十二年目のブーケ「お二人とも、お久しぶりでっす!」
レヴナンツトールに到着するや否や、懐かしい声が私たちを歓迎する。
声の主は大きく手をこちらに振ってから、生命力に満ち溢れた足取りで駆けてきた。
「お忙しいところ、お出迎えをありがとうございます」
ホーリー・ボルダーの会釈に合わせ、私も頭を下げる。
彼女――元「暁」の受付・タタル嬢との再会はしばらくぶりのものだった。
英雄殿が帰還し、「暁」が各々の道を歩み始めた日。
それが最後に彼女と話をした日である。
以来ホーリー・ボルダーと私は、ラザハンを拠点にいくらかの土地を巡っていた。
かねてから訪れる予定にしていたコルヴォ地方から、イルサバード大陸を中心に。
やりたいことは山積みであるが、とある理由からエオルゼアに戻る必要があるため、此度は中継地点になるモードゥナへ――石の家へと、久しぶりの帰来を果たしたのだった。
私たちの荷物を持つというタタル嬢の申し出を気持ちだけ頂戴し、彼女を先頭にセブンスヘブンへ向かう。
奥の扉を彼女が開けば、ぶわりと懐かしい香りが私たちを包んだ。
そこは変わらず整頓されており、彼女以外に人はいないが、ぬくもりに満ちている。
「長旅だったでしょうに、本当にいいんでっすか?」
彼女の気遣いに再び頭を下げてから、私たちは『もちろん』と即答する。
「では、お言葉に甘えまして!」
にっこりと笑ったタタル嬢は、ホーリー・ボルダーにメモを渡した。
私たちは事前に、一日世話になることだし、ぜひ彼女の仕事を手伝えればと申し出ていたのだ。
「ホーリー・ボルダーさんには、そちらにリストアップした物の回収を。クルトゥネさんには、ちょっと財務の相談を……」
ということで、私たちは久々にタタル嬢の補佐仕事を始めたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「……ふー! 一度休憩にするでっす!」
一体、何枚の資料に目を通したのか。
「暁」の解散は表向きで、水面下では活動が続いている。
タタル嬢は、関連した事務処理をほぼ一人でこなしているらしかった。
そんな有能な受付嬢は私が動くよりも先に炊事場へと駆け出し、ティーポットをトレーに乗せて戻ってくる。
「後でホーリー・ボルダーさんにも振る舞いましょうね」
そう言いながら、彼女への手土産であるラザハンの香茶を二人分用意してくれた。
本当に手際が良い。
いかに「暁」は彼女によって支えられていたのかと、改めて思案する。
「……おいしい。香茶を淹れるのもお上手だ」
「ふっふ、新しい趣味を開拓しまして!」
タタル嬢は目を細め、得意げな顔をした。
「趣味といえばクルトゥネさんは魔導書がお好きでしたね。最近はどんなものを?」
彼女の問いかけに相槌を打ちながら、私は読みかけの本を荷物から取り出す。
デミールで依頼を請け負った際に譲り受けた、錬金術と魔術の繋がりを考察する内容の魔導書だ。
彼女は感嘆の声をあげながら、パラパラと数ページをめくっていく。
そしてとある箇所で、はたと彼女の手が止まった。
「これは……押し花の、栞? あれ、色は違いますが、こちらも同じ物でっすか?」
「ああ、それは。毎年増えていくので、他の栞を買わなくなりまして」
「毎年増えていく?」
何かが彼女のセンサーに触れたのだろう。
興味津々、といった具合でタタル嬢が私と栞を交互に見やる。
「では、少しだけ昔話を。もう……11年ほど前の話になりますが」
◇ ◇ ◇ ◇
あれは、ホーリー・ボルダーと出会った年のことだった。
二人で同じ依頼を請け負うようになって、ある程度経ったくらいに請けた仕事だったと記憶している。
グリダニアの冒険者ギルドに張り出されていた、花屋からの依頼。
『フライングトラップがうちの薔薇園を根城にしてしまい、困っています。どうか討伐をお願いします』
他と比べて報酬が見劣りするからか、しばらく放置されているらしかった。
冒険者にとって、ギルドの依頼は生活に直結する主な収入源である。
だからこそ選り好みが起こるのは、仕方のないことであった。
しかし、ホーリー・ボルダーは違う。
私はまだ損得勘定の方が勝ってしまうが、彼は出会った時からずっと、己の正義に従って依頼を受ける男だった。
そんな彼の一面が、自分の欠けているピースに上手くハマったのだろう。
彼と一緒にいれば、多くの刺激と発見、成長に触れることができた。
だから私は、彼と同じ依頼を協力して受けるようになったのである。
これだけではあまりに利己的であるので、彼よりも自分の方が得意なことはなるべく引き受けながら。
ギルド経由で連絡を入れてから花屋へ向かえば、依頼主は安堵の顔つきで出迎えてくれた。
早速件の薔薇園へと案内してもらえば、確かにフライングトラップが三匹ほど浮遊している。
一匹程度であれば冒険者でなくとも追い払うくらいはできるであろうが、複数体となると途端に危険性が増す。
とはいえ私とホーリー・ボルダーにかかれば、なんてことのない相手だった。
「ありがとうございます! あなた方は薔薇の恩人です」
何度も頭を下げる依頼主。
あっけない依頼終了に、私たちは少々手持ち無沙汰だった。
「折角ですし、他にお困りのことがございましたらぜひお聞かせいただければ」
つい出た私の言葉に、ホーリー・ボルダーが相槌を打つ。
依頼主は驚きに口を小さく開いた後、憂い深げな顔つきを示した。
数分の思案ののち、反応の理由を語る。
「実はですね……」
話をまとめると、こうだ。
薔薇園にフライングトラップが現れたのは、今回が初めてではないとのこと。
現れるたびに討伐依頼を出し続けた結果家計を圧迫し、回を追うごとに報酬を減らさざるを得なかったのだとか。
「つまり、また現れる可能性があると」
ホーリー・ボルダーの言葉に、依頼主は沈痛な面持ちで俯く。
「ふむ……何か原因がありそうですね。今のところ私には心当たりがありませんが……クルトゥネさん、あなたはお気づきになられたことはありませんか?」
「そうだな……」
ぐるりと薔薇園を見渡す。
こじんまりとしているが、手入れの行き届いた印象を受ける。
簡単な舗装のされた道に、小さいが綺麗な水場。
フライングトラップが現れるまでは世話されていたであろう剪定具合に、遠くに見えるのは温度計などの入った百葉箱だろうか。
薔薇園には不可解な点が見受けられなかったので、今度はフライングトラップ自体に着目してみる。
フライングトラップは、草木綱に属する魔物だ。
いわゆる食虫植物で、近づいてきた昆虫などを捕獲するという生態をしている。
同属にローズリングという赤い薔薇に擬態する物もいるが、今回の件と関係は……いや、待てよ。
「すみません、あちらの箱には何が入っているのでしょうか?」
「ああ、あれは養蜂の箱なの。花を売るだけでは薄利で、副産業として手を出したのだけれど。中々蜂がいつかなくて上手くいかないのよね……」
蜂。
きっとそれだ。
私はあくまでも推測ですが、と前置いてから、持論を展開した。
「恐らくその蜂は、フライングトラップに捕食されているのでしょう。奴の主食は虫であり、ここは定期的に蜂が補充される楽な餌場として認識されていた可能性があります」
依頼主は、ハッとした顔をした。
「確かに、フライングトラップが現れたのは養蜂を始めてからです! しかし……」
生活の足しになれば、と始めたことが裏目に出ただなんて。
大きく落ち込んだ依頼主を前にホーリー・ボルダーはどうしたものかと懸命に思案しているが、答えを考えあぐねていた。
このままでは、薔薇園を守ることはできても、花屋の薄利は解決しないままである。
何か、いい案はないだろうか。
私は、一つの提案をする。
「いっそのこと、フライングトラップを副産業にしてしまうのはいかがでしょう?」
「「フライングトラップを……?」」
依頼主とホーリー・ボルダーの声が重なる。
「ええ。フライングトラップの葉は、実は滋養食品としてある程度の市場があるのです。安定供給の難しさから、多少値の張る食品だったと記憶しています」
「そうか、ここ一帯のフライングトラップは、あの箱の中に蜂が入っていることを学習しているから」
「ああ。ある程度安定して狩ることができるはずだ。初期投資は必要ですが、フライングトラップ用の罠を仕掛ければお一人でも対応できるでしょうし、箱の場所を移せば薔薇園に居座ることもなくなるでしょう」
依頼主が、本日一番の明るい表情を見せた。
すべてがうまくいく保証がないのは承知で、フライングトラップの副産業化に挑戦してみることにしたようだ。
予想外の収穫を得た私たちは、終始依頼主からの感謝の言葉を浴びながら、依頼の報酬をやり取りするために花屋へと戻る。
「少なくてごめんなさいね。いつか恩返しをするから」
「お気になさらないでください。あなたの花屋が、より発展することを心より願います。ところで……」
ギル袋を受け取ったホーリー・ボルダーが、おもむろに店内の棚を指さした。
そこには、小さめの雑貨類が数点置かれている。
「こちらの栞を一枚、購入させていただけますか」
彼が手に取ったのは、赤色の薔薇――恐らく先ほどの薔薇園で収穫されたものが、押し花にされているものだった。
お代はいりません、と言う依頼主に、ホーリー・ボルダーは首を横に振る。
きっと彼は、新たな副産業への軍資金を投入したいのだ。
つくづく、腹の底からの正義漢である。
しばらくの押し問答が続いたが、勝ったのはホーリー・ボルダーだった。
依頼主は改めて感謝を述べながら、ホーリー・ボルダーに栞を手渡す。
これにて、今回の依頼は終了だ。
私たちは花屋を後にし、報告のためにギルドへ向かう。
「栞、か」
「ええ。良ければ、受け取ってもらえませんか?」
「……え?」
ホーリー・ボルダーが、おもむろに立ち止まる。
そして私へ、栞を差し出してきたのだ。
「よく魔導書を読まれているので。あなたに渡したくて買ったのです」
「そ、そうか。だが……」
「フライングトラップの件、お見事でした。私には思いつきもしない解決策を出されて、本当に尊敬します。私からの尊敬の意を込めたプレゼントということで、どうか」
そのように言われてしまっては、無下にできない。
先ほどの依頼主との件もだが、ホーリー・ボルダーは、こういった問答に強かった。
「ではありがたく頂こう。大切にするよ」
◇ ◇ ◇ ◇
「――といった経緯でホーリー・ボルダーから頂いた物でして。あれ以来、毎年あの花屋に顔を出しているのですが、律義に毎年プレゼントしてくれるのです」
私はタタル嬢に、現在持っている栞を取り出して見せる。
「副産業が上手くハマったみたいで薔薇園もより大きくしたらしく、品種も増えたみたいで。だから色とりどりの栞が、こんなにもあるわけです」
赤に、緑に、青に。
並べてみると、中々に壮観だ。
「ク、クルトゥネさん」
「はい」
「確認でっすが、栞は何枚ありますか?」
ふむ、タタル嬢の様子が先ほどと違う。
「ええと……十一枚、ですね」
「その花屋さんというのは、グリダニアにあるんでっすね?」
私が頷けば、彼女はトトトと本棚へと駆けて行った。
数分の後、彼女は大きめのファイルを抱えて戻ってくる。
そしてあるページを開いて、私に見せてくれた。
「それって、ここのお店だったりしませんか?」
彼女が持ってきたのは、週刊レイヴンが収められたファイルである。
「ええ、まさにこちらのお店ですね。先ほどの依頼主というのも」
「あのう……ぜひこの記事を読んでほしいのでっすが……」
一体どうしたというのだろう。
言われるがままに私は、渡された記事に目を通した。
『エオルゼアンブーケの秘密に迫る!』
『エオルゼアンブーケとは、昨今グリダニアを中心に流行しているプロポーズの方法である』
『エオルゼア十二神に見立てた十二本のカラフルな薔薇を贈り、返事がイエスならプロポーズを受けた者が自身の守護神に該当する薔薇を贈った物の胸ポケットに差すというものだ』
『今後は私の守護神もあなたを見守るでしょう、という意味が込められている』
『きっかけは、とある冒険者への恩返しなのだとか』
『あの時救っていただいた薔薇園を発展させ、人々の笑顔や幸せを増やせたら、それが彼らへの恩返しになるのだと信じています……店主はそう語る』
エオルゼアンブーケ……存在は初めて知ったが、確かにある年からあの花屋に、カラフルなブーケが展示されるようになった記憶がある。
「こちらのお話は初めて知りました。花屋が上手くいっているようで何よりです」
私の返答に、彼女は非常にわかりやすい溜息をついた。
着眼点が違うということだ。
もう一度記事を読み直すが、やはりそれ以上の感想は出てこない。
「タタルさん、降参です。一体どうしたというのでしょう?」
「うう……クルトゥネさんって、ご自身のことになると結構鈍いでっすね……」
タタル嬢が栞を全て貸してほしい、というので了承すれば、彼女はそれを花側を中心に向け、円形に並べた。
円形といっても、どうも右下が欠けているみたいだ。
零時の位置から時計回りに、紫・赤・黄色・青・緑のグラデーションで整列している。
これにどのような意味合いが……いや、この並び、どこかで……
「十二神大聖堂……?」
「はい!! お気づきになったみたいでっすね!!!」
「ええと……栞と大聖堂、いったい何の関係が……」
「ええーっ」
タタル嬢が、ララフェル族特有のコミカルな動きで横転した。
慌てて手を差し伸べれば、彼女はよたよたと起き上がる。
「クルトゥネさん。先ほどのエオルゼアンブーケの話を思い出してください。十二神に見立てた、カラフルな花束」
「十二神に見立てた、カラフルな花束」
「ここにある栞の束、気付くことはないでっすか?」
「……十二神、大聖堂…」
「プロポーズを受けた人が自身の守護神の薔薇を相手の胸ポケットに差すことでお返事をしますが……」
「……私の守護神は、ノフィカ様…」
ノフィカ神に該当する色の薔薇だけ、まだそこにはなかった。
恐らく、それはきっと。
今年、彼が私に贈る予定の。
「…………」
なぜ、なぜだ。なぜだろう。
今、非常に体温が上昇している気がする。
「ふっふっふ……エターナルバンドのお見積り、このタタルが引き受けましょう!」
「いえ、いえ、いえ。待ってください。ホーリー・ボルダーと私は、決してそのような関係ではないのです」
「そのお顔で言われましても……」
どのような顔なのか、と尋ねようとして、やめた。
違う、違うのだ。
確かにホーリー・ボルダーとは、もう十二年来の付き合いとなる。
第七霊災の時も、終末の時も傍にいたし、これからもずっと隣にいるものだと思っている。
思ってしまっている、自分がいる。
今まで共にいるのが当たり前すぎて、夫婦どころか恋人関係になることすら考えたことが無かったのだ。
それをいきなり、プロポーズだなんて。
エターナルバンドだなんて。
無い、そんな可能性は無い。
きっとたまたまだ。
偶然、十一色の薔薇を贈られただけに違いないのだ。
「ところで、十二本目はいつ?」
「…………明日、ですね……」
「えええ!」
久々にエオルゼアへ戻ってきたのは、まさにあの花屋へと栞を買いに行くためだったのだ。
「硬派なホーリー・ボルダーのことです。エオルゼアンブーケのプロポーズを知っているとは限りません」
仮に知っていたとしても、意図せず様相がかぶってしまっただけだろう。
時系列的には、彼が私に薔薇を渡し始めた時期の方が早いのだから。
オリジナルは、十二本の薔薇の花束を渡すものだ。
こんな、十二年も時間をかけたプロポーズなんて、聞いたこともない。
だって、それじゃあまるで。
十二年前のあの日から、彼は。
明日を。
きっと、必ず迎えるのだと。
そう考えていたことになってしまうではないか。
「戻りました」
突然耳に入ったなじみのある低音に、今度は私が横転するところだった。
「あ、ホーリー・ボルダーさんお帰りなさいでっす!」
「お、かえり。ホーリー」
「……?」
彼は多少こちらを訝ったが、詮索はしてこない。
こういった時の私はいわゆる"ポンコツ"で、彼は私の状態を読み取ったのだろう。
今はホーリー・ボルダーの気遣いが、ただただありがたかった。
◇ ◇ ◇ ◇
『お二人のおかげで、溜まっていた仕事がたくさん進みました! ありがとうでっす!』
タタル嬢の気遣いか、ホーリー・ボルダーと私は別々の個室をあてがわれた。
きっと、同室で一夜過ごしていたら気がどうにかなっていたと思う。
なんとか眠りにつき、顔を洗い、朝日を浴びれば情緒はだいぶマシになっていた。
大丈夫。
プロポーズだなんて、大げさな。
今年もまた、花屋に顔を出して。
もはや儀式のように、美しい薔薇の栞を見繕うだけだ。
「物品の回収は難なく進んだか?」
「ああ、懐かしい顔ぶれに捕まったりもしたが……それも含めて彼女の采配だったろうな。クルトゥネの方は?」
「資料を読むだけで骨が折れた。本当にすごい人だ、彼女は」
モードゥナを出て、クルザスを経由し黒衣森へ。
テレポで直接グリダニアへ向かっても良かったが、久しぶりの土地を感じたい気持ちが勝った。
しばらく歩けば、フォールゴウドに着く。
郷愁を感じる独特の香りがする方を見やれば、チョコボ留があった。
最近はハンサばかりだったので、なおさらそこにエオルゼアを得たのだ。
私たちは、チョコボポーターを利用することにした。
「先ほどルガディン族の夫婦がグリダニアから利用したからね、丁度あなた方でも一度に乗せられる大型の子がいるんだよ。ちょっと珍しいから、この子に乗ってみない?」
興奮気味に提案されて、断る者はいないだろう。
「そうだね、バランスをとるためにルガディンの旦那が前で手綱を、フォレスターの旦那が後ろで彼の体にしっかり掴まる形がいいかな」
言われるがままに、私たちは大型チョコボに騎乗する。
ホーリー・ボルダーは、私がしがみつきやすいように鎧を脱いで荷物としてひとまとめにしたようだ。
「クエー!」
元気な鳴き声を合図に、彼は走り出した。
フォールゴウドを出て、少々木々の深い道を駆け抜けていく。
ハンサとは違った乗り心地に懐かしさを感じ、清風も相まって自然と笑みがこぼれた。
「上機嫌だな」
前方から声がする。
「ああ……お前も同じ気持ちなんじゃないか?」
ホーリー・ボルダーは返事をしなかったが、しがみついている体の震えから、彼も笑っているのがわかった。
「そういえば」
ホーリー・ボルダーが、今思い出したかのように。
なんてことないことのように、私に問いかける。
「エオルゼアンブーケというものを、知っているか」
時が、止まる。
いや、落ち着け。
エオルゼアンブーケは、今から向かう花屋が発祥の風習だ。
だから彼は話題に出したのだろう。
「……あ、あ。知っている。丁度昨日、タタルさんとも話したよ」
「なら、安心だな」
な、にが。
一体何が、安心なのだ。
口に出して聞けば良いのだが、生憎と私の口は縫いとめられたかのように開かない。
だって、今。
そのような確認を、とられては。
まるで。ああ、まるで。
今から行うプロポーズの作法を、お前は知っているのか、と。
牽制されたかの、ような。
「そろそろ着くぞ」
ホーリー・ボルダーの背中越しに正面を見れば、黄蛇門が近づいてくる。
「クエー!」
時は、止まっていなかったのだ。
私たちはチョコボを留へと返し、件の花屋へ向けて出発する。
ホーリー・ボルダーは脱いだ鎧を小脇に抱えたままだったが……今日の服は珍しく、胸ポケットのあるデザインだった。
そんな、まさか。
昨日からずっとそう思っているが、今では目に映る全てが一つの結論に収束していく。
豊穣神祭壇を横目に新市街へと抜けるが、碩老樹に見えるノフィカ神の秘石もその一つだ。
もし、もしもだ。
本日ホーリー・ボルダーが購入し、私へ渡す栞の薔薇が黄色だったら……私、は…
「いらっしゃい! 今年も来てくださったのね」
花屋の主人――あの時の依頼人が、快く出迎えてくれる。
「ご健勝そうでなによりです」
私の言葉に、主人はあなたたちこそ、と笑った。
「今年もいつもの栞かしら。うちの自慢の子をあなた方の旅に同行させていただけるの、本当に光栄よ」
そう微笑む主人の言葉に、ホーリー・ボルダーが。
「いえ、今年は違うものを」
否定の言葉を。
否定の、言葉を?
……急激に体温が下がっていく。
つまり、私は。
期待していたのだ。
彼が例年通り私に、栞を――ノフィカ神を意する薔薇のあしらわれたそれを、渡してくれるのを。
十二本の花束の、完成を。
いや、だったらなぜ、彼は。
エオルゼアンブーケの話題を振ったのだろう――
「クルトゥネ」
私が一人で情緒をかき乱している間に、ホーリー・ボルダーは"例年とは違うもの"を手に入れたらしい。
そして、彼は跪き。
たった今手に入れたそれを――艶やかな黄色い生花を、私に差し出した。
「受け取って、もらえるだろうか」
「……、…」
「お前に渡したくて、買ったんだ」
違うって、そういう。
そういう……
ああ、やはり、そういうことなのだ。
これは、十二本目の一輪の薔薇。
十二年かけて編まれた、ひどく年季の入ったブーケを構成する最後の一本にして、我が守護神の化身。
震えてしまいそうになる声を、体を抑え、あの時のように返事をする。
「では、ありがたく頂こう」
私は柔らかな笑顔の彼から、それを受け取り。
――そのまま、彼の胸ポケットへと私の想いごと差し込んだ。
「……これからは、二人で、大切にしよう」
カウンターから、小さな感嘆が聞こえる。
主人は、私たちの儀式を理解したのだ。
私の返事を受け取ったホーリー・ボルダーが、ゆっくりと立ちあがり、私の背に両腕を回した。
ぎゅう、と力強くも慈しみを感じる抱擁をもって、契りは終了である。
私たちは花屋の主人に頭を下げてから、東部森林へと歩きだした。
……主人がエオルゼアンブーケを思いついたきっかけが、毎年違う色の栞を購入するホーリー・ボルダーだったというのを知ったのは、後日大聖堂でのことである。