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    カエル

    @mamemaki83

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    カエル

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    2022.04.05
    bokuaka Dayにて、Twitterに投稿。
    前後白湯さん( @zengosayu45)の作品【ネクタイ】から着想を得て、許可を頂いて書かせていただきました。

    木兎さんの卒業式にセンチメンタルになる赤葦くんとネクタイと木兎さんと、三年生ズのお話し。兎赤未満だけど、限りなく兎赤な二人。

    お別れと、ネクタイと、これからと。.

    .

    .

    .
     普段は殺風景な講堂内は赤と白とで飾られて、厳かな空気に包まれていた。いつもはジャージの教師や、草臥れた白衣姿の教師が今日は皺ひとつないパリッとしたスーツを身に纏い、しゃんとしている。別人みたいだ。ぼんやり、赤葦は思う。それは、いつもは上靴のかかとを踏んでいたり、気崩していたりする制服をぴっちりと着こなしている同輩達にも言えることだけど。
     ざわめきが消えて、代わりにピアノの音色が響き出すと、それぞれのクラスの担任が先導する形で卒業生が入って来た。一組の半分より少し後ろ、木兎が入場口を潜って現れると会場の視線の多くは彼に集まる。周囲よりも身長が高く、頭が飛び出た木兎が目立つのは当たり前ではあるけれど、彼よりも背の高い生徒はいる。それでも尚、木兎はいつだって一際人目を惹いた。
     トレードマークのミミズク頭のせいでもあるけれど、それだけじゃない華があることを赤葦は知っている。しかし、こんな日にもやはりあの頭は健在なのだな、と少し口元が緩む。やっぱり木兎さんは、木兎さんだ。そう思って、だけれど気付いてしまった。
     何度注意されてもブレザーからはみ出していたワイシャツの裾がきちんとズボンの中にしまわれていることに。ズボンの裾も引き摺りも折られもしていない。腕まくりのされていないブレザーの袖はいつものヨレヨレ感は無くて、ボタンも全部締まっている。ワイシャツだって、しっかりと一番上までボタンをして、ネクタイも――綺麗に整った形で結ばれていた。

    「自分で綺麗に結べるじゃないですか」

     誰にも聞こえない呟きとともに赤葦は静かに、顔を歪ませた。


      ■□□■


     始まりは、赤葦が一年の秋頃だった。朝練の後、いつもにもまして着替えの遅い木兎へ視線を向けて、その首元にあった、あまりにも不格好なネクタイに唖然とした記憶は割と鮮明だ。
     いつもよりも着替えが遅かったのはネクタイに悪戦苦闘をしていたかららしい。結び目が団子のようだし、本来大剣に隠れて見えない筈の小剣の方が長くて、はみ出してしまっている。あまりにも、酷い。

    「いつも、そんな下手でしたっけ」
    「朝、頭通す時、解けちゃって……」
    「こいつ、自分で結べねぇの。いつもは誰かに結んでもらったのを首通して締めてるだけ」

     ケラケラと笑った木葉がしれっと種明しをして、部室を出て行く。いつもネクタイを輪っかにしたまま頭から通していたのは知っていたけれど、そもそもあの輪っかすら自分で作っていなかったなんて――赤葦は思わず絶句する。年下の相棒のその様子に木兎は一層しょぼくれて、そうすると髪までも萎れて見えるから不思議だ。
     木葉に続いて小見や猿杙達も出て行って、とうとう部室には木兎と赤葦だけが残された。木兎がもたついている内に皆とっくに着替え終えてしまっていたのだ。
     シン、とした部室で木兎はまだネクタイと格闘している。多分、きっと。幾ら戦おうとも彼の勝利は見える気がしない。仕方ない。赤葦はそっと手を伸ばした。

    「失礼します」
    「え、あ」

     木兎が驚いている間に、しゅるり、と下手くそに結ばれたネクタイを解いて、抜き取った。ワイシャツの襟にネクタイを通し直して、左右の長さを整える。自分で結ぶ時とは勝手が違うせいで、少し手間取った。時折指を止まらせつつも、何とか結び終えたそれは木兎が結んだものとは比べ物にならないくらい綺麗に整っていた。

    「すっげぇ。あかぁーし、めっちゃ器用だな」
    「いえ、思ったよりも時間がかかりました。お待たせして、すいません」
    「え、ぜんぜん! 俺よりも早かったし、綺麗だし」

     あなたが下手過ぎる上に遅いせいだ、とは流石に言えなくて、飲み込んだ。木兎は普段からキラキラと光って見える金色を一層輝かせて、赤葦を映し出す。

    「あかぁーし、ありがとな!」

     満面の笑みは眩しくて、赤葦はきゅっと目を細めながら、いつものように「あ、いえ。どういたしまして」と平坦に返すしか出来なかった。それから木兎は、赤葦に解けたネクタイを差し出しては「結んで」とお願いしてくるようになった。大抵は下校時刻ギリギリまで自主練をして、二人しかいない時だったけれど、少しずつその頻度は増して行った。
     やがて三年生が卒業すると木兎が新たな主将となり、その副将に赤葦が任命された。てっきり木葉か鷲尾辺りがなるのだろうと思っていた赤葦は面食らって、初めはお断りした。が、木兎はどうしても赤葦が良いと言って譲らなかったし、木兎を説得してくれると思っていた木葉達には逆に自分が説得されることとなって、結局は首を縦に振った赤葦だった。
     そうやって託された副主将の仕事にもすっかり慣れた頃、人のネクタイを結ぶ手の動きにも迷いはなくなっていた。

    「赤葦、なんか、結ぶの上手くなってね?」
    「……どんだけ木兎さんのネクタイ結ばされてると思ってるんスか」
    「もしかして、俺のおかげ?」
    「もしかしなくても、あなたのせいです」

     「おかげ」を「せい」で返した。それもわざとらしく強調して。けれど木兎はただ嬉しそうに笑った。意味がわからない。不可解だ。なのに、不愉快ではなかった。不可解なのはどっちか、わからなかった。
     自分で結べるようにならないと困るのは木兎だ。そのことを指摘して、練習しろと進言したこともあったけれど、色好い返事はついぞ貰えず、気が付けば日常の中で曲がった彼のネクタイに手を伸ばす己がいた。

    「曲がってます」
    「え? マジ?」
    「はい、少しですけど」

     そう言って直してやると、嬉しそうに礼を言う木兎に悪い気はしなかった。赤葦はもう、それを不可解だと思うこともなかった。ほんの少しだけ「特別」な後輩であることを嬉しいと感じている自分に気付いていたから。
     二度目の秋を迎える頃には木兎と赤葦だけではなく、バレー部員の中でもすっかり見慣れた日常と化していた。初めは少なからず引いていたように思うのに、今では何も感じなくなったことに木葉は顔を顰める。

    「あれを見慣れた自分が嫌だ」
    「わかる」
    「俺は、赤葦のあれが、様になって見えるのも嫌だ」
    「それも、わかる」
    「……でも、俺は。あれを見ると、木兎さんと赤葦さんだなって思います」
    「……それも、わかってしまう」
    「それな」
    「それが、また、すげぇいや」
    「わかる」
    「同意でしかない」
    「それでも、見られなくなると思うと、寂しいんだろ」

     鷲尾の言葉に木葉、猿杙、小見がぐっと言葉を詰まらせる。尾長は控えめに笑った。冬の気配が日に日に強くなっていた。

     前だけを、上だけを見た時間に幕が下りれば、全てが目まぐるしく変わっていく。慌ただしく次へと移行して、忙しなく三年がコートから去った。自分へと繋がれ、託されたものは大きく、重い。だが、同時に誇らしい。己もまた、木兎や彼らのように次に繋げるのだと思えば、一層熱が入ったし、感傷に浸る暇なんてなかった。
     そうして、ふと気付く。最後に彼のネクタイを結んだのは、いつだったか。もう曖昧だった。追い出し試合のあの日の帰りだったか、その後も時折顔を出してくれた時だったか。はたまた、もっと前だったのか。思い出せなくて、日常だと思っていたものが、もうこんなにも遠いことに驚く。日々に追われて――追われているように見せて、気付かないふりをしていたのかもしれない。
     そんな風に思うくらい、今日まで、つい数秒前まではまるで意識していなかった。気崩していない制服と、歪みなく結ばれたネクタイが唐突に、赤葦へと木兎の、彼らの卒業を突き付けた。


      ■□□■


    「ちゃんと、綺麗に結べるじゃないですか」

     自分でも驚くくらい、恨みがましい声だった。そんなつもりは無かった筈なのに、責めているみたいな。きっと根っこの方で責める気持ちがあったのだろうと思えば、何様だと赤葦は己に毒づく。反対に木兎は気にした風もなく、いつものようにカラリと笑った。

    「練習したからな」

     そして彼は自分のネクタイを解いて、しゅるり、と抜き取った。練習とやらの成果を見せられるのかと思いきや、木兎は赤葦の目の前までやって来て、今度は赤葦のネクタイを奪い取る。相変わらず不可解だ。

    「何がしたいんですか、木兎さん」
    「これ、俺にちょーだい」
    「……俺、後まだ一年あるんスけど」
    「うん、だから。赤葦にはこれをあげる」

     木兎は自分のネクタイを赤葦の襟に通す。奪われたネクタイよりもいくらか草臥れたそれが、木兎の手によって赤葦の首元に結ばれていく。練習したと言う割には、手際は悪い。おまけに、出来上がりは何時ぞやに見た懐かしさを覚えるくらいの不格好さ。大剣と小剣の長さが入れ違ってないのは、せめてもの救いか。

    「練習……したんじゃないんですか」
    「した! けど、人に結ぶ練習はしてなかった!」
    「なんで、急に練習なんて」
    「あかぁーしに心配かけちゃいけないと思って」
    「俺……?」
    「ほら、俺。もう、社会人になるし! ネクタイくらいちゃんと結べないと格好悪ぃし、赤葦に心配かけさせちゃうなって」

     何度言ってもしなかった練習をしたことに驚いたし、きっと本来ならばそれを褒めるのが正解だ。それはわかる。わかる、のに。

    「……心配くらい、させてくださいよ」

     赤葦の口から零れたのは全く違う本音で、赤葦自身も驚いてハッとする。けれど、木兎はそれ以上に平素よりも大きな目を一層大きく、まん丸くさせて赤葦を見た。

    「……まだ、俺のこと考えてくれんの?」
    「……え?」
    「え、だって。心配したいって、そう言う事じゃねぇの?」

     言われてみれば、確かにそうだ。だが、なんだか釈然としない。なのに、違うと否定もできなかった。

    「赤葦は、これからも俺のことを考えなきゃいけないの、やじゃない?」
    「……別に今までだって、嫌では無かったですけど」
    「じゃあ、じゃあさ!」
    「……はい」
    「同じ、俺のこと考えてくれんなら、心配はいらないから応援して!」

     それは別に言われなくても、と赤葦は思う。木兎を応援しないなんて選択肢は赤葦の中に存在しない。だけど、口にする寸でのところで飲み込んだ。金色が赤葦を真っ直ぐに見つめて来る。

    「お前の応援が、一番俺を強くするから」

     言葉が、視線が、赤葦を射抜く。心が震える。歓喜だ。鼻の奥がツンとする。目の奥は熱い。あ、だめだ。泣く。抑えないと、そう思った時には涙腺が決壊した後だった。
     視界はあっという間に滲んで、木兎の姿さえちゃんとは見えない。ぼろぼろと零れ落ちる大粒の涙は止まりそうにない。
     二年間。十七年の人生の内の、たったの二年だ。だけど、人生の全てだったと錯覚出来るほど、濃厚な時間だった。追い付こうと必死で藻掻いて、置いて行かれまいと必死で足掻いた。何か一つのことを、誰か一人のことを、こんなにも考えて、思い馳せたことなんてない。世界の中心なんて、この人と一緒で無ければ知ることもなかった。どうしたって、木兎光太郎は赤葦の唯一で、絶対だ。
     そんな木兎の、数いる後輩の中でほんの少しの「特別」が嬉しかった。だから、それが終わるのだと思うと、赤葦は自分でも珍しいと思うくらい感傷的になった。センチメンタルなんて柄でもないのに。
     その人が、まだ自分を見ていろと言う。他でもない、赤葦の応援を欲して。赤葦がほんの少し「特別」な後輩でいることを、木兎は終わらせる気が無いらしい。途絶えると思った繋がりが彼の手によって繋ぎ止められて、解けたと思っていた縁が結び直されていくみたいだ。

    「木兎さん」
    「ん」
    「一緒にバレーボール出来て、幸せでした」
    「俺も! あかぁーしとバレー出来て、良かった!」
    「木兎さん」
    「うん」
    「卒業、おめでとうございます」

     終わりを告げるようで口にするのが躊躇われていた言葉がするりと口から零れ落ちた。春の気配はあれど、春には早い。分厚い雲が太陽を覆い隠す、そんな曇天の下でお日様が笑う。

    「ありがとう!」

     眩しすぎる笑顔は、涙でかき消されてしまった。けれど、どうせ眩しすぎて直視は出来ないんだから、ちょうど良いか、なんて。溢れ出る涙を止めようともしないで、赤葦は思う。
     大きな手が伸びて来て、柔らかな癖毛をくしゃりと撫でて、「お前って結構よく泣くよな」と笑う。からかいの色は微塵もなくて、柔らかい優しい、大人びた声に少しだけ驚いて、少しだけ心がざわついた。きっと聞きなれない木兎の声に戸惑ったんだ。

    「今日は良いんです」
    「今日じゃなくても泣く癖に」
    「木兎さん、うるさいです」
    「む、あかぁーし、お口悪い」
    「ほっといてください」
    「やだ。あかぁーしのこと、ほっといてなんかやんねぇもん」

     そう言ってわしゃわしゃと頭を撫でていた木兎は赤葦に抱き着いた。わ、と思わず声を上げる赤葦を、木兎の腕がぎゅうっと力強く抱き締める。

    「だから、赤葦も俺のことほっとくなよ」
    「……はい」
    「約束だからな」
    「……わかってます」
    「ちゃんと俺のこと見てて」

     木兎の腕は痛いくらいに赤葦の体を締め付けてくる。行かないでと縋りついてくる幼子に似ている。行ってしまうのは、貴方の方なのに。少しだけ可笑しくて、笑ってしまいそうになった赤葦の耳元に木兎の声が響いた。それまでのと、また違う。それは――、

    「俺から目を離さないで」

     渇望。思わずそう表現したくなるような、そんな声。何をそんなに、と思うけれど、どうしてだかその問いを木兎に投げかけるのは憚られてしまう。
     言葉が思い付かなくて、赤葦はただ「はい」と言う以外になかった。その赤葦の声と重なって、ぽこんっ、と随分と場の空気にそぐわない、間の抜けた音が鳴った。次いで背後から心底呆れ切った木葉の声がした。

    「お前はまぁだ赤葦に面倒見させる気かよ」

     張り詰めていた空気がふわりと和らいだ。それでも尚、木兎は赤葦から離れようとしない。仕方なく、首だけで何とか背後を振り返ると木葉が手にした証書筒で木兎の頭を叩いた。ぽこんっ、とまた鳴って、さきほどの音の正体を知る。

    「高校よりもまず赤葦から卒業しろ」
    「やだ」
    「やだじゃねぇよ」
    「俺は一生赤葦から卒業しねぇもん」
    「おめぇは、なんつぅ怖ろしいこと言ってんだ!」
    「マジで、やめてさしあげろ」
    「あまりにも赤葦が不憫過ぎる」

     腕の中の赤葦を一層ぎゅうっと抱き締めて離さない木兎へと、木葉に続いて小見と猿杙からも非難の声が上がる。木兎はぷいとそっぽを向くばかりで赤葦から離れようとはせず、当の赤葦は唐突に聞こえた小見と猿杙の声に「いつの間に来ていたのか」と呑気に驚いていた。

    「つか、いい加減離れろ。お前の馬鹿力で赤葦が潰れちまう」

     ぽこぽこと木葉が証書筒で木兎の頭を打つ。腑抜けた木魚みたいだ。潰れては困ると思ったのか、幾分かしがみ付いてくる腕が緩くなる。続けて、少し遅れてやって来た鷲尾が木兎を呼んだ。 

    「木兎、監督が呼んでたぞ」
    「え、マジ? 行ってくる!」

     パッと木兎の身体が赤葦から離れて、息苦しさから解放された赤葦は密かにホッと息を付いた。そのまま監督の元へと走ろうとする木兎を止めて、彼の手からネクタイを取る。

    「今日くらいは、最後までちゃんとしていてください」
    「ん、わかった!」

     手慣れた手付きで木兎の首元に、先ほどまで彼が着けていたものよりもパリッとしたネクタイが手際良く結ばれていく。結ぶ方も、結ばれる方も慣れたものだが、それを見守る面々もまた慣れた様子で、二人へと向かう視線は呆れを含むがそれ以上に温かい。

    「はい、どうぞ」
    「ありがとな、あかあし!」

     胸元で綺麗に結ばれたネクタイを満足そう見ると、木兎は駆けていく。これも見納めかと猿杙と小見が笑った。それに同意を示しながら、ススッと赤葦の隣にやって来た木葉が「ところで、赤葦さんよ」とわざとらしい神妙な声で呼びかけた。

    「……なんですか、木葉さん」

     訝し気な顔をしつつ赤葦は首を傾げる。その赤葦の首元の、彼らしくない不格好なネクタイを木葉は指差した。

    「お前、そのネクタイどうした?」
    「……人に結ぶ練習はしてなかったそうです」
    「……あぁ、なるほど。つか、もしかして、そのネクタイって」
    「……俺のは奪い取られました」
    「そんでヨレヨレのを押し付けられた訳か」
    「……まぁ、否定はしません」
    「ったく、あいつは……あ、したら。俺のネクタイやろうか?」
    「……は?」
    「あ、俺のもいる? 木兎のよりは綺麗だし」
    「じゃあ、俺も! 木兎よりは綺麗だ!」
    「俺も汚れはないはずだ」
    「あ、あの、ネクタイばかりそんなにあっても、その」

     木葉や小見、猿杙は話しの流れについて行けなくて珍しくワタワタとする赤葦を面白がっている節があったけれど、鷲尾はそんな素振りは見せずに至極真面目に赤葦へと答える。

    「木兎のネクタイと合わせて五本、日替わりで使えばお前の卒業式までに、少なくともそれ以上は傷まないで済むだろう」

     そうそう、と他の三人が同意して頷いた。自分が一年後の卒業式に木兎のネクタイを選ぶだろうことがこの先輩方の中では共通の認識なのだと言う事実は些か腑に落ちなくはあったけれど、実際そうなるだろうな、と自分でも思う節があるから、否定も出来ない。何より鷲尾も、自分の反応を面白がっている三人も結局のところ、好意であることがわかるから余計に。

    「いや、でも代わりにあげられるネクタイはもう、ないですし」
    「別に問題なくね?」
    「制服、もう着ないしね」
    「けど、親御さんが取っておきたい場合も」
    「確かに」
    「うちは兎も角、そう言う家もあるな」
    「だとしても、赤葦に貸したって言やぁ、うちの親は問題ねぇかな」
    「赤葦の卒業式の後に返してもらうとでも言えば、どこの家も問題ないんじゃないか」

     それで万事解決だ、と四人は頷いた。赤葦はぽかんとして、それから笑う。

    「ありがとうございます。あの、でも。とりあえず、お気持ちだけ頂いておきます。それで来年、流石に卒業式では着けられそうになかったら、どなたかにお借りして良いですか」
    「もちろん」
    「任せとけ」
    「その時は、鷲尾のがオススメ」
    「では、鷲尾さんに」
    「いつでも出せるようにしておこう」
    「ありがとうございます」

     彼らを見送るこの日に、「もしかしたら」ではあるけれど、一年後の約束を出来るとは思わなかった。どこまで本気かはわからないけれど、少しだけ物悲しい気持ちが薄まるような気がした。ほんの少しでも、繋がりは残るような、そんな気がして。素直に、嬉しかった。
     赤葦の不格好なネクタイなんて珍しいから。そんな理由で四人と写真を撮った。綺麗にきっちり結ばれたネクタイの四人との対比がすごい。きっとこれもいつかは思い出だ。
     撮った写真を早速携帯電話の画面で確認して「ひでぇ」と笑った木葉は、少し離れた場所で監督とコーチ、マネージャー達と話し込む木兎を見やる。視線はそのままに、彼は「なぁ」と赤葦を呼んだ。

    「これからお前も色々大変だとは思うんだ」
    「はぁ」
    「けどさ、我らが主将もこれから色々大変な訳。まぁ、ほら。プロになる訳だからさ」
    「まぁ、そうですね」
    「そんでさ、この主将ってのが、まぁ、手がかかるのよ」
    「否定はしないです」
    「俺らで世話出来んなら、それにこしたこたぁねぇんだけど。お前じゃねぇと駄目みてぇだからさ」
    「悪いけど、見ててやってよ。俺らの主将」
    「新主将と二足の草鞋は大変だろうが」
    「頼むぜ、我らが頼れる副主将」

     木葉に猿杙、鷲尾が続いて、そして最後にパシンッと小見の手が赤葦の背中を打った。赤葦よりも小柄な彼の手は、当たり前だけれど赤葦よりもずっと小さい。なのに、分厚く大きく感じられて、力強い。
     彼らにとって木兎光太郎は「俺らの主将」で「俺らのエース」で、きっとそれはこの先も変わらない。同じように、彼らにとって赤葦は「俺らの副主将」であることは変わらないらしい。赤葦にとって彼らが尊敬する先輩で有り続けるように。
     変わっていく日常を寂しいとは思う。木兎や彼らと過ごしたこの二年も、今日の日も。やがては思い出になる。けれど、木兎や木葉、小見、猿杙、鷲尾が思い出になる訳ではない。きっといつか、思い出を一緒に語れるようになる。そんな風に漸く思えて、一年後の「もしかしたら」も本気の彼らの言葉なのだと気付いて、赤葦にはそれが嬉しくて、目の奥がまた熱くなる。
     今日の分の涙はもう出し切ったと思ったのに、視界が滲んでいく。それを袖口で拭うと、赤葦は四人に向き直って深々と頭を下げた。

    「ご卒業、おめでとうございます。二年間、ありがとうございました」

     畏まった少々堅苦しいそれは、赤葦らしくて四人は頬を緩ませる。と、頭を上げた赤葦は改めて四人それぞれを見やって、それから笑った。

    「これからもよろしくお願いいたします。先輩方」

     少しだけ面食らって――だけど木葉は、猿杙は、小見は、鷲尾はそれぞれに満足そうな、嬉しそうな顔をして、「こちらこそ」と声を揃えるのだった。

     卒業は旅立ちだ。旅立ちには別れが伴う。けれど、別れは必ずしも終わりではないのだと気付かされ、人生の全てとも思える二年は、それで終わりの二年ではないと知る。これからも続く彼らとの時間のはじまりの二年だ。似合いもしないセンチメンタルはもう無い。後は彼らに恥じぬよう、前を向くだけだ。身が引き締まる思いで、赤葦は改めて背筋をしゃんと伸ばした。




      ■□□■




     木兎が赤葦と、四人を呼んだ。全員で写真を撮ろうと。傍らにはもうすでにぐちゃぐちゃに泣いている尾長がいて、笑ってしまう。

    「あかぁーし、早く」

     一際大きな声で呼ばれた赤葦は仕方なしと駆け出した。四人はのんびりその背を追う。追いながら、木葉は三人へと問いを投げかける。

    「なぁ、ネクタイをプレゼントする意味って知ってるか」

     なぞなぞみたいだ。猿杙と小見は首を傾げ、かぶりを振った。

    「さぁ?」
    「知んね!」
    「……貴方に首ったけ、だったか」
    「おぉー、鷲尾さっすが」
    「首だけに」
    「なるほ、ど……?」
    「赤葦のは、まぁ……なんか、わかる」
    「わかる」
    「同じく」

     三人に続いて鷲尾も頷く。そして、彼は静かに付け加えた。

    「木兎のは、意味が違うだろうが」
    「だよなぁ」

     はは、と木葉は乾いた笑いを零す。それは猿杙と小見にあまり良い予感をさせないものだった。

    「……え、やだ。なに、別の意味もあんの?」
    「怖いから聞きたくねぇような、聞きたいような」

     恐怖心と好奇心が鬩ぎ合う。怖いもの見たさ。だがそれで痛い目を見ることが多々あると、半分くらいは大人の彼らはもう知っている。妙な間が出来て、木葉がにぃと笑って鷲尾の腕を肘で小突いた。言っちまえよ、そんな意図をもって。

    「……束縛」

     鷲尾の低音が良い感じに言葉の重みと深みを引き出して、きゃーっと猿杙と小見は悲鳴を上げた。半分本気で半分戯れの。

    「し、縛るだけに」
    「首を繋ぐ、かも」
    「どっちにしても、怖ぇよ!」

     きゃあきゃあと騒ぐ二人に木葉が突っ込みを入れる。楽しそうで何よりである。その先で、木兎が赤葦に飛び付くのが見えた。ぎゅーっと抱き着いて、頬ずりをする様に四人は一斉に生暖かい視線を送る。

    「木兎は……知ってるか知らないかはわからんが。どっちしても」
    「後者だろうな」
    「異議なし」
    「右に同じく」

     顔を見合わせると四人は苦笑した。気付かぬうちに捕まった気の毒な後輩に逃げるならこの一年だと助け舟を出すべきか。或いはその後輩を捕まえた同輩にその手を死んでも離すなと忠告してやるべきか。何とも判断し難い。
     故意か、否か。意識的な、無意識か。まるでわからないけれど、確かに木兎の中にある「自分の元に留め置きたい」と言う思いだけは否応なしに四人にはわかってしまう。寧ろ彼らからすれば、赤葦が気付いていないことが奇跡にも感じられるくらいだ。
     いつか木兎のその想いに名前がついた時、彼らの関係が変わるのか、変わらないのか。それはわからない。
     ただ、すっかり慣れてしまったあの二人の距離感が壊れず、この先も続いて、二人がそれで幸せであるのであれば、その関係の名前は何でも良いと四人は思う。
     木兎に甘いのも、赤葦に甘いのも、お互いだけではない。彼らを見守る四人もまた、大概二人には甘いのだが、当人達はまるで自覚はなく、気付かないままだった。




    fin.
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