ぱち、と弾けるように意識が覚醒すると、クリスは見慣れない空間にいた。
まるで映画に出てくるような、どこかで見た覚えがあるような、中世を思わせる古城の一室。
非現実的な空間と、夢の中にいるようなふわふわとした心地の中で、意識だけははっきりとしていた。
「ここ、は……」
床に座り込んだまま周囲を見渡すと、そこには長椅子に腰掛けぬいぐるみと戯れる男と、付き従うように控える男。
「スヴェンと、アロルド……?」
「ほう、俺たちを知っているのか」
アロルドと呼ばれた男は、クリスに目を向けてニヤリと笑った。
クリスがその姿を見間違えるはずもない。この二人は、かつてクリスが仲間たちと出演した映画の登場人物そのものだ。
片方は雨彦が演じたアロルド。そしてもう片方はクリス自身が演じたスヴェン。なら、今対面しているアロルドも雨彦が演じているのだろうか。
「雨彦、なのですか?」
「アメヒコ?誰だそれは」
だがクリスの問いに、アロルドは首をひねる。
アロルドの纏う雰囲気は雨彦のそれとはまったく別物だ。この夢の二人は紛れもなく、アロルドとスヴェンそのものだということなのだろう。
「まあいい、お前には俺の退屈しのぎに付き合ってもらう。スヴェン、遊んでやれ」
「はい、アロルドさん」
アロルドの呼びかけに頷いたスヴェンはクリスに静かに歩み寄り、腰を落とした。
細く長い指が伸びてきて、クリスの頬を撫でる。夢にしては鮮明な感覚に、クリスは戸惑いを隠せない。
そのまま首元、鎖骨へと流れた指先は、シャツのボタンにたどり着いた。
「な、にを……」
呆然と見上げると、自分と同じ顔をした男が顔を覗き込んでくる。唯一クリスと違う色をしたその碧眼は、ゆったりとした手つきに反して氷のように冷たかった。
クリスが演じたスヴェンにとっては、アロルドがすべてだった。このスヴェンもそうなのだとしたら、それ以外のものは、例え自分と同じ顔をした存在であっても興味の外なのだろう。
ぼんやりとその顔を見つめていたクリスは、事務的に一つずつボタンが外されていくのを見て我に返り、思わずその手を掴んだ。
「や、やめてください……!」
「アロルドさんのご命令なので」
クリスの制止に、感情の籠もっていない単調な声が返ってくる。
「魔力を持たない貴方では、私すら退けることはできません。おとなしくしていた方が身のためだと思いますが」
そう話すスヴェンの周りにふわりと水が浮かび上がった。感じたことのない強い圧迫感は、彼が宿す魔力によるものだろうか。本能的な恐怖が湧き上がってきて、クリスは身動きがとれなくなってしまう。
さらにいえば、傍らで二人の様子を楽しげに眺めているアロルドはスヴェン以上に強く苛烈だ。スヴェンを演じた身であるクリスは、彼の人となりをよく知っている。ここで余計な抵抗をしたところで、何の力も持たないクリスでは、容易く捻り潰されて終わりだろう。
抵抗する意思が弱まったことを察したスヴェンはクリスの手を払いのけ、再びクリスの衣服を寛げていく。
ボタンを外されたシャツが肩から落ちると、スヴェンの顔がゆっくりと近づいてきて、唇が重なった。咄嗟に閉ざした唇をスヴェンの舌がなぞり、そのまま口内に入り込んでくる。
「っん、ぅ……」
口づけが深まると、ぐらりと頭が揺らぐ感覚がした。スヴェンを押し戻そうとしても、身体に上手く力が入らない。
これが夢なら早く覚めてほしいと強く願いながら、クリスは耐えるように目を引き結んだ。
スヴェンの冷たい指が剥き出しになった肌に触れる。快楽を呼び起こすような手つきは、クリスにとっては恐怖でしかなかった。
「や……っぁ……」
スヴェンはクリスの身体を撫でながら、口づけを落としていく。まるで自分の身体かのように、すべてを知り尽くしているかのように動くスヴェンに耐えきれず声が漏れると、スヴェンは少しだけ満足そうな表情を浮かべた。
「っ、雨彦……」
どうしてこんなことに、と考えると、自然とこの場にはいない恋人の名が口をついて出る。
たとえ夢であっても、相手が自分と同じ姿をした存在であっても、雨彦以外の存在に触れられたくはない。この身体を許すのは雨彦だけだ。
それを自覚すると、嫌だという感情が、この場から解放されたいという思いが強くなる。
「助けて、ください……雨彦……」
縋るようにそう呟くと、何かに強く身体を引かれるような感覚がした。
「……論……古論!」
焦りを含んだ、聞き慣れた声が何度もクリスの名前を呼んでいる。
ゆっくりと目を開くと、険しい表情をした雨彦が、クリスの顔を覗き込んでいた。
「……あめ、ひこ……?」
名前を呼ぶと、ホッとしたようにその表情が和らぐ。
周囲を見渡すと、そこはすっかり見慣れた雨彦の部屋だった。
「私は、どうしてここに……?」
「お前さん、突然倒れたんだ。覚えていないのかい?」
そう話しながら、雨彦は身につけていた数珠を外す。サイドデスクに置かれたそれは、いくつかの石がひび割れて、どこか色褪せているようだった。
直前の記憶を呼び起こそうとすると、先程までの光景が蘇る。あれはやはり夢だったのだろう。それなのにまだ、スヴェンに触れられた感覚が残っているような気がした。
「雨彦……」
雨彦の袖を引き、その身体に腕を回す。身体が震えているのが伝わってしまうかもしれないが、気にしている余裕はなかった。
「古論?」
「少しだけ、こうさせてください」
ぴたりと身体を密着させて、雨彦の体温を確かめる。それだけで少しずつ、先程まで感じていた恐怖が消えていくのがわかった。
「古論、もう大丈夫だ」
大きな手がクリスの頭を撫でる。その心地良い感覚に身を預けながら、クリスは静かに目を閉じた。