現パロ無鉄(彫刻家×貧乏美大生)その4 風呂場から出る。予備のバスタオルはいつも使っているものよりも吸水が悪い。特に先に無頼漢が使用して湿気を帯びているのも手伝って、セミロングの滴りを受け止めるだけの包容力はこいつには無い様だ。無頼漢を見習った方が良い。
などと惚けたことを考えながら脱衣所の扉を開けたからだろうか。目の前には何故か仁王立ちしている無頼漢がいる。怪訝な顔を隠さず見上げれば、呆れたように笑われた。
「そんな乾かし方じゃ風邪ひくぞ。ほら、一旦ソファ行ってろ」
「うん……?」
何が一旦なのだろう。深く考えないままソファへ向かう。無頼漢が戻ってきたのはすぐだった。彼は片手にタオルを、もう片方にドライヤーを持っている。読めたぞ、この先の展開が。
「……自分で」
「やらせたらお前さん甘いだろうが。ほら、たまには俺に甘えとけ」
いや、いつも甘えっきりになってしまっている……言うか言わないか悩んだ言葉は、どちらにせよ風の音にかき消される。無駄に意地を張って空気を悪くする必要もない。俺は大人しく無頼漢のブローを受け入れることにした。
無頼漢は器用である。彼の作品を見れば一目瞭然だし、料理一つでも丁寧だった。ドライヤーの扱いもお手の物らしく、手際よく俺の緩くウェーブがかった髪を乾かしていく。
最初はタオル越しに撫でられていた頭だが、ほとんど乾いた頃合で今度は直に指が滑るようになった。毛束の中まで丁寧に風を通し、太い指が少し硬めの髪を梳いていく。
「熱くねえか?」
「ん……問題ない。気持ちが良くて眠ってしまいそうだ」
「可愛い事言うなあ。でもよ、今日は週末だろ。ちいと晩酌に付き合ってくれや」
「飲酒可能な年齢の男に可愛いは無理があるだろ……」
豪快な笑い声が響き、ドライヤーの音が止んだ。
ブローに使用した物を脱衣所へ戻す。戻ってくる頃には無頼漢がテーブルの上につまみを並べ終えていた。ポテトサラダとミックスナッツ。前者は無頼漢の手作りで、これまた美味い。
「お前さん、酒の強さはどうだ?」
「弱くはない。ただ酒そのものよりも、場酔いしやすい」
「その歳でそこまで把握出来てるんなら立派なもんだ。少し良いのを出してやろう」
そう言って無頼漢は大きな氷の入ったグラスを二つと、メジャーカップ、そして瓶を一本……恐らくウイスキーのフルボトルを持ってきた。彼は片方のグラスにシングルで、もう片方にダブルで琥珀色の液体を注ぐ。カラン、と綺麗な音がした。
「ほらよ、乾杯しようぜ」
「……ん」
ガラスの触れる音、氷の揺れる音。ひっくるめて、大人の音色だった。無頼漢が口を付けるのを待ってから自分も一口飲む。舌の上がぴりぴりとして、熱くて辛くてほろ甘い。飲み込めば喉を焼くような感覚が体の中を落ちていく。度数が高いことはうかがえるが、学友たちと騒ぎながら飲むような酒特有のアルコール臭さが全くない。
「どうだ?」
「好きだ」
「お気に召したようで何よりだ。つまみも食えよ」
勧められるままにアーモンドを一粒取れば、無頼漢は柔らかく笑った。
「なあ、鉄。ここの居心地はどうだ?」
「……良すぎて、本当にもう独り暮らしを考えられない」
「がはは! そうだなあ、前よりモデルの頻度多いけどよ、しんどくねえか? 学業もそうだが、お前さんの生活第一だからな」
「……むしろ図々し過ぎないか、迷惑を掛けていないかと不安に思っているくらいだ。あれからあんたのスケッチも……させてもらっているし……」
「お互い様だな! もっとさらけ出してくれていいんだぜ。今の俺はお前さんに惹かれて作品造りに打ち込んでんだからよ」
「まあ……おいおい」
穏やかな時間だった。他愛もない話をしながら、ちびちびとグラスを舐める。早く切り上げることも遅くまで引き延ばすこともグラスの氷が許さない。晩酌が終わる頃には、もう日付が変わる手前になっていた。
二人で手早く洗い物を済ませる。歯を磨いて目覚ましをセットすれば、あとは寝るだけだった。
「なあ無頼漢。俺やっぱりソファで」
「こら。腕相撲で決着つけたろ」
「俺に勝ち目のない方法持ち出すの狡いだろ……」
今日は講義が午前しかなかったので、早めに帰って洗濯をしていた。天気予報も快晴だったのでタオル類やら俺の布団やらも干していた。それが、夕立に降られたのである。ほんの数分だったが、気付いた時にはずぶ濡れ。唯一の布団を失った俺はソファで寝ると宣言したが、何故だか無頼漢が首を縦に振らない。それどころかベッドを譲るから俺がソファで寝るなどと言い出す始末で、押し問答の末一緒のベッドで寝ることが可決されたのだ。まあ、ほとんど無頼漢のインチキだが。
無頼漢のベッドはキングサイズだ。体格のいい彼と俺が同時に転がっても余裕な広さだが、問題はそこではない。
普通に照れるのだ。成人しているのに同性の友人と同じベッドで寝るのだって少し気恥ずかしいのに、それが父性と憧憬をたっぷり抱いている無頼漢相手となると想像するだけで顔が熱くなる。あと、ちょっと、あの完成された肉体が傍にあって眠れる自信があまりない。
「ほら、動かねえなら連れてくぞ。正面から抱きかかえられるか、おぶられるか、お望みなら姫抱きでも――」
「自分の足で! 行く!」
ヤケクソ気味に無頼漢の部屋へ先行する。大きな羽毛布団をめくってベッドの奥へと体を滑り込ませた。背を向けて丸まっていればギシ、と音が鳴り隣が沈み込む気配。出来る限り壁の方へ体を寄せていれば、不意に無頼漢の手が俺の腹に回って――
「ッッッ!!!」
「面白い顔してんなあ。くくっ、そんなんで寝れんのか?」
ごろりと、力任せに俺の体を無頼漢側へ転がしたのである。近い。何もかもが。顔もそうだが、鍛え上げられた筋肉に包まれているこの状況があまりにまずい。
「ばっ……か、せめて、体、離せ…」
「寒ィんだから我慢しろ。ベッド使用料として湯たんぽやってけ。体は密着させなくていいし、顔も向こうで構わねえから」
「ぐっ……」
こんなものは押し売りである。だが、使用料などと言われてしまっては妙な義理硬さを自覚している俺に否定など出来ない。無頼漢はそのことを理解して口にした。悔しさと照れと……嬉しさが胸に広がり、体から力が抜ける。結局俺は改めて背中を無頼漢に向け、肩の辺りだけを触れさせた状態で目を閉じた。
「……無頼漢」
「ん」
「俺、彫刻をやりたいと思った切っ掛けの作品があって。残念ながらあんたの作品じゃないんだけどさ」
「どんな作品か、聞いても良いか?」
「ああ。それはな……」
急激な睡魔に襲われる。酔いが今頃回ってきたのだろうか。俺は途切れる意識の中、ぽつりと呟いた。
「墓、なんだ」