神無月の三十一日。大陸ではハロウィンとよばれる収穫祭が催される日だ。最近ではロンディーネとの交易で大陸の文化が広まりつつあるカムラの里も、里人たちが思い思いに収穫祭を楽しんでいた。
かぼちゃのお化け、モンスターの仮装、アイルー娘にガルク男。
この里のハンターである少女が本日最後のクエストに出発した黄昏時には、集会所前の通りを仮装をした子どもたちが練り歩いていた。けれど今、お月様が煌々と光り輝く青黒い夜空のもと、すでにその賑わいはない。すぐに帰還できると思われた納品クエストは、予想外の上位モンスターの乱入でとんだ長丁場となってしまったのだ。
オトモたちを先に広場へと帰し、とぼとぼと家路につく。かぼちゃのランタンや幽霊の飾り付け、置き忘れた仮装のお面。薄暗闇の中あたりを見まわせば、仕舞われそこねたハロウィンの名残が大通りの端々にそっと佇んでいる。
おどろおどろしく、それでいてどこか可愛らしい。和を基調としているカムラではあまり見ない意匠の数々に頬を緩ませると、それを眺めるように大通りをゆっくりと歩いていった。
そうしてたどり着いた自宅の前には、橙色の球体がポツンとひとつ。
「かぼちゃ…?」
少し大きめのそれは、自宅の戸口を通せんぼするように置かれていた。
ワカナさんか、ヨモギちゃんやコミツちゃんあたりが置いていったのか。忙しなく駆けまわっている姿を見られていたから、せめてハロウィンの雰囲気だけでも、なんて気を使わせてしまっただろうか。
そっとしゃがんで正体不明のかぼちゃを見る。
昼間に見たハロウィンのかぼちゃは、お化けのような顔が掘られたり描かれたりしていたけれど、どうにもこれは様子がおかしい。
優しげに下がった目尻に、左側には雷のような傷。かぼちゃの頭はもにょりと変形して人の髪型のようになり、口となる部分も何かで覆われたように隠れている。己の師、ウツシの顔によく似た顔が描かれていた。
「これ、もらっていいのかな…?」
可愛い、すごく可愛い。差出人が誰かは分からないけれど、ここに置きざりするのも可哀想だし、一晩お家にしまっておくくらいは許されるのでは。
うーんと唸ってかぼちゃとにらめっこをする。見れば見るほどウツシにそっくりなかぼちゃ。「愛弟子!」と、いつものあの溌剌とした声で今にも語りかけてきそうだ。
「どうしよう…私のお家、来ますか?」
首をこてんと傾げて、師に似たかぼちゃに語りかける。
そんなはずはないのに、目の前のかぼちゃからは、どこか嬉しそうな雰囲気を感じた。喜んでいる時のウツシと同じ、優しげな目元をきらきらとさせてこちらを見つめているような、そんな気さえしてくる。
今日はもう遅いし、出処を聞くのは明日にして、そろそろ家に入って休もう。そうして軽く両腕に収まりそうな大きさのかぼちゃに手を伸ばすと
「愛弟子!」
己のよく知る声がした。
「えっ!かぼちゃが喋った!?」
「愛弟子!こっち、こっちだよ!」
少女の頭上から影がひとつ、翡翠の光とともに音もなく地面に降り立った。雷狼竜の面を頭上へ退けると、ウツシがその柔らかな琥珀色の瞳を覗かせた。
「やあ、ご苦労さま!遅くまで大変だったね」
「教官!おつかれさまです」
突然現れたウツシに驚いたものの、すぐに少女はぱっと花が咲くように笑顔を見せた。帰還した集会所に見えなかったその姿に、今日はもう会えないのだろうかとしゅんとしていた気持ちが一気に吹き飛んで、頬がほんのりと桃色に染まっている。
「ところでどうされたんですか?」
「今日は『はろうぃん』だからって、買い物したらワカナさんがたくさん野菜をおまけしてくれてね。夕餉でも一緒にどうかなと思っていろいろ作ったから、迎えに来たんだよ」
そうしてにこりと笑うと、ウツシは今日の晩ごはんの献立を発表する。
甘じょっぱい味付けのかぼちゃの煮物、ポポノタンの香味焼き、特産きのこのと栗の炊き込みご飯、赤蕪の甘酢漬け、さつまいもや根菜がたくさん入った温かい汁物。
秋の食材がふんだんに使われたラインナップに、少女の口の中に唾液が溜まる。ハンターとして独り立ちするまで住処を共にしていたこともあり、ウツシの料理は母の味と言っても過言ではないほど少女の味覚に馴染んでいた。しかも今日のメニューはすべて少女の好物ばかり。
限界を訴えていた少女のお腹がくう、と小さく音を上げる。待ったをかけるように少女がお腹をおさえるも正直な腹の虫は止まらない。もうひとつおまけとばかりに、きゅう、と可愛らしい鳴き声をあげてしまう。
あうあうと慌てて頬を赤らめる少女にウツシが頬を綻ばせる。が、そんなウツシの腹もぐう、と大きく音をたてた。
驚いた少女が目をぱちりと瞬かせてウツシの顔を見つめれば、今度はウツシのほうが恥ずかしそうに頬をほんのりと染め、諌めるように己の腹を摩る。
そうして互いの様子に二人で顔を見合わせて、くすくすと笑い声をあげた。
「柿ももらったから、食後に剥いてあげるね」
「柿…!今年初めて食べます!楽しみだなぁ」
「今年は柿が豊作だって言ってたからきっと美味しいよ。さて、そろそろ行こうか。体が冷えちゃうからね」
どっちが先につくか競争だ!と、少女の背を優しく押せば、元気な返事とともにすぐさまウツシの家の方へと疾翔けていく。
そうして少女が先に翔び立ったことを確認すると、蚊帳の外になっていた己の顔によく似たかぼちゃを一瞥した。
「あの子は俺のいっとう大事な子だ。お前にはやらないよ」
ぽつりと、しかし確実に聞こえるように呟いた。
先ほどの春の陽射しのような暖かな雰囲気はどこえやら。酷く冷めた視線がかぼちゃに突き刺さる。腹の底から這い上がるような恐怖。地が震えたわけでもなく、風が吹いたわけでもないのに、かぼちゃがぶるぶると身を震わせ、ころりとその場に横倒しになる。やがて間をおかずに、警戒を示すように膨らんだ狸の尻尾がポンと飛び出て、地面にぱたりと力なく伏せられた。
その様を見るなり、これでもう悪さはしないだろうとため息をつく。
祭りごとになるたびこの里にはモンスターとはまた違った、妖や見えざるものが紛れ込む。ひどい悪さこそしないので見逃していたものの、収穫祭の賑わいが気を大きくさせたのか。ウツシにとって誰よりも愛しい少女に手を出そうとしたことが運の尽きだった。
すぐさまウツシは翔蟲の糸を手繰り寄せ、あっという間に先に飛び立った少女へと追いついた。
「教官、さっきなにか言ってました?」
「いや何も?もしかして愛弟子、お化けの声でも聞こえちゃったんじゃない?」
「えっ、やだ!怖いこと言わないでくださいよ!」
私がそういうの苦手だって知ってるくせに!と、少女が頬をぷくりと膨らませて拗ねれば、ごめん冗談だよ、とウツシが眉をハの字にして笑って返す。
師弟のはしゃいだ声と空を翔る翡翠の軌跡がそっと夜空を彩り、収穫祭の夜は更けてゆくのだった。
明くる日、少女が家へ帰るとかぼちゃは姿を消していて、置いてあった場所には真っ赤に熟れた柿が積まれていたそうな。