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    mojiyama1

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    mojiyama1

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    webオンリー用書き下ろしNARUTO中編です。
    エロコメのようなシリアスのようなドタバタ劇です

    #NARUTOナルヒナ
    narutoNaruhina
    #R18

    ありふれた冒険譚とあなたと その虫ははじっこの方でなんだか居心地が悪そうにごそごそと動いていた。

     最近成虫になったばかりの虫だろうか。花の蜜を吸うのに慣れていないのか、どうにも不器用な様子で花の中を覗きこんでいる。まったく、あんな掴まり方では落ちてしまうぞ。まあ通りすがりの、仲間でもない俺が口を出すことではないが。
     どうして気になったかといえば、その虫は見たことがない珍妙な姿をしていたからだった。俺たちの(俺は雄々しくもキュート、優雅な羽が自慢の紋白蝶だ)すらりとした長い脚に比べて、ずんぐりむっくりとした太い脚。ついでに花や葉に止まるための毛も長い爪も生えていないっぽい。あれじゃあ無様に花弁にしがみついているしかない。遅かれ早かれ、転がり落ちてしまうだろう。
     変な虫だなと思う。羽も生えてないし、触角もない。花の蜜を飲む種類の虫ではなくて、鳥にでもさらわれて、たまたまそこに落ちただけの奴なのかもしれない。
     だとしたら、成虫じゃなくて幼虫か。でかいから揚羽蝶の幼虫かもしれない。あいつらはずんぐりむっくりしているし、俺たち紋白蝶に比べて妙な色を持っているから。
    「ちゃ、チャクラが上手く練れないよぅ……」
     幼虫が何か喋っている。言葉はよく解らないが、丸っこい手足をばたばたと動かしているから、焦っているのだろう。
     別に知り合いでも仲間でもないし、成虫ならば放っておくが――
    「あっ」
     厚いチューリップの花弁が根元からみし、と音を立てて揺らぐ。
     鉤爪も細かい毛も無い、丸っこい手が花弁から離れるのが見えた。そのまま重力に従って、地面へ向かって落ちていく。
     奴の頭のあたりから生えている、やけにつやつやして長い黒毛が風に揺れて舞い上がる。
     ……ぼふん! 
     奴が落ちた衝撃を抑えたのは、柔らかい土もそうだが、予め落下地点に重ねられていた数枚の葉っぱだった。不思議そうにきょろきょろと周りを見回す幼虫と、俺はばちっと目が合った。
     枯れ葉は軽いので、俺でも運べた。
     この長い脚はものを運ぶためのものじゃないんだけどな。優雅に、何往復かしておいた。
    「……あ、ありがとうございます……?」
    「おう。達者でな」
     ずんぐりむっくりな幼虫は、丸くて真っ白な目をしていて、葉っぱみたいなひらひらした物を身に纏っているように見えた。4本ある脚のうち、上2本が真っ白くてつるつるしている。それともひらひらした物に隠れているだけで、もっと脚があるのだろうか?
     揚羽の幼虫にしては色が地味だし、なんだろうな。
     まあ肉食の虫や動物には気をつけろよ。無事に成虫になれたらいいな。




    「どうしよう……」
     ヒナタはひとり呟いた。
     誰にも助けを求められない状況だった。とりあえず、身を隠さなければ。
     声は出るし、身体機能に異常もない。チャクラも練ることができる。ただ、チャクラの元になる身体エネルギーも体の大きさに比例するのだろう、あまり当てにはできなそうだ。ここまで飛ばされてきて、ちょうどあったチューリップに飛び乗ったが、そこからも落下する体たらくだ。
     運良く通りすがりの蝶々が助けてくれた気がするが、このままだと、鳥に襲われるのも時間の問題だろう。抵抗はするし食べられることはないだろうが、遠くまで連れていかれてしまったら帰ってくる自信がない。今の小さな身体ではそよ風一つでも軽々と飛ばされてしまうし、声を張り上げたとしても大きな音にはならない。幼児よりも小さい身体では、移動だってままならない。
     せめて人がいる家屋の中、そして――できるだけ早く、自分の家へ。
     ヒナタはきゅ、と両の手のひらを握りしめた。
    「ナルトくん……」
     思い浮かべるのは、愛しい人の姿だけ。


     時は少々遡る。
     ――いや、だめ、これ以上は。
     普段、ナルトとの行為を嫌がることのないヒナタが慌てたような、どこか切羽詰まった声を出した。
     ふたり共有する褥の上で散々愛された後の声は甘く細く、歯止めになるどころか煽る要素でしかない。
     妻は明日の仕事のことを心配してくれているのだろう。この頃、自分は忙しく、上手に休めていなかったから……そう都合良く解釈して、ナルトは著しく甘美な行為を続行した。それがいけなかった。
     逃げを打つ細い躰を抱き留め、深く繋がる。一層激しくなった腰の動きに、ヒナタがあえなく快楽の淵に沈む。
    「あ、あ、あーー……っ」
     好いた女の媚態を前にして止まることができるはずもない。
     白く艶かしい太腿を掴んでぐっと一際強く腰を押し付けると、ヒナタが力なくいやいやと首を振る。その間にも健気に男根に吸いつく秘所に、笑んだナルトは欲情を吐息に変えて吐き出す。
    「……はぁ、ヒナタ、ヒナタ……かわいい」
     吐息と共に白い首筋に顔を埋めて、行為を続行する。
     生々しいコミュニケーションの終わりは、中に出すのがいちばん気持ちいい。柔くきついところに奥まで包まれて、限界まではりつめた全部を吸われるのが堪らなく心地良い。
     激しい快感に呆然としているようすのヒナタの頬に軽く口付けたナルトが男臭く笑った。最高に色っぽい彼女に、その最奥に――
     明確な意図をもって動き出したナルトに、ヒナタの悲鳴のような声が上がる。
    「あ、あ、だめ、だめ、出しちゃ……!」
    「く……っ」
     ヒナタの哀願もむなしく、低く呻きナルトが射精した。中を容赦なく濡らしていく熱い飛沫にヒナタは細い背をしならせる。
    「あ、あーーーー……、あ……あ」
     腰を震わせて精を吐き出すナルトの背中に細い爪が縋った。粘度のある液体を飲み下すかのように、きゅうきゅうとすぼまっては引き込もうとする襞の動きを感じて、ナルトは恍惚の息を吐く。いつものように。
     次の瞬間、ふっと腕に抱き抱えた女体の質量が変化した。不思議に思ってナルトは腕の中の妻を見た。
     艶かしくも愛らしい妻は、縮んでいた。
     いや、正確には縮んで、体の内側からオレンジ色に光っていた。ナルトは驚愕する。
     光ったヒナタがナルトを見上げ、何か言いたそうに口を動かした、その次の瞬間だった。
     ぱぁん、と光の粒が弾けて、オレンジの光は四方八方に飛んで消え――
     広いベッドの上には、行為の余韻もすっ飛んだ男がひとり茫然と残された。

    「なんで……」
     しばし呆然としていたナルトは、今まで妻のいた場所を無意識に手のひらで撫ぜた。
     すると、なにか温もりを持ったものに触れた。不思議に思ってもう一度探ると、
    「~~!」
     細いが、聞き覚えのある声が聞こえた。
    「……ヒナタ?」
     まさか、と思いながら乱れたシーツの波間を見ると、そこには――小さな、親指大まで小さくなった愛しい人の姿があった。

     小さなヒナタは、一生懸命ナルトの方へ駆け寄ろうとしては柔らかな敷布に足を取られ、ぴょんぴょんと飛び越えてくる。流石は忍、という身のこなしだが、如何せん歩幅が小さすぎて短い距離でも一苦労だ。
     見かねたナルトが差し出した手のひらに小さな手を掛けると、大きな白い瞳でうるうると見上げてくる。
     ……非常に可愛らしい。
     こんな非常事態に不謹慎だと自分でも思うが、そう思ってしまった。
     小さくなったヒナタはどういうわけか、下忍時代の見た目をしていた。耳が見える長さのショートカットにだぼっとしたクリーム色のパーカー、足首の見えるズボン。息を弾ませているせいか、その頬は薔薇色で、不安げに寄せられた眉でさえ愛らしい。
     そんな小動物のような(いや実際に小動物なのだ)ヒナタが必死に自分に何かを訴えようとしているのだから、聞かないという選択肢はなかった。
     もしかしたら中身も子どもに戻っているかもしれないので、大きな声を上げて怯えさせないよう、ナルトは極力穏やかに話しかける。
    「大丈夫か? ヒナタ、俺のこと分かるか?」
    「……ナルトくん」
     小さい声だったが、ナルトが聞く姿勢にあれば十分に聞き取れる声だった。
     戸惑いを隠せないようすの小さい人に向かい、微笑んで頷いてみせる。
    「ここがどこか……、何が起こったか、思い出せるか?」
    「……」
     ヒナタは少し考えていたようだったが、その顔がたちまち真っ赤になった。頭から湯気が上がりそうな勢いに、ナルトは慌てる。
    「……あ、あの、ここはナルトくんと私の家で、それで、さっきまでは、あの」
     目をぐるぐるさせながら辿々しく話す少女に、ナルトは「ああ」と合点がいった。
     このヒナタにはばっちり記憶はあるようだ。その事実にひとまずホッとするが、この外見の少女に言わせるには少々気まずい内容だ。
    「わかった、そのくだりは置いとこう。聞きたいのはその後だ。ヒナタがオレンジ色に光って……そのあと、どうなった?」
     真っ赤な頬の火照りを両手で押さえていたヒナタだったが、ナルトの問いに真剣な表情を取り戻した。
     ナルトの指に手を掛けて、必死な目で訴える。
    「あのね、ナルトくん。私たちばらばらになっちゃって、他の子たちは飛んでいってしまったの」
    「どこに?」
    「まだ、わからない……ここにいる私自身も、影分身なのか本体なのかわからないの……」




     危険の絶えない屋外からなんとか建物の中に入った小さなヒナタはほっと息をついた。
     先ほどのチューリップがあった花壇から、幸運にも開け放たれていた近くの窓から中に入ることができたのだ。これで突風に飛ばされたり、鳥や動物に襲われたりという危険からはひとまず遠ざかることができたわけだが、
    「……おうちはどっちかしら」
     ヒナタは唇に指を当てて考え込んだ。あまりに小さくなってしまった今、ミクロな視界から見る世界は途方もなく広大に感じられる。
     見慣れた木の葉の街のはずなのに、まるで見知らぬ巨人が作った街のように感じる。そういえば子供のときはこんな漠然とした不安を抱いていたっけ。幼いころの事件があってから、アカデミーに入学するまで日向の家から外に出ることはあまり無くなってしまったけれど、ちっぽけな身の丈よりずっと大きな世界はいつも新鮮な驚きにあふれていて。不安になって、時折従者の影に隠れながらも、外の空気は優しくて。
     隠れ里とはいえ木の葉の街は広く、小さなヒナタにとってはどこまで行っても果てがないように感じられたものだ。 
     そんな危機感のないことをぼんやりと思ってしまうのは、あまりに現実離れした状況にこの身があるからだ。
     ヒナタはついさっきまで自宅の寝室にいた。夫であるナルトと一緒に――少々、日中にしては世間に憚られる行為をしていたわけだが、その最中に「ちょっとしたトラブル」が起こった。
     いけない、と本能的に悟ったヒナタが声を上げた時にはもう遅かった。
     身体の中から溢れ出し制御不能になった無形の力は、瞬く間にヒナタの身体と意識を飲み込み、限界まで膨張すると弾けた。
     弾けて、どこまで飛ばされたのか。
     ちょうど肉厚のチューリップがクッションになって、落下した衝撃を受け止めてくれた。身体が元に戻ったら、ぜひお礼を兼ねて花壇にお世話に来ようと心に決め、ヒナタは顔を上げて部屋の中を見回した。
     上質な絨毯が敷かれ、趣味の良い家具が配置された部屋だった。全体的に重厚な色合いで纏められている。
     部屋の入り口と中央のテーブルには花瓶に飾られた花があり、その横にはシャンパンクーラーに入ったボトルとグラスが準備されている。となると、ここはホテルか迎賓館かもしれない。ヒナタは木の葉の地理を頭に思い描き、自宅からここまで、大体の距離の見当をつける。
     ひとり自宅に残されたナルトは、心配してヒナタを探しているだろう。まずは彼に、尋常な状態でなくても自分は無事でいることを伝えなければ。
     しかし、どうやって行こうか。
     縮んでしまった今の体は外に出るだけで風に飛ばされたり、猫や野鳥に襲われかねない。
     体術も忍術も使えるが、腕力も、使えるチャクラも体のサイズに比例する。情けないことだが、野生動物に群れで襲ってこられたらひとたまりもないだろう。できるだけ外に出ず、屋内を進むほかない。利用できるなら人間の移動手段に便乗させてもらうとか。
     そんなことを考えていると、人の話し声が近づいて、部屋の扉が開いた。反射的にヒナタは家具の陰に身を隠す。
     入ってきたのは良い身なりをした恰幅の良い男と、その従者とおぼしき男だった。
    「……それで、式典の時間までに間に合うのだろうな」
    「抜かりはありません。忍による警護は外に向けては厚いですが、ボディチェックを済ませて内側に入った我々一般人がなにかするとは誰も思いませんから」
    「あっちは油断はしているだろうが、くれぐれも手違いのないようにな。こんな機会はなかなか訪れないのだから」
     なんの話だろう。わからないが、安穏とした内容の話でないことは窺える。
    (……忍、と言った?)
     ヒナタは完全に気配を消し、耳をそばだてた。
     この木の葉で忍、式典。とくれば――
    「――七代目の肝入りで揃えさせた記念の品が、偽物となれば木の葉にとって赤っ恥だろうな」
    「七代目に恨みはありませんが、こんな機会はなかなか訪れませんからね」
     満足そうな主人のご機嫌を取るように、従者の男が追随して嗤う。
     ヒナタは慄然とした。
     夫のスケジュールを全て把握しているわけではないが、中でも重要な式典や行事の日程は頭に入っている。男たちの言っている内容に思い当たるものがあった。
     近々、火の国の有力な大名家と他国の大名家の婚姻がある。その結納品の一つとして、風の国でのみ採れる稀少な宝石を、大名は火影に依頼したのだ。現在の火影と風影の間にある太いパイプを当てにしてのことであった。
     風影は快く了承し、選りすぐりの良品を送ってくれたという。よりによって、それを偽物と摩り替えようというのか。
     太い指をいくつもの豪奢な宝石で飾った男は機嫌良くあご髭を撫でた。
    「石さえ手に入ってしまえば、火影の面目などはどうでもいい。戦の資金源として盛んに採掘していた時代と違って、今は計画採掘で資源は風影の管理下にある。この手の逸品が風の国の外に出ることは殆ど無いのだから」
    「他の奴らが精々暴れて、警備の目をうまく引き付けてくれるといいんですけれど。そうすれば我等は混乱の中、土産だけ持って悠々と帰ることができる」
     ――この人たちだけではない?
     他にも、夫を、木の葉を貶めようとしている者がいる。
     どうにかして、誰かに知らせなければならない。それも式典までに。
     いますぐ証拠がなくても、シカマルか木の葉丸か、ナルトの近くにいて信頼できる誰かに伝えられれば、暗部が動いてくれるはずだ。ヒナタは歯痒く思う。
     ナルトの影分身のように、体の大きさも戦闘力もそのままであれば、すぐさま火影塔に走っていけるのに。それでなくとも、意のままに影分身を解除できれば今すぐ自分の本体に情報を伝えられるのに。
     そこまで考えて、気づいた。
    (解除の方法なら……ある)
     一時的な身に余るチャクラの流入で弾けてしまったヒナタは、自分の意思でこの事態を引き起こしたわけではない。が、今の状態は、いびつではあるが影分身に違いない。
     チャクラ量が人並みしかないヒナタは、禁術である影分身を使えないし、試したこともない。ぶっつけ本番で勇気が要るが仕方がない。ナルトが影分身を使うところならずっと見てきたのだから。
     ヒナタは隠れこんだ家具の影から、先程入ってきた窓を見上げる。
     揺らぐカーテンの向こう、チューリップの咲く花壇は、ぐるりと洋風の柵で囲われていた。可愛らしい飾りのその先端はするどく尖り、丁度よく天を向いていた。




    「何が起こったのか、分かる範囲でいい。教えてくれねえか」
     行為中のことは話さなくていいと言外に告げて、ナルトが優しく促した。
     どうやら目の前の彼女は、先程までの記憶はあるものの、情緒的には見た目の年齢に引きずられてか、少女に戻ってしまっているようなのだ。つまりナルトと夫婦であることや家族としてこの家にいることには疑問を抱いていないが、パンツ一丁で上半身裸のナルトは直視できない。平静を装いつつも真っ赤な顔と、両の手の指をつつき合わせる懐かしい仕草とを見て、ナルトはそう悟っていた。
     中身が少女なら、さっきまで致していた大人同士の行為について証言を求めるのは酷だし、なんだかやましいことを強要している気持ちにもなってくる。
    「分身は何体だ? あと、だいたいどっちへ飛んでったか分かるか」
     穏やかに、しかし真摯な口調でナルトが聞くと、ヒナタは少し落ち着いたようだった。忍の習性で、任務に当たるときのように接すれば早く冷静になることができるのだ。
    「やっぱり影分身なのかな。私のチャクラ量だと、頑張っても一体出せるかどうかの筈なのに……ほぼ等間隔に、散り散りに飛んでいったみたい」
    「散り散りか……お前を抜いて4、5人くらいか?」
    「ええと、たぶん30人くらい……」
    「マジか」
    「私は飛ばされる時に、咄嗟にカーテンの紐を掴むことができたから」
    「そっか……どうやって探すかな」
     ナルトは考え込む。

     ナルトの十八番である多重影分身の術は、元々木の葉秘伝の巻物に記され、厳重に管理されていた禁術である。ただの目眩ましである分身や変わり身の術と違い、実体があってチャクラを持って動く。
     影分身は強力な戦術だが、それゆえにリスクはある。元々チャクラ量が少ない者が行えば、すぐにチャクラが涸渇してしまって動けなくなる。チャクラとは身体エネルギーと精神エネルギーを練り上げるものであり、それを使い果たすということは自前のエネルギーまでを使い果たすということで、下手をすれば生命維持さえも危うくなる。
     とはいえ上忍レベルになれば一人、二人の影分身なら出せる者もいるのだが、今回ヒナタは30体出したという。どういう仕組みかは不明だが、ナルトのチャクラを受けて分身したとはいえ、チャクラ量が足りなかったから体が子どもになってしまったと推測するほかない。
     うつむいたヒナタの、まだ短い横髪の下から白い頬の線が覗いている。真剣な表情で瞑目しているヒナタの全長は、立ち上がった状態で10センチちょっとといったところか。強めの風が一吹きすれば吹き飛んでしまいそうで心配になる。
     
     ナルトはその姿に懐かしさを覚えて、胸に温かいものを感じる。任務中に自分が足を引っ張ってしまった、懸命に努力しても本番で上手くできないと落ち込むことが多かったと、大人になった妻が教えてくれた。そんな時に、つまづいてもへこたれても何度でも立ち上がるナルトの姿に励まされていたのだと。
     いつも小さな声でモジモジとして、目が合うとぱっと赤くなって目を逸らす、意味を知った今はその仕草がただいとおしく、懐かしい。
     ナルトは掌を上向けてヒナタの足元に付けた。怪訝な顔で見上げた少女に、にかっと笑いかける。
    「乗れよ。作戦会議しようぜ」




     夜勤明けで疲れているのだと思った。
    「サクラさん」
     腰を落ち着けたデスクで突っ伏していたサクラが顔を上げると、なにか可愛らしいものが見えた。何度かまばたきをして、それから一度強めに目を瞑り、眉間を押してから目を開けた。
     幻覚ではなかった。何故か人形大に縮んでしまった小さな友人がそこにいた。
     下忍姿の彼女は申し訳なさそうに指をつつき合わせながらサクラを見上げている。
    「疲れているところごめんね……でも、急いで聞いてもらいたい話があるの」
    「……ヒナタよね? ええと、どうなってそうなったかは後回しでいいのね? OK、話して」
     眩暈のする目の前の事象をなんとか情報処理することに成功して、サクラが果敢にヒナタを促した。差し出されたサクラの掌に乗ったヒナタが切り出そうとすると、割って入った声があった。
    「サクラ先生、そ、その子かわいいですね、見せて、欲しいなあ……」
     デスクの後ろから息を荒くして手を伸ばしてきた若者に、サクラの手刀が無造作に飛ぶ。首を打たれた若者がぐふっ、と声を上げて床に沈んだ。
    「ふう。困ります、診療時間外に勝手に入ってこないでね~」
    「あの、サクラさん、その人は」
    「ああ、外来の患者さん。気にしなくていいわ、ちょっと嗜好とコミュニケーションに難のあるタイプの、ごく普通の若者よ」
     よいしょっと、と若者を軽々と持ち上げて診察用ベッドに転がしたサクラは、ヒナタを手に乗せて立ち上がった。
    「ちょっと休憩してくるわ。ここに患者さんひとり寝てるからよろしくね」
     サクラが隣の部屋に声をかけると、「はい」「了解です。ごゆっくりどうぞ」と看護師らの声が返ってきた。慣れているらしい。

     人のまばらな中庭まで出たところで、ヒナタは大体の事情を説明した。
    「……というわけなの、サクラさん」
    「今度の式典って……ああ、大名様の御息女ね。列席者の中に結納品に手を付けようという輩がいるのね。そっちについては入場者リストが出てるはずだから、すぐ怪しげな奴を洗い出してもらうわ」
    「それ以外にも混乱に乗じて何か企てている人がいるみたいなの。ただ……調べる時間がなくて」
    「そうね、暗部を動かすにしても証拠と……ある程度の目星がついていないとね」
     基本的に、火影や他の影たちが出席する式典の警備は厚い。里の長であると同時にその国の軍事の最高指導者であるのだから当然だ。そこをわざわざ狙うとなると、相手はそれなりの周到な準備をしてくるはずである。
    「ここにいるヒナタは本体? それとも影分身なの?」
    「ええと、ごめんなさい、それは自分でもよくわかってないの」
     訳あって分身した、と伝えたヒナタに呆れもせず、サクラは気遣いながら話を聞いてくれる。すぐにシカマルに連絡をしてくれるというので、ヒナタはホッと息をつくことができた。
    「この体、潜入には向いているみたい。ただ、ナルトくんみたいにうまく使いこなせてはいなくて、情報を伝えるためには影分身を解除しないといけないの」
    「そっか。じゃあ今の情報は他の影分身が自分を消して送ってきた情報なわけね」
     サクラの理解は早い。長年、ナルトが影分身を使うところを多く見てきたからだ。
     そしてふと眉をひそめた。
    「ちょっと待って。じゃあ消えた影分身は危険な目に合ったってことじゃないの? ヒナタ」
     影分身を解除する方法は主に二つ。術者本人の意思で消すか、影分身に一定以上のダメージを与え、強制的に消すかのどちらかだ。
     ヒナタは顔色を変えずに微笑んでいる。
    「それは気にしないでいいの。大丈夫」
    「……本当に?」
    「うん、私の意思で解除したから」
     だから安心して、とヒナタは気負わぬ笑顔を見せた。




     枕元の電話が鳴ったのは、小さなヒナタを手のひらに乗せて間もなくのことだった。
     ビクッと文字通り小動物のごとく身を震わせたヒナタに向かって、安心させるよう口角を上げてみせながらナルトは受話器を取り上げる。
    「あー、もしもし」
     電話は火影室からだった。会議の時間の確認と、それまでにナルトの耳に入れておくべき連絡事項がいくつか。通話の最後に「はいはい、遅れずに行くってばよ」と苦笑が混じった。
    「どうしたの?」
    「奥さんと離れるのが名残惜しくて遅れるなって」
     まあ、とヒナタは赤くなった。ナルトの愛妻家っぷりは火影室に出入りする者には筒抜けであるらしい。

     困った顔で、ナルトがぽりぽりと頬を掻く。
    「まあ……今は違う意味で離れがたくなってるけど……」
     この状態のヒナタをひとり家に残して出掛けるのを不安に思っているのだ。解決策を練るための時間も、事態を打開する糸口もなにもない。
     時間経過で勝手に戻るという可能性もなきにしもあらずだが、放っておいて手遅れになっては困る。
     何か情報も得られるかもしれないし、一緒に来るか、とオレンジ色の上着の懐に入れられたのは昼過ぎのことだった。出席するのは里の重鎮ばかり、ごく少数で行われる会議に部外者である自分が(気づかれないとはいえ)出ていていいのだろうか、とヒナタは文字どおり人形のように動かず、息を潜めている。その緊張感を抜きにすれば夫の体温に包まれ、彼の明朗で深い声を聞くのは心地好かった。
     聞きながら、彼の持つリーダーシップと頭の回転の速さに惚れ惚れとする。熟慮の上で、判断が速い。そしてそれは、ナルトの指示を滞りなく果たす部下への信頼無しでは成り立たない。ナルトを支える磐石の体制が垣間見えたようで、ヒナタはほっとする。
     ――知ってたけど、ナルトくん格好良いな。
     こんな時だというのに夫が誇らしく、心が浮き立った。ヒナタはうっかり緩んでしまう頬を引き締めた。せっかくナルトに安全に連れ出してもらっているのだから、自分は少しでも手掛かりを見つけなければいけないのだ。

     ヒナタは落ち着いて周囲の状況を探るべく、感覚のアンテナを伸ばした。
     白眼を使った探索は戦闘用のチャクラを練るのとは違うので、周りの忍たちに気付かれる可能性は低い。ヒナタは集中して、慎重に探る範囲を拡げていく。
     天井や壁、家具などの障害物を透かして、生き物の反応を探る。どんなに小さくとも生きている限り、体の中に自然に流れるチャクラがある。人でも、犬でも、さらに小さな虫でさえも。
    (蟲……)
     ヒナタはふと蟲を操る仲間のことを思い出す。今はアカデミーで教鞭をとる、寡黙で信頼できる仲間のひとり。
    (シノくんに手伝ってもらえたらな……)
     探知が得意なメンバーで構成された、旧・第八班。視覚で探知するヒナタと、嗅覚に優れたキバ、そして人や動物が立ち入り不可能な範囲まで入り、探索できる小さな蟲を使役するシノ。
     あっもちろんキバくんも頼りにしてます、と心の中で呟いて、ヒナタは拡がった視界の範囲で動くものに意識を集中させる。
     庭にチューリップのある、高級ホテルにいた影分身から情報が入ったのは先程のことだ。会議中のナルトにはまだ伝えていない。結納品の宝石を狙う犯人とは別の悪い人が、まだ木の葉のどこかにいるはずだ。
     どうせなら小さくなった自分たちで犯人を見つけて、犯罪を未然に防ぐことができないかとヒナタは考え始めていた。
     情報を得たところで影分身を力ずくで解除すれば、他の場所にいる影分身に記憶を共有できる。力ずくとは文字通りの意味で、気絶するくらいのダメージを負えば強制的に解除できる、とヒナタは解釈している。
     サクラが言っていたのはまさにその部分で、彼女の存外に向こう見ずな性質を危惧してのことだった。




     ――カタタン、カタタン、と雷車が進む軽やかな音がする。
     奥まった個室を青年は後にする。
     雷車の特別席のシートは一級品で快適だが、どうにも落ち着かなかった。どうも、優雅な旅を楽しむ気分ではなかったのだ。
     一般車両との連結部付近まで歩くと、流れていく景色をなんとなく見つめて溜め息を吐く。ときどき給仕に訪れる乗務員の声にさえ神経質になっていた。
     ――どうして僕がこんな気分にならないといけないんだ。
     上着の内ポケットに入れたものが気になって、その感触が疎ましくて仕方がなかった。
     外国にいくつも取引先を持つ父の計らいでただ遊びに来ただけなのに。一緒に来た友人と一緒に、最近新しく出来たという木の葉の遊興施設を見るのも楽しみにしていた。
     彼だけが最寄り駅で声をかけられた。声をかけてきたのは若い女だった。
    「助けて」
     待ち合わせた友人たちが来る前に、女は青い顔をして言ったのだ。
    「お願い。渡すだけでいいの。木の葉の里に着く一つ前の駅にいる、黒いマントを羽織った男に。でなければ、わたし、殺されてしまう!」
     青年が言い返す前に、女は彼の手に素早くそれを握らせてしまった。
    「ちょっと!」
     慌てた彼がそれを返そうとした時には、素早く女は走り去っていた。
     呆然としていると、改札の方向から友人達がやって来るのが見えて、青年はほっとした。
    「遅いよ」
    「悪い悪い、早く乗ろう」
     緊張が解けると、今の一連の出来事が可笑しくなった。『殺される』なんて、なんのドッキリだろう。笑い含みに、「あのさ」と友人たちに今の出来事を話そうとした時だった。
    「なんかあっちで女の人が倒れて、死んだみたいにぐったりしてた」
    「持病でもあったのかな……」
     友人の口から出たその言に、青年は笑顔を強張らせ、固まってしまった。

     女から渡されたものは透明なキューブに収まった何かの球体だった。薬だろうか。大きめのソフトカプセルが詰まっているようにも見える。指先ほどの大きさなので、内ポケットに入れれば外からは全然わからない。……はずだ。
     うっかり、とても危険なものの運び屋をさせられる羽目になったのではないだろうか。と青年は危惧していた。
     早く肩の荷を下ろしたい。けれど、そこまで自分が持っていることを知られるわけにはいかない。受け渡しをどこかで見られていて、口封じされたらどうしよう。僕一般人なのに。
     青年は物憂い顔で、雷車の走る軽快な音に耳を傾けた。




     翌日もヒナタは、火影室にいた。
     執務の定位置に腰を落ち着けた夫が午前中の任務報告を受けている間に、ヒナタは見晴らしのいい窓枠に座って白眼を使う。
     昨日は目ぼしい収穫が得られなかった。得ることができたのは「一人目」のヒナタが影分身を解除して送ってきた情報のみだ。
     おそらく他の影分身たちも、自分たちの合流より里のために何ができるかを優先して考えて、独自に動いている。自分ならきっとそうする。
     普段のヒナタなら、火影夫人として自分の立場の重要性を鑑みて無茶をすることはないが、今は状況が違っている。抑えてはいても彼女の本質は忍で、その強さはナルトを助けようとするとき最大限に発揮される。動ける場所にいて、必要だと判断したら迷わず動く筈だ。里のあちこちに散っている自分たちと連携できればきっと、もっとうまく動けるのに。
     今のところナルトには心配されてばかりで、小さい体では家のことも満足にできない。二人の子ども達には、母は実家である日向の手伝いに赴いて居ないということにしておいてもらった。あまり長く通用する言い訳ではないが、一日二日はそれで通るだろう。

     何故ヒナタの体に変化が起きたかについての疑問は、昨日のうちに解消されていた。
    「オレと九喇嘛のせいらしい」
     家族が寝静まった後にナルトが教えてくれた。どこか面白くなさそうな顔で。
    「オレと九喇嘛はそれぞれ生まれもったチャクラを持っていて、別々の存在だけど同じ体の中にいる。そんで、例えば一方がピンチの時にはもう一方がチャクラを練って補完したりとか、意識してやる時もあるけど、割と自然にというか、ほぼ無意識にやることもある」
    「うん」
     ヒナタは相槌を打つ。彼の不機嫌の意味は分からないままに。
    「チャクラを練るときも、完全に別々じゃなくて根っこの方でちょっとだけ混ざってたりする。……まあ当然だよな、チャクラは身体エネルギーと精神エネルギーが元なんだから、肉体が同じなら、混ざらずにはいられない。――オレの顔に髭があるだろ」
     そう言って、ナルトは自身の頬を指差した。片方に三本ずつ、計六本。髭のように並んだ見慣れた線だ。
    「これはオレが母ちゃんの腹にいる時についた。オレの母ちゃんも人柱力だったから九喇嘛のチャクラの影響を受けたんだ」
    「と、いうことは……」
     ヒナタは二人の子どもの顔を思い浮かべる。ナルトとヒナタの血を引いた子ども達、ボルトとヒマワリの両頬にも、彼とよく似た線がある。
     ナルトは苦々しい顔のまま頷いた。
    「ボルトとヒマワリも、オレの体を通して影響を受けてる。要するに中◯しするときにオレのチャクラと混じった九喇嘛のチャクラが」
    「ま、待って、全部言わなくていいから!」
     みるみる真っ赤になったヒナタは、目の前にある夫の唇に飛び付いて小さな小さな両手で止めた。歯に衣着せぬ夫の説明は分かりやすく、同時にさっきから彼が不機嫌そうにしていた理由も判明した。彼は自分と体を共有する相棒に嫉妬していたのだ。
     纏めると、こうだ。
     チャクラとはエネルギーの塊だ。通常、他人のチャクラを貰った者は一時的に体力の底上げをしたり、治癒力を高めたりすることができるが、尾獣チャクラは人柱力でない人間の身に馴染みにくいため、溢れた分は吸収されることなく、やがて消えていってしまう。
     しかし、二度の出産を経験したヒナタの身体は人柱力のチャクラに慣れ、尾獣チャクラをある程度留めることができるようになってしまった。通常なら吸収できず、消えていってしまうものが体に蓄積してしまうようになったのだ。
     うずまき家において熱い夫婦の営みはいつものことだが、ナルトの繁忙期の合間の昨日は、確かに久々に盛り上がり……新婚の頃を思い出してしまうほど長く……回数もそれなりに、いやかなり、後半はだいぶ記憶があやふやになってしまっているが――していたかもしれない。からだが酷く熱く、何か大変なことが起こるという危機感を覚えたことだけは憶えている。
     耐性がついていたとはいえ、受け止める器にも当然限界がある。蓄積されたエネルギーはついにヒナタの許容量を超えて、弾けた。影分身の術として発動したのは、それを十八番とするナルトの影響だろう。
    「じゃあ、その。これからも、起こる可能性があるということ……?」
     ナルトの指が宥めるようにヒナタの頭を撫でる。間近の青い瞳は気まずげな色を浮かべていた。
    「……加減する」
    「……どうやって?」
    「うーん……」
     そんなやり取りをしたが、先の話はまた今度でいいだろう。まずは今の話だ。




     一日、二日ならまだしも、専業主婦のヒナタが何日も家を空けるわけにはいかない。こうなった原因のところは置いておいて、母の身に起こってしまった事態を説明すると、子どもたちは驚くほど柔軟に受け止めてくれた。
    「そういうこともあるんだねえ。ちっちゃいお母さん、可愛い」
    「仕方ねえな。ちゃんと元に戻るんだろ?」
     あり得ないほど小さくなってしまった母を目にしてそれぞれ、出来ることある? と、てきぱき手伝いを始める。
    「ありがとう、ボルト、ヒマワリ」
    「我が子ながら、めちゃめちゃ順応性あるなー」
     会議が終わったナルトも早目に帰宅していた。結局今日、分身の手掛かりは掴めなかった。
     その代わりに、ヒナタは一体の影分身から得た情報をナルトに伝えていた。宝石を狙っている商人の情報だ。
    「式典は明後日だ」
     難しい顔でナルトが呟く。今日の会議も当日の段取りや警備の配置が主な議題だった。
    「情報を得たからそっち、結納品の方は大丈夫だろうが……他の勢力かー」
    「ホテルにいた、その犯人の人から、なんとか話を聞ければいいんだけど……」
    「未遂の段階じゃ、取っ捕まえて絞るわけにはいかないからなあ」
     この頃木の葉周辺で不穏な動きをしている者はいないか、ゲリラ集団の動きはどうか――洗い出すよう暗部に指示を出したが、圧倒的に時間が足りない。
     忍界大戦の英雄うずまきナルト。五大国の一つである火の国、木の葉の中枢を統べる者として、恨まれる心当たりなら片手で足りないくらいあるのだ。



     大きな流れに逆らうことなく生きることは悪いことではない。
     けれど、望まぬ方向へ向き始めたものに早々と諦めて身を任せてしまうのは、また別の話だ。最初は小さなうねりだったものが、誰かの意図によって悪い方に転がり始める。気がついたときには大きな濁流となって、一人ひとりの小さな声を呑み込んでいってしまう。手がつけられなくなってしまう。この忍界の成り立ちから果てなく続いてきた戦争のように。
     その前に動かなければ。
     自分ならば何か出来ると過信するわけではない。例え里の精鋭上忍でも、また伝説と呼ばれる忍であっても、人ひとりで出来ることなどたかが知れている。けれど大きな流れも、元を辿ればささやかな一滴から始まるのだ。
     迷いながら傷つきながら諦めないナルトの姿をずっと見てきた。体当たりで人の懐に飛び込んで、いつの間にか憎しみや哀しみに凝り固まった心をほどいてしまう。人を変えるのは難しい。けれど、人を動かすのはやはり人なのだ。
     流れを変えようとするなら、放置は得策ではない。思考を止めて無策なうちに悪意は大きくなる。流されてしまう前に止めるのがナルトを、ひいては木の葉を守ることに繋がる。

     そして今、彼女は物理的に揉みくちゃにされていた。自宅の寝室から飛ばされ落ちた先は、なにやら柔らかく湿っていて、懐かしい匂いのするところだった。
     ここはどこ、と思うより先に、熱くて濡れたものにべろんと顔を舐められた。
     驚いて顔を上げると、毛玉の塊が目の前に壁を作って佇んでいた。ハッハッと蒸れた息を吐く、垂れた耳と愛嬌のある顔には見覚えがある。
    「……朱丸?」
     名前を呼ぶと、ぶんぶんと尻尾が振られた。嬉しげにワン! と元気な返事が返ってくる。ヒナタはその犬を知っていた。
     その朱丸の後ろから、わらわらと集まってくる毛玉たちがあった。おそらく彼のきょうだいたちだ。あれよあれよという間に、ヒナタは犬たちに舐められ、じゃれつかれ、耐えきれずに笑い声を上げることとなってしまった。ぺろぺろ、もぞもぞ。もふもふ。
     犬たちの遊んで遊んで攻撃からどうやって抜け出そうかと悩み始めたころ、毛玉たちの上にぬっと大きな影がさした。影の主はじゃれる子犬たちの中心に鼻を突っ込み、中からヒナタを救い上げる。
     そのまま、救い主は人形を運ぶようにヒナタを咥え、てくてくと歩いていく。風呂場の入り口まで来て振り返り、子犬たちが付いてきていないことを確認すると、下ろしてくれた。
     毛だらけになり、髪の毛までくしゃくしゃになったヒナタは破顔して、救い主の名前を呼んだ。
    「赤丸! 久しぶり」
     犬は人間よりも速く年を取る。かつての毛艶は失われ、足取りもすこし頼りない。それでも名を呼べば元気よく尻尾が振られた。
    「ワン」
     ヒナタが所属していた旧・第八班の一員で犬塚キバの相棒、赤丸である。

     犬塚家の風呂場を借りて体を清め、洗った服が乾いたところで、ヒナタはさて、と考えた。
     影分身からの情報を受け取り、するべきことは決まった。現在地は犬塚キバの家なのは分かっているから、自宅や火影塔との距離感も分かる。
     ナルトを貶めようとする犯人を探し、突き止めなければ。その過程で自分の影分身が見つかれば、合流して行動しよう。
     ヒナタが落ちたのは犬塚家の一階、広い犬小屋の中の布団の上だった。またさっきのように子犬たちに囲まれてどろどろにされては困るので、今は二階に上がらせてもらっている。
     家の人はみんな外に出ているようだ。白眼で辺りを窺いながら、ヒナタはひとつ溜め息をつく。
     現在、本当に非力な姿になってしまった。この体で、今の私に何ができるだろう。
     スケールはだいぶ小さくなるが、体術は問題ない。最初は縮んだ手足の感覚に戸惑ったものの、すぐに慣れて今の体にちょうどいい量のチャクラを練ることができるようになった。白眼も使える。ただ、スタミナは身体の大きさに準ずるため、あまり過信はできない。
     企ての詳細を知り、可能な限り迅速に木の葉上層部に知らせ、忍を動かさなければならない。そのためには根拠が要る。忍を動かすに足る、木の葉に、ナルトに向けられた敵意。陰謀の証拠が。

    「せっかく分散しているんだから、新たな情報を掴んだ時点で影分身を解除して全員に共有……パトロールしている警務部隊の忍に知らせて現場に急行、証拠を押さえるべきなんだろうけど……まず信じて貰えるかしら」
     七代目火影の妻うずまきヒナタです、お疲れ様です、諸事情あって分散しています――
     そんな挨拶を考え、首を捻る。うん、難しいかもしれない。
     現場を押さえたら自分でなんとかするか、最初から協力者を連れていった方がいい。
    「キバ君やシノ君だったら、すぐに私だってわかって協力してくれると思うんだけど……」
     任務なのか、残念ながら彼らは不在だ。他に連携の 取れる、信頼できる仲間は……。
     考えこんだヒナタの耳にパタン、という軽い音が聞こえた。側に来ていた赤丸の尻尾がたてた音だ。目を上げると何か言いたそうに、片目を開けてこちらを見ている赤丸と目が合った。あ。
     実戦経験が豊富で、連携が取れて、信頼できる仲間。
     目の前にいるではないか。




    (じゃあ私はあっち)
    (私はこっちに)
    (私はそっちに。何かあったら合図して)
    (分かった。じゃあ……散!)
     お互いに白眼を使い、合流したヒナタ数人はともに里内を調査しながら動いていた。小さいことでの不便はあるものの、この身体は気配を消して何かを探るのには最適で、離れ過ぎなければ白眼で他の影分身の動きも見えるため、視ながら動いた。
     合流して分かったことだが、影分身のヒナタたちの体の大きさは一定ではなかった。
     親指大の大きさの者もいれば、 同じ量のチャクラを有していても手のひらサイズ、中には幼児ほどの大きさの者もいて、首を傾げたが、おそらく弾けた拍子のチャクラの悪戯だろうと結論づけた。バリエーションが多いのは、役割分担ができて良いことだ。
     街中には人流が増えて、賑やかだ。観光客だろう。式典を前に、一足先に行われる色んなイベントが目的なのだろう。雷車を使い、里外から続々と人がやってくる。
     今回の式典は大名家の婚約披露会であると同時に、大名がスポンサーをつとめる雷車の新車輌の御披露目と新駅への記念走行も一緒に行われるため、世界中の雷車ファンからの注目を集めている。そんな場で騒動が起こるのは、なんとしても回避しなければならない。ナルトの評判を落とすような意図を含んだものなら尚更だ。
     こんな状況だというのに、彼女は夫を護るために久々に戦えることに密かな喜びを感じていた。久しく実戦には出ていないものの、鍛練も続けているし任務に選ばれればいつだって赴く覚悟だが、ヒナタがそれを口に出すことはない。特に、ナルトの前では。彼が無意識に恐れている感情を理解しているからだ。
    けれど、自分や家族がナルトの弱点として狙われている時なら別だが、本当はいつだって彼のために動きたいのだ。
     彼の身体も心も守りたい、傷付けさせない、哀しませたくない。その肩に負うものの重さを軽くすることはできなくても、少しでも支えになれたらと思う。
    (……きた)
     合図だ。他のヒナタが何かを見つけたらしい。

     この小さな身体に、もう少し機動力があればいいのだが。そう、自由に空を飛べる羽のような……



     老犬はほとほとと危なげなく歩いていく。上に乗っているヒナタが殆ど振動を感じない足取りはよどみなく、溌剌と走り回ることは無くなっても彼が未だ健脚であることが分かって、ほっとする。
    「赤丸、どこ行くの?」
     ヒナタが問いかけると、赤丸は返事の代わりに耳を震わせる。すでに、普段彼が出歩く範囲からは外れている。忍犬として育てられた犬は普通の犬と違い、テリトリーを気にせず自由に歩けるというが、それにしても縦横無尽だ。
     生垣を抜け、立ち入り禁止の看板のある空き家の猫の額のような中庭を抜け、悠々と歩いていく。何故狭かったり人通りの少ないところをわざわざ選んで行くのかといえば、人目につくと困ってしまうヒナタのためだ。赤丸の心遣いに感謝しつつ、ヒナタは辺りを見回して、いま自分たちがだいたいどの辺にいるのかを把握しようとする。
     住宅地からは遠く離れたようだ。木の葉の中心部にほど近い、新興の商店街まで来ていた。いつも賑やかで店の入れ替わりが激しい印象を受ける通りの、その一角。
     そこまで来て、ふいに老犬の足取りが怪しくなる。疲れたのかよろよろと道の端まで歩いていくと、べたりと座り込んだ。
     驚いて「どうしたの」と毛むくじゃらの顔を見上げると、犬は何も言わず前肢でヒナタを抱き込んでしまう。ちょっと苦しい。
     赤丸が座り込んだのは雑居ビルの階段の下で、やがて数人の足音が下りてきた。
    「なんだこの犬。邪魔だぞ、どけ」
    「放っとけ、ヨボヨボだし、寝てるだけだろう」
     若い男の声に、仲間とおぼしき男の声が応えた。
    「うるさく鳴かなきゃそれでいい」
    「まあな」
     老犬の体の上を跨いで男たちが去っていく。足音が遠ざかると、むくっと赤丸が起き上がった。
    「ワン」
     老犬が男たちが降りてきた階段を鼻先で示したので、ヒナタははっとして白眼を使う。ごく近くまでの買い出しなのか、部屋の中には誰もいない。
    「……赤丸」
     さっきまでの覚束ない足取りが嘘のように、赤丸はよろめくことなく階段を上ると、後肢で伸び上がって扉のノブを引いた。
     古い扉には鍵がついていたが幸いなことにかかっておらず、簡単に開く。
     鍵を掛けなかったことを思い出した男たちがいつ帰ってくるかとヒナタははらはらしたが、赤丸は鼻を鳴らしながら部屋に入っていった。
     殺風景な部屋の中には長机と椅子が何脚か置かれ、その上に飲み物や煙草、パソコンと何個かの段ボール。他にも床に直に積まれた段ボールがあり、壁面の一部を埋めていた。何か、小さな会社の事務室のようだ。
     クゥン、と赤丸が鳴いたそのとき、誰もいないと思っていた室内で動く気配がした。息を殺し、気配を消していたらしい。
     段ボールの影から影分身の小さなヒナタがぴょんと姿を現した。このヒナタは手のひらサイズだ。
    「赤丸! よく分かったね」
     ワン、と得意気に鳴いた赤丸がもう一人のヒナタも同じように背に乗せる。そのまま外に出ようとするのを、待って、と部屋に居た方のヒナタが止めた。
    「持っていって欲しいものがあるの」
     と言って取ってきたのは、パソコンのデータをコピーした記憶媒体と一つのカプセル。
    「……それ」
    「証拠品なの。早く届けたかったけど、ここから出られなくて」
     二人のヒナタは顔を見合わせて頷いた。
    「急ごう。誰か、信用できる忍のところへ」

     階段を下りたところで先ほど出ていった男の一人と鉢合わせたが、大きな毛むくじゃらに驚いた男が固まるのと、素早く打ったヒナタの掌底が男の点穴を突くのが同時だった。男はへなへなと座り込むと、隣の店の看板に背を預けて鼾をかきはじめた。
     ほどなく帰って来た仲間たちは、寝ている男を見ると苦々しい表情になる。
    「なんだこいつ、酒飲んだのか?」
    「ったく……まだ仕事中だってのに」
    「目立つのは困るぜ」
     ぼそぼそと囁きあうと、男たちは寝ている仲間の腕を掴んで立ち上がらせようとする。
     その間にヒナタたちは商店街を抜けていた。獣が通るには易く、人が通るには難しい抜け道をするすると通り、赤丸は迷うことなく進んで行く。やがて二人と一匹は見慣れた景色の道に出た。
    「ここは……」
     ぴたりと止まった足に、ヒナタはしがみついていた赤丸の背中から顔を上げた。
    「ん? 赤丸お前、なんでこんなとこに……と」
     その快活な声を聞くのは久し振りだった。
     野生的な風貌とワイルド系の服装から一見怖そうなお兄さんに見られがちの、気のいい男、犬塚キバ。
     そして横に佇むのは、彼と同じくらいの体格をした、寡黙ゆえの威圧感でやはり怖いお兄さんに思われてしまう男、油目シノ。共にヒナタの所属していた旧・第八班の仲間だ。
     二人はほぼ同時に小さなヒナタに気付き、珍妙な顔をした。
    「……ヒナタぁ??」
    「……ヒナタが二人。その出で立ちはどうしたことだ」
    「「キバ君、シノ君、あのね」」
    「ワン」
     得意気に鳴く老犬の顔は昔のままで、緊張の解けたヒナタは顔を見合わせ、思わず笑みを溢した。

    「そんな事態となっていたとは」
    「式典てもう明日だろ? もっと大勢に知らせて動いて、一気にふん捕まえねーとまずいんじゃねえか」
     キバ、シノも会場の警備ではないものの、当日里内のパトロールを任されている。なのに知らされてないってどういう事だよと呆れ声を出した。
    「何の証拠もないし、今のところ計画を聞いたっていう私の証言しかないんだもの。忍は動かせないよ」
     さっさと順応し、ヒナタの見た目について言及しない二人は流石だ。こういったおかしな事態に慣れているか……多分ナルトが何かしたと思っているのだろう。
    「しかし、複数の組織が動くとなれば情報が入らないわけはない。ひとつ尻尾を掴んでそこから芋づる式に辿れば、すべての企みを潰せるはずだ。その後、他の影分身から情報はないのか」
     冷静なシノの声に、「まだ……」と言いかけたところで小さなヒナタ二人は口をつぐんだ。
    影分身が解除された衝撃とともに、頭の中に情報が流れ込む。
    「……きた」
     目眩に耐えながら、頭の中で情報をまとめる。
    「キバくんお願い、ナルト君にさっきの証拠品を届けてくれる? あと、シノくん」
     この小さな身体では証拠品を届けるのもままならない。さっきは赤丸に助けられた。この身体は隠れるには便利だし、小さくても戦うことは可能だが、いかんせん機動力が足りない。
     そんな焦燥を抱えながら見上げると、無言で佇むシノの姿があった。いつも通り表情は読めないが、ヒナタと目が合うと少し考えるような素振りの後に、ぐ、と片手の親指を立ててみせる。
     どうやらヒナタの考えは筒抜けだったようだ。
    「……力持ちの子を一匹、お願いしてもいい?」
    「分かった。だが、無茶は禁物だ」
     数分後、ヒナタは空を飛べる羽を手に入れていた。



     再び火影室である。
    「時間が経てば自宅か火影室か、どっちかに集まってくるかと思ってたけど違ったな」
     ナルトが話す相手は彼の胸元にいる。比喩でも色っぽい話でもなく、小さな姿でファスナーの襟元に手をかけてそこに留まっている形だ。事情を知らない者が火影室へ入ってきたら引っ込んで、オレンジの上着の内ポケットに隠れる。
    「多分合流より優先してることがあるんだよ、私のことだし」
     式典は明日に迫っていた。
    「病院にいたヒナタもその後音沙汰ないんだろ? サクラちゃんと別れてから」
    「あの人たちの話が大袈裟だっただけで、他に何事も起こらなければそれでいいんだけれど……」
     式典前ということもあって里の警備は厳しく、もともと不審者が出にくい環境となっているとはいえ不自然なほど何も聞こえてこない。
    「影分身に何かあれば私がすぐ分かるから、ナルトくんはいつも通りお仕事しててね」
     万が一、自分の考えすぎや勘違いだったら申し訳ないと肩を落とすヒナタをよそに、ナルトは両の手を組み、その上に顎をのせて渋い顔になる。
    「誰か変なやつに捕まってないだろうな……」



     単調な日々に彩りを添えるもの、そして人生を変えるもの。それが彼にとっての"推し"である。
     常々自分は誤解されがちである、と彼はそう感じている。元々内に感情を秘めやすく、人と適切な距離を置いて付き合うことが苦手である。だから周囲の人は彼の外側を見て内面を予想するしかなく、ある程度仕方ないとは思うのだが、ただの残念な美少女好きオタクと断じられるのは心外だ。
     確かにその時によってハマりものが変わるのは事実だ。ずっと一人だけを推していられるならそれはそれで幸せだが、二次元、三次元共に魅力的なキャラクターは生まれ続け、出会ってしまえば愛さずにはいられない。乗り換えるわけではない、増えるだけだ。全ての出逢いは運命であり、いつだって彼は真剣だ。
     人だろうが動物だろうが画面の中の人だろうが、第一印象の鍵となるのは視覚情報だろう。彼だけが節操無しとは言えない筈だ。自分だって、ちょっと可愛ければ誰でもいいわけではない。ちゃんとハマるツボというものがあるのだ。
     さっき病院で出会った子は可愛かった。突然現れた彼に驚いたように見開かれた瞳は薄い白藤色で、動きを止めた小動物のような愛らしさだった。木の葉には妖精がいたのか。
     派手な顔立ちでもなく服装も地味で、物語の主役級の輝きはない。しかし分かる人には分かる、路傍に咲く花のような楚々として気品のある美しさ。きっと触れればもちもちと程好い反発を返してくれるであろう白い頬。あどけない表情と薄紅の小さな唇に心を鷲掴みにされたので、そっとお迎えしようとしたのだが彼女は美しい女医の友人だったようで、残念ながら阻止されてしまった。
     木の葉病院の春野サクラ先生といえば有名だ。五代目火影の弟子であり優秀な医療忍者であると共に、第三次忍界大戦では英雄うずまきナルトと肩を並べて戦ったという伝説のくの一である。その人のお気に入りとなれば諦めるほかない。というか、サクラ先生も同好の士であったとは。後でお友達になれないだろうか。
     脱線した。ともかく一目惚れした女神を手に入れること叶わず、大層しょんぼりして家路についていたその途中のことだ。
     先程の推しが前方からやってきたのだ。あろうことか陽射しを受けてきらきらと輝く、大きな羽を羽ばたかせて、真剣そのものの眼差しで。
     見つけた。僕の妖精。――いや、女神。
     逸る胸を抑え、彼は一歩を踏み出したのだ。



     ある青年は怯えながら雷車を下りた。
     改札口で軽く声を掛けてきた若い男は荷物を受け取ると、誰にも見咎められることがないようにだろう、緊張していた青年の背を気安く叩き、「口外はしない方がいいぜ」とだけ告げたという。彼もまた運び屋だったのかもしれないし、そうではないかもしれない。見知らぬ男の背が見えなくなるまで暫しぼうっと見送ってから、青年はおずおずと木の葉警務部へ行って扉を叩いた。
     どのみち怖い目に合うなら、守ってくれそうな方がいいと思ったそうだ。

    「悪いモノを運ばされたかもしれない、って言ってるお坊っちゃんが来たので話を聞いておきました。身元もしっかりしていたし、怯えていたので落ち着かせて、念のため護衛を付けて帰したそうです」
     上がってきた報告に、シカマルは軽く頷いて補足する。
    「形状の特徴からして、今流行りの薬だな。主に若い奴らの間で回ってる」
     パーティードラッグの一種で、大勢が集まるイベントに狙いをつけて売人がやって来ては、若者中心に売りさばく。依存性が高く、流行りに乗って一度浸透してしまえば長く蔓延する。
    「回してる大元は可愛くない世代だ。お金持ちの危ない副収入ってとこだな」
    「はた迷惑なこった」
     ナルトがぼそりと溢せば、シカマルも軽く口角を歪ませた。
    「この手のやつは一度馴染んでしまうと根絶が厄介だ。お祭り騒ぎに紛れてひと稼ぎって腹だろうが、なんとか止めないと。ああ、忙しいってのに警備の忍の仕事がまた増えちまうな……」
    「それなんだが」とナルトが口を挟んだ。
    「実はもう売人のアジトを突き止めた」
    「えっ」
     早いな、とシカマルが驚いた。
    「さっきキバんちの忍犬から、連絡と同時に証拠品が届いてな。薬の現物と顧客リストだ」
    「へえ、やるな」
     流石の嗅覚だなとシカマルが感心する。ナルトはぽりぽりと頬を掻く。
    「あー……見つけたのは、ヒナタと赤丸だ」
    「――ヒナタ?」
     なぜヒナタ? と疑問たっぷりの顔でシカマルが聞いたので、ナルトは言いづらそうに口を開く。
    「実はな、今…………」
     ナルトの上着の下で、なにか小さいものがもぞ、と動いた。




    念願叶って、羽という移動手段を手に入れたヒナタの身に思わぬ事態が訪れた。
    「待ってー! 待ってください!」
     追い縋ってくるのは木の葉病院で会った若い男性患者だ。悄然と歩いていた彼はヒナタの姿を見つけるなり、目を輝かせて追ってきた。
     何故ほぼ初対面のヒナタに強い執着を見せるのかは謎だが、細かく曲がって、路地で撒こうとしてもなかなか撒けない。若さと体力で一般人ながら粘り強く付いてきて、身を隠すほどの間がない。
     手が届かないほど高く飛んでしまえたら良いのだが、そうすると空から鳥に狙われたとき、逃げ込める場所を失ってしまう。無駄にスピードを上げれば蟲たちの体力が尽きるし、このまま逃げ回るのは得策ではない。
     背後で男が叫ぶ。
    「酷いことしないよ、ただ君と仲良くなりたいだけなんだ、ねえ!」
    「すいません急いでるんです、ごめんなさい本当に!」
    「そんなこと言わないで~~!」
     ヒナタの身体を支えるのは、油女シノの使役する様々な蟲の中でも持久力に富んだ一団である。予め与えられたチャクラを糧に、無数の蟲が集団を作り、ヒナタの腕と腰に回って背面の羽根部分とを繋いで支えている。一見蝶のような形状をした羽根は一続きではなく大勢の蟲が集まったものであり、チャクラを使いすぎればいずれ形が保てなくなる。味方の元に辿り着く前に蟲たちの体力が尽きてしまうのは避けたかった。
     式典まで時間はあまり残されていない。ここで自分が捕まってしまっても、分散している他の影分身にシノのくれた機動力を引き継ぐことができれば、問題ない。
     意を決したヒナタは近くの安全そうな塀の上に着地した。追跡者の手がぎりぎり届かないところに、ふわりと降り立つ。
     喜色満面の男が息を切らせてやってくる。



     さて旧・第八班がいるのは式典が行われるすぐ近く。ヒナタの影分身がもたらした情報によれば、敵は大胆にも駅舎の一角に潜んでいるという。
     二人いたヒナタのうち、シノから移動手段を得た一人は他の現場の助けとなるために飛んでいった。
    「さて、オレらが潰す厄介者はどんな奴だろうな」
    「油断禁物だよ、キバ君」
    「久し振りに聞いたな、それ」
    「気を引き締めていくべきだ、キバ」
    「だから両側から言うのやめろって……」
    「シノ君」
    「うむ」
    「おい面倒だからってオレを飛ばすな」
    「そんなことしてないよ」
    「少なくとも悪気はない」
    「……なんか懐かしいなこの感じ」
     キバがげんなりした表情で話の先を促した。ヒナタが先ほど影分身から得た情報を二人に共有する。
    「ここから何か、発信されてるそうなの」
    「電波ジャック的なやつか? 問題のある内容なら、まず木の葉の情報班の網に引っ掛かるだろ」
    「そうと分からないよう、暗号使っているか」
    「一般人の耳に入っているんだ、暗号じゃ駄目だろ」
    「もしくは特定の人間にだけ響く、キィ・ワードのようなものか」
     踏み込むと同時に証拠も押さえなければならない。音声データを取る備えを終えたヒナタが呟く。
    「やられっぱなしじゃいられないよね」
     ぽつりと溢れた言葉は、密かに負けず嫌いな彼女の心情の発露だった。
     この体格では先陣には向かないため、今回は後方支援だ。静かな闘志を湛える彼女の内実を知る仲間二人は笑って応える。
    「そうだな」
    「らしくなってきた」
     共有する懐かしい感覚に笑んで、三人で拳を合わせる。
    「お前の影分身のオリジナルがどれか分からない以上、俺たちはお前を本体だと思って守るからな」
    「だから、お前も無理をするな」
    「うん、ありがとう。キバ君、シノ君」

     もしかすると、起こっている事件は大したことではないのかもしれない。世界でもレベルが高いと言われる木の葉の警備を信用して任せておけばいいのかもしれない。けれど、偶然小さくなって偶然飛ばされたその先で、小さい体だからこそ見つけられた綻びだったら?
     もし、誰も気付いていなかったら? そう考えると、自ら動かずにいられなかった。
     蛮勇でもいい。ナルトへの、そして木の葉への謂れのない攻撃は見過ごしておけない。名もなき戦いは探知系が揃った旧・第八班の十八番だ。  
     扉を隔てた向こう側ではなにやら喋っている声が聞こえる。話し声は時々止まり、しばらくするとまた話し出す。
     白眼で探っていたヒナタがふと眉をひそめた。 
    「……これ、もしかして」
    「何か異常でも?」
    「……ううん、大丈夫。行こう」
     ヒナタの合図で、キバがひと息に扉を蹴破った。
     鍵が掛かっていた以外に特にトラップはない。

     中に入ると椅子に腰掛けた人影が見えた。
    『決行は12時』
    『決行は12時』
    『決行は……』

    「これは……」

     駅の通信機器を中継地点として。
     まばたきひとつしない布人形が、淡々とマイクに向かって繰り返していた。



     状況を説明しないと話が進まない。
     言いづらそうに頬を掻き、ナルトは切り出した。
    「あのさシカマル、実は今ヒナタが足りなくて」
    「いや、そういうのはいいから」
    「いや、マジで物理的に20人ほど足りなくて」
    「……は?」
    「オレの影分身であちこち走り回って仙人モードも使って……あとヒナタの白眼も使って探して、なんとか一日で大小含め10人くらい回収したんだけどまだ足りなくて困ってる。里内であと、探してない場所は……」
    「待て待て待て、なんの話だ」
     滔々と続けられるナルトの話は要領を得ない。
    思わず手を上げて話を遮ったシカマルの前に、もっと意味不明のモノが現れる。
     モノというか、人物なのだが、彼が決して知らない人物ではないのに、思わず首を傾げずにはいられない姿で。
    「ええと、こんな姿でごめんなさい。シカマル君、忙しいのに本当すみません」
     七代目火影と呼ばれる男の上着の首もとからぴょこっと顔を出したその人物はシカマルに向かい、礼儀正しく頭を下げた。
     見覚えのありすぎる艶やかな黒髪と、その面影。
     徐に眉間に指を当てて揉みほぐしつつ、シカマルは今いちばん建設的であろう行動を取る。
     すなわち、迅速かつ的確な情報の把握。
    「……最初から説明願えるか、ヒナタ」

     話が終わってもシカマルの眉間の皺が消えることはなかった。
    「なんだってまたこんな忙しい時に」
    「重ね重ねごめんなさい」
    「お騒がせして申し訳ございませんってばよ」
    「……経過はいい、なっちまったもんはしょうがない。差し迫って、困る事態ではないんだな?」
    『残り20人くらい足りない火影夫人』についてシカマルは確認をとると、続けて自身の見解を述べる。
    「残りのヒナタは潜伏して情報を探っているんだろう。最初は合流しようとしていたようだが、陰謀の計画があると知って、合流から情報収集に切り替えたんだろう。もし敵に捕まっても影分身だし、心配は要らない……と言いたいところだが、オリジナルがどれか分からないのは痛いな」
    「影分身解除で送られてくる情報は、オリジナルだけじゃなくて分身全員に共有されるからな」
     いまの忍界で、おそらく影分身については誰よりも詳しいであろう、ナルトが補足する。
    「あの、私……消えるかどうか、ちょっと殴ってもらっても」
     恐る恐る手を上げたヒナタだったが、被せ気味に「できるわけねーだろ」とナルトの声が飛ぶ。
    「もしお前が影分身で消えちまったらオレに情報を教えてくれるヒナタがいなくなっちまう」
    「……っ、そうだね、考えなしだったね」
    「それに、本体だろうと影分身だろうと、ヒナタを殴るなんてのはダメだ」
    「ナルトくん……」
     優しく見下ろすナルトの眼差しに、ヒナタの目に涙が浮かぶ。すかさず「そういうのはオレのいない所でやって貰えるか?」とシカマルの冷静な声が割って入った。
    「さっき元・第八班のメンバーから連絡が入った。キバ、シノは残りのヒナタを探しつつ、合流しながら動いてくれているらしい」
    「……あまり深く追求せず付き合ってくれる、対応力のある同期を持って良かったな」

    「彼らの踏み込んだ現場、駅の一室では扇動するようなメッセージを流していたそうだ」
     淡々とナルトが続けた。
    「具体的な指示は無く決行の日時を知らせていただけのもので、誰に向けられたものなのかは分からない」
    「……分かった、会場周辺に集中して配備予定だった忍の編成を変えて、どこで騒ぎが起きても即対応できるようにしておく。その代わり会場(そっち)の戦力は薄くなるから、お前とお前の影分身で対処しろよ」
    「おう任せとけってばよ」
    「主犯はその宝石商じゃねえだろう。一般人かやくざか……はたまた忍か。後手に回ってしまうのはいただけないが、泳がせて、動きがあったらその都度もぐら叩きだな」
    「不測の事態は?」
    「ありえない」
    「だよな」
     よし、とにこやかな笑みを見せたナルトに、シカマルは「よしじゃねえよ」と苦い顔を返した。

           


     青空の下、カチカチと音を鳴らす。
     腕に装着して使うタイプの玩具だ。彼らは、新しいそれを使う機会をずっと待っていた。
     決行は12時。
     折角使うならば、派手に、自由に。
     危険をものともしない、忍のように。



     目の前まで男の指が迫ってくる。
    (――嫌)
     覚悟を決めて対峙したものの、いざとなると身体が拒否反応を示す。考えるより速く、ヒナタは動いていた。
     待って、と男はなかなかに素早い動きを見せた。一般人にしては上出来な反応速度は、ひとえに好きなものに対する執念だろう。今にも無骨な手に捕らえられそうになった時だった。
     ――風を切る鋭い音がした。
    「――なにやってるんですか!」
     男とヒナタの間に割り込んだ体は旋回し、鮮やかに男を遠ざけると、ぴたりと止まった。
     激しい動きにも決して乱れぬ、切り揃えられて艶やかな黒髪。意志に燃える真っ黒な強い瞳。極めて機能的で、がっしりと筋肉質な身体にフィットしたシルエットの、独特の任務服。人呼んで、木の葉の美しき碧い野獣。
     鮮やかな決めポーズのままロック・リーは男を叱りつけた。
    「こんな小さな子相手に、何を考えているんですか、貴方!」
     今のヒナタの大きさは人間として「小さい」というレベルではなく、まるで絵本に出てくる小人さんか妖精さんレベルの小ささであるのだが、リーはそこには言及せず、親指姫サイズのヒナタを長身の背中に庇い、不躾な男の視線から隠した。
    「退かないなら、ボクがお相手しますよ」
    「ぼ、僕は、ただ、どうしても、連れて帰りたくて」
    「怖がってるじゃないですか! 同意のないラブはいかなる場合でも犯罪ですよ!」
     リーの気迫が男を圧倒し、男はそれまでの興奮はどこへやら、へなへなとその場に座り込んだ。
    「あの、ありがとうございます、リーさん」
     声を聞いて、リーがまじまじとヒナタを見る。
    「あれ、ヒナタさん。なんだか……縮みましたか?」
     怪訝気に首を捻りながらも、彼女がヒナタであることに疑問は感じていないらしい。リーの真っ直ぐな眼差しにヒナタは安堵した。リーは頼りになる一つ歳上の先輩で、ナルトとも親しい。ヒナタの従兄弟である日向ネジの同班で、良きライバルでもあった。ひた向きで温かい人柄に定評がある、木の葉の上忍の1人だ。
    「一人で大丈夫ですか? ボクはこれからちょっとこの人を警務部にお引き渡ししてきますので、その後で良ければお家までお送りします」
     シュビッと敬礼してリーが踵を返しそうになったので、ヒナタは慌てて声を張った。
     信頼のできる、秘密が守れる、ある程度気心が知れていて、ナルトにとって絶対の味方である人間。そんな人を探していた。
    「リーさん、お願いがあるの。木の葉のために力を貸してください」
     リーの丸く黒い瞳が瞬いて、真剣なヒナタのまなざしを見つめ返した。そして、すぐに呑み込んだ様子でニコリと笑う。
    「任せてください。木の葉のため、お役に立ってみせましょう」
    「リーさん、ありがとう……」
     ヒナタが「木の葉のため」と言うなら、それは「ナルトのため」と同義だ。詳しい事情も聞かないうちに即答してくれたリーは、所在なさげに蹲っていた男の背を叩く。
    「ほら、あなたも!」
    「ふぇっ、僕?」
     男が狼狽えた声を上げた。当然、自分には関係のない話だと思っていたのだ。
     リーは頷くと、さっさと男の拘束を解いてしまった。
    「当たり前でしょう。貴方も木の葉の一員です。里の一大事となれば共に戦う、おしおきはそれから改めてです!」
    「で、でも俺、忍じゃな、」
    「つべこべ言わない! 里を支えているのは忍だけだとでもお思いですか?」
     ボクはそう思いません、と自信に溢れたリーの言葉に、男は困惑したようだった。
    「そんな、覚悟とかないし……僕は、ただ好きなものを好きな自分に正直でいたいだけで……」
    「好きな子は泣かせちゃいけません、好きな子がいるなら守るんです」
     リーが厳かに告げる。
    「そして守れる男はカッコいいです。きっとモテます!」
    「!」
     衝撃を受け、雷に打たれたようになった男の両肩に、リーは手を置いた。
     リーの言には迷いがない。それは彼の行動にも通じ、迅速で、明快だ。任務にしても自身の修行にしても子育てにおいても、多少強引で独りよがりで、でもブレない。
    「女の子を泣かせた罪は女の子を救うことで償うのです」
     研磨され、無駄なものが削ぎ落とされた力強い言葉は、人を動かす。一人の青年の目に光が灯った。



     街中にいた者はみな、妙な放送には気付いていた。
     あまりに大雑把で大胆な例の放送は、街の喧騒に溶け込んで聞く者にそれほどの警戒感を抱かせなかった。多少耳には残るが新しいゲームのキャッチフレーズかなと思われていた程度で、行き交う人々は(まあ怪しいものならとっくに誰かが通報しているだろう)(もう他の誰かが動いているだろう)と思っていた。
     この日、街中の警備は民間の者に任されていたため、忍は国境付近と式典会場の周辺に集中して配置されていた。

     幾つかの不運が重なり、通報はかなり遅れた。現場の忍に、対処する時間はほぼ残されていなかったのである。

     


     多くの人が集まる時と場所を狙い、色んな国で彼らの組織は毒を撒いてきた。人の好奇心につけこんで虜にする甘い毒だ。使用する者にスリルと一時の快楽を与え、彼らの母国に多額の富をもたらす。一度土壌ができてしまえば、あとは需要に応じて流通ルートを整備するだけだ。
     澄んだ水の表面に一滴垂らした汚濁は、すぐに溶け込んで見えなくなる。見えなくとも、汚濁は確かにそこにある。一度浸透した毒を抜くのは困難だ。
     計画は大雑把でも、根付いてしまえばそれでいい。
     決行は12時。お祭り騒ぎに便乗し、裏で行う今日のイベントは成功するだろう。
     万が一うっかり――アジトがバレて顧客リストが露見してしまったり、更にまさか――用心棒を凌ぐ凄腕の忍が現れて売人たちが一網打尽にされでもしない限り、計画が失敗することはないだろう。



    「水が濁っている」
     厨房担当の者が訝しげに言った。
     ランチタイムを前に、こもった熱気を逃がそうと窓を開けていた、同じく厨房担当の仲間が振り返る。
    「近くで水道管の工事でもやってたか?」
    「なら一言言いにくるだろ。事前に断水の連絡とか」
    「だよなあ」
     そんなやり取りをした後、ひとまず水道の水を諦めることにして、非常用に備蓄してある店のタンクからホースを引っ張ってくる。
     当面はこれで間に合わせるが、早目に復旧してもらわなくては困る。調理に使う水の他にも、店では洗い物や掃除にだって水を使うのだ。
    「水道局に連絡しといてくれ」
    「はいよ」
     正午近くになり、店にはぽつぽつと客の姿が増えてきている。
     入り口のガラス扉が開閉されるたび、通りの喧騒と音楽に混ざり、何かの放送の音が聞こえてくる。今日木の葉の中心部で行われる式典に関連した放送だろう。何か繰り返し言っていた気がするが、よく分からない。
     大きなイベントのたびに里外からも人が集まるのは忙しいけれど、有難い。
     六代目火影はたけカカシの時代から今の七代目うずまきナルトまで、積極的に観光を受け入れ、企業を誘致し、産業を発展させていく姿勢は変わらず引き継がれている。
     長い戦で建物も人も傷ついた木の葉が、諸外国も驚くほどの短期間でここまでの発展を遂げたのは、柔軟かつ、ときに大胆な政策を取るトップが二代続いたからだろう。
     式典が行われる駅舎の周辺には、ここ数年でまた増えた商業施設や飲食店がひしめいている。今日はどこも賑わうだろう。お祭り騒ぎにはとりあえず乗っておかなければ損をする。
     時計の針はちょうど12時を指していた。
     注文を受けてドリンクグラスを出していたホール担当の者がふと手を止め、呟いた。
    「ねえ、なんか揺れてない?」

     同時刻、別の場所。
    「あれ、水の出が……それに、ちょっと濁ってるような」
     庭師の男はホースを持ち上げると、その先から出る水を日の光に透かせて見た。近くにあったバケツを手に取ると、中に半分くらい水入れてみて沈殿物の有無を確認する。
     特に異臭はしない。けれど、透明ではない。
    「木に影響があるかもしれないから、一旦休んで様子を見よう」
     男が言うと、作業に当たっていたもう一人が頷いて手を止める。
     駅前広場の立木は数日前の作業で綺麗に手入れがされている。今日は軽く水を撒くだけの予定だったので、彼等は急ぐ必要はなかった。
     庭師は手のひらを窪ませて水を掬うと、軽く匂いを嗅いだ。特に異臭はしなかった。続いて舐めてみるが、無味だ。
     けれど、透明ではない。二人で首を傾げていると、近くにいた警備の忍が気づいて声を掛けてきた。
    「どうかしましたか」
    「あ、大したことじゃないんですけど……水に色が」
    「色?」
     涼しげな目元をした色白の男は、長身を折り曲げるようにして庭師の手元を確かめる。男の闇色の瞳が僅かに厳しい色へと変わる。
    「……まずいな」
    「え?」
     庭師の手のひらから零れ落ちていく水は、少量ならばほとんど透明に見える。
     遠くから微かに地鳴りが響く。
     忍――山中サイは、体重を感じさせない動きで立ち上がる。周辺に散る忍達に鋭い目線を送ると、地面を指さして示す。
     ――下。
    「探知お願いします。土遁だ」





    「この度はご婚約おめでとうございます」
    「ありがとうございます」
     ナルトの挨拶に品の良い会釈を返す、若い二人は僅かに緊張の色を滲ませている。ともに美しい装いに身を包んでおり、ちらちらと互いに目をやっては含羞む様子が微笑ましい。
     彼らの親はそれぞれが木の葉の有力な大名だ。広大な火の国の中で両家が治める領地は離れており、交流は少なかったのだが、名家の同世代が集って学ぶ場があり――まあお見合いの意味もあるのだろう――そこで会ったのがきっかけで仲良くなり、縁を結ぶ運びとなったそうだ。
     わざわざ忍里で式典を開くのは、今回結納品のメインとなる宝飾品がナルトのツテ――ナルトの友であり、忍連合の盟友でもある風影――を頼って用意した最上品であることと、警備の面でここに勝るところはないと考えられたからだ。なんといっても各国の忍里は国防の要である。
     それに加え、近年商業施設の誘致が進んで発展がめざましい木の葉の里は、遊びも景観も楽しめる人気観光スポットの一つとなっているのだ。

     式典が行われるのは木の葉の中心を走る雷車の駅、そのホームの一つ。式典の前後二時間、駅を貸しきりにする荒業は、今回花嫁となる娘の方の大名家がスポンサーをつとめた新型車輌のお披露目も兼ねているから出来たことだ。新型車輌は洗練されたデザインとポップな色使いで、鉄道ファンからの期待も高く、関係者以外の見物人も向かい側のホームや歩道橋から、式典の様子を見られるようになっている。

    「この佳き日のために用意された宝石は、ここにおられる我が国の火影様が古くから交流のある砂の国は風影様にお願いし、特別にあつらえていただいた希少なものです。現在ここまで大きく美しく、状態の良いものは世界でも珍しいそうで、火影様と風影様の友情に感謝する限りです」
     進行役の口上に、その場にいるナルトは「いや~……ハハハ……それほどでも」と苦笑いするしかなかった。会場のあちこちから、さざめくような拍手が起こる。この歳になって、改まって友情とか大声で言われると恥ずかしい。
     確かに我愛羅に頼んだのは自分だが、知る人が聞けば驚くような、そんなすごい代物だとは思わなかったのだ。頼んだのもなにかの雑談のついでだったし、我愛羅もあっさり「分かった。用意させる」としか言わなかったし。
     まあ大名家の婚約だ。頼んだ方は滅多にない貴重なものを結納品にというつもりでナルトに頼んだのだろうし、話を聞いた我愛羅はその意を正しく汲んだのだろう。
     新郎である大名の息子が歩み出て一礼する。
    「すでに両家の間で正式な結納式は済んでおりますが、婚約記念品としてこれ以上ない良い物を用意することができて嬉しく思います。火影様、風影様、そして今日この場を用意してくれた両親に心から感謝を申し上げます」
     身分に驕ることもなく、礼節を弁えて優しげな印象の青年だった。 青年が差し伸べた手に、頬を軽く染めた大名の娘が自身の手を重ねて前に出る。
     首飾りに加工した宝石は、繊細で上品ながら華やかな場によく映える意匠だった。首飾りが娘の細い首に掛けられるとわっと歓声が起き、あちこちから「おめでとう!」と祝福の声が上がった。正午近くの明るい日差しを受けた首飾りが美しくきらめく。
     会場が和やかな雰囲気に包まれ、そろそろ最後の発車セレモニーが近付いてきた頃に事件は起こった。



     ただの出来心というか、高揚感でいっぱいになっていたところで、とんと背中を押されたような気になって、やってしまっただけだった。
     いつものホームに入ってくる、ぴかぴかの車体。デザインが一新され、より洗練された印象になった鼻先のフォルム、それを彩るポップで可愛らしい色遣いは景観を邪魔しない程度の色味に抑えられている。四両編成の新型車輌、その全容を目にすることのできる特等席を確保するため、彼は前日の夜から駅舎の周りを張っていた。
     何故、新型車輌のお披露目&新駅までの開通式と、大名の息子・娘の婚約披露式典が同時に行われるのか。それは、娘の方の大名家と関連企業が雷車の大口のスポンサーであるためだ。
     彼等のおかげで雷車は発展し、路線図に乗る駅の数は着々と増えて、外国への陸路だけでなく木の葉内でも便利な移動手段として使われるようになった。たびたび起こる戦のため、復興してもまた壊されるサイクルを繰り返していた数十年前の街の様子を思えば、信じられないほどの発展を遂げている。自分たちが平和な時代の恩恵を受けていることには感謝している。
     しかし、スポンサーの一族だからといって雷車ファンでも何でもない者が、注目度が高い場だからといってせっかくの開通式のホームをいちパーティー会場のように貸し切り、結婚式の余興じみた使い方をするのはいかがなものか。開通式の終わりには、どうせ「新生活への旅立ち」だのなんとか言って一番に新車輌に乗り込むんだろう。はっきり言って面白くない。一両目には貴族や来賓の人々が乗り、二両目以降には一般市民も乗れることになっているのだが、ちびっこと老人が優先だ。自分が乗り込む余地があるかどうかはわからない。願わくば一両目に乗って、新駅へ滑り込むところをこの目で見たいのに。
     ちょっとしたトラブルでもあって、混乱に乗じて滑り込めないだろうか。後で怒られても構わない。あの場にいたい。それだけなのだ。
     少しの憤りと諦念を胸に、ホームを見渡せる場所でカメラを構えている時だった。口元を隠して小声で話す人たちの会話が聞こえてきたのは。
    「聞いた?」
    「『決行は12時』? 聞いた聞いた」
    「何だろうね。ちょっとワクワクしてきた」
    「でもさ、怖くない? なんかやばいイベントだったら……悪の組織とか……」
    「ないない。木の葉だよ?」
     世界でも有数の高い警備レベル、大戦の記憶は遠く、特に五大国は平穏な日々が続いていた。今は大きな催しで警備はさらに万全。七代目までいて、何が起こるはずもない。それは平和な時代に育った民に共通する認識だった。
    「ていうか、そういう企画でしょ。七代目も大名様のボディーガードもいるんだから、マジなやつだったらすぐ捕まるじゃん」
    「そっかあ。どうせなら近くで見たいね」
    「雷車ジャックとか起きても、七代目なら即! なんとかしてくれるよ」
    「あはは、いえてる」
     トラブル。
     雷車ジャック。
     切れ切れに聞こえたワードが、頭の隅に引っ掛かり――こびりついて消えなくなった。



     発車セレモニーに合わせて、空に花火が打ち上がった、と同時に。



     ズン……と、下から突き上げるような衝撃があった。
     地震か、と集まった人々がざわめき出す。
     二度、三度。鈍い衝撃が続く。あちこちで鳥が飛び立ち、犬が吠える。足元をびりびりと震わせる振動に見物人は狼狽え、近くのものを掴んだり、その場にへたり込む。避難誘導にあたる忍が迅速に動き出して、人波の誘導を始めた。
     駅の電光掲示板の表示がぱっと消えて、すぐに復活する。一瞬の停電だったため、集まった人々にさほどの混乱は見られない。
     大名と貴族たちはそれぞれのボディーガードと警備の忍によって守られている。ナルトの目配せで、念のため警備の忍が大名ら貴族たちを安全な場所へ避難させようと動き出す。
     その最中に突然動き出す一団がいた。大胆にもセレモニー会場の階段からホームを突っ切り、停車した雷車の一両目を目指す。一団は開けっぱなしの扉に飛び込み、手動で閉めると、
    「この雷車は我々がジャックした!!」
     と、叫んだ。

     ナルトの元には情報が次々と届く。
    「停電は土遁で大きく抉られた電柱が倒れ、漏電したことから起こったようです」
    「現場に近い忍が急行しています」
    「施設と人の被害は? 敵が狙いそうな所にオレの影分身が行ってるからそれぞれ報告してくれ」
    「はい!」
    「繁華街にてひったくり事件発生!」
    「食い逃げ事件複数発生!」
    「万引き事件発生!」
    「……なんだ、これ」
     ナルトは唸り、首を捻る。大したことではないとは言わないが、陰謀というには小さな事件ばかりだ。

     一方、駅のホームでは軽い混乱が起きていた。避難誘導の波に逆らい、突然一部の一般人が線路に下りてナルト達のいるホームを目指す。
     雷車ジャックの一団とは別の雷車ファンらしく、ホームへよじ登ると、窓にすがりついて内部の者に訴えている。
    「お願い、私も乗せてください」
    「わたしだって乗りたい! ずっとこの日を待ってたんです」
    「ずるいです私も! ……じゃなくて、雷車はみんなのものです! ファンの品位を下げるようなことやめてください!」
     開けられないように内部から扉を押さえる者と、外からこじ開けようとする者とのせめぎあいが発生していた。内部にいる犯人のうち数人は運転席に向かったようで、車体が動き始めたりしたら大変に危険だ。その前に突入するべきなのだが、御披露目されたばかりのぴかぴかの車体を傷つけていいものか、取り囲む忍たちにも少し迷いが出ている。
     仕方なく車体に張りついている一般人をひとりひとり丁寧にひっぺがし捕獲してから、内部の犯人たちに幻術をかけることにする。
     そんなこんなで忍の動きが鈍った、その間隙を縫って動いた者がいた。ナルトの胸ポケットから顔を出したヒナタが鋭く叫ぶ。
    「ナルトくん、あそこ!」
     押し寄せる人と避難する人で混乱する構内で、来賓の避難列からスッと抜けていく細身の男がいた。そのまま一般人のいる対岸のホームへ渡っていこうとする。人混みに紛れ顔を隠していても、不審な動きをする人物をヒナタの白眼が捉えていた。
     瞬きの間にナルトは跳んでいた。賊が視線を上げ声を出す間も与えずに、首根っこを掴み上げ、後ろ手に拘束する。
    「おっと」
     自分の口を封じるため舌を噛んだり応援を呼ばれては困ると、ナルトは無造作に適当な大きさの布をやせっぽちの賊の口に突っ込んでから側近に引き渡す。

     他にも怪しい動きをしている者がいないか青い目を走らせると、男が取り押さえられたのを見て明らかに動揺している小太りの男と目が合った。
    「捕まえろ」
    「はい」
     短い指示に即座に応え、忍達が動いた。
     やせっぽちの男の所持品を調べると、先ほどこっそりとナルトが大名の息子に渡しておいたダミーの宝石箱が入っており、停電に紛れてすり替え持ち去ろうとしていたことが分かった。これが一人目のヒナタが言っていた宝石泥棒の一味だろう。
     ただの泥棒が忍の厳しい警備をかいくぐり停電を起こしたとは考えにくい。しかし、彼らはこの時に停電が起こることを知っていた。それに便乗した小悪党だ。

     人混みの中狙われた大名の息子は、混乱の中でも落ち着いて未来の妻と、妻に捧げる本物を守り通したようだ。意外に気骨のある、将来有望な青年である。
    「申し訳ありません申し訳ございません。私達はただ希少な宝石を手に入れられる千載一遇のチャンスだと思いましてつい出来心で」
     忍装束の屈強な男達に囲まれ、貼りつけた笑みを引きつらせながら話す宝石商の男に、ナルトは鋭い視線を向けたまま、にんまりと笑った。
    「出来心にしては、随分前から相談して手筈を整えていた筈だけどなぁ……?」
    「そ、そんなことは……」
     かまを掛けられているだけと思ったのか、逃げようとする男にナルトの重い声が掛かる。
    「お前に聞きたいことはただ一つ。それを吐けば解放してやるし、万が一その場しのぎの嘘をついて逃げたら、地の果てまで追いかけて主犯と一蓮托生してもらうってばよ」
     いつも気さくで明るい、親しみやすい七代目の姿はそこには無かった。青く燃え上がった、今にも獲物を喰い殺さんと襲い掛かる寸前の獣のような、鋭い視線が爛々と男に注がれている。
    「ヒィ……」
     殺気の籠った低い声は、むしろ穏やかにさえ聞こえた。
    「『決行は12時』……これを呼び掛けた、黒幕は誰だ?」



    「決行は12時」~秘密のパーティーへようこそ~

     とある会員制のバーを貸し切って開かれたそのパーティーには好奇心に溢れた男女がひしめき、主催者の登場を待っていた。
     ボーイが用意したウェルカムドリンクのグラスには琥珀色の液体が注がれている。間接照明の灯りを受けて光るそのグラスは、ボーイの手から次々とゲストの手に渡っていく。やがて主催者が姿を見せると、場の雰囲気が少し変わった。窓のない閉ざされた室内とはいえ、時間はまだ昼。酔うには早いこんな時間に、なぜかみな一様に興奮したような面持ちで。
     主催者が笑みを見せ、短い口上の後、今日は楽しんでいってくださいとグラスを掲げる。
     その中には小さなカプセルが落とされていた。雷車で運び屋にされた青年が持たされたものと同じものだ。既に溶けきる寸前だったそれは、少し水面が揺れただけで完全に溶けきり、透明になってしまう。
     皆が持つグラスも同様だった。なんの変哲もない液体と化したそれを、少々恍惚とした表情で見つめながら待っている。
     間接照明の灯りがどこか淫靡に、琥珀の表面をゆらゆらと漂う。すでに口を付けてしまった者もいるのか、熱のこもった吐息を吐く者もいる。
     乾杯の声が上げられるその瞬間に、閉めきられた店のドアが開け放たれ、数人の忍が雪崩れ込んだ。同時に店内にいたすべての男女は身動きが取れなくなり、愕然とする。
     全員の足元の影は入り口に立つ一人の男の影に繋がっていた。
    「影真似成功。現行犯だ、全員確保しろ」
     奈良シカマルが指示を飛ばした。 


     土遁と思われる衝撃は何度か起こり、場所によっては石畳が割れて、古い建物が傾いた。倒壊の危険がある地域では忍たちが救助活動に当たり、人的被害は0に抑えられた。
    「地形を変えちまうほどの威力じゃないんだよな」
     ある中忍がひとりごちれば、手伝っていた他の中忍も同意する。
    「居場所を特定されないように、ちまちま時間稼ぎしてるのか……もしくは」
     そこにもう一人、明るい声が降ってきた。
    「戦い慣れしていない奴がおっかなびっくり使ってるような、か?」
    「「七代目!」」
     白い羽織を靡かせた金色の影がザッと降り立つと、その場に居た者は一様に安心した顔になる。
    「お疲れさん、こっちは怪我人平気か?」
    「大丈夫です。他の現場はどうですか?」
    「急な警備強化だったが、みんなうまく被害を抑えてくれてる。流石だってばよ。……原因もほどなく解決しそうだから、もう少し頑張ってくれ!」
     そう呼び掛けて、ナルトは再び駆け出し、空にはオレンジ色の軌跡が走った。



    ~ある紳士の証言~

     ……ええ、ええ、驚きましたよ。
     私にも孫がいるものですから。孫と同じくらいに見える小さな子が5、6人、落ちてくる瓦礫の中に次々と飛び込んでいくんですから、仰天しました。まだ地面が揺れててねえ、止めようにも足が動かなくて。
     でもね、私も木の葉の住人ですから、七代目様の影分身をよく見てますからね。落ちてきた支柱に体当たりしていった一人目の子がポンっと消えて、ああ、これは忍の影分身の術だって分かりましてね。ようやくホッとしたわけです。
     ……にしても、忍の皆さんってみんな無茶というか……怖いもの知らずなんですねえ。七代目様並みか、下手したらそれ以上に思いきりよく行ってましたねえ、あのショートカットの女の子。




     用心棒の男は抜け忍で、数々の国の傭兵部隊を渡り歩いてきた。

     決まっていたのはタイミング、それだけ。
     連携はしない。足が付いたとき、共倒れになってはかなわないからだ。互いの邪魔だけはしないように、各々が好き勝手に動いて混乱を深くする。同時多発的に起こる騒動に関連があるのかと忍が浮き足立っている間に目的を果たすための共同戦線だが、誰の狙いが上手くいこうと、また失敗しようとお互いに知ったことではない。利用できるものを利用させてもらっただけだ。
     アジトに何者かが侵入し、顧客リストが奪われたらしい。先に売人たちは逃がしたが、証拠品を得た木の葉の警務部隊はどこまでも追ってくるだろう。だから男は最初の追手をとりあえず殺すか、重傷を負わせてから逃げようと思った。殺した方が後で顔が割れないが、続く追手の足留めのためには息があった方がいい。
     男は敵を人通りの少ない路地に誘い込む。立ち塞がった追手は少女だった。10歳くらいか。薄い色の瞳が妙に目に残るが、それ以外は普通の子どもと変わらない。大人しげな外見に、だぼっとしたシルエットの服を着て、真っ直ぐにこちらを見ている。きつく睨むでもなく怯えるでもない眼差しはどこか見た目とそぐわない。微かに違和感を覚えたが、それどころではないと小さな疑念を振り払う。
     年の頃からして、おそらくアカデミー生だろう。戦争続きだった昔とは違い、今のアカデミー生はほとんど一定の年齢で入学して一定の年齢で卒業する。即戦力を求められて飛び級で卒業する子どももいない。かつて神童と呼ばれた忍は齢一桁で卒業し、10代前半で上忍として戦場で活躍した者もいたが、今の時代にそれはあるまい。目の前の子どもの妙な落ち着きは、授業でしか戦ったことがなく、実戦の恐怖を知らない無知故だろう。
     向こう見ずなお子様を軽くあしらうべく、男は自分の刀にチャクラを流す。
     主力の部隊が駆けつけてくる前に姿を隠さなくてはならない。子供の命まで取るつもりはないが、気絶させるか、言葉を吐けぬよう喉を潰しておかなければ。
    男が刀に意識を向けた、瞬きにも満たない時間の後、目を上げた先に少女の姿はなかった。否、別の所にいた。
     叩き込まれた掌底が男の顔ひとつ分の所に迫っていた。咄嗟にのけ反り、寸でのところで避けると、小さな唇が悔しそうに引き結ばれるのが見えた。
    やはり子供か、一歩踏み込みが甘い。カウンターを狙う。うまくすり抜けて逃げられた。子供ならではの身体の軟らかさだ。
     そのままタン、タンと壁を蹴って距離を取った子供は腰に付けたポーチから巻物を引き抜くと一息に開く。男は一瞬身構えたが、ボンと白煙が立った中から取り出されたのはただの大手裏剣だった。間を置かず、なかなかの鋭さで投じられたそれをかわし、一枚目に隠すように飛んできた二枚目をも男は易々とかわした。
     近接戦闘で勝ち目がないと見て飛び道具を出したのだろうが、乱戦の中ならともかく、障害物も録にない場所で避けられぬ筈もない。足止めにもならなかったなと笑い、距離を詰めて振るった刃が柔らかな肉に沈む。
     子供は恐怖に目を見開き細い悲鳴を上げ――温かい血飛沫が――上がることはなく。
     男の目の前、少女の体がボン、と音を立てて消えた。
     え? と思った瞬間には体が硬直していた。動けなくなるほどの攻撃を受けた感覚はなかった。
     ごくごく軽い、とんと触れられたくらいの、衝撃だけで……
    (仲間が、いたのか……?)
     意識を失った男は、そのまま地面に向かって崩れ落ちた。


     男の背後から柔拳の攻撃を決めたヒナタはほっと胸を撫で下ろしていた。
     丸一日は身体の自由を奪う点穴を突いたので、大丈夫だろう。
     影分身でのナルトの戦い方をよく知るヒナタだが、実際に成功するかどうかは賭けだった。相手が油断してくれるかが鍵だったが、フェイクが上手くいってくれて良かった。
     一対一の近接戦闘では敵わないと思わせて、大手裏剣を出したタイミングで一人が手裏剣の一枚に変化する。敵の背後で変化を解いて、確実に攻撃を当てに行く。男が本体と思って攻撃するも、そちらが影分身で、後ろがヒナタの本体だ。とは言え、ヒナタにもどの自分が本体なのか確信はないので、はっきり言って勘だ。なんとかなって良かった。
    (ナルトくんはすごいなあ)
     囮になるのもタイミングをはかった変化も、実戦でやるには勇気が要るものだ。気絶している男をずるずると引きずって道の端に運ぶと、ヒナタはまた立ち上がった。
     まだ、解決していない現場に行かなければ。



     ヒナタのもとには立て続けに情報が入ってきた。
     影分身解除に伴う衝撃でふらついたヒナタの身体を、ナルトが掌で包んで支える。
    「平気か? ゆっくりでいい」
     何人もの自身の経験値を受け入れることは身体の負担も勿論だが、精神にも負荷がかかる。
     ヒナタは一呼吸して、入った情報を整理した。
    「……東側繁華街、売人たちのアジト付近、抜け忍らしい人物と遭遇、捕縛完了。売人たちの用心棒だと思う。倒壊した家屋の中に取り残された人たちは非番の部隊が到着して現在救助作業中、あうんの門付近で一味と見られる数人を確保完了……あとは西の工場跡で……」
     ヒナタがつらつらと状況を伝えると、ナルトはうんうんと頷きながら聞いていたが、
    「なあ、今お前の残りって何人だ?」
     快活な声に聞かれて、ヒナタはひやりとした。
    「随分減ったな」
    「うん……」
    「どうやって減らした?」
     ヒナタが影分身を解除するには、有しているチャクラが尽きるか、一定以上のダメージを受ける、そのどちらかしかない。一度に何体も消えるということは、相当危ない橋を渡っていると言っているのも同じだ。
     ヒナタはナルトの前で戦うことを避けている。何故なら、七代目となった彼はヒナタを前線に出すことをしないからだ。お互いにそれについて触れたことはない。

     ――ずっと前に一度、彼の目の前で倒れてしまった。彼の中には、消えない怯えがある。口にしたことはなくとも、多分。
     彼はヒナタに知られていると思ってはいないだろう。
     里を護る七代目である彼は、必要とあらば誰であろうと前線に送る決断をしなければならない。ときに非情な決断をしなければならない時もある――けれど。
     ヒナタはいざという時は自分が戦うという意志を持ちながらも、そんな彼の心を守ってきた。つまり、大っぴらには戦わないようにしてきた。
     が、バレている。
     ナルトの一見にこにこと屈託ない笑顔から、圧を感じるのは気のせいではない筈だ。ヒナタは恐る恐る尋ねる。
    「……怒ってる?」
    「いーや?」
     にこにこと笑みを崩さないナルトの指がヒナタの頬をちょんとつついた。
    「無茶する奥さんには少々お仕置きが必要だと思ってさ」




    ~とある頑張る青年の話~

    「わーーーー!!!! 止まってくださあい!!」
    「なんだコイツ、どけ! オレらは逃げるんだよ! あうんの門はすぐそこなんだから」
    「いやですぅぅぅ」
    「ブッ殺されてえのか! ザコが」
    「それも嫌です! 助けて! でも木の葉を守ります! 守れる僕はカッコいい! きっとモテる! 通せんぼですああ本当お願いだから待って、通らないで!」




     西の工場跡で火柱が上がった。爆風を伴って一気に燃え上がる炎は、火遁特有の凝縮されたチャクラによるものだ。
    「はしゃいでるな、子どもみたいだ」
     駆け付けた巡回の忍と並んで、ナルトの影分身が言葉を交わす。
    「土遁の次は火遁か」
    「手に入れたオモチャの性能を試したくて、仲間集めて、タイミングをうずうず狙ってたんだろ。ちゃっかり自分だけは逃げるつもりで」
    「じゃあ大人がしっかり教えてあげなくっちゃなあ」
    「悪いコトすればしっかり怒られるってな」
     先程入った情報によれば、怖い大人はすでに向かっている筈だ。とりわけ頼もしい、ナルトの戦友たちが。



     青年は、ある科学忍具を懐から取り出した。詳しくは知らないが、忍の以心伝心の術だったかなんだかを応用した機器で、離れた場所にいる仲間と通信することができる。
     これは便利な道具で、伝える範囲を自分の意思で決めることができる。例えば仲間の顔を思い浮かべながら呼び掛ければ仲間だけに言葉が届くし、拡声器で叫ぶようなイメージで呼び掛ければ一定範囲だが、不特定多数の人に伝達することができるのだ。

    「決行は12時」何かが起こると暗示をかけた。お祭りムードに高まった人々はそれだけで勝手に動き出した。自分たちから警備の目を分散させるための扇動だった。
     皆の意識に刷り込むように時間を呼び掛けただけで、別に自分たちが指示を出したわけじゃない。勝手にのせられた不特定多数の中の誰がどうなったって興味がない。責任なんて知らない。
     情報を制する者が勝負を制する。忍だろうと、出し抜けると思ったのに。
    「――おい、たぶんそっちやばいぞ! 動きがバレてる! なんか小っこい奴と、犬と、蟲が……」
    「オレたちがなんだって?」
     後ろから響いたふてぶてしく太い声に、青年は手に持った科学忍具を取り落とす。悠々と迫るは、犬を連れた大柄な影。
     その後ろでは印を組み、集中する少女の姿があった。
    「ヒナタ」
    「……うん。たぶんそのひとの通信先。同じ忍具持った人が、ここから北東約90メートルにいる」
    「よし、シノ」
    「任せろ」
     大柄な男の一人、袖口に蟲を纏わりつかせ、表情の読めない男の方が北東に向けて走り去っていく。
    「黒幕はあなたですか」
     残った方の男を背に、真っ直ぐな眼差しで聞いてくる女の子は小っこい。
    「それとも他のひとですか」
     その横で聞いてくる同じ顔の女の子は、なんだかもっと小っこい。
    「構成員リストと顧客名簿はこちらの手元にありますので、辿っていけばいずれ判りますが、自分から言ってくれた方があなたの罪は軽くなります。教えて下さい」
     最後の子なんて親指サイズだ。もう意味がわからない。

    これは幻覚? いや俺の夢?

     男は混乱し、なんだか急にどうでもよくなって、自白を始めた。




     青空に黒い線を描くように悠々と、白黒の鳥が飛んでいた。
    「あ、父さんの鳥だ」
     空を指差し、明るい水色の目を細めるのはまだ愛らしい少年だ。その指の示す先を見つめ、山中いのは微笑んだ。
    「またハチャメチャ、やってないといいけど……」

     旋回した後に急降下した白黒の鳥の背中から、太陽の光を背負い、光輝いた男が飛び降りてきた。
     科学忍具から飛び出した、想定よりも強い火炎に驚いてよくわからない忍術を次々に射出してしまい、大火災にまで発展してしまった。大火事のど真ん中で途方にくれている犯人の前に颯爽と降り立った男は、「トォーーーー!!!!」という気合と共に目にも止まらない速さで、焔をものともせずに走り出す。
     そんな熱い男、ロック・リーを大鳥の上から見下ろす男が言う。
    「火が燃え移るよりも速く自分が動けば燃えません、なんて言ってたけど。いくらなんでも死にますよリーさん」
     リーの言葉通り、辺りを取り巻いていた筈の炎は粗方踏み消され、驚くことに消えかけていた。しかし身体を真っ黒の煤だらけにして熱波の最中にいるリーの肺が心配だ。自分の足場にしている大鳥には水がかからないよう気をつけながら、涼しい顔をした男、山中サイは科学忍具のレバーを引いて容赦ない量の水遁をリーの頭上からぶち撒けた。



    「ヒナタ! 見っけ」
    「ナルトくん!」
     中くらいの大きさのヒナタが走っていると、仙人モードで探しながら走っていたらしいナルトの影分身と遭遇した。目元を朱く染めたナルトは、金色の瞳を細めてヒナタを見る。
     二人は並走しながら状況を伝え合う。
    「お前の話でだいたい全体図は掴めた。あとは任せろ。影分身解除して、オレの本体に情報を伝えられるか?」
    「わかった」
     意気込むヒナタを見て、ナルトは苦笑する。また危ない方法で自身にダメージを与えようというヒナタの考えを見越したのだろう。
    「影分身解除の仕方、物騒じゃない方法がある」
    「どんな方法?」
     ヒナタは身の危険に怯まないが、ナルトが心配しなくて良いやり方があるのならそうしたいと思ったのだ。
    「……?」 
     黙ってしまったナルトをいぶかしみ、ヒナタは首を傾げる。次の瞬間、ナルトが動いた。
    「……?…………?」
     ぼん。
     影分身が解除される小気味いい音がして――



     舞台は火影室へと戻る。

     顔を赤くして少々涙目のヒナタの横で、ナルトは涼しい顔をして「わかった」と呟いた。

    「今回の事件に黒幕はいない」
    「どういうこと?」
     火影室には次々と報告が入り、その度ナルトが短く指示を飛ばす。里の各地で起きた混乱は終息のようすを見せていた。
    「この場合、点と点の間に繋がりを探すことに意味は無かったんだ。元はといえば手に入れた科学忍具を使いたかったお金持ちのお坊っちゃんの、仲間同士のやり取りがうっかり一般人に洩れた。それに便乗しようとした奴が出て、これは使えると気付いたお坊っちゃんが範囲を広げて呼び掛けるとさらに便乗する奴が現れて、端から見たら共謀して一気に動いたように見えたってわけさ」
     科学忍具は実在する忍の技をコピーしたもので、その威力はオリジナルの持つ、戦闘で使われる実戦向きのものもあれば、一般人が土木工事で使える程度に力を加減したものもある。
     今回使われたのは、そういった威力の弱いものだった可能性が高い。それぞれが好き勝手に動いた、その結果。
    「じゃあ……」
    「そう、その後悪い意図がはたらいてしまったけれど、きっかけは」
     ――我が家に起こった問題と同じで。
    「ものの弾みだ」





    「群衆心理ってやつよね」
     コーヒー片手のサクラの言に、ナルトも「ああ」と頷いた。
     あれから一晩明けて、爽やかな朝である。ナルトは眠そうに大きな欠伸をすると、今朝自宅から持ってきたばかりの新聞を広げた。
    「『連続忍術テロ事件勃発』『スピード解決するも被害甚大』……」
    「あちこち壊れたから、またヤマト隊長が大活躍ね。バテないように差し入れ持ってってあげようかしら」
     元・第七班の隊長代理、ヤマトは忍界大戦以降、大蛇丸一味の監視役を任されているため、滅多に里で見かけることはない。しかし、彼は木遁忍術を使える唯一の忍であるため、里で大規模な建物の被害が出たりすると復興の手助けのため、呼び出されることがあるのだ。
    「皆がやってるからよく分かんないけど乗っかっちゃえー……か。乗っかってるつもりで実は流されてるだけなんだけど、一人なら絶対にやらないようなことなのに、そういう時は判断力まで鈍っちゃう。今回は運良く大事にならずに終わったけど、侮れないわね」
     ナルトは黙って頷く。
     かつて自分の身に振りかかった不幸も、それが原因だ。
     かつて孤独な子どもだった自分を忌み嫌い、追い払った里の人たちを恨む気持ちはもうない。けれど、仕方のないことだったと割り切るのは難しい。


     その後自宅へ戻り、元の大きさに戻ったヒナタは
    「お騒がせ、しました……」と申し訳なさそうにナルトに言った。
    「何を謝ることがあるんだって。ヒナタのお陰でめちゃくちゃ助かったってばよ」
    「……わたし、少しでも役に立てたかな?」
     ナルトが嘘をつかないことを知りながらも自信がないのか、首を傾げる妻にナルトは力強い笑みで応える。
    「勿論。なんだよ、自信持てって」
     良かった、とようやくヒナタはほっとした顔になったが、なぜかモジモジとしている。
    「どうした?」
    「……ナルトくんは、最初から私が本体だって知ってたのかなって」
    「ああ、そのことか」
     影分身のヒナタたちは、火影夫人としての自身の記憶はあるものの、少女の外見に引きずられて内面も少し幼くなってしまっていた。ナルトはそれを見てとって、ある『穏便な方法』で彼女の影分身を解除していった。
     放っておくと自身を傷つける物騒な方法で解除しようとする妻のことを憂い、ナルトは少女のヒナタが気絶してしまいそうなことを真剣に考えて、それを試したのだ。

     その穏便な方法とは、キス。
     集まった残りの小さなヒナタの頬や額、そして口に。可愛いものから破廉恥なものに至るまで、彼はありとあらゆるキスをして、たちどころにすべての影分身を解除してしまったのだった。
     すべての経験値を蓄積した本体のヒナタはそれを思い出したのか、軽く頬を赤らめながら言葉を続けた。
    「私にだけ、しなかったから」
    「確信があったわけじゃないけどな。お前なら、いざという時に一番オレの力になるように動くんじゃないかって思っただけだ」
     ナルトの力になるように。――万が一捕らえられて、ナルトの枷にならないように。だから安全な場所にいる。自分の身を守ることで常にナルトを助けている、火影夫人としてのヒナタの在り方だ。ナルトはそれを知っている。
    「ありがとう……」
     彼女の淡い色の瞳に、うっすらと涙が浮かんだ。
    「……それで、ね」
     ヒナタはなにやら恥ずかしそうに言いよどんでいる。ナルトはまだ何か心配事があるのかと、頭ひとつ下にある彼女の顔を覗き込んだ。

    「――羨ましくなっちゃったから」
     聞こえたのは小さな小さな声。
     
    「……私にも」

     誰よりも近くにいて、誰よりも力強い味方である彼女の、ありふれた冒険の終わりの終止符に。
     ――やさしく触れる、キスを。



    おしまい

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