最初に知覚したのは、身を裂くような悲しみの感情だった。
目の前で、ナハトが血だまりの中に伏している。
自身の手には、使い慣れたブラスター。情けなくガタガタと震えるその手には、自分のものではない手が添えられている。
「暁、さん」
絞りだすようにその名を呼ぶと、自分が敬愛する彼を殺めた、という実感が遅れてやってくる。
崩れ落ちそうになる身体を、誰かがそっと支えてくれた。
こんな状況は知らないはずなのに、こうしなければならなかった、こうするしかなかったということが理解できてしまう。
彼をずっと一番側で見てきた自分だからこそ、やらなければならないことだったとも感じる。
それでもこんな結末はあんまりだ。こんなのは嘘だ。
強く目を引き結び、目の前の光景を否定する。
「理人さん」
隣から心配そうに呼びかけてくる声を理人は知らない。
次の瞬間、現実に引き上げられるかのように意識が浮上していった。
*
その日は、理人が新たに配属される隊員とバディを組む日だった。
昨日の凄惨な夢を引きずって、重々しい気持ちでTPA本部を訪れた理人は、見知った長身がいつも通りの様子で歩いているのを見つける。
結局夢はただの夢だったのだろうが、それでも理人はその姿を見て初めて安心することができた。
「暁さん!」
駆け寄って呼びかけると、こちらを振り向いたナハトの表情がふっと和らぐ。その表情に、ほんの少しだけ安堵の色が混ざっているような気がするのは気のせいだろうか。
「暁さん……?」
「ああいや、おはよう理人」
だが、一瞬見えたような気がしたそれは、次の瞬間には消えてしまった。
ナハトは感情のコントロールが上手い。長年バディを組んでいた理人でも、ひとたび隠されてしまえば、読み解くのは困難だった。
「今日は、お前の新しいバディが配属される日だったな」
「……ええ、そうですね」
ナハトにそう言われ、理人は表情に影を落とす。
本当なら、理人の隣にいるのはこの人のはずだった。
この人の隣で戦えることが理人の誇りで、それはこれからも続いていくはずだったのだ。
負傷したナハトが前線を退くことも、新たな隊員とバディを組むことも、仕方のないことだということは理解している。
それでもこの人が自分のバディではなくなってしまうことを、受け入れきれない自分がいた。
「暁さん。自分は今でも暁さんのことを尊敬する、大切なバディだと思っています。それだけはこの先何があったとしても変わりません」
真っ直ぐにナハトを見上げてそう伝えると、ナハトは微笑みながら頷いてくれる。
それを見た瞬間、頭にずきりと鋭い痛みが走った。
『やはり私には、バディなど不要だったか』
不意に脳裏に響いたその声は、知っているはずなのに知らない、ひどく冷たい声だった。
ナハトがそんなことを言うはずがない。そんな人ではないということは、理人が一番知っている。
それなのにどうしてこんなに不安な心地がするのだろうか。
「理人?」
「……暁さんは、自分とバディを組んで良かったと、思ってくれていますか?」
つい口をついて出た理人の問いに、ナハトは珍しく驚いたような顔をした。
これまで理人がこんな問いをナハトにしたことはない。疑ったことすらないのだから当然だ。
「もちろん。私のバディは後にも先にもお前しかいないよ、理人」
ナハトの返答に、理人はホッとする。
やはりナハトがそんなことを言うはずがない。
妙な夢を見たせいで、少し不安定になっていたのだろう。
「どうした理人、今日は少し様子がおかしいな」
「そうですか?変な夢を見たからですかね……」
咄嗟にそう答えてしまい、しまった、と理人は後悔した。
「変な夢?」
ナハトに尋ねられて、理人は言いづらそうに目線を泳がせる。
よりにもよって、ナハト本人にあの夢の話をするなんて。
「理人、私にも言えないことなのか?」
だが、理人の葛藤を知らないナハトは、するりと理人の頬を撫でながら顔をのぞき込んでくる。
ナハトにそうされてしまっては、理人は答えないわけにはいかない。
「いえ、そういうわけでは……ただ、暁さんだからこそ話しづらいといいますか……」
「夢の話なんだろう?夢で何が起こっていたとしても気にはしないさ。妙な夢なら、話してしまえば楽になるだろう」
「……自分が、暁さんを撃つ夢を見たんです。自分にも、暁さんにだって、そうしなければいけない理由なんて一つもないはずなのに」
理人の答えは、流石のナハトでも想定外だったようだ。
それでもナハトは沈痛な面持ちの理人を安心させるように笑い、ぽんと理人の頭に手を置く。
「夢は夢だ、気にすることはない。現に私は今、お前の目の前で生きているだろう?」
「暁さん……」
自分が殺される夢の話をされているというのに、理人を安心させるように振る舞うナハトに、理人の中の不安が溶けていくような感覚がある。
「ほら、もうすぐバディが到着する時間だろう。行ってやるといい」
「……はい。暁さん、それではまた後程」
大丈夫だ。あんな未来は訪れない。
優しくて高潔なこの人に自分が銃口を向けるなんて、あるはずがないのだ。
不安を振り切った理人は、ナハトに軽く頭を下げて踵を返した。
*
去っていく理人の背中を見つめながら、ナハトは一人考え込む。
「前回の記憶か……」
小さく呟いたその声を聞いた者は誰もいなかった。