Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    あ や 🍜

    ちせとはる(左右不定)/ 匋依 / 箱▷https://odaibako.net/u/hrlayvV

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 31

    あ や 🍜

    ☆quiet follow

    『雷麺亭のおじさん』に恋をする幼女の話(※ ≠夢)

    ##ちせとはる

    初恋は花束と似ている あのひとの無愛想な表情を思い返すたび心臓の裏側がギュッと締め付けられたみたいに痛くなる。長い間、名前のわからない症状に悩まされ続けていたわたしに「それは『恋』だよ」と、同じクラスの男の子が教えてくれたのだ。とっておきの秘密を共有するように、ひそひそとわたしの耳元にくちびるを寄せて。――恋……? 甘い響きを含んだ耳馴染みのないその言葉を口の中でくりかえし、それから、なるほど、とちいさく頷いた。
    「(恋、かあ……)」
     自覚した途端、ろうそくの炎で照らされたみたいにわたしの胸の中がじんわりとあたたかくなる。この気持ちがほんとうに彼の言うようなものだとするならば、間違いなくこれはわたしにとって『初めての恋』だったから。
    「(初恋は実らないものなのよって、昔ママが言ってたっけ)」
     胸の奥にしまい込んでいた思い出を引っ張り出してほんのちょっぴり寂しい気持ちになりながら、リビングの壁に貼ってあるカレンダーに目を向けた。明日の日付が赤いペンでくるりと囲われている、これは『パパが早く帰ってくる日』を忘れないようにするためにわたしが書いたものだ。月に数日訪れるその特別な日には、ふたりで『雷麺亭』に行って夕食を食べるといういつの間にか出来たパパとの約束がある。――つまり。
    「……なに、着てこうかな」
     両手を頬にあて、自分でも気付かないうちにぽつりとそんなことをつぶやいていた。きっとわたしの顔は今みっともないくらい緩みきっている。クラスの男の子の話をするだけでわかりやすく不機嫌になるパパのことだから、わたしがあのひとに――雷麺亭のおじさんに恋をしているなんて知ったら二度とお店に連れて行ってくれなくなるかもしれない。
     だから、この『恋心』はわたしの胸の中に大切にしまっておかなければいけないのだ。


    初恋は花束と似ている


     わたしが雷麺亭のおじさんに初めて出会ったのは地元の小学校に入学したその日の夜のことだった。入学式を終え、背負っていたピカピカのランドセルを肩から下ろし、明日から始まる新しい生活への期待と緊張でガチガチに固まっていたわたしの手を引いてパパが連れて行ってくれたのが雷麺亭だった。
    「ここのラーメン、絶品なんだ」
     だからきっとお前も気に入るよ。そう言って嬉しそうに微笑んだパパにつられてわたしも表情を緩ませながらちいさく頷いた。
     雷麺亭を表すとき『昔ながらの中華屋』という言葉をパパがよく使うので、わたしも勝手にそういうものだと認識している。実際は、何をもって『昔ながらの』と表現しているのかはイマイチ理解出来ていなかったりするのだけれど。
     初めてお店にご飯を食べに行った日もそんな『昔ながらの中華屋』で、おじさんはにこりともせず黙々と働いていた。そこまで大きくない店内、他の店員さんも見当たらずどうやらおじさんひとりで店を切り盛りしているらしい。
    ――愛想がなくて、笑顔もない怖いひと。
     最初はそう思っていたはずなのに。
     わたしの記念すべき雷麺亭初来店からちょうど三ヶ月後、学校から帰る道の途中でたまたまおじさんと出くわした。その頃は雷麺亭へ行く頻度は今ほど多くなかったし、たくさんいるお客さんの中のひとりにすぎないわたしのことなんて覚えているわけがないと、買い物袋を提げたおじさんと――それでも知らんぷりをして通り過ぎるのはなんとなく申し訳ない気がして、気付くか気付かれないかギリギリのラインくらいの会釈をしながらすれ違おうとしたのだけれど、
    ――ん、気を付けて帰れよ。お父さんにもよろしく
     おじさんは相変わらず無愛想な表情のまま、それでもいつもより幾分優しい声色でそう声をかけてくれたのだ。驚いたわたしは急ブレーキをかけたみたいにぴたりとその場に立ち止まって、ぱちぱちと何度も瞬きを落としながらすれ違ったおじさんの背中を呆然と見送った。
     わたしがおじさんに『恋』をしたのだとするならば、それはやっぱりこの瞬間だったのだろうと思う。
     雷麺亭にもっと行きたいとパパにお願いをし、気付けば月に数回行われる恒例イベントみたいな扱いになっていた。パパの帰りが早い日を聞き出してカレンダーに赤い丸印を付け、その日が来るのをひとつふたつと指折り数えながら待ち望んでいたのだ。
    「(早く明日にならないかなあ)」
     ドキドキと心臓の音がうるさい。はやる気持ちを抑えるようにすうはあと何回か大きく深呼吸をくりかえして、頭まですっぽりと掛け布団を被るとわたしはベッドの中でゆっくりと目を閉じた。

    「あ、ごめん。先に店に入っててくれ」
     煙草忘れた、と。言うが早いか、繋いでいた手を離し、わたしにくるりと背を向けてパパは近くのコンビニの方へと歩き出してしまった。ひとり雷麺亭の前に残されたわたしは呆然とその後ろ姿を見つめ、拳をギュッと握りしめながら「先に入るなんて無理!」とちいさく言葉を吐き捨てる。せめてお店に入ってから煙草を買いに行ってくれれば良かったのに。ヘビースモーカーなパパにそこまで考える余裕はなかったのかもしれないけれど、そんなパパに対するこれくらいのかわいい恨みごとはきっと許されると思うのだ。
    「こんにちは」
     甘い声が唐突に頭の上へと落とされる。驚いて顔を上げるとわたしの瞳を覗き込むふたつの美しい紫色とぱちんと視線が交わった。わあ、と思わず声が漏れる。派手な見た目をしたお兄さんがにこにこと機嫌が良さそうな笑みを浮かべていた。
    「こ、こんにちは……」
     知らない人に話しかけられても無闇に応えてはいけません。先生がホームルーム中にそんなことを言っていた気がするけれど、挨拶をされたのに無言を貫き通すのも気が引けて、結局おっかなびっくりそうやって挨拶を返していた。
     わたしの挙動不審な反応を気にする素振りも見せず、お兄さんはわたしたちの目の前にある雷麺亭の方へ視線を動かしてから「中、入らないの?」と首を傾ける。
    「入る、けど、」
    「けど?」
    「……パパが来るまで待ってるの」
    「そっか。お店には良く来る?」
    「うん。パパとふたりで」
    「はは、良いね」
     からからと楽しそうな笑い声を上げ、お兄さんはわたしの頭の上にぽんと手を乗せた。出会ったばかりの男の人にこんなことをされるなんて思ってもみなかったけれど不思議と嫌な感じはしない。――何故かわたしの頭の中に雷麺亭のおじさんの顔がぱっと浮かび、そのまましゃぼん玉が弾けるみたいにぱちんと消えた。――お兄さんとおじさんが似ている? ううん、今わたしがおじさんの顔を思い出したのは多分そういうことではないんだと思う。
    「アイツ、無愛想だろ?」
    「あいつ……?」
    「晴臣。……ああ、えっと、ここの親父」
     雷麺亭を指差しながらお兄さんは嬉しそうにそう言った。……そっか、おじさんは『はるおみ』さんって名前なんだ。お兄さんの紡ぐ『はるおみ』の四文字がふんわりとあたたかいものに感じられて、その音を確かめるようにわたしもたった今知ったばかりのおじさんの名前を口の中でちいさくつぶやいた。――なんだか妙に照れくさい、というか。
    「……はは」
    「うっ、な、なに……?」
    「ふふ、ううん」
     わたしの顔をじっと見つめながらお兄さんはなおも楽しそうににこにこと笑い続けている。それから、視線を合わせるようにその場にしゃがみ込むとそっと顔を近付けてくちびるの端を持ち上げた。
    「お嬢さん、男の趣味が合うね」
    「えっ」
     ギョッとして目を見開く。お兄さんの言葉の意味を理解した途端、血液が沸騰したみたいに全身が熱くなってわたしは咄嗟にぱちんと自分の頬に両手を当てた。……わたし、たぶん今、茹でたたこみたいな顔をしている。
     あわあわとひとりで慌てているわたしを楽しそうに見つめながら、よいしょとかけ声をかけてお兄さんはふたたび立ち上がった。
    「……これからも、アイツとたくさん話してやってね」
    「えっ……わっ……!」
     お兄さんの声が上から落ちてきたかと思ったら、びゅおっとひとつ強い風が吹いた。咄嗟にぎゅっと目を瞑る。ずっと穏やかな天気だったのに……。風がおさまるのを待ってからゆっくりと顔を上げたわたしは意図せずぱちぱちとまばたきをくりかえした。
    「お兄さん……?」
     さっきまでそこにいたはずのお兄さんはいつの間にかわたしの目の前から姿を消していた。この一瞬でどこかへ行ってしまったのだろうか。それにしてはなんとなく違和感があるような気がするけれど。頭の中に浮かぶクエスチョンマークをそのままにわたしはちいさく首を傾けた。
    「いらっしゃい」
    「わっ!」
     ふたたび後ろから唐突に声をかけられたわたしはびくりと身体を震わせ猫みたいに飛び上がってしまった。こんな短時間に似たようなことが二回も起こるなんて。慌てて振り返り、声の主が誰なのか気付いたわたしは、わ、わ、と言葉にならない音を喉の奥からぼろぼろと零していく。
    「? 入らないのか?」
    「あ、うっ、えっと……」
     バンダナにエプロン、首元には白いタオル。いつも通りの格好で店の前に立つおじさんとぱちんとまっすぐ目が合った。おじさんは不思議そうな表情を浮かべてから何かを探すように視線を動かして、ふたたびわたしの瞳を覗き込む。
    「……お父さんは?」
    「た、たばこを、買いに」
    「ああ、そうか」
     ふ、と頬を緩ませたおじさんの表情が、何故かさっきのお兄さんの笑顔と重なった。それから、おじさんはわたしと視線を合わせるようにその場にしゃがみ込む。――これも、さっきのお兄さんと同じ。
    「店の中で待ってた方が良いだろう。外は冷えるから」
    「……うん」
     おじさんの言葉にわたしは素直にこくりと頷いた。――不意に伸びてきたおじさんの右手がふわりとわたしの頭を撫でる。
    「……おじさん」
    「ん?」
    「……なんでもない」
     一瞬、お兄さんのことをおじさんに訊いてみようと思った。――けれど、それはまた別の機会に取っておくことにする。わたしが簡単に立ち入って良い関係ではない予感がしたのだ、なんとなく。
     今はただ、今日という特別な日を心の底から堪能しよう、と。お兄さんの髪と同じはちみつ色の瞳を覗き込みながら、わたしはちいさく頷いた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺💞
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works