n回目の証明――夢を、みていた。
「ねぇ、これで何回目かわかってる?」
「うるせえな。払うもんはきっちり払ってんだろうが」
大体文句を言うのならきちっと姿を見せてから言いやがれ。
アシストロイド依存だか何だか知らないが、会うたびに目も合わそうとしない相手にブラッドリーは舌打ちする。まったく今日は画面越しだというにも関わらずだ。
ブラッドリーのアシストロイドにはちょっとした仕掛けがある。だからこそ、ここのラボのそこそこ偉いらしいフィガロが手ずからメンテを行なっている。だからと言って、ブラッドリーだって、フィガロからの面倒な仕事を請け負ってやっているのだから立場としてはイーブンだ。
「まったくいじらしいことだね。一度くらいリセットせずに起こしてみたら? もったいないじゃない、せっかくここまで成長しているのに。――俺は、『その先』を見てみたいなぁ」
それにそうしたら、ここまでボディが壊れることももうなくなるかもしれないじゃない。
そう、ブラッドリーが持ち込んだアシストロイドはもはやメンテナンス、なんてレベルではなかった。表皮は剥がれ、中の機体は見えているし、腹が抉れているから、身体の軸だってめちゃくちゃだ。
「ボディが修復不可能なくらいに壊れてしまったんなら、それはもうスクラップされたのと変わらねぇだろう」
「だからその『ネロ』は死んだって? だからその都度カルディアシステムをリセットして新しいボディに埋め込むの? アシストロイドの死を尊重しているようで、結局きみがやっているのは『人形遊び』そのものなんじゃない? ――そもそも『アシストロイドの死』とはなんなんだろうね」
呆れたようなため息混じりの言葉で、相変わらずひとの弱いところを抉ってくる。アシストロイドの死、だなんてこちらが聞きたいことだ。
カルディアシステム。アシストロイドに「心」を与えるシステム。ブラッドリーのアシストロイド『ネロ』にはそれが搭載されている。スクラップ寸前で拾い上げたネロのメンテナンスを頼んだときにフィガロから提示されたものだ。
『試しに入れさせてよ。他のいくつかの個体にも搭載しているけれど、データは多い方がいい。ましてやきみはその子をシティポリスにするつもりだんだろう。だったら尚更だ』
そのときはアシストロイドとの温度のない関係を好んでいなかったブラッドリーは承諾した。気まぐれで、拾ったけれど、自分の命令に大人しく従っているだけの人形なんて欲しくはなかったからだ。
そのときはまさかこんなことになるなんて思いもしなかったけれど。
「チッ、ごちゃごちゃうるせえな。もうメンテは終わってんだろうが。さっさと起動しろ」
「うわ、睨まないでよ。はいはい」
『――メンテナンス完了。起動まで、三、二、一』
瞼が持ち上げられて、蜜色に青の混ざった瞳が覗く。ぼーっとして大して動かない表情も、灰青の髪も、『ネロ』と変わりない。身体を起こして、手のひらを握ったり開いたりと稼働確認をしている。
「調子はどうだ。ぶっ壊れたパーツはこっちで勝手に変えといたぞ」
「あぁ、それは別に。……だって、あんたが今から俺のオーナーなんだろ。警官が、違法ロイド拾うなんて酔狂なこった」
……この会話も何度目だろう。
これまでも『ネロ』の身体を入れ替えて、初めて起動させた時は同じ会話を繰り返している。違法店の摘発で、スクラップ直前のネロを拾って、修理させたときと同じ会話。
損傷していなかったメモリに残っていた拾うまでの記憶と、それから警官として働くにあたって困らないための知識。それだけしかまだこの『ネロ』にはない。拾ってから、ブラッドリーの元で過ごした記憶はすべてリセットした。それまでに成長したカルディアシステムのログもすべて。
「あぁ、でも手が無くなっちまったのはちょっと残念だな。あのパーツとはそこそこ付き合い長かったから、取り替えたんなら、また触覚の調整しねぇと」
「そりゃてめえが吹っ飛ばしたからだろうが。そう思うんならもっと大切にするんだな」
元の店で調理担当だったネロは、指先の感覚を大事にしていた。調味料のわずかな量の調整をするにはそれが一番なのだと、楽しそうに笑っていた。
だからリセットするたびに、拾い上げたばかりの、一般受けする味の料理に戻る。それから、どんどんと、ブラッドリーに慣れた味に変わっていく。
幾度『ネロ』をリセットしても、ブラッドリーは「ブラッドリー」を教え込まない。
初めは、せっかくカルディアシステムを入れているというのに、ブラッドリーがそんなことをしてしまっては、つまらないと思ったからだ。ブラッドリーが設定する「ブラッドリー」の情報はあくまでも自己認識によるもので、そんなものを他者に埋めつけたところで気持ち悪いだけだった。
己の自己認識は己だけのもの、さらにそこから他者が見出す「ブラッドリー」とを擦り合わせたり、反発したりする。他者の視点が異なるからこそ、誰かといることは面白いのだ。
だから『ネロ』にも一切ブラッドリーの情報は設定しなかった。ブラッドリー・ベイン、『ネロ・ターナー』のオーナー、シティポリスの署長様。
入力したのはそのたった三つの情報だけ。あとはカルディアシステムの成長とやらに任せた。
けれど今、情報をリセットするのは少し違った。
ブラッドリーが『ネロ』の情報を入力してしまえば、それはもうすでにいなくなった『ネロ』のコピーでしかない。そうでは、ないのだ。ブラッドリーがしたいこと、欲しいものはそれではない。
だから『ネロ』は幾度も、同じように、学習していく。「ブラッドリー」を。
そうしてブラッドリーに馴染んで、居心地の良さを、隣にいることの良さを植え込んで、それからブラッドリーを庇って、大破して――人間で言うところの「死」を迎えて――失わせる。
(「その先」があるなら、俺が一番見てみてえさ)
『ネロ』が失われることなく傍にいて、それが続いていく未来。それが見てみたい。――こんなにも、たった一体のアシストロイドに執着する己など、想像すらしていなかった。
どうして、そんなにも執着するのか、わからぬまま。
「……ッド、ブラッド!」
目を開ければ眩しい蜜色が飛び込んでくる。初めはぼーっとした表情ばかりだったが、随分とバリエーションが増えたもんだと思った。
「おい、傷痛むのか?」
「あ? ……あぁ、違えよ。胸糞悪い夢見ただけだ」
あまりにも現実と見紛うほどの夢だった。実際にはネロがブラッドリーを庇ったのではない。ブラッドリーがネロを庇って、傷を負ったのだ。
痛みを堪えて身体を起こすと、すぐにネロが手を貸してきた。ほっとしたようで、けれど怒ろうとして、それが失敗して、泣きそうな顔に見えて。
流石に、少しばかり、胸が軋んだ。
足だけをベッドからおろせば、すぐそばにネロもしゃがみ込む。足の間に囲うようにして、その身体を抱き締める。
「怪我、すんじゃねぇぞ。ネロ」
抱き締めて、耳元で囁く。けれどそれは命令の響きではなく、むしろ懇願のようだった。
初めてそんなことを言ったからか、珍しく腕の中のネロがおとなしい。普段は肩を組む程度のスキンシップすら鬱陶しがるように眉を顰めるのに。
けれどすぐに我に返ったのかとん、とブラッドリーの身体を押しやる。ブラッドリーが怪我を負っているからか、その力はいつもよりほんの少し弱い。
それから鼻をきゅ、と摘ままれる。
「怪我してんのはてめえだ、馬鹿野郎。てめえが気をつけろ」
それに、俺らのは故障、つーんだ。簡単にすげ替えがきく。
だから二度とアシストロイド庇うなんて馬鹿な真似すんじゃねぇよ。
苦々しい顔をしていったそれには返事をせずに、もう一度抱き締め直す。先程より、いくらか、強く。
「――腹減った、ネロ」
今度こそいつもどおりの力で押し退けられて、ついでに頭も叩かれる。ドスドスと怒ってます、というのがわかる歩き方と背中をひとしきり眺めて、それからブラッドリーもキッチンへと向かうために立ち上がる。
あぁ、夢で、よかった――。