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    ちせとはる(左右不定)/ 匋依 / 箱▷https://odaibako.net/u/hrlayvV

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    ちせはる/リクエスト/20230101

    ##ちせとはる

     鶴の恩返しみたい。
     内容については考慮せず、状況を喩えただけの話だ。閉ざされた扉を眺めながら智生は思う。
     晴臣の『籠城』が始まって三日が経った。制作期間に入ると、機材の揃った自室に籠って彼はほとんど外に出てこなくなる。合鍵を勝手に拝借し、ワガモノ顔で彼のフラットに入り浸っている相棒の存在にもお構い無しだ。――最悪、智生がいることにさえ気付いていないかもしれない。
     それなりのエネルギーを使っているだろうに腹も空かないらしく、食事もほとんど摂ろうとしない。世間は『九頭竜智生』を天才だなんだと持て囃すが(そしてそのこと自体を否定するつもりもないが)、真の天才とは彼のような存在を言うのだと思う。音楽に魅せられ、取り憑かれ、――紡ぐ音はどれも至高で唯一無二。あの仏頂面からは想像も付かぬほど、色鮮やかで表情豊かな楽曲たち。
     ガチャッとドアノブの回る音がした。顔を上げ、改めて視線を向ける。数日ぶりに姿を見せたおとこは、焦点の定まらぬ瞳にようやく相棒の姿を映し出す。そうしてすこしだけ驚いた素振りを見せ、けれど次の瞬間にはいつもと変わらぬ無表情に戻るのだった。――いるのが当たり前のような扱いをされるのも、それはそれでなんとなくつまらないものだなと思う。
    「飯は?」
    「……いらない」
    「風呂?」
    「……」
     智生の問いに、彼は口を閉じたまま首を横に振る。無精髭の残る顔は見るからに窶れ、ステージのうえで王者然として振る舞う『武雷管の修羅』とは似ても似つかなかった。……やっぱり鶴の恩返しだなあ、ということを智生は思う。
     作業自体が終わったわけではないのだろう。一段落ついたから小休止、ということだろうか。ふらふらと洗面所へ向かう晴臣の背を視線だけで追いかけながら、智生はちいさく嘆息を零した。「なにか食べた方が良いし、一眠りするのもありかもよ」なんて、口にするのは簡単だが、それを素直に聞く相棒ではないことは重々承知だ。――ほんと、世話が焼けるよなあ。くちびるの端を持ち上げ、にこにこと楽しげな笑みを浮かべながら、智生は胸のうちでひとりごつ。
    「はい、どうぞ」
     洗面所から戻った晴臣(顔を洗ったのか、前髪がうっすらと濡れている)に恭しくマグカップを差し出す。智生の顔と手元を交互に見やり、晴臣は訝しむ表情を隠そうとしなかった。……いつもはこんなことしないくせに。そういう彼の声が聞こえてくるような気がするが、……気付かぬ振りをして、ほら、と彼の手にマグカップを握らせる。
    「まだ続けるんだろ?」
    「ああ」
     迷いなく答えられ、智生はやれやれと肩をすくめる仕草をする。こと音楽に関しては、相棒の気の済むまで放っておくに限るのだった。そうしてふたたび、晴臣は扉の向こうへ消えていく。



     冷蔵庫を覗き込みながら、うーんと智生は首を傾けた。彼の家のストックを(勝手に)拝借して数日間やりくりしてきたけれど、さすがに限界であるらしい。
     あれから――晴臣と久々に言葉を交わしてから、さらに二日が過ぎた。彼は変わらず自室に籠り続けていて、今日まで姿を見かけたのは片手で足りるほどの回数だ。
    「……」
     そろそろだな、とちいさく息を吐いた。テーブルに頬杖をついて、視界のすみに映る彼の自室の扉が開くのを、智生は静かに待っている。
     ガチャリといつもより幾分弱々しい仕草で扉が開かれる。数日前のデジャヴだ。今にも倒れそうな顔色の悪さで、彼は部屋の入口にぼうっと突っ立っていた。
    「晴臣、休もう」
    「……」
     うん、ともううん、とも取れるような曖昧な呻き声を上げる相棒に近付いて、無防備な右手を捕まえる。そうして部屋の外へ連れ出すと、すぐ隣の寝室の扉を開き、半ば押し込むように彼をベッドのうえに転がした。――真っ白な顔で、晴臣はかすかに首を振る。
    「……ねむくない」
    「はいはい。なら、子守唄でも歌ってやろうか?」
    「……」
    「じょーだん。ほら、わがまま言わずにさっさと寝ろよ」
    「……ん」
     まだすこし不服そうではあったけれど、――次の瞬間にはすうすうと心地の好い寝息が聞こえてくる。嘆息を零し、智生はふっとくちびるの端を持ち上げた。
     彼は、『九頭竜智生』の存在に甘えているのだ。睡眠も食事も満足に摂らず、文字通り『命を削る』ような制作期間を過ごし、倒れる寸前まで、……否、実際に倒れるまで、自身の体調を気にかけようとしない。――そうなる前に、智生が止めてくれるはずだと、意識の外側で理解しているから。
    (どっちが『わがまま』なんだか)
     仕方ないなあ、と、智生はもう一度ため息を零した。ちいさい子どもを寝かしつけるような心地で、……よっこらせ、と似合わぬ掛け声とともに彼のベッドのなかへと潜り込んだ。熟睡している彼が起きることはないだろうという確信とともに。
    「……おやすみ、晴臣」
     心配しなくても、ちゃんと隣にいてやるよ。
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