無題「…ん、ブラッド。ちょっと止めて」
「んだよ、吐くかあ?」
「ちげえよ、いいから止めろって…」
駆り立てるような、嗄れた声に勝てなかったブラッドリーは仕方なくハンドルを曲げ車を路肩に寄せた。がらんとした夜中の高速道路の上、まばらに立っている街灯に照らされ、かろうじて輪郭を保っている道。その端に掛かったネロはギリギリの外側へと体を伸ばす。ぐっと伸びをする野良猫のようでもあった。適当に結んである淡い髪が靡く。
床に座り込んだまま黙々と酒を飲んでいたネロは、帰ってきたばかりのブラッドリーを見た途端に、ドライブに行きたいと声を上げた。ご自分に運転させろと主張し出さないのが幸いだったというか、真っ赤な顔で目だけがギラギラしてる、そういう顔と滅茶苦茶な甘え方に弱いブラッドリーの方が問題だったというか。
おかげさまでハンドルを握られ、しばらくむやみに車を走らせた。ここがどこなのか、誰も知らない。知る術などない。
ネロは内ポケットをごそごそとかき混ぜては思いっきりぐちゃぐちゃになった煙草の箱を取り出した。一本、噛んで引っ張り出しては適当に火をつけ、煙を肺いっぱいに吸う。鼻先にかかった、軽やかな笑い声はよほどご機嫌なようだった。まだ冷たい初春の夜風に吹かれながら、赤黒く燃えていく煙草の先っぽを見つめる瞳は、どろどろに溶けている。
「一本いる?」
「火もな」
ブラッドリーの返事も待たずに煙草を取り出したネロは、何を言っているのかさっぱり疑問だかのように首をこてんと傾げる。酔っぱらってんのは俺の方なのに、どうしてあんたが譫言を言うのか、と言いたげな目つき。
「何、お高~いジッポ持ってんだろ」
「まあな、今日はあれよりもお高~い火で吸いたい気分なんだよ」
「……たまにさあ、すげーベタたこと言うよな、あんた」
着けっぱなしのネクタイがぐっと引っ張られる。口元の隙間に一本、ぐいっと押し込まれ、顔を寄せられ、息を奪われる。細長い睫毛と、薄めの唇から垂れる白い煙が、霧のように揺らいでいた。拗ねったような顔が去っていく。
今更照れくさいも何も、あるものか?
再び腰掛けようとするネロを、ブラッドリーは片腕の中へと収めてしまった。面倒くさそうな顔の割には伸ばされた腕に力が入ってなくて、後から何を言われたっていいと思い腰を抱いてみたところ、まあまあ正解だったようだ。ネロは短くなった煙草を咥えたまま、ブラッドリーの胸板にもぞもぞと寄りかかってきた。
ここは森なのかも知れないし、海なのかも知れない。どうでもいいことばかりだ。
「で、どこまで行きたいんだ」
「んー、ブラッド、賭けしねえ?」
「いいぜ、ご要望は?」
甘ったるく重い声が響く胸元にもたれて、ネロは目を細くして笑った。
「左、右、選んで」
「おいおい、詳細ぐらい教えてくれよ」
「…ずっと走ってて、最初に出てきたラブホがどっち側にあるのか」
それだけ言って、にんまりにこにこと笑ってばかりいるこの顔よ。
「早くしな、勝った方の言いなりにヤっちまお」
「脅かすなって、んじゃ俺様は左」
「よ〜し、玉すっからかんにされる覚悟は…、んっ、…うえ、苦えな…」
フィルターの直前まで灰になった煙草の代わりに奪ってやった。カサカサで、口元が少し切れてほのかに血の味がする唇だったが、冷たく甘かった。舌はひどく苦かったが。
「なあ、ブラッド」
「ん?」
「…ふふ…、あんたの膝貸してくんねえ?」
「ベルトしろよな」