「あの、あなた」
「はい?」
外回りからの帰り、サングラスをかけた長身の女性に声をかけられた。
ウェーブがかったグレーに近い黒の髪、つんと尖った鼻に薄い唇。その唇にはレッド系の口紅が引かれているが、下品さはまったくなく、とても似合っている。袖が大きく開いた初夏のワンピース、腰には細い革のベルトがされ、スタイルのよさが際立っている。
このきれいな女性が、私になんの用か。
「この辺の方かしら?」
「えっと、職場がこの近くです」
「よかった!ねえ、このお店、分かるかしら?」
差し出されたスマホの画面には、とても分かりづらい場所にある、知る人ぞ知る人気のお店。
この後は会社に戻って報告するだけだし、何なら直帰でも構わなかった、から。
「ご案内いたします」
「え、でも」
「とても分かりづらい場所にあるお店です。一緒に行った方が間違いない」
「なら、お言葉に甘えようかしら」
その女性はここから特急で1時間の場所に住んでいて、今日は息子に会いに来たという。サングラスをしていても、口元に皺もないし若くみえた、ので、まさか50代とは思わなかった。
ここより二つ裏の道に入り、大きな窓のきらびやかなレストランのすぐ横の階段を下りる。これだからこそ、みつけづらい。
一緒に狭い階段を下り、あの扉です、と指をさそうとしたとき、「あら」と驚きの声をあげた女性。
「どうかされましたか?」
「あの子ったら、残業ですって」
「え」
母親を呼んでおいて残業って、なんだ。誰かに任せられないのか。会社員としては良いことだが、プライベートとしては良くはない。場合によるが、親と結婚直前の恋人はダメ、絶対優先。結婚したら?まあ、喧嘩でもすればいい。
中はBarのような雰囲気のレストラン。ひとり、残業が終わるまで(って、どのくらいかかるのか)ここで待つのは気が引ける。
「それなら、一緒に入りますか。私、何度かここに来たことあるんです」
「でも…」
「息子さん、来られたらすぐに帰りますよ」
口下手な方なのに、私は何を言っているんだ。まあ、外回りの延長、とでも思えば、1時間くらいは何とかなるだろう。
どうやら席の予約だけはしてあったらしく、案内された席に二人でつくと、ソフトドリンクを注文した。ご子息が来る前に二人でできあがっていてはみっともない。
「ミカサちゃんって言うのね、今日はありがとう」
「いえ」
もう「ミカサちゃん」なんて呼ばれる歳ではないけど、こんな美人に呼ばれるのは悪い気はしない。
サングラスを外した彼女は、まつ毛の長い切れ長の目をしていた。私もどちらかと言えば切れ長だけど、まつ毛が長いからなのか、とても色気のある目をした人だった。
「何のお仕事をしているの?」
「自然環境関連の委託を受けている会社です」
どこからの、とは言わなかった。国から委託されているなんて言ったら、偉い気になっているようで。
「え、この辺りにそういう会社は多いの?」
「この辺りではうちだけだと思います」
「まあ、ならあの子の同僚かしら!?」
嬉しそうにパンと手を叩いた女性。同僚?私と?なら今残業をしているご子息とは、うちの社員なのか。
「ミカサちゃんは何の部署にいるの?」
「私はリサーチの部署です」
その中でも企画部、調査部、研究部と分かれてはいるんだけど、そこまで詳しく話すことでもないかとグラスを傾けた、とき。
「ねえ、リヴァイ・アッカーマンって知ってる?」
まさかの人物に、ぶごっとドリンクを吐き出すかと思った。
同じ姓の調査部部長。最近近づいては避けられるクソチビ部長。え、なんで?知り合い?
「え、ええっと、はい。私の上司です、が」
「そうなのね!私、リヴァイの母親なの」
片頬が引きつる。言われてみれば似てる、かも。部長を女装させたらこんな感じかな、なんて場違いな思いも脳を横切り。
「あの子ったら、年明けに会ったきりで。食事奢るから久しぶりにこっちに来ないか、なんて嬉しい連絡くれたかと思ったら、まったく。でも、本当に忙しかったのね。私ったら、彼女が出来たのかしらって思っていたの。ねえ、ミカサちゃん、その辺どうなのかしら?あの子、彼女いる?」
もう歳だし、次の彼女がお嫁さんかしら~なんて思っているのよね~と、上機嫌に話す部長のお母さんを目に映しながら、頭の中は混乱で。
彼女?リヴァイ部長の?あれ、いた?
だとしたら、最近の私は・・・
いや、そんなことより。
バンっとテーブルに手をついて立ち上がる。
突然の行動に部長のお母さんが口をつぐんだ。
「お母さん!」
「は?え?」
「部長、呼んできます!ここで待っててください!!」
「ちょ、ちょっと、ミカサちゃ~ん?」
呼び止められたけど、それどころじゃない。
リヴァイ部長、お母さんを呼んでおいて何をやっているのか。
「ミカサ・アッカーマン!ただいま戻りました!部長!!」
戻った挨拶と同時に呼ばれたリヴァイ部長は「あ?」と不機嫌な顔をこちらに向ける。
「何をしているんですか!?」
「何って見て分からねぇか?仕事だ。分からねぇなら帰って寝ろ」
お前をかまっている暇はないとばかりに、適当にあしらわれ、やらかしたであろうエレンと共にパソコンに目を戻す。
「リヴァイ部長こそ帰ってください!エレンは何をやったんですか!?」
「なんで俺がやったことになってんだよ!」
「エレンじゃないの?」
「っ、お、俺、だけど」
「何をやったの」
「プレゼン用に作ってたデータ、そもそものデータが間違っていたみたいで」
大きく違っていた場合、結果もひっくり返る。早めに元のデータを分析して、変更が生じるか今日中に導き出したいところだ。なら。
「ヒストリアとユミルで元のデータを集め直して」
「え!」
「はあ?」
「ジャンはデータの分析」
「ああ?」
「私とアルミンで解析を」
「えぇ!?」
「エレンとコニーはみんなの夕食の調達」
「「なんでだよ!」」
「10時までに出来る限り調べます。ので、部長は帰ってください」
「・・・なんでそこまでする」
いつも以上に眉間に皺の寄っているリヴァイ部長。不機嫌の理由はきっと仕事だけではない。待ち人がいる、から。
「・・・お母さん、待ってます」
「「「「はあ?」」」」
この場に相応しくない単語に、みんなは目を見開き部長を注目する。視線の集まった部長はこれでもかと低くした声で私に聞いてきた。
「・・・・・なんでてめえが知ってる」
「さっきまで、一緒にいました」
「・・・・・」
「今もひとりで、あの場所にいます。早く行ってあげてください」
少し考え込んだリヴァイ部長は、「はぁ〜」と長く息を吐き、エレンを一瞥しその表情を確認すると、皆をみながら尋ねた。
「・・・・・悪い。頼めるか?」
「「「「「はい!」」」」」
リヴァイ部長のいいところ、ちゃんと私たち、部下を信じてくれる。
部長ならひとりで結果をだせる。私たち一人一人には部長のように動くのも考えるのも無理。
だけど、みんなで取りかかれば、きっと同じ時間で、もしかしたら、それより早く終わらせられるかもしれない。
リヴァイ部長は一人一人の部下をちゃんと見ている。
だから「付いて来れない者は容赦なく転属させられる」って言われているけれど、本当は、その人の適正に合った部署に掛け合って、本人の意向を聞いたうえで、異動させている。
みんなが辛くないように、せっかく入ったこの会社を辞めないように。
一人で何人分もの業務を熟すのに、そんなとこまで見て、仲間を大切にする。
「本当、敵わないなって思う」
「リヴァイ、確認だけど、ミカサちゃんってあなたの彼女?」
「あ?んなわけねぇだろ」
「な~んだ」
「なんだって何だ」
「だってさっき、『おかあさん』って呼ばれたんですもの♪」
翌日、結果を出した私たちは褒められたけど、私はその後、別室でプライベートの説教をされた。