今でも『あの日』を夢に見る。
抵抗する術もなく、温度を失った水の中を真っ逆さまにずぶずぶと沈んでいくような感覚を覚えた。何度味わっても絶対に慣れることはないし、慣れたいとも思わない。千切れた意識をかき集めながら、晴臣は、悪夢から覚める方法を探し続けている。――ここまで重たいトラップ反応は久々だった。父親の死と、相棒の死。心臓に絡み付くふたつの『トラウマ』を、しかしどちらも手放すことなんて出来ないのだ。
吐いた息はごぽごぽと音を立てながら、水の中をゆっくりと浮上していった。
「(……お前も、俺を置いていくのか)」
無意識に腕を伸ばす。けれど、水を掻く指先は何も捕まえることが出来ない。
――痛くて、寂しくて、苦しくて、哀しい。悲鳴を上げそうになるくちびるを噛み締める。
「……っ、」
そのとき、微かに開いた瞼の隙間から、静かに水中へ差し込む一筋の光を見た。瞬間、心臓の内側を温かい血液が巡り始める。――晴臣、と。甘さを滲ませた声が優しく鼓膜を震わせる。
「(……ああ、そこにいたのか)」
口の端をゆるめて、晴臣は、薄い瞼を静かに閉じた。
「おはよう」
トラップ反応から目を覚まし、視界にぼんやりと浮かぶ相棒の姿にちいさく息を吐く。彼の口から零された挨拶は、まるで、爽やかな朝の訪れを告げているかのようだった。
カーテンがぴったりと閉じられているせいで、今が何時であるのか皆目見当もつかない。そんな薄暗い部屋の中、覗き込むように目と鼻の先まで顔を寄せた男はふわりと相好を崩してみせた。
「泣いてた?」
「……誰が」
「お前。置いてけぼりを食らった子どもみたいな顔してる」
「……」
誰のせいで、と。喉まで出かかった言葉を、晴臣はどうにかの思いで飲み下した。けれど、そういう晴臣の胸中は、きっと目前の男――九頭竜智生にはすべてお見通しなのだろうと思う。たとえ『彼』という存在が晴臣の幻影であろうとなかろうと、だ。
不意に智生の顔が近付き、鼻筋にやわらかいものが触れた。甘さを孕む彼からのやわい口付けを晴臣は静かに享受する。――傷付いた子どもを慰めるみたいなキスだ。
視界を揺蕩う智生の方がむしろ、泣きそうな、何かに耐えるような、そういう表情をしているように見えた。いつまでも片割れの存在に固執し続ける男を哀れんでいるのかもしれないし、仕方ないなと呆れているのかもしれない。けれど、今更、晴臣は何かを『正す』つもりもなかった。これが自身にとって『最善』の選択であると、誰よりもはっきりと理解している。
「晴臣」
「……ん」
「お腹空いた。何か作ってよ」
「……ああ」
「今日は和食の気分だな」
十年前と変わらない笑顔で、智生は、十年前と変わらない『わがまま』を口にする。
網膜にその景色を焼き付けるように。もう二度と、この時間を失わないために。たとえそれが『幻』であったとしても、ふたたび片割れと『武雷管』として音楽が出来る喜びは、砂糖菓子のような甘さを模しているから。――今の晴臣にとって、それ以上の『何か』は、たったひとつも存在しないのだ。