結末はキャラメルフレーバー.
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どちらが先に勝負をはじめたのか、なんて事はもはや本人達とて覚えてはいなかった。切っ掛けすらも彼らの記憶にはすでにない。ただ漠然とあるのは「言わせた方が勝ち」と言う謎の勝利条件だけだ。つまりは「言ったら負け」である。二人揃って、重要なのは後者であった。「勝ちたい」よりも「負けたくない」のである。二人揃って、どうしようもない負けず嫌いだった。故に勝負はずっと平行線のまま、木兎と赤葦は出会ってから二度目のバレンタインを迎えた。
「赤葦、チョコ貰った?」
「……なんでですか」
「どっちが多く貰うか勝負しようと思って!」
久しぶりに三年全員が登校したその日、やはり久しぶりにいつもの面々で昼食を取っている真っただ中で、そんな事を言い出したのは木兎だった。食堂の喧騒の中、勝負を持ち掛けられた赤葦はきょとりと目を瞬かせた。木兎以外の三年の面々は全員、生ぬるい気持ちになる。勝てる勝負を持ち掛けたな、と。
「何のための勝負ですか」
「何のため……かはわかんないけど、あかぁーしと勝負したい」
「何のためにですか」
「負けた方が勝った方のお願いを一個聞くため」
「それで自分が勝てる勝負を持ち掛けたんですか? 木兎さん、案外姑息ですね」
「ぐ……べ、べつに。俺が確実に勝つとは限らな」
「去年、木兎さんが圧勝だったじゃないですか。今年もそうに決まってます」
「あ、赤葦だって今年は新主将だし、絶対去年よりはもらえ」
「木兎さん、本気で思ってるなら、俺の目を見て言ってくださいね」
真っすぐに木兎を見据える赤葦に対して、木兎の目は誰が見ても明らかなほど泳いでいて、自らの言葉が嘘だったと雄弁に語る。
「ほら、思ってないじゃないですか」
「そんなことな」
「嘘は嫌いです」
「……じゃ、じゃあ!」
「なんですか」
「俺が勝てる勝負を持ち掛けたって認めたら、勝負してくれる!?」
「え、嫌に決まってるじゃないっスか」
「なんで!!」
「木兎さんは自分が負けるってわかってる勝負、俺とするんですか?」
「……しない」
「それと一緒です」
「そこを何とか」
「嫌です。それにいただいた誰かの気持ちや想いを勝負事に使うのはどうかと思います」
今度こそ木兎は口を閉ざした。赤葦の言葉に「確かに」と思ってしまったから、もう何も言えなかった。
「流石、赤葦」
「諦めろ、木兎」
「この勝負、お前の負けだ」
「お前、まっったく勝ち目ねぇわ」
「ぐぬぬ……」
感心する猿杙、諭す鷲尾、追い打ちをかける木葉、そして止めを刺す小見。木兎は低く唸って、口の中の生姜焼きを噛み締めた。ちょっと焼き過ぎたと母親が言っていた通り、焦げた醤油が少しばっかり苦くて、今の木兎の気持ちと重なった。
木兎はもうずっと赤葦に「好き」と言って欲しかった。先に惚れた方が負けと言う勝負は負けたと自負しているから、せめてこっちの勝負では負けたくない。そんな阿保みたいな意地だった。
卒業までもう日が無い。そう焦った木兎なりの作戦ではあったけれど、呆気なく失敗に終わった。木葉達からすれば、阿保な勝負の勝敗に拘らず素直になれば良いだけの事なのだけど、本人は気付かない。
せっかく登校したのだし、たまには体を思いっきり動かしたいし、と木兎以外の三年の面々もその日の部活には参加した。通常の練習が終わった後で、全員が予想した通り木兎は赤葦と自主練をすると言い出した。赤葦としてももうきっと何回もない、貴重な大切な時間は願ったり叶ったりだった。
すでに懐かしく感じられもする見慣れた光景を横目で見つつ、部室のロッカーは引退と同時に返した木葉と猿杙、小見、鷲尾は体育館の片隅で着替えて帰り支度をする。勿論、木兎の荷物も彼らの荷物の横に置かれていた。
着替えをしながら、「あ」と声を上げた木葉がそう言えばと猿杙に話しかける。
「見た?」
「あぁ、うん。見た」
「あれさ、どう思う? 言ったら負けってさ。気持ちはわかんないでもねぇんだけどさ」
「まぁ、正直ちょっとジレッタイを通り越して、イラっとするよね」
「やっぱ、そーだよな!? こう、いい加減どっちかはっきり言えよ、的な」
「なんか、あそこまで行っちゃうといっそスパーンと、好きって言ったほうが恰好良いよなぁって思うし」
「わかる。あれ、もう。潔く先に言った方が勝ちだよな」
「そうそう。あれで、最終的に言うのがヒロインの方だったら、男の方がちょっとね」
「あぁ……それはさすがに」
ないよなぁ、と木葉と猿杙の声が重なる。最近のドラマの話題だった。特に女性人気の高い恋愛物で、両想いでありながら中々くっつかないもどかしい展開が良いとか何とか、クラスの女子が言っていたような気がする。そんな事よりも赤葦の頭に響いたのは木葉の言葉だ。
「潔く先に言った方が勝ち」
だなんて。勝利や敗北の条件が変わるだなんて、聞いてない。
赤葦は別段、木兎に「好きだ」と言って貰いたいとは思っていなかった。言って貰えるともさして思ってもいなくて、単純に言ったら負けのような気がするから、言いたくなかった。惚れた方の負けと言う勝負はとっくの昔に負けているから、もうこれ以上負けるのはごめんだった。これまた、中々にしょうもない意地だった。
そのしょうもない意地が負けに繋がるのであれば、由々しき事態である。なんてことだろうか。ただ意地を貫くだけでは勝てないらしい。そもそも色恋に勝ち負けなんてないのだけれども、色恋に疎い赤葦は気付かない。
同じタイミングで、やはり木兎は衝撃を受ける。無論赤葦と同じく木葉の言葉に、である。負けたくないと必死になっていた筈なのに、今目の前に迫ってあるのは敗北の方だ、なんて。聞いてない。木兎は戦慄いた。意地を張ったところで負けると言うなら、とっとと捨てる以外の選択肢はない。だって負けるのだけは嫌だ。色恋に疎いのは木兎も同じで、彼もまた色恋に勝ち負けなんてものはないとは気付かない。
二人は揃って動揺した。互いに相手が動揺していると気付けないくらいには狼狽えていた。しかし、幸いな事に二人揃って大層なバレー馬鹿だったので、三本ほどトスを上げて、スパイクを打っていれば、あっと言う間に目先のボールに夢中になった。由々しき事態であっても、やっぱり色恋は二の次らしい。
下校時間ギリギリまで練習をするのは木兎と赤葦だけで、二人だけでする片付けも慣れたものだった。体育館で着替えようとする木兎に、もう誰もいないから部室でどうぞと赤葦が声をかける。嬉々として木兎は両手に鞄や制服を抱え、赤葦の後ろを歩いて部室へ移動した。
他愛ない会話をしながら、着替えが進む。もう互いにブレザーを着るだけだった。唐突に沈黙が訪れる。シン、と静かな空間に風が窓を揺らす微かな音が響く。先に動いたのは木兎だった。
「赤葦」
呼ぶ声はいつもの聞き慣れたそれではない。微かな緊張と熱を伴う。
赤葦はとっさに手にしたキャンディ包みのチョコの、包みの両端を引っ張った。くるりと回って包みが剥ける。出てきたまん丸いチョコを摘まみ取ると、「俺ね」と言いかけた木兎の唇に押し付けた。思ったよりも大きいそれを雛鳥よろしく、木兎は反射的に口の中に迎え入れてしまう。まんまと赤葦の策にハマった木兎は口を封じられて、今度は赤葦が勝負をつける為、口を開いた。
「木兎さん、俺」
赤葦が言えたのはそこまでだった。木兎が口の中にいっぱいにチョコを含んだまま赤葦の声ごと、赤葦の唇に己のそれを重ねて、塞いでしまったから。
驚いて見開かれる真っ黒な瞳に、見据える金色が映り込む。チョコが二人の咥内を行き来して、次第に二人の体温で溶け始めると口の中に甘い香りが広がっていく。とろとろと表面の、ぱりっとしたチョコが溶けきって、とろりとキャラメルが混ざった一層甘ったるく濃厚な香りが溢れ出した。滑らかなフィリングは簡単に彼らの舌の上で溶けて、甘さと酸欠でくらくらとした。なのに絡まったままの視線も舌も離せなくて、二人は互いの咥内を貪った。
なんの勝負をしていて、何の勝ち負けに拘っていたのかもわからなくなる。意地を張って、意固地になって、必死になって守っていたものにどれほどの意味があったのか。それももうわからなくて、目の前の存在と舌で感じる熱が全てだった。もうそれだけで良くて、それだけが良くて。香りだけ残して消えたチョコみたいに二人の中の凝り固まった余計なものは綺麗に溶けて消えていく。
視線を交わしたまま始まったキスは視線を交わしたまま唇が離れて、終わりを迎える。名残惜しそうにゆっくりと離れる二人の息は上がって、ほんのりと赤く染まった頬にどちらともなくごくりと喉を鳴らした。
「あのさ、赤葦」
「はい、木兎さん」
「俺、言いたい事があって」
「俺も、木兎さんに伝えたい事があります」
ジッと見つめ合った二人は小さく笑って、そうして彼らは声を揃えた。
「せーの」
♡
こうして気付けば始まっていた意地っ張りな二人が真面目に、真っすぐに、純粋に繰り広げていた真剣勝負は引き分けとなり幕を下ろした。ひっそりと赤葦が次にチョコを買う時はビターにしようと誓っていたのを木兎は知らない。何となく包み紙に明るい琥珀を思い出して、キャラメルフレーバーのチョコを買ってしまったなんて、感謝の気持ちと称してしれっと渡そうとしていたなんて、口が裂けても木兎には言えない赤葦だった。
なお、木葉と猿杙と言う功労者がいる事を知っているのは鷲尾と小見だけである。
fin.