に死んでしまうのは望まない。
それに、この世はイカレている。兄のような善人が、ただ平和で穏やかな生活を送ろうとするだけであのような中身になるほど。
そして何とも理解に苦しむことに、ことギャンブラーという人種はそんなイカレた世界でなお、己の命を天秤にかけて更にイカレた世界へと足を踏み入れる生き物らしい。真経津なんかがいい例だ。そしてそれは、未だ未熟でマヌケな恋人も同じらしい。
まあ、真経津と一つ違う点を挙げるとすれば、本人が表に出している気概と裏腹に技術が追い付いていないことと、あくまで似通っているのは表に出ている面だけということ。そして、本人にその自覚がないこと。
私としてはこの先に進まない方が本人のためだとは思うが、それにしても今の獅子神では1/2ライフで過ごすにもいささか力不足だ。こんな小手先の技術なんてものはできなくともいいが、そんなことですら覚束ないのなら、なおさら。
机の上に散らばったダイスを集めて箱に入れる。それを机に伏せてから目を確認するために箱を退かそうとして――、
「むら、さめ」
名前を呼ばれて、その手が止まる。分かっている、まだ寝ている。起きたわけじゃない。しかし、その声が私の名前を呼ぶと、私はどうしてだか獅子神へと目を向けてしまう。
「ざ、けんな……揃うわけ、ねー……だろ……くそ……」
夢の中でもダイスを振っているのか、手を僅かに動かしながらぶつぶつと寝言を吐く。
技量も足りず、己の弱さから目を背ける、まさに虎の威を借るマヌケ。
しかし向上心はあり、己の弱さを受け入れるだけの実直さもあるマヌケ。
もし、このマヌケがもう少しマシなマヌケになったのなら、その時この男の腹の中は一体どんな景色を見せるのだろうか。
どんな瞳で、私を捉え、名前を呼ぶのだろうか。
いつ訪れるかもわからない「IF」だが、私は己の気分が僅かに高揚しているのが分かった。
医者として、そしてそれ以上に恋人として。
私はこの男に期待している――のかも、しれない。
私は医者で、ギャンブラーではない。しかし、そんな「IF」があるのなら……そこまで考えて、らしくない己の考えを嗤って男の隣の椅子に座る。
「……早く目を開け、マヌケ。私はいつまでもは待ってやらんぞ」
伏せられた箱の中で、ダイスが一体どの目を指しているのか――それを見ることなく、眠っている男に軽い口付けを落とした。