酒と肴と蜜蜜ザッハトルテ帝都での仕事を終え、今度はギルドでの仕事をこなす為に訪れた夕暮れの街をユニオン本部へと向かって進んでいた時、たまたまばったりとカロルとジュディスに遭遇した。
世界中をバウルに乗って飛び回る凛々の明星の3人+1匹と、ダングレストとザーフィアスを行ったり来たりしている自分とではお互いの仕事量も相まってか、星喰みの一件のあと中々顔を合わせる機会が無かったが、その中でもこの二人とはまだ時折こうして街中ではち合う事も幾度かあった。前回会ったのは半月ほど前だっただろうか。
ユーリとラピードは揃って別の依頼へ行っているらしく、姿は見えなかった。
お互いの近況を語り合う中で、ふと少年の表情が期待に満ちたものに変わる。
「ねえレイヴン!3日後って空いてる?」
「んん?どしたの少年藪から棒に」
「僕達これから依頼で2日間出掛けるんだけど、それが終わったら数日お休みにしようと思ってるんだ。だからその時にレイヴンと久々にご飯でもどうかなって」
会えなかった間に起こった事、こなしてきた依頼の事、話したい事がいっぱいあるんだと目を輝かせる少年の期待を裏切る訳にもいかない。
これからこなさねばならない仕事量がどれほどのものかはハリーに確認してみなければわからないが、それでもどうにか夕食の時間分ぐらいの休みはもぎ取れるだろう。多分。
「確約は出来ないけど、夕食ぐらいご一緒出来るように頑張るわ。おっさんも皆の話聞きたいし」
「やったー!!楽しみだなぁ…あ、でも無理はしちゃダメだからね!」
「わーかってますって」
それじゃあ僕達準備があるから!と、少年がショップの方角へと駆けていく。
少年との会話の間、ずっと傍らで微笑みかけていた美しいクリティアの娘が、そこでようやく口を開いた。
「今は別の依頼に行っているユーリ達も3日後にはここで合流する予定なの。楽しみね、おじさま」
「…うん、すっごく楽しみ」
いつもと変わらない笑みを浮かべるジュディスに向けて、内心どきりとしつつ作り慣れた笑顔を返した。
ユーリと自分がそういう仲である事はまだ仲間内には伝えられていないが、彼女にはもうとっくの昔にバレているのではないかと思う。
勘付いている様子なのに何も聞いてこない彼女の言動に、紛い物の心臓が慌てふためいた事は一度や二度ではない。
聞かれるまでは伝える必要もないだろうと以前ユーリと共に結論付けたものの、いっそさっさと伝えてしまった方が楽なのではないかと思う事もある。
先に駆けていった首領の後を追うジュディスを見送り、夕暮れから夜の闇へと移り変わった空を見上げる。
ユーリの紫黒の瞳を思い出して、目を細める。
最後にユーリに会ったのはいつだっただろうか。
「あれ、青年は?」
天を射る矢の酒場、最早自分と仲間達の専用と言ってもよくなってしまった別室へ通されると、そこに居る筈であろう男の姿は無かった。
一緒に行動していた筈のラピードは部屋の隅でくつろいでいると言うのに。
少し困った様子のカロル少年が視線を泳がせる。
「ちょっと色々あったみたいで、帰るのが何日か遅くなるって手紙をラピードが持ってきてくれて…」
「護衛していた商人に追加で素材収集の仕事も頼まれたみたい。大した量じゃないから心配するな、ですって」
封筒も無く、ただ二つ折りにされただけの手紙を手にジュディスが困ったような表情をする。
果たしてその困り顔は誰に向けられたものなのかは判別出来ない。
「そっかぁ、じゃあしょうがないやね。んじゃま、とりあえずご飯にしましょうや。おっさんお腹すいちゃった〜」
レイヴンで居る時は猫背になるように意識していた背中をさらに丸め、特に減りもしていない腹を撫でさすりながら席へとついた。
落ち込んでない訳ではない。おおよそ半年ぶりに会えると思っていたのだから。
ただ、それを目の前にいる少年達に見せたところで、辛くなるのはあちらの方だ。
テーブルに添えられていたメニュー表を少年に向けると、若干心苦しそうな様子ながらも今日の夕食を選び始めた。
大急ぎで仕事を終わらせて何とかこの夕食の時間をもぎ取ったものの、明日の朝にはまたザーフィアスに戻る為に街を出なければならない。
そうなると青年とは入れ違いになる。
次会えるのはいつだろうかと、メニューとにらめっこしている少年を眺めながらぼんやりと考えていた。
「おおーい、カロルくん。ここで寝ちゃダーメよ」
「んー…」
完全に閉じ切った瞼が開かれる事はなく、ただ眠そうな間延びした声だけが少年の口の端から漏れる。
こなしてきた依頼の話や旅先での出来事をひっきりなしに語るカロル少年と、語る内容の補足を入れるジュディスと、時折小さく鳴いては出された料理にかぶりつくラピード達との食事は楽しかったが、予想していた程長くは続かなかった。
本当ならもっと語りたい事があったであろう少年は、眠い目をこすりながらも必死に言葉を紡ごうとして、やがて眠気に抗えなくなったのか席に着いたまま眠りこけてしまった。
「最近ずっと依頼続きだったから、疲れてたのね」
「ん~…悪い事しちゃったかな。それならもっと早く解散した方が良かったかも」
「でも彼、とっても満足そうよ」
そう言ってカロルに笑顔を向けるジュディスに釣られてその寝顔を眺めると、むにゃむにゃと零しながら薄く笑いつつ眠る顔にこちらも表情がゆるくなる。
グラスに残っていた、果汁と炭酸とで出来た琥珀色の飲み物を飲み干したジュディスが立ち上がり、カロルの前で背を向けてしゃがみ込んだ。
ジュディスの意図を汲んで、寝ている少年を起こさぬようにそっと彼女の背に移動させると、背負ったまま落とさぬように立ち上がる。
普段から身の丈はある槍を振り回している彼女にすれば、少年を背負う事は苦でもないのだろうが、実際に背負う姿を見てしまうとやはり女性に任せるのは少しながら気が引けた。
「大丈夫?ジュディスちゃん。やっぱおっさんが運んで…」
「問題ないわ。今はまだ、ね」
そう言いながら、自らの肩口から覗く少年の手を眺めてジュディスは微笑んだ。
腹の内が中々見えない彼女は、時折こうして仲間達に慈愛に満ちた顔で微笑みかける。
俺は彼女のそんな笑顔が好きだった。
「カロル、背が伸びたと思わない?いずれ私でも背負えなくなるくらい大きくなるんでしょうね」
言われてみれば確かに、皆で一緒に世界を駆け回っていた頃に比べると、立って並んで会話している時に少年の顔が大分近くなっているような気がした。
あの戦いからもう約1年。目まぐるしく変化していく世界の中で、この少年もまた大きく変化しているのだと思い知る。
いずれ自分の背も追い越して、下手すれば仲間内の誰よりも大柄になるかもしれない。
いつかそんな元少年と、酒の一つでも酌み交わせたらと想像して口元が緩んだ。
「名残惜しいけれど、私達は先にお暇するわ。おじさまは?」
「そうねぇ…まだ頼んだ酒も残ってるし、もうちょっと飲んでから戻るとするわ」
「そう。程々にね」
ニコリといつもの笑顔を向けて、ジュディスが酒場の外へと向かって歩き出す。
彼女の足元をするりと通り抜け、振り返ってわふ、と一声鳴いてラピードも去っていく。
同じように振り返った彼女が一言。
「ごゆっくり」
その言葉に何となく違和感を感じながら、ひらひらと手を振って見送った。
自分以外の誰も居ない豪華な小部屋のソファにどっかりと座り込む。
先程までは話し声や笑い声、わんこの声が響いていた部屋が今ではしんと静かだ。
慣れない寂しさがドッと押し寄せてくるようで、居心地が悪い。
おかしな話だ。以前は『仕事』の合間や、酒場で飛び交う情報をかき集める為に一人で飲みに行く事も少なからずあったというのに。
今はこんなにもさびしい、なんて。
「…どっかの誰かさんが居てくれりゃあね」
そうすれば少年や美女やわんこが居ない中でも二人で顔付き合わせて、酒を酌み交わしながら語り合っているだろうに。
目の前のテーブルに置かれた、甘いものが苦手な自分でも飲める程度の僅かな甘さを含む酒の入ったグラスを手に取る。
誰かさんと一緒に飲む時、いつも注文していたものだった。
いつだったか、俺の飲んでいる酒を飲んでみたいとせがまれた事があった。
しかしその時飲んでいたのは誰かさんが好むような甘さを含まないもので、きっとこれは口には合わないだろうと別の酒を勧めた。
年齢にそぐわない口先を尖らせるような顔をして、渋々と勧められた甘い酒を注文していたのをふと思い出す。
それからだった。自分でも青年でも飲めるこのほんのり甘い酒を飲むようになったのは。
いつまた同じ酒が飲みたいとせがまれてもいいように。
手に取ったグラスを一気に煽って喉の奥へと流し込む。
甘さの割にキツめのアルコールが喉の奥を焼きながら滑っていく。
ふと、グラスを置いた場所の横に、手付かずのデザートがそのままになっているのに気付く。
そこはカロル少年の座っていた場所の真ん前で、デザートを頼みはしたものの眠気に負けてしまった少年が残した置き土産だった。
生地にたっぷりの蜂蜜が練り込まれ、焼き上がった後にチョコレートでコーティングされた後にも蜂蜜を垂らされたそれは、この店では人気の商品だ。
見るだけで胸やけを起こしそうなザッハトルテを眺め、思い出すのはさっきも浮かんだ誰かさんの顔。
この酒場で食事をする度に注文しては、普段は見せない嬉しそうに綻んだ顔で頬張る様子が今でも鮮明に浮かぶ。
思わずふっ、と笑いが出てしまう。
どれだけ会えない事を寂しく思っているのか、と。
それと同時に驚く。
寂しい、と淀みなく思えるようになった自分自身に。
添えられていた可愛らしいフォークを手に取り、ザッハトルテの端を数センチだけ切り取る。
少しだけ迷いつつも口に運んだそれは、見た目同様の強烈な甘さを口いっぱいに主張してくる。
「…あまぁ…」
思わず口を抑え込んで、しかし吐き出す事もせずに飲み込んだ。
こんなにも甘い物を口にして、よくあの青年は笑っていられるものだと思う。
それだけ好きなんだろうが、そもそもが苦手である自分には理解し難かった。
でも、これが青年の好きな世界なのだろうと思うと、そこまで悪くないと思ってしまう。
役目を終えたフォークを皿に戻し、壁にかけられたランプの明かりでてらてらと光る菓子を眺める。
「…会いたい、なぁ」
ぽつりと呟いた声は、誰にも届かない。筈だった。
「誰に会いたいって?」
「っ、うぇ!?」
突如自分の頬にさらさらとした物が触れ、聞き慣れた声が耳に届く。
バッと音がしそうな程の勢いで横を向けば、待ち焦がれていた紫黒の瞳がこちらを見ていた。
「せ、青年…!?な、な、なん…!?」
何でここに。帰りは遅くなるって。と続ける筈の言葉は上手く口から出ていってはくれなかった。
いつもの飄々とした顔で、どもる俺を置いて話を続ける。
「本当はこんな早くにゃ戻れなかったんだが、依頼先の街から出ようとした時にバウルがやって来てな。ジュディも居ないし何か問題でもあったのかと思ったが…おっさんを見て納得したわ」
恐らくラピードから手紙を受け取ったジュディスが、バウルに頼んでユーリを迎えに行って貰ったのだろうと推測する。
本当に彼女の腹の内は読めない。後になってこうして思い知らされることばかりだ。
「さっき街中でジュディ達と会ってな。酒場でお待ちかねよ、なんて言われちまって意味が分からなかったんだが…なるほどな」
「…ほんと、ジュディスちゃんには頭が上がらないわねぇ」
「まったくだな」
手にしていた愛刀をソファ脇に立て掛けて、青年が横へと座り込む。
半年ぶりに見る青年の顔付きは以前に比べてより精悍さが増し、体つきも幾分か逞しくなっているように思う。
それだけこなしてきた仕事が多く、その分だけその身に反映されているのだと理解出来る。
「で、おっさんの望みは叶ったか?」
「…そりゃもう」
会いたかった相手が、今目の前にいる。
それは青年の方も同じだったのか、隠しきれていない嬉しさが目元口元に現れている。
先程まで青年に関わるものに触れる度に落ち込んでいた筈の心が浮上する。
こんな気持ちを抱いていていいのかと、今までの自分の所業を振り返って心苦しく思いもするが、抑えきれる気はしなかった。
随分と変わったなと思う。むしろ変わったのは彼が、彼らがいつもそばに居てくれたからなのだろう。
不意に降ってきた青年からのキスに目を閉じる。
「ん……ふ……」
久しぶりの感触と熱に、また心が跳ねる。
するりと入り込んできた舌を自由にさせていると、少し驚いた様子で青年が離れていった。
「あまっ…おっさん何食ったんだ?」
「え?あ~…その…」
視線を店の名物へと向けると、それを追ってユーリの視線も動く。
甘さの正体を見つけて、まさか俺が口にしたとは思えずにいるようで、更に驚いた顔がこちらを向いた。
「よく食えたな…おっさんにゃキツいだろアレ」
「いや、まぁ~…確かにキッツい甘さだったけど……たまにはおっさんも甘い物食べてみようかなぁ、なんて思う事もあるわけよ」
誤魔化すにしても下手過ぎる言葉に、青年がふーんと鼻を鳴らす。
青年から敢えて視線を外していたのが災いしたのか、伸びてきた青年の両手のひらを躱せずに頬を掴まれる。
そうして振り向かされれば、またあの意志の強い紫黒の瞳が俺を捉える。
「誰かさんを思い出したか?」
「…っ、全部言わせる気?」
「はは、悪い悪い」
少しばかり意地の悪い笑みを向けながら、パッと両手が離れていく。
ほんの少し名残惜しいなどと思っていたら、再び整った顔が寄ってきて、伸びてきた腕が俺の頭を包んで引き寄せた。
「あー…久しぶりだな、レイヴン」
「それ、今言うのぉ?」
「ははは」
真っ先に出る言葉ではないのかと脇をつつけば、耳元で小さく笑い声が漏れた。
焦がれていた温かさが今ここにある。
この温もりを運んでくれた美女とその相棒に、今度何かの折に過剰なお礼をしなければならないな、と考えた。
抱き締めてくれていた青年の腕が離れ、今度は俺の肩に回される。
「で、おっさんの明日のご予定は?」
「あー、明日は早朝からまたザーフィアスに行かなきゃならんのよね…だからあんまりのんびりもしてられないや」
時刻はもう日付が変わった頃合いだろう。今から青年と酒を酌み交わして過ごすには何とも心許ない時間だ。
何せ半年分だ、カロル少年ほどではないが、語りたい事はそれなりにあった。
少し考え込んだ青年が、またあの飄々とした顔を向けてくる。
「んじゃ、明日はジュディとバウルに頼んでザーフィアスまで送ってもらおう。そしたら昼過ぎまで寝てても問題ないだろ?」
「…んな事したら益々頭が上がらなくなっちまうわ」
「今更だろ?」
もうとっくに彼女にはバレていると踏んでいる青年は、最早彼女にだけは特に隠すつもりも無いようだ。
テーブルに無造作に置かれていたメニューを拾い上げた青年が、口の端を吊り上げて笑う。
「夜はまだまだこれから、ってな」
「…お手柔らかに頼むわ」
釣られて笑みを返せば、青年は嬉しそうにメニューへと視線を落とした。
青年が呼んだウェイターにいくつか注文を伝えた後に、俺は先程飲み干したのと同じ酒を頼む。
今日は言われるかな、なんて期待に胸を躍らせながら。