現パロ無鉄(彫刻家×貧乏美大生)その11「…………う゛」
「そろそろ十時だぜ。起きられるか?」
「う゛ー……」
十時。つまり六時間睡眠。そう、俺たちは結局四時まで盛り合っていたのだ。少しずつ日の出が早くなっているとはいえ冬の四時はしんと暗く、まさか本当に終わらない夜を過ごすことになるとは。
声を出そうと思ったがガビガビである。なにせ一晩中鳴かされたのだ。無頼漢から水を受け取り飲み干せば、幾分かはマシになる。コップを無頼漢へ返し頭が覚醒するまでベッドの上でぼうっとしていれば、なんと戻ってきた無頼漢がベッドに乗り上げ俺の体をシーツの海へ逆戻りさせたのだ。そのままぎゅっと慈愛の抱擁を施される。なお、俺は全裸のまま。
「……こうされるのは嫌いではない。この後モデルをするなら上はこのままでいいが……パンツくらいは穿きたい」
「しょうがねえなあ」
「何もしょうがなくないだろ」
渋々と言った風に無頼漢が俺の体を解放するが、自然な動作で洗濯済みの下着を渡される。彼は分かった上で軽く甘えてきていたのだ。何だか愛らしくて、思わず笑ってしまう。俺はとりあえずパンツだけは身に付けてベッドの上で待つ無頼漢の腕の中へ戻った。
「……鉄」
柔らかい声が落ちてくる。
「たまにはな、俺の話をしようと思う。過去の話だ」
向かい合った無頼漢がこちらに視線を落とす。俺は黙って頷いた。
「俺は今でこそ彫刻家としてそれなりの活動をしているが……元々は違うモンを彫ってたんだよ。墓だ」
「……な」
墓、だと? それはつまり。
「墓石のデザイナーということか……?」
「そうだ。珍しいだろ」
ほんの少しの動悸。無頼漢が墓石デザイナーだったなんて。
「ん、ああ……だが、無頼漢の名義で墓などあったろうか。俺は結構なあんたのファンなんだ。相当昔の作品か、あるいは」
「別名義だ。黒爪って名前でやってたんだけどよ」
「――……!」
黒爪。俺はその名前を……知っている。
「辞めちまったんだ。そん時に弟分とも喧嘩別れしてよお」
「なぜ辞めてしまったのか……聞いてもいいか」
問えば無頼漢が俺の体を強く抱きしめる。信じられないことに……ほんの、少しだけ。俺の頭に添えられた指は震えていた。
「……俺は、ミスをした。自分を許せなかった。だから黒爪という身分を棄てた。それでも彫る情熱は棄てられなかったから名義を変えて、彫像を新たなフィールドにした。まあ……アレだ。お前さんが昨日風呂であんな風に語るからよ……俺も白状しちまおうと思ってな。良い作品を作るのには双方の理解が一番大事だ」
俺も無頼漢の体を強く、強く。大きな体がまるで縮こまっている。初めて見る無頼漢の弱った姿。俺の胸には痛みと喜びの両方が沸き上がっていた。
「俺の犯した罪はよ」
「……ああ」
「生きている奴の墓を……作っちまったことなんだ」
無頼漢が俺を抱く力を緩める。そして彼は柔らかな手付きで俺の背中を――火傷痕を優しくなぞった。
「情報の行き違いでな。俺の方には既に亡くなっていると聞かされていた。周りは俺を咎めなかったけどよ、俺は、俺の矜持は黒爪を許せなかったんだ。だから殺した。でよ……鉄」
お前、もしかして苗字変わったことがあるか。祈るような声。俺は……静かに頷いた。今の苗字はイゾルデからもらったものである。ああ、無頼漢の言いたいことが分かったぞ。
「ようやく確信した。俺、何年もお前さんに――」
「謝りたかった、なんて言ってくれるなよ」
言えば、また無頼漢の驚いた顔。
「そんなものは罪でも何でもない。何せ俺は俺の墓を見て黒爪のファンになったんだからな」
「……はあ?」
「俺が無理をしてでも美大に進学したのは、墓石デザイナーになりたいからだ」
背中の手が止まる。
「黒爪の矜持とやらを教えてくれないか」
真っ直ぐに緋色の石を見上げる。彼は一度目を伏せたが……ゆっくりと喋り始めた。
「……デザインには墓に入る奴の人となりをなるべく多く詰め込んで、故人の生きた証を残す。そのために周りへの聞き込みを徹底する。だってのに、俺はお前さんを……」
「なら、ある意味合っているんじゃないか。俺は記憶を失っているから、あんたが聞いた俺はもう死んでいる。弔ったって何の問題もない」
「………そう、か……?」
「まあ、本題はそこじゃない」
右手を無頼漢の頬に寄せ、髭を割って素肌に直接触れる。まるで積雪を分け入って春の息吹を探す様だった。
「俺は黒爪の彫ってくれた墓があったからこそ両親の全てを失わないで済んだんだ。俺を含めた三人まとめてのデザインだったな。それがなきゃ両親はいつまでも俺を失ったままだったし、俺も過去に囚われ続けただろう。それをあんたが生かしてくれたんだ。感謝をこそすれ、謝罪を求めるわけがない。俺は黒爪の矜持に救われ、同時に憧れた。それで同じ職業を目指したというのに、あれ以来黒爪が活動を辞めてしまったのは結構堪えたよ。墓石デザイナーをこのまま目指していいのか進路にも悩み……そんな折だ。無頼漢の作品を目にして感銘を受け、どっぷり沼にハマったのは」
無頼漢は口を薄く開いたまま呆けている。見たことが無い間抜けさで、笑えた。
「俺の手を引いたのは黒爪で、背中を押したのは無頼漢だった。そんな憧れの人から一緒に住まないかと提案された時の俺の気持ち、凄かったさ。それどころか、今や」
「――鉄」
「ん」
「胸像に足りねえもん、分かったぜ」
背に回されていた手が戻っていく。そして俺の……左手を取った。
「指輪だ」
「指輪」
…………
「ゆびわ!?」
「そうと分かったら早速測るぞ。生憎リングゲージは無ぇから、直接店に行くか。顔洗って支度しろ」
そう言って無頼漢はさっさとベッドから降りる。待て、何だ、おい、この流れで指輪って。
「分かっちゃいるだろうが薬指だ」
「……プロポーズどころか告白もまだだったと記憶しているが?」
「鉄の目巨匠の好みに合わせたつもりなんだがなあ」
ガハハ! と響くいつもの笑い声。さっきまでのしおらしさはすっかり鳴りを潜め、なんだ、あんたはそうしているのが一番良い。
初めてこの家に来た時も、この家に転がり込むと決めた時も、俺はひとり岐路に立っていた。それが、もはや一本道だ。しかも後戻りのできない洞窟の中、ただ先の見えない道を二人で彫り進んで行くだけ。
春の雪解けにはまだ早い。けれど雪を割る草花はもう芽吹いている頃合。支度を終え引っ越し作業の時よりダウンを減らした格好で外に出ても、隣に無頼漢がいるのだからあの時と変わらず暖かいのだった。