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    カエル

    @mamemaki83

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    カエル

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    兎赤版ワンドロワンライ
    お題:ペット 21.09.04

    付き合ってない、アラフォーな二人。木兎さんが少し早く現役引退してて……と言う悲壮感は0のお話です。

    2LDK庭付き、駐車場有り、ペット可 太陽みたいなその人が俺達の前から姿を消して、もう彼此六年が経っていた。姿を消して数か月後から時折、思い出したように気ままに、気紛れに届くようになった彼からのポストカードはとうの昔に両手足の指でも足りない数になった。
     旅先で買ったのだろうそれは、その国々の街並みや人々の営み、風景などの写真で、必ず現地の言葉の挨拶と「赤葦におすそ分け!」と言う一言が添えられていた。彼の声が聞こえると共に異国の風までそよいでくるような、そのポストカードは細やかな俺の楽しみとなっていた。
     木兎さんはきっと今日も、地球の何処かで誰かの心を照らしてる。





     誰よりも楽しく、弾けるようにコートの中を駆けて、羽ばたいた木兎さんは惜しまれつつも三十二歳で引退した。足の怪我が原因だった。日常生活や軽い運動ならば問題ないとの事だったが、日の丸を背負って世界の最前線で戦うのはもう、無理だった。化け物世代モンスタージェネレーションと呼ばれた世代の中では誰よりも早い戦線離脱となった。
     早過ぎる引退を惜しみ、嘆き、悲観する周囲を他所に本人は至って明るく、元気だった。もしかしたら、俺や木葉さん達がいないところでは弱音をこぼしたりもしたのかもしれないけれど。兎に角、知っている限り彼はそれまでと変わらない彼のままで、引退会見も何だか賑やかで騒がしい、彼らしい時間だった。

    「今後はどうされるんですか」

     会見の終盤で記者の一人がそう問いを投げた。木兎さんは至極真面目な顔をして、答えてた。

    「思いっ切り、好きなだけ飛んで来たから、今度は地に足をつけろって事だと思うんだ。だから、そうしようと思う」

     ただし、その場の誰もが言っている事の真意を掴めず、問いかけた記者は「えっと、それは、どういう意味でしょうか」と躊躇いつつ聞き返したくらいだ。

    「思いっきり、好きなだけ、歩いてみたいってこと。こう、どこまでも、ずっと、みたいな」

     木兎さんは自信満々だった。多分完璧に説明が出来たつもりだったのだと思う。が、残念な事にその場の全員の頭にはてなマークがより一層飛んだだけだった。さすが木兎さんである。後日、何処かの記者は「地に足を付けて、しっかりと後進の育成に貢献したい」なんて綺麗に纏めてたけど、絶対違うだろうって思ったっけ。
     会見の最後は「これまで応援してくれた方へメッセージをお願いします」と言う、恒例のヤツ。

    「俺のバレー人生は楽しいがいっぱいでした! 俺にバレーを教えてくれた人も、俺とバレーをしてくれた人も、俺を沢山飛ばしてくれた人も、俺をずっと見てくれた人も、俺を応援してくれた人も! みーんな! ありがとう! 俺はここまでだけど、バレーボールはこれからもずっと楽しいし、日本はもっと強くなるから、これからも応援よろしくお願いします!」

     眩しいくらいの、太陽のような笑顔で締め括られたその会見から半年後、彼は旅に出た。会見での言葉の通り、思いっきり好きなだけ歩く為に、世界へと。
     こうして、かつて日本から世界へと日の丸を背負って羽ばたいた木兎光太郎は、今度はバックパック一つ背負って日本から世界へと旅立った。




     夏の終わり、けたたましく鳴いていた蝉からも心なしか元気がなくなりつつある頃、俺も体力の限界を迎えていた。二日、寝ていない。シャワーと着替えの為に帰宅はしたけれど、本当にそれだけでまた会社に戻る二日間だった。軽い仮眠はしたけど、あれを寝たとは絶対に言わない。三十七歳、もう立派なアラフォーには過酷過ぎる。
     今日、漸くちゃんと家に帰れる。明日の休みも出社しないで済むようにした。これで心置きなく眠れる。布団と枕が恋しくて仕方なかった。
     定時は少し過ぎてしまったけれど、概ね予定通り会社を出れた。すれ違う同僚や後輩、別部署の顔馴染みに挨拶しながら自動ドアを抜けるとまだ空は明るくて、何だか気分が上がる。こんな時間に帰れるのは本当に久々で……と感動してる俺の視界に何か派手なものが映り込む。それはデカい、男だった。
     カラフルなパッチワークのツバの広い帽子を被った派手なTシャツとハーフズボン、ボロボロのスニーカーと言う出立ちで大きなリュックを背負ったその男はパッとこちらを見た。ビクリ、と思わず体が固まる。

    「あ! やっと出て来た!」

     ここからでも聞こえる声で叫ぶと俺へと駆けてくる。無精髭にサングラスのせいで人相はわからない。こんがり焼けた小麦色の肌とか服装とかのせいで、兎に角迫力がすごい。え、何、この陽気な熊。めっちゃ怖いんですけど。

    「久しぶり! 元気だった!?」
    「……人違いです。俺にクマの知り合いはいないです」
    「酷い! 熊じゃないもん! やだ、あかぁーし! 少し会わない内に俺の事忘れちゃったの!?」
    「……もしかして、ぼくとさん、ですか」
    「もしかしなくても木兎さんだよ! あかぁーし、ただいまーー!!」

     あかあしの言い方に聞き覚えしかなかった。確認したら、正解だった。そして、飛びつかれた。そうだ、忘れてた。この人すぐに飛び付く習性があるんだった。六年のブランクと寝不足のせいで俺の判断は追いつかない。ギッチギチに抱きつかれた。苦しい。もう一つ忘れてたけど、この人、腕力ゴリラだった。ギブギブ。ペチペチと腕を叩くと、力が緩まった。

    「お、おかえりなさい、木兎さん。あと、六年は少しじゃないと思います」
    「あかあし、変わってねぇ」

     ケラケラと楽しそうに笑う声は良く耳に馴染んだそれだけど、視界から入ってくる情報は木兎さんとは一致しなくて、頭が混乱する。加えて、寝不足で元より回転が悪い。職場の入り口真前で、デカい男二人が突っ立ってたら注目を浴びるなんて火を見るよりも明らかな事に今の今まで気付いてなかった。突き刺さる視線の数がすごい。
     木兎さんの腕を掴むと少し隅の方へと移動した。幾つかの目は追いかけてきていたけど、大幅に減ったし良しとする。

    「それで、急に帰国して、わざわざ俺の帰りを待ってるなんて、どうしたんですか」
    「あ、そうそう。俺、赤葦に言いたいことがあって」
    「なんですか」
    「赤葦さ、まだ独身だし恋人もいないだろ」

     なんで確定事項で話すんだ。失礼だな。その通りだけども。

    「なんですか、藪から棒に。失礼ですね」
    「でも、いないだろ?」
    「……ですけど、なにか」
    「じゃあ、俺と結婚しよう!」

     向き合って、ガッと肩を掴まれると、とても元気よく笑顔で求婚された。じゃあってなんなんだ。いや、それよりも言いたいことがある。
     悲報。六年間世界を歩き回ってたちょっと変わり者の先輩が、俺の生涯ただ一人のスターが、飛んでもない変わり者になって帰ってきたようです。助けて。

    「……木兎さん、残念ですが。日本はまだ同性婚は認められていません。残念ですが、どうぞお引き取り下さい」
    「え、マジで? さすがにもう出来んのかと思ってた。そしたら、海外移住しようか」
    「しません」
    「なんで!?」
    「いや、なんでも何も。俺は日本を出る気は無いので。では、俺は帰ります」
    「帰んの? じゃあ、俺もー」
    「はい、お疲れ様です」
    「え? 俺も赤葦ん家に帰るんだけど」

     続報。変わり者の先輩は日本語でのコミュニケーション能力を異国の何処かに置いてきてしまったようです。本当、誰か、助けろ。
     結局、何を言ってもお引き取り頂けず、木兎さんは我が家に上がり込んだ。帰宅後すぐに風呂を沸かす準備をして、お湯を入れている間に、帰り道で買って来た弁当を居間の座卓に並べた。あまり大きくない座卓の上は弁当が三つ乗れば、コップを二つ奥のもギリギリのスペースしか余らない。ちなみに、俺が一つで木兎さんが二つだ。
     1DKの我が家は俺が一人で住むには十分な広さで、狭いと感じた事は無かった。が、引っ越してきて約四年、初めて狭いと感じた。自分よりもデカい男がいると部屋は狭くなるらしい。対面で座る木兎さんを見て俺は学ぶ。当の本人は口いっぱいに白米を頬張ってご満悦だ。
     
    「やっぱり米は日本が一番うまい!」
    「それは良かったです」

     生姜焼き弁当の生姜焼きを口に運びつつ、視線は木兎さんへといってしまう。家に上がってから帽子とサングラスは外されたけど、やはりイマイチ木兎さん感に欠ける。サングラスを外した瞬間はそのべっこう飴みたいな目に「あ、木兎さん」と思ったけれど、こうやって口を閉ざして食事をしているとまるで知らない人みたいだ。
     髭を生やしているのも見たことなかったし、日焼け出来るのも知らなかった。

    「木兎さんって、日焼け出来たんですね」
    「それ、俺も思った! 気付いたら焼けててさ! 気付いた時、テンション上がった」
    「高校の時は赤くなるだけで焼けないって、ボヤいてましたもんね」
    「みーんな、夏になるとこんがりするから羨ましかった! あん時もめげずにお日様に当たってれば良かったんだなぁ」

     ふと、届いたポストカードを思い出す。赤道沿いの国が多かった。

    「木兎さん、太陽の下を歩いていたんですね」
    「そう! やっぱ、暑い国って陽気でテンション上がるからさ」

     軽い足取りで陽気な人達の中を、鼻歌混じりにでも歩いたのだろうか。彼にピッタリだ。そして、きっと肌も早々に諦めた事だろう。

    「お、この卵焼きめっちゃ美味い」
    「それはなによりです」
    「あ! ねぇ、卵ある?」
    「冷蔵庫に二個か、三個ほど」
    「じゃあ、明日の朝卵かけご飯食っても良い!? 外国ってさ、生卵基本ダメらしくてさ。危ないんだって! だから、日本戻ったら絶対食おーって思ってて! あ、米炊くのは俺がやるから、気にしないで良いからな!」

     気にしないも何も、卵も米も炊飯器も俺ん家のですけどね。

    「はぁ、あざっス」

    面倒だから、言わないけど。

    「あ、そうだ。後ね、これ。赤葦に見てもらいたくて。どう思う?」

     渡されたのは物件のチラシだ。中古物件で、築年数は軽く俺も木兎さんも超えている、随分とレトロな平家だ。2LDKの庭付き、駐車場有り。所在地を見れば、二十三区外ではあるけれど交通の便は悪くなさそうだ。

    「良くこんなの見つけましたね」 
    「不動産屋の窓に貼ってあって、貰って来た! ペットも可だって」

     そりゃそうだろう。だって、戸建てな上に賃貸じゃない。売り出し中の物件だ。値段は……多分、お安い方なのはわかる。

    「木兎さん、とうとう日本に定住するんすか」
    「たまに海外行くとは思うけど、基本は日本で生活する予定。それで、その家どう思う?」
    「良いじゃないですか。ゆったり過ごせそうで」
    「やっぱ、そうだよな! じゃあさ、赤葦はどっちの部屋にする?」
    「……言っておきますけど、俺はそこに住まないですよ」
    「え!? なんで!? 一緒に住もうよ! 絶対楽しいよ!?」
    「今でも十分楽しいので、間に合ってます。あ、俺風呂入ってきますね。木兎さんはどうぞゆっくり食べててください。お茶は適当に冷蔵庫から出してもらって構わないので」

     頭が痛くなって来た辺りでお湯が沸いた合図が鳴ったので、弁当の残りを掻っ込むとさっさと風呂に入る事にした。上がったら木兎さんに入ってもらって、その間に寝てしまおう。一瞬、求婚された事が頭を過って、ほんの少しだけ貞操の危機を感じかけたけど、さすがの木兎さんも寝ている人間を襲う様な真似はしないだろうし、あれは冗談だろうから問題ないだろう。そもそも相手は俺だ。そんな気が起こるはずもない。よし、大丈夫だ。このプランで行こう。

     と、思ったのに。俺が湯船に入るタイミングを見計らったように、木兎さんは浴室のドアを開けた。ご丁寧に、全裸で。

    「俺も入るー」
    「いや、出てけ」
    「あかぁーし、敬語忘れてる!」

     全く動じない様子で、木兎さんはシャワーを浴びて髪を洗い出す。俺は、色々諦めて湯船に浸かった。

    「木兎さん、旅の間、現地の人とコミュニケーションちゃんと取れてたんすか」
    「色々話してたよ! 現地の言葉は結構難しかったけど、英語なら普通に会話出来たし」
    「え、木兎さん。英語話せるようになったんですか」
    「うん。挨拶と簡単な会話だけなら、他も幾つかいけるよ!」
    「例えば」
    「フランス語とスペイン語と中国語を少々」

     お茶とお花を少々、みたく言うな。お見合いか。っつーか、五か国語も話せるのか。なんて、無駄にハイスペック。あれか、その分日本語でのコミュニケーションが不自由になったのか。

    「さっきの家だけどさ」
    「何ですか。住みませんよ」
    「ペット飼えんのに?」
    「いや、そもそも何でそこをそんなに押すんですか」
    「だって赤葦、デカい犬飼いたいけど、うちはマンションだから、飼えても小型犬しか無理だって、残念だってたじゃん」

     いつの話だ。高校、一年……か。うん、多分その頃だ。確かに言った記憶がある。二十五歳くらいまでは割と本気ででっかい犬飼いたいと思ってたわ。

    「だから、絶対戸建てだなって思ったのに」
    「お気持ちはありがたいですけど、今の俺の仕事では動物は難しいです」
    「でも、俺がいるじゃん」
    「……そう来ましたか」
    「それに、別にデカい犬じゃなくて、小さい犬でも良いし」
    「サイズの問題じゃないです」
    「犬じゃなくても良いよ? 猫でも、鳥でも蛙でもザリガニでも良いしさ」
    「いや、ペットはもう良いんで俺の話を聞いてください」
    「え? ずっと聞いてるよ?」

     じゃあ、なんで住まないって言ってるのを受け入れてくれないんだ。頼むから聞いてくれ。聞いてると言うなら、あれか。嫌がらせですか。後、ペットのチョイス、最後の方完全に小学男子でしたけど、あなた幾つですか。とかとか。
     言いたい事は山ほどあったけど、全ての発言に於いて本人は至って本気で言っている様子だったから、何も言えなくなった。だって、言っても無駄そう。
     体まで洗い終えた木兎さんが髭剃り貸して言うので、鏡の横を指して「どうぞ」と答える。流石に髭を剃っている間は静かだった。肩まで浸かって、少しウトウトしかける。

    「あかぁーし、眠いの?」
    「ん、ここ二日寝てなかったので」
    「そっか。疲れてんのに、ごめんな」

     気配を感じて薄ら目を開けると伸びて来た大きな手が頭を撫でた。良い子良い子って、労うように、優しい手だった。気持ちが良い。瞼をしっかり開けて、木兎さんへ視線を向けると、小麦色ではあるけれど、さっきよりもずっと見慣れた懐かしい顔があった。

    「あぁ……あなた、本当に木兎さんだったんですね」
    「……今の今まで、誰だと思ってたの」
    「いえ、何て言うか。改めて、木兎さんだなぁって思って。……おかえりなさい」
    「……ただいま」

     木兎さんは嬉しそうにくしゃりと笑った。それから、どうしても湯船に入ると言うので……なのに俺が出ると言うとダメだと断固譲らない。仕方なく、膝を折って入れるだけの隙間を作った。アラフォー男が二人、体育座りで湯船の中にみっちり詰まって向き合っている図は中々にシュールである。と言うか、地獄絵図に近い。考えないようにする。

    「ねぇ、赤葦。ここの更新いつ?」
    「え、その話まだ続けるんすか」
    「俺は諦めないもん」
    「俺も譲らないですよ」
    「えーー。けどさ、あの家だったら買うからさ、家賃かかんねぇよ?」

     正直、めっちゃ心が動いた。

    「それに俺、色んな国の料理覚えて来たからさ、赤葦の休みの日は気合入れて色々作ってあげられるし」

     ぐらり。また揺れる。

    「あ、料理に合うお酒も用意するからさ。そしたら。縁側でその料理ツマミに酒飲むの。良くね?」

     なんだ、それ。めちゃくちゃ魅力しかないじゃないか。

    「ペットも飼い放題だし!」
    「いや、そこはあんまり」
    「なんでだよ!」
     
     木兎さんが喚く。俺は欠伸を噛み殺す。もうそろそろ、限界かもしれない。

    「すいません。俺、もう上がります」
    「俺も!」
    「ゆっくり浸かってて良いですよ?」
    「赤葦と一緒が良いの」

     五歳児かな。いや、五歳児育てた事ないけど。くっついてくるのを引っぺがすのも面倒で、一緒に上がる。洗面所がこんなに狭く感じたのも初めてだ。
     下着だけ身に着けて、寝室から部屋着を持って居間に戻る。座卓の上は片付いてて、食べ終えた残骸も綺麗に洗って、シンクで水切りされていた。すごい、あの木兎さんが。感動してしまう。生活能力皆無かと思われた木兎さんの意外な一面にまた少し、ぐらりと揺れ動く。
     なのに、お礼を言おうと本人を見ると髪から水を滴らせて、お茶を飲んでいた。今ガッと上がった評価がゆっくり下がってく。バスタオルは見当たらない。

    「木兎さん、バスタオルは?」
    「洗面所のカゴに入れて置いた!」
    「髪、まだ濡れてるじゃないですか」
    「こんくらい、すぐ乾くだろ?」
    「ここは日本です。あなたがずっと歩き回ってた常夏の国々とは訳が違うんですよ」
    「はぁーい……あ! じゃあ、赤葦が乾かして!」

     お礼は言うやめる事にしよう。後揺れ動いたのも気のせいだ。
     向き合って座ると木兎さんは上体を屈めて、俺に頭を突き出した。はい、どうぞって感じで。全く、と思いながら、わしゃわしゃとタオルで拭く。我が家にドライヤーなんてものはない。
     ふと座卓の上なチラシが視界に映る。2LDK、庭付き、駐車場有り。木兎さんいわく、ペット可。良物件……なのだろうか。家賃がかからないのも、木兎さんの作る色んな国の郷土料理も、縁側での酒盛りも、とても魅力的だった。きっと毎日も楽しそうだ。けど、ペットに関してはやっぱり首を傾げてしまう。だって、そもそも必要がない気がして。
     くすり、と思わず笑ってしまった。木兎さんが「なに?」と問いかける。

    「いえ、大した事じゃないんですけど」
    「良いよ。聞きたい」
    「あの家、例えば木兎さんと俺とで住んだとして」
    「ん? うん」
    「木兎さんと一緒なら、すでに大型犬がいるようなものですから、やっぱりペットは必要ないんじゃないですかね」
    「俺がペットってこと? ひでぇ」

     木兎さんは不満を口にしつつ、可笑しそうに笑った。揺れてた頭が止まって、下を向いてた顔が上がる。手を止めてタオル少しずらした。下から顔を覗かせた木兎さんは、以前よりも長い前髪の隙間からくるりと大きな目で見上げて来て、そうして「わん!」と鳴いた。きゅん、と俺の胸が鳴いた。
     いや、胸は鳴きません。何言ってんの、俺。ドキドキと動機が激しくなる。息切れと眩暈もしそう。例の薬が欲しい。いや、それより睡眠だ。徹夜続きで脳が誤作動を起こしたに違いない。絶対にそうだ。そうに決まってる。

     適当なところで木兎さんの髪を乾かし終えると俺はさっさと寝支度を整えた。広くないベッドに是が非でも入ってこようとする木兎さんを押し返す体力はもうないので、好きにさせる。枕が抜き取られて、代わりに頭の下に置かれたものは硬いし、高さは合わないしで寝心地はまるで良くなかったけれど、眠気の方が今は強い。
     しっかりと寝て、脳を正常な状態に戻そう。明日起きたら、きっと元通りだ。大丈夫。何も問題ない。そう自分に言い聞かせながら、やがて俺の意識はゆっくり落ちていく。

     翌日、同僚から「会社前でラテン系の外国人にプロポーズされてたって、本当?!」ってメッセージが届いて頭を抱える事になるとか。更にその翌日、出社してみたら意外と噂になってて誤解を解くのが大変だったとか。木兎さんの求婚が本気だと知って気が遠くなる思いをするとか。そこから本気で口説かれる事になるとか。そんな未来なんて知る由もなく、俺は二日ぶりの眠りへと旅立った。隣の体温が酷く心地よかったのも、きっと寝不足による脳の誤作動だと信じて。
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