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    キツキトウ

    描いたり、書いたりしてる人。
    「人外・異種恋愛・一般向け・アンリアル&ファンタジー・NL/BL/GL・R-18&G」等々。創作中心で活動し、「×」の関係も「+」の関係もかく。ジャンルもごちゃ。「描きたい欲・書きたい欲・作りたい欲」を消化しているだけ。

    パスかけは基本的に閲覧注意なのでお気を付けを。サイト内・リンク先含め、転載・使用等禁止。その他創作に関する注意文は「作品について」をご覧ください。
    創作の詳細や世界観などの設定まとめは「棲家」内の「うちの子メモ箱」にまとめています。

    寄り道感覚でお楽しみください。

    ● ● ●

    棲家と棲息地:https://potofu.me/kitukitou

    絵文字箱  :https://wavebox.me/wave/buon6e9zm8rkp50c/

    パスヒント :黒

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    キツキトウ

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    2024/8/8
    Wisteria:零れ話(6)
    最初は民俗学風味のお話と、本編の零れ話を幾つか。

    なんかこの(https://poipiku.com/34659/10560858.html)へびぬいの感じ見ていると、この零れ話のぬい「ここはわれのおるばしょ」(どんっ)って感じの言葉が聞こえてきそうでちょっと楽しい。

    #創作
    creation
    #小説
    novel
    ##Novel

    Wisteria:零れ話(6)【項目 Wisteria:零れ話】「狭間の生命」「ひそやかな特等席」「はじまりの朝」「花咲く常盤の郷」●「Wisteria:零れ話」について。

    本編閑話タイトル其々のおまけのような話、補足や本編その後、とても短い話・隙間話や納めきれなかったお話達。時系列は都度変わります。大体本編と同じ様にいちゃついてるだけの他愛のない話。


    以下は本編と同じ注意書き。


    ○「Wisteria」に含まれるもの:創作BL・異類婚姻譚・人外×人・R-18・異種姦・ファンタジー・なんでも許せる人向け

    異種姦を含む人外×人のBL作品。
    世界観は現実世界・現代日本ではなく、とある世界で起きたお話。


    ○R-18、異種恋愛、異種姦等々人によっては「閲覧注意」がつきそうな表現が多々ある作品なので、基本的にはいちゃいちゃしてるだけですが……何でも許せる方のみお進み下さい。
    又、一部別の創作作品とのリンクもあります。なるべくこの作品単体で読めるようにはしていますがご了承を。


              ❖     ❖     ❖


    【項目 Wisteria:零れ話】
    「狭間の生命」
    「ひそやかな特等席」
    「はじまりの朝」
    「花咲く常盤の郷」



    「狭間の生命」



    「わっ」
     自身の脚に足を引っかけ捕られては、どたりと倒れて膝を打つ。勢いよく地についた肘や掌も痛い。
    「いたい……」
     赤味を帯びている膝を撫でて溜息をつく。なぜこうも自分はどんくさいのかと、今までを思い出して泣きそうになった。

    (自分が此処に来たのがきっかけなのだから)
     朽名の元へ来てから数週間。
     夏の日差しの中へと朽名が出かけていくのを見て、「少しでも自身に出来る事をしよう」「使わせてもらっている家を預かっているのだから、朽名が帰って来た頃には少しでも部屋を綺麗にしておこう」と心に決め、奮起する散漫な脳で勢いよく動き過ぎた。
     自分の速度と器量を忘れている体に夏の空気が纏わり付き、肌に触れる温度が自身の熱を増やしていく。ただでさえ体力が少ないのに楽しさでつい休憩するのも忘れ、あちらこちらと掃除をしていた。そして雑巾を片手に立ち上がった時、疲労と己のどんくささで足を絡ませてしまう。
     洗いに行こうとしていた雑巾がぺしゃりと床にひれ伏し、眺めていると此方の心もぺしゃりとしてしまいそうだ。
    (おれが、ちゃんと〝つよく〟なれなかったから)
     体力も無く、運動神経も無い。そのせいで転ぶ事も多々あった。背や肉付も、力だって同じ年程の子達よりも乏しい事を知っている。そしてどうして自分がこうなのかも何となくわかっている。
    (だけどもっと動けたら、もう少しだけでも朽名の助けになれたのかな……)
     もっとうまく動けたらとは思う。上手く出来ない事が悲しくて泣きたくもなる。自分の不出来がきっかけで朽名の手を煩わせてしまうのももどかしい。だけれど、どうしたって今自分はこうなのだからどうしようもない。
     そんなひ弱な命でも、どうしたって今自分は生きているのだ。

     ぐっとお腹に力を入れて立ちあがる。服の端で涙目を拭って落ち込んでいた雑巾を拾い上げた。
    「あと掃除していないのは……」


              ❖     ❖     ❖


     後は気になってはいたが、見てみる機会が何となくなかった納戸。そっと戸を開けて覗き込んでみる。
     微かに埃っぽさはあるのものの、やはりあまり汚れや塵は目立たない。出会った初日、この母屋へ移った時に朽名が力を使い、穢れと不浄が払われて劣化があった物もあらかた綺麗にしつくしていたのだ。
     今日掃除をしてきた場所も数日の中での跡はあるものの、そこまで汚れという汚れはなかったのだ。だから今の自分でも掃除が出来る範囲だった。
    「えっと……取り敢えず……」
     まずは空気の入れ替えをする事にして、大きく戸を開いておく。置いていた桶の中でじゃぶじゃぶと雑巾を洗い、きゅっと水気を払う。ついでに腕で汗を拭う。
     背の低い自分では高い所は届かないので、今日は手の届く範囲の埃をふき取る事にした。

     箱や物を手にとっては拭き、横によけては棚や地を拭いていく。
    (これはまだ使えそう)
     丁寧に紙に包まれ箱に仕舞い込まれていた大きなお皿を手にして眺める。描かれる模様が可愛らしくつい興味を惹かれてしまったのだ。
     生活に使う物、今後も使えそうな物、見た事が無かった物、用途の分からない物。物を発掘すると更に物を発掘する。そうして出てくる物達は藤の好奇心に触れていく。
     用途は分からないけれど、棒のように重ねられた板を開くと繋ぎ目から放射状に広がり、そこに美しい絵が現れる物もあったのだ。けれどそれは束になっている木の柄に、絵が描かれる紙が貼られて折り畳まれていたので、繊細なそれを壊したくなくてすぐに仕舞い直した。
    (……楽しい)
     小さく息が吐かれ笑みが灯る。
     家の中に居るのに探検でもしている気になるのは、何だか前に居た家での宝物探しを思い出す。わくわくと心を躍らせながら更に奥へと物がひしめく森を探っていく。
    「かわいい」
     そしてふと出会ったものに言葉を落とす。
     他の箱の奥へとしまわれていた淡く青みのある箱。色合いも可愛らしいが、両の手にちょこんと乗る正方形の小さな姿も可愛らしい。
     そして開けてみると好奇心が増す。
    (硝子……かな……?)
     取り出してみると薄青色のまあるい物。底には穴が開いていて中は空洞。そして色はついているが透明で、光が照るときらりと光る。ただ、不思議なのがその丸い中から紐が通り、その先には長細い紙がついている。紐の途中には小さく細い棒状の物もついていた。
    「これ、何に使う物なんだろう」
     手の中で納まるそれに興味が惹かれていく。朽名が帰ってきたら聞いてみようか。そう考えた時だった。
     ぐうっとお腹の奥底から音がなる。
    「……ごはんにしようかな」
     何時の間にか陽は天辺を過ぎては傾いていた。身体は重さを含み、喉も乾いている。その事に気づくと、眉間にしわを寄せながら「休む事も仕事だ」と教えてくれた大きな白い蛇を思い出したのだ。
    (倒れたらだめだよね……)
     見つけた宝物は一度置いておき、藤は掃除道具を片づけて最近馴染み始めた厨へと向かった。


              ❖     ❖     ❖


    (よく噛んで食べる。よく噛んで食べることは、歯を養い、腹持ちを助け、身を多く助けること)
     朝に炊いておいたお米でおにぎりを作り、もぐもぐと咀嚼する。以前朽名から教わった言葉を頭の中で反芻しては、身に染み出す味わいに笑顔が浮かぶ。
     中身は梅干しと昆布の佃煮。しっかりと塩をまぶして二つ、三つと作り海苔を巻いたもの。藤の手から生まれたそれはころころして丸みがあり、小さく可愛らしいものだ。
    (梅干しは病をとおざける。海産物は栄養が豊富で、身体をととのえる)
     前の家でも、時折貰う事のあったおにぎりにも入っていた。姿を見ただけで口の中がその味を思い出す。しょっぱくて、すっぱくて、強く此方に痕を残していくのに、どこかわずかに〝甘い〟気もする赤い実。
     初めて梅干しを口にした時は驚いたのに、今ではまた一つと手に取りたくなる食べ物の一つだ。それでいて栄養価が高く、強い殺菌効果を持ち、体の助けになる効果が多いのだから不思議なもので。
     それを教えてくれたのも朽名だった。
    (〝発酵食品〟の事も教えてもらったんだっけ。納豆も、この前はじめて食べたけどおいしかったな。梅干しと同じように身体を強くしてくれるすごい食べもの!)
     知らなかった物事を教わる度に心が躍り、こんなにも多く事柄があるのだと知れるのがまた楽しい。
    (そういえば、朽名ってどんな味が好きなのかな……?)
     生きる事に余裕が持てなかった自分は様々な事を教えてくれる朽名によって自分の〝好き〟を見つけ続けている。では、食べる必要はないと言っていた蛇が、食べる事を始めて見つける〝好き〟はどんな味なのだろうか。
     すっぱいもの、しょっぱいもの、からいもの、にがいもの、あまいもの。そういえば、自分がはじめて作ったあの食事はどう感じたのだろうか。味が濃すぎたり薄すぎたりしていて、少しづつ味わう事を取り戻し始めた自分でも……いや、あの時の自分でも上手くは作れていなかったなと思う。今だったら……もし朽名におにぎりを作ってあげるとしたら、何を入れたら喜んでくれるのだろうか。
     自分はそれさえ知らないままだ。
    「すき……」
    (沢山、朽名の好きを知れたなら……良いのにな)
     そう願ってしまった自分にはたと気づく。圧迫し続ける鼓動を奥へ奥へと押し戻す為に大きく息を吸う。そして手元の美味をまた小さく齧った。
    (どうして)
     どうしてこう思ってしまうのだろう。好きを知り続けて自分はどうしたいのだろうか。これも知りたい欲なのだろうか。何も知らないままの自分が嫌なのか。そんなに自分は知る事にあさましいのだろうか。
     だから、「始めて好きになる味」も自分が最初に知りたくなるのだろうか。
    (でも、それでも知りたいなって思うんだ)
     自分があさましく、知る事に貪欲で飢えていたとしても、それでも、なおも知りたいと思ってしまうのはどうしてなんだろうか。そう疑問ばかりが浮いては誰へと問われないまま弾けて自身の中へ消えていく。
     どうして考え出すと心が沸き立ちはやるのだろう。どうしてその姿を浮かべると……。

     自分の考えを、自分がよく理解できない。
     奥底で何かが熱を帯びるのに、ふつふつと熱せられる何かが何であるのか分からない。
     自分は何も知らない子供だ。
     何も知らなすぎる上に出来る事も少なすぎる子供だ。自分の事さえも自分で答えが出せない。今自分が立つその位置よりも、途方もなく長く長く生きてきたその相手は遠く遠くへと歩いていた。
    (なんで……あの家に一人で居た時より)
     そんな朽名を浮かべると無性に泣きたくなってしまうのがまた分からなくて、更に泣きそうになった。じんと喉の奥が嗚咽で痛みそうになるのを、噛みしめていたものと共に飲み込んだ。
     どうしてこんなにも寂しくなるんだろうか。
     今日だってそうだった。戸口の向こうで、その生命力に飲まれそうな程に青々とした季夏の景色へと溶け込んでいく背中を見送っては、内に生まれた物悲しさと不甲斐なさを自身から逸らしてしまいたかったのだ。
     一人は慣れている筈なのに、閉じ込められたあの納屋の中で、それは疾うに感じる事は無くなったかと思っていたのに。住み始めてから数週間と経つが、ひそりと静かな広い家屋でただ一人家を守る時間に、まだ自分は慣れる事が出来ていなかった。


     やがてゆっくりと飲み込むと、「ごちそうさま」という声が蝉達の合唱の中に混じり空気に溶け込んでいく。お腹が満たされ、冷やしておいた緑茶も口に含む。そうして一息ついた事によって、ようやく脇に置いておいた疲労の手をとりたくなった。
     軒下に掛けられた陰影の濃い簾の向こうを眺めると、雲の山々が冴える空に連なっている。
    (……朽名、暑い中で大丈夫かな)
     一応は人の身で出かけはしているのだが、蛇は辺りの気温に体温が左右されると教えてもらった事がある。
     それにこうして一人家に残っているのは、物寂しさだけでなく何だか不安にもなりそうだった。朽名が帰らなかったらどうしようと想像してしまったり、以前の家を思い出してしまう事も多々ある。
    「はやく、帰ってこないかな……」
     呟いた自身の言葉ではっとする。
    (しっかりしないと。一人でも立てるように強くならないと)
     ぶんぶんと首を振ってはこれではいけないとなり、「そうだ!」と納戸で見つけては気になった宝物を、朽名が帰ってきたら聞けるように持ってきておこう考えつく。


    (綺麗だね)
     聞いてみようと思った物を卓上に並べる。
     お皿は使ってもいいか、それ以外はどういう物なのか。感じた不安を飛び超えて、視線は好奇心へと向いていく。そうして観察しながらもうすぐ朽名が帰宅する時間だと思った時には、藤は微睡の海の中を泳いでいた。


     外から差し込む光を通して、卓上からきらきらと光の粒が零れる。だが、しばし粒を生んでいた白と青の硝子が、突然現れた影によってまたその色を変化させた。


              ❖     ❖     ❖


     コトリと自身の傍で気配がする。
     勢いよく身を起こして待ち望んでいたその顔を見つけた時、散漫とした意識がぱっと一つ所に帰ってきた。
    「おかえり!」
     元気に呼びかけるその声で、お茶を飲みながら休んでいた蛇に笑みが浮かぶ。
    「今日は随分と元気だな」
    「えっと……梅干しを食べたから……かも……?」
     萎んでいた心は眠る事で息を整え、得ていた疲労は何処かへ散歩に出かけたらしい。と、そう小さな少年は思い至ったようだった。
    「そうか。お前の助けになったようで良かった」
    「うん!」
     明るい藤の声に笑みを浮かべてしまう。
     来たばかりの頃は自身が外へ出ると顔色が暗くなる事もあり、帰宅すると不安なのか戸惑いなのか声が萎んでいる事もあった。正直藤を一人不慣れな家に残すのも気が掛かりだったのだが、今日は明るく元気に迎えられたので一先ずはよしとしよう。
    「所で、この行列はどうしたんだ?」
     丁度好い掛け声に、何時訊ねてみようかと思ってはそわそわうずうずとしていた藤の声が跳ねる。
    「納戸の掃除をしていたらね、みつけたの。朽名が帰ってきたら聞いてみようと思って」
    「ほう、懐かしいな。これは見かけた事があるぞ」
     見覚えのあるらしい朽名も卓上に並ぶ列に興味が向けられていく。


     夕へと歩を向け続けるその中で、今日も小さな学び舎が開かれていた。
     自分の知らない言葉や物事、興味深い物や動植物を庭で見つけた時など、朽名に尋ねては時折こうして学び舎が開かれる。
     それを知るのが楽しいと言わんばかりにわくわくと目を輝かせた藤が、熱心に耳を傾けている姿が日々の生活の中で映し出されるのだ。
    「これね、開くときれいな絵が描いてあるの」
     そっと壊れないように、恐る恐る藤が開く。静かに開かれたその場所には青々とした竹が描かれていた。
     長い時が経っている筈なのに、その青緑色の発色に目が惹かれていく。
    「扇子だな」
    「せんす?」
    「ああ。様々な種類があるが、これは中でも紙扇子という。見た通り、紙を合わせて出来た地紙に扇骨という木や竹などで作られた支えを差し込んで生み出すものだ。この国で生まれた縁起物だな」
     ふんふんと首を揺らしている藤は、持ってきていた紙束に覚え書きを記していく。
     実はこうして記し始めて溜まっていく覚え書きの束を、密かに宝物にしているのは内緒の話である。何だか思い出を記している気もして後で見かえすと楽しいのだ。
    「末広がりを意味してはめでたい事柄や言祝ぐの際には扇子自体の他に模様や飾りでも取り入れられ、相手へと贈られたり自ら使用したりする。噺や舞といった動作の表現でも使われ、神へ舞を奉納する際にも使用されるのでそうした意味合いでも縁起物とされている」
    「ほうのう?」
    「物や技能といった人が成せるものを神仏に納める行為で、絵馬も元は馬を納めていたものを簡略した事柄だ。神仏を楽しませたり、日々の報告や礼を示したり、今後の意を伝えたりと様々な意図があるのだが……まぁなんだ、中には〝自身の願い〟を叶える目的で渡してくる者達も居るな」
    (「あの人達の所へは帰りたくない」と、あの時の藤は言ったのだ)
     数週間前の出来事を思い出して遠い目になる。それは奉納とはまた意味合いが違ってくるのだが。
     そして豊穣や他者を想うそれとは違う願望を募らせる者も中には居る。世の中純粋な人間ばかりではないのが事実ではあるが、その廻り合わせで共に居てもそう心地が悪くない者と過ごしているのだから、これも何かの縁なのかと今は自分を納めて置く事とする。
     せっかくの藤との時間を〝心無い者達の為に〟無下にするのも嫌なのだ。
    「朽名も舞をみたことあるの?」
    「ああ、そうだな……。仰々しいものはないが、以前に此処を管理していた者が戯れに舞を踊っていた。……そういえばその時も扇子を使っていたな」
     戯れとは言いつつも、中々腕はあったので感心したのを覚えている。友人でもあるその者だったが、普段が普段であった為にお前はそんな事が出来るのかと、日々とのその差に感心したものだった。……しかも酒を飲んでのそれなのだから、普段から姿勢を正してほしいものだ。
     そうして感心して眺めていたら、酔いで緩まった手元から扇子を飛ばしてはそのままぱたりと寝入っていた。それを揺り起こそうとすれば此方を女と間違えて面倒くさく絡んでくるので、〝そうした輩〟は放置する事を憶えたのが己である。
     蛇が息を落とす。
     まだ自身が未熟だったのもあるが、思い起こされる友人に振り回されがちなその日々に、だが悪い事柄ばかりでもなかったかと蛇が苦笑した。
    「……これってあまり使わない方がいいのかな? 大切な時に使う物?」
     おめでたい事、仰々しい事、神前行事。「これは大切な場面で使うのかな?」と首を捻る藤はじっと手元の絵柄を見つめる。
    「そんな事はないぞ。むしろ人の生活に近い道具でもある。開くそれを仰ぎ風を生む事で功を成す。里でも暑い日はこれで仰いで涼んでいる者を見かけたりするな。懐にも入れやすい。香りの良い木で作り、生活の中でも香りを楽しむ者も居る。口元を見せないようにと礼儀の一つとして用いられたり、礼儀を意識する事の多い茶道でも使われるそれは、まじないの意図でも向こうと此方とで一線を置き〝境〟や〝結界〟などを示す事もある。あとは遊びに使ったりもするらしい」
     遊びに使っていたというのも例の友人から聞いた話である。
    「的に向かって扇子を飛ばし当てたり、水の入る茶碗に割り箸を渡して扇子で叩き折り、水をこぼさずに割れた者を勝者とする遊びがあるらしい」
    「え……そんな事して壊れないの?」
    「無理をし過ぎたら流石に壊れるな。ただ、すぐ壊れる様なら遊びにまで使われていなかっただろうとも思う。所作や幾つかの意味、機能と用途、懐にもしまえるその手軽さ。その高さはそれだけ作り上げる職人の技術があったとも言えるし、複数の用途があるのは扇子という道具が優れているからなのかもしれない。……藤、その扇子を閉じて此方に渡せるか?」
     朽名からの言葉で、恐る恐ると閉じられていったそれを藤が相手へ手渡す。渡されたそれを、そつなく片手で持ち――
    「まぁ、見ていろ」
     藤が視線を動かしたその途端、指先が動かされ手早い動作でばっと扇子が開かれ、眺めていた相手の肩がびくりと揺れる。そしてぱらっとまた閉じられ、現れた竹は襞の中に仕舞い込まれた。
     素早くぱらりと開かれては閉じていったそれに、壊さないようにとはらはらと震えていた心が今度はぽかんと驚きに満ちていた。
    「しずしずと一枚づつ恐れながら開くのも物を保つのにいいが、それだと難な時もある。上手く使いこなせるか、物が保てるかは持ち主の力量とも繋がっているんだ」
     綺麗に閉じられたそれを藤へと渡し、相手の意図を組んで持ち上げられた両の掌にそっと置く。驚きに満ちていた瞳は、次には「どうやってやるんだろうか?」という好奇心に満ちていた。輝く瞳に微笑む。
    「良いものだから、縁起物だからと仕舞い込んでしまうのもまた、人の腕としても物の在り方としても勿体無い事だろう。その物の本質を見極めて技量を成すのが一番だろうな。物を大切にするのはとても関心な心掛けだが、ある程度までは物を信じてやるのも肝心な事だ」
     藤の様子に、うんうんと蛇は頷く。
    「これはお前が持っていると良い」
    「え? いいの?」
     好奇心に輝いていた瞳は、嬉しさも伴ってまた光る。
    「ああ、お前が持っていた方が好いだろう。縁起物の話をしたが、これは描かれる物によってはまた一つ意味合いを含んでいる場合もあるんだ」
    「えっと……この絵の竹にも意味があるの?」
    「ああ。竹の特性と重ねて、丈夫に真っ直ぐに成長していく事を願い、そしてその伸びから周りに押し流されない心の強さを表している」
     まんまるな目が開かれる。やがて意気込んだその心意気は瞳にも現れた。
    「そう、なれたらいいなぁ」
     楽しそうに笑う藤に、薄く息をこぼす。
    (いや、今のお前にも合っていると思うぞ)
     だが、藤の更なる成長もまた楽しみの一つなので、此処はあえて言わない選択肢を選んだ。目の前で揺れる己よりもずっと小さな頭を撫でる。
    (懐かしいものだな)
     藤との話の中で思い出したのだ。これはあの男が普段使っていた扇子だったと。
     女好きで此方を巻き込む事もすれば、気落ちした誰かを引っ張ってゆく。どうしようもなくただ願う事は他人を想うばかりの友人。その物が、そんな面倒起こしの面倒見の良い奴の懐に普段から潜っていたのを思い出したのだ。
     今まさに此処に居る自分からしたら遠い記憶の出来事が、しかし確かにその時の流れの中で者と物が息をしていた。
    「あ、あのね。さっきの開き方教えてほしい」
     懐かしんでいるとやがてうずうずとしていた藤が口を開く。
    「ああ、いいぞ」
    「あとね、これも気になる。このお皿ね、お花みたいな模様してるんだ」
    「梔子の花か。此処は梔子神社だからな。此処で暮らしてきた住人達が何かしらのきっかけで作ったか、他から賜わったものなのだろう」
    「くちなし? その花も神社にあるの?」
     少々山を登る事になる廃れた神社などめったな事では人はこないが、念には念を入れて登ってきた者とかち合わないようにと今は用心を重ねている。なので藤はまだ深く境内の散策が出来ていなかった。
    「境内の木々に紛れているな。晩春から初夏に咲く花でお前が来た頃にはもう枯れてしまっていたが、次の年にはまた見れるかもしれないぞ」
    「みてみたいな……」
     話を聞きながらお皿の絵を眺めていた藤がぽつりと呟く。
    「咲いたら教え、そして私も共に見よう。人よりも感覚が鋭い蛇が気配を探っていれば、他者とかち合う事も早々ないだろう?」
     一つの提案で藤の表情が明るくなった。
     最近気づいた事だが、藤はよく庭を眺めている。何を眺めているのかと共にその横から覗くと、草花を見ている事が多かった。恐らくこれらも興味が惹かれるものの一つなのだろう。
     偶に山を登るついでに休憩場所や寄り道として人が来る事もあった。だが、朝の早い内ならより人も少ない。藤を母屋や庭先に閉じ込めたままなのも心苦しく、せめて少しでも境内くらいには出れるようにしてやりたかった。
    「そういえば私の名前もその植物からとられていたな。蛇を表すクチナワという言葉と梔子の音からとり、朽ちぬ事の無い名と意味づけられたらしい。その木に蛇の姿で休んで居たらな、神として生まれたばかりの私を土砂の傍から見つけた男が、名前がないと不便だからと花を眺めながらそう名付けた」
    (今日はよく昔を思い出すな)
     だが、思い出しても以前よりは心の底が冷たく感じないのは、楽し気に興味深く、熱心に耳を傾けてくれる藤にあてられたのかもしれない。
     己はきっと、昔のあの人々に触れあった日々をそう嫌ってはいなかったのだろう。ただそれが遠のき、顔見知りも消えていった今の世にただ寂しさを感じていただけなのだ。
     そうして神の役を押し付けられた己だけが残った。
     此方がどれだけ我儘にむくれ閉じこもったとしても、居なくなった者達のそれは自分には変えられない。自分は万能である分けでもなく、そしてどうしたって人の方が歩む速度が速い。だから余計に心の底がやるせなさに沈んだのだ。
    「……朽名はその花が好き?」
    「そうだな……どちらかというと好きな部類だな。私も存外草木を眺めるのが好きらしい。梔子は『天国に咲く花』だという言い伝えもあるらしいが、本当の所は分からん。ただ、香りが高く、香木としても名高い植物だ。香りにまつわる物を作る際に材料になる事がある。その香りがまた良いものだったな」
    「見たい! 朽名と一緒に!」
     ずいと前に出た藤に少しばかり目が丸くなる。蛇は笑みを浮かべると頷き、目の前に飛び出してきたその頭を撫でておいた。
    (里に下り、再び人々の願いに耳を傾ける事になったのは面倒ではあるが、今この時もそう悪い事ばかりでは無いな)
     きらきらと輝く瞳や表情から目が離せなくなる時がある。藤自身が好きなものを自覚した時の表情もまた、己が気に入っている事柄だ。
    「花の名前、お揃いだね!」
     言われてみればそうである。気がつくと、目を瞬かせながら「おぉ」と声にしていた。
    「確かにな。こんな廻り合わせがあったか」
     感心していると、横からえへへと嬉しそうにお皿を眺める藤の声が聞こえてきた。気づいているのか分からないが、楽しそうに少し身体も揺れしている。伝播した嬉しさが此方をほころばせる。……不覚にも、
    (愛らしいな)
     そんな事を思った自分が居た。
     ここ最近、藤を眺めているとそんな事を思う。そしてそう感じる自身が居るのに驚く。……あまりにも遠い記憶はもうすでに薄れていった事柄も増えたが、果たして人間を見ていてそう感じた事は今まであったのだろか。少なくとも人と関わらなくなる前の近しい記憶ではなかった筈だが。
     ただただ暇つぶしの話し相手になればよかっただけだったのが、今ではそのころころと変わる表情が興味深くて眺めてしまうのだ。
    「これ、使ってもいいの?」
    「ああ、構わん。使った方がこれも喜ぶだろう」
    「よかったぁ。見つけた時にね、まだ使えそうなほど綺麗なのに、箱に入れられたままのお皿がなんだか寂しそうに見えたんだ」
     綺麗なお皿だが、使う物として生まれたのにそのまま仕舞い込んでおくのももったいなくなってしまう。そんな思いを抱えた藤の瞳には優し気な灯が点っている。
     その優しさが藤の持ち味なのだと過ごし始めた日々の中でもよく分かる。
    「人、自然、生きもの、そして物。そこに含まれた〝命〟を感じ取り、大切にしてきたのが私やお前が居るこの国だ。分かり易く目には留まらなくともな、物には命が灯っているんだ。それは作った者の想いだったり、これ自身のものだったりな。だから多くの者達は自身の事を助け支えてくれる〝物という者〟を大切にもするんだ。そうした末に生まれた神もこの世には居る」
     藤が耳を傾ける。
     そうでなくとも此処は人とは違った者達が生まれ始めた世なのだと前にも教わった。自分の知らない世がこの国で広がっている。
     朽名自身もその一人で、そして自分以外にも外の世界には多くの者達が命を芽吹かせ日々を送っている。前に居た家では見かける事が無かったが、人とは違う者達も居るのは何だか興味が惹かれてしまう。
    「……私もな、修繕を頼まれる事が多いからか、何度も壊れた物を見ていると向こうの声が聞こえてきそうでな、『お前も大変だな』と労をねぎらう気持ちになる事がある」
    「なんとなくわかるかも……。今日ね、転んだ時に雑巾を落としちゃってね、ぺしゃりとしているのがなんだか悲しそうで、見てると自分も落ち込みそうだった」
     それを聞いた相手の目が開く。
    「転んだのか? 怪我はしていないか?」
    「うん、大丈夫。ちょっと膝が赤かったけど、もう治ったよ」
     んしょと藤が膝を立てて相手へと見せる。
     こうした事で怪我をする事が多かったが今回はなかったのだとなぜか誇らしげな藤に、朽名は(無事だったのだから落ち着け)と己を宥める事にした。
    (……念の為にな)
     藤の背をぽんぽんと撫でては、褒める意図のついでに力を使っておく。労いだと思った藤が「ありがとう」と礼を告げていた。うんうんと蛇が頷く。
     藤の今の身体の状態は分かっているのだが、どうにも転んだりしているのが多いので心配になってしまう。だが何もせずに、そして動かずにただじっとしていろなどは藤の為にもならない。動かなければ体力もつかないし、出来る事も身に付かない。
    (少しでも活動し、生活の中で生きる為のすべを身につけられるだけつけた方が良いからな)
     しかし心配なものは心配なのである。
     自身の欠片である蛇でも置いてくべきだろうか。だがあれは見守る事は出来るが、有事が起きた際に自発的に手を貸せるのかと言うと中々難しい。それこそ〝蛇が行動出来る範囲〟だろう。
    「朽名?」
     あれやこれやと考えては黙っている蛇に、藤が不安そうな顔で覗き込む。いかんと顔を向けると笑みを浮かべた。
    「いやなに。お前の事だから雑巾は綺麗に洗ったのだろうなと思ってな」
    「うん! 綺麗に洗って、今は物干し竿にかかっているよ」
     元気な藤の声にまた蛇が頷く。
    「まぁ、多くの者が居る世でもあるからな。人の中には物を粗末にする者も時には居るのだ。そうして雑巾を長い事洗わずに不衛生にしているとな、しろうねりという妖者が生まれるらしいぞ」
    「生まれたの?」
    「私は見た事はないがな。別の里で生まれたというそんな話を遠い昔に聞いた事がある」
     事象から生まれる者、祀られた物から生まれる者、謂れが含まれ生まれる者。物から者が生まれる事例は幾つかあるが、長い月日の末に生まれる者も居る。
     特に「腕を磨き、想いや願いを籠め、やがて〝力〟が乗せられて作られた物」は新しき者達が生まれやすい。
    「そうして物から生まれる者を付喪神ともいったりする。妖と呼ばれる者もいれば、神とされる者もいる。この国には八百万たくさんの神々がいるからな。神も妖も精霊も。その境は曖昧で、物だけでなく自然や生活の中でも多くのものに神が宿っている。石ころ一つにも神はいるし、〝人の神〟も恐らくは存在しているだろう。そうした御霊みたまは例外なくお前の生活の中にも存在している」
     話す蛇は身を動かし佇まいを整える。
    「生まれいずるものが現れ、そしてその在り方が存在するのは、畏怖や敬意の他にも『物を粗末にしたらいけないぞ』『自身を助けるものには礼儀を持て』という生きてきた人々の考えと想いもまた存在し、そして含まれていたりもするからだろう」
    (もしかしたら当初・本来の神というものの在り方は、こうしたものだったのだろうな)
     何者かを想い助ける者も神であり、他者と己自身を貶めずに大切に出来る者もまた神なのだ。
     土砂から這い出ては人間という者に信仰心を乗せられ、今の在り方に至ったその蛇はふーと溜息をつく。だが、良いも悪いも居る人々を眺めてきた記憶達は、目の前で「ちょっとだけ……会ってみたいかも……」と小さく溢しては好奇心でうんうんと唸っている藤へ向く。「でも洗わないのはやだな……」とまた小さく聞こえてきた。
     小さき者のざわめくその姿に笑みを落とす。己は今この時を生きているのだ。だから今自身はどうしたいのか思考を止めずに考えればいいだけの話だ。
    「まぁどうかは分からんが、穢れや不浄を撒くとも謂われている者だ。もしかしたら私と相性が悪くて向こうから逃げてしまうかもな」
    「あ、朽名も神様だった」
     ふふっと藤も笑顔を落とす。
    「お前、忘れておったな?」
     責めるわけでもなく、わざとらしく冗談めかして蛇が笑った。
    「だって、朽名暖かくて、なんだか一緒に過ごすうちに気を張っていたものすぐに全部消えちゃった」
     敬意はあれど此方を仰々しく神として敬わず、穏やかに自身の傍に座る藤だから此方も気を使わずに居られる。だからこうして今日も何気なくひとときの触れ合いが成せるのだ。
    「それで、これはどうして此処に置かれたんだ?」
     傾きを続ける陽に照らされ、きらりと光りを生み出している列に残った一人を示す。
    「一番気になったのはこれ! ……これって何だろう?」
    「風鈴だな。今日の様な暑い夏の季節に持ちだされ、軒下などに吊して置く物だ。風に揺らされる音を聞けば、涼しさを身に感じ、熱に浮かされた体温が下がる。だが、この国の者達はそうなのだが、外つの者はそれを感じ身に涼しさを得る事はなく、この感覚と作用はこの国の者独自の感覚らしい。そしてそれは自然の音もそうだ。自然や生きものが発する音を〝声〟と認識するのもこの国の者達ならではの事だという」
    「そうなの?」
    「ああ。過去に、此処から遠方の街にはそうした事を熱心に研究している者が居てな、昔に借りた本で学んだ事がある」
     へぇと感心しては、「これは熱を下げるものなのか」と手にしたきらめきを観察している。
    「この国の者達は、色彩一つとってみても生活の仕方や考え方等の〝在り方〟が多く含まれていて面白いものだぞ」
    「在り方……、色の中にあるの?」
    「そうだな……例えばこの風鈴の色だな。これは水縹色といって、この国の古来から行われている藍染という技術の中で薄く明るいものを示す。『縹色』は藍染で染められた青色の事であり、藍染の藍は植物を示す。とても古い技術の一つだ。そして藍は染色の原料だけでなく様々な効果の薬も作れる。薬としては主に『抗菌・防虫・消臭』等の効果があり、食材の面でも栄養素が高い。水縹色は水の清涼感を彷彿とさせ、これよりも濃い縹色を水で薄めたような色合いなので――」
    「あ、まって。今書くから」
     再び筆を手にした藤がせかせかと紙に書きこんでいき、それに合わせてゆっくりと伝える。「えっと」と詰まれば再び反芻して伝えてゆく。
    「青色だけでも多くの色合いがあり、それだけ名が与えられている。先人の発想や生活の中からつけられる事もあれば、自然の中から名付けられる事も多い。自然に触れ大切にしたからこその多さかもしれんな。なにせこの国には色の名前が四百以上もある。深く探れば更にだろうな。そして外つの国々にはこれほどの色彩の多さはないとの話だ。多くの物事には繋がりがあり、何かが事象すればそこには何かしらの理由がある。こうして色一つとっても〝理由〟が含まれているんだ」
    「四百もあるの……?」
    「ああ、驚くのも無理はない。新しく生まれたばかりだったとしても、神の役を渡された私も驚いたものだ。それからも自然と〝感覚〟を身につけ、平然と日々読み書きをし、多くの事柄を学び、尊ぶ心を携えている者達も多いこの国にも驚いた。お前も学ぶ環境と余力がなかっただけで、もし何気ない生活の中で思考を廻らせていれば今よりも遥かに自然とその〝感覚〟と学習を発揮し、かつての友人達のような何食わぬ顔で私に説いていたかもしれんぞ」
     まん丸い瞳を此方に向けて物事を消化しようとしている最中の藤を眺めながら、懐かしさからけらけらと笑う。
    「朽名に教えたその人達、凄い人達なんだね。でも、学び続けた朽名も凄いよ」
     その向けられた瞳がただひたすら純粋にそう語っているのが分かる。だからなのか、真っすぐに言葉を贈る藤にそうして褒められたのが嬉しくもなれば、なぜか身体の奥で鳴る音が早くなっている気がしてならない。自身の行動を褒める者に会った経験も存在しているにも関わらず、明らかにその時とは違っていた。
    「だが、もうすでにその感覚や学ぶ力をお前は発揮しているがな。言語だってそうだろう。学んだ末に当たり前のように読み書きが出来き、疑問を放置せず、意味合いや本質を知る意欲を携えてその末に理解し、そしてその言葉さえ複雑な構成をしているのにも関わらずそれを優に使いこなす。やがてお前は再び歩き出してはより学び続け、そしてまた優良に扱う。言葉は最大の情報源だ。その言語はその国の者の歩み方と生まれ方に密接に関わっている。自身の〝力〟を発揮し、もしかしたら外つの者達では最大限に生かす事が出来ないかもしれないそれを会得したお前は、〝その気になれば〟何処までも学びの歩を進めていけるだろう」
     お前も凄いんだぞと言い含める様に相手が頷く。
    「この国の言語の構成は他に当て嵌まるものが見当たらなく、外つの者達の言語とは頭の中で認識する場所が違うとも言われ、その複雑さに加えて意味や本質どころか作用も加わるその音と、この国の者達の独自の感性と在り方まで理解し認識をせねばならぬから、習得が難しい言語とも言われているんだ。この言語を古来や原初まで遡ると更に複雑さも増し、そして興味深いものだぞ。その言葉にさえ〝たま〟があり、その言葉の力を言霊という。この言霊も生活の中に溶け込んでいるんだ」
    (もしかしたらば、この言霊はこの国の者達の感性ちからがあってこそ発揮されるのかもしれない。そして古い文字程その力は強いのだろう)
     そんな事を思いながら、一つも取り溢さない様にせかせかと手を動かしては耳を此方に傾けていた藤を眺める。すると疑問を浮かべた藤に尋ねられた。
    「朽名は、その遠い昔の言葉は話せる……?」
    「さすがに全ては無理だろうな。勿論身につけていたら面白さや自身の力、そして幅は広がるだろうが、ただ文字の種類も複雑さもそうだがそこまでする必要も現在に至ってはない。その上で身につけるのも時間がかかるかもしれんな。今は失われた〝音〟もあるだろうから相当な意欲が無ければ難しいかもしれぬ」
    「そっか……消えちゃうのは、何だか寂しいね」
    「そうだな。だが、だからこそ大切にせねばいけないのだろうな」
    「……この子も、妖になる……?」
    「分からんな。しかし長い年月の中で存在し続け、多くの霊気を含んだら或いはな」
     己もそうだが、改めて神の生まれる国なのだなと思い、興味深くもなるものだ。自身が生きものとしての蛇から今の在り方になった当初は人という者達や知識がひたすらに興味深く、熱心になったものだ。
    (いや、もしかしたらそうした者達が生まれるのは、この国の者達が独特の感性と在り方をしているのもまた一つの理由なのかもしれんな)
     何とも言わず、瓦解せず、独自の成り立ちと在り方をしたこの国だ。
     同じ様に自然に近き在り方をし、それを尊ぶ者達にそれらが「宿る」という似た考え方を見る事がある。神生みは一つの神に縛られた者には成すのが難しい事なのだろう。それに御霊が一つと御霊が多数あるのとでは動き方もまた違う。
     この国の者達は自然と多くの〝根本〟が染み込んでいる。そうした者が多く、〝独自の基盤〟がしっかりとある場所だ。だから〝一つの枠組み〟に捕らわれず、それを必要ともしない。それ故に〝神のごとき者〟も生まれたりする。一見関係がなさそうな生活の中にも多くが散見している。在り方や礼儀や御霊を含めた多くの「当たり前」が教えられずとも存在している国。〝そうしたもの〟と〝力〟が言葉にさえ染み込んでいる国だ。
     もしどんなにそれらを否定したとしても、此処にその者として生まれ、〝この国本来の者として生きて此処に居る〟限りは、必ず僅かにでも紡がれてきたその存在達に触れている。現実離れしたものでもなく、信仰やら宗教やらの話でもなく、これは其処に息をする者達の在り方の話だ。此処はそうした〝独自の国〟なのだ。この先の者達がどう行きついてゆくのかは私には分からんが、少なくとも今の世の者達はそう息をしている。燈の中に灯を携え、息をしてきた者達の話だ。
     者達も、生み出す物の腕の良さも、生活の中の考え方も、自然の声の聞き方も、色の多さ一つとってみても面白い。自然の傍で寄り添ってきた友人達を思い出しては懐かしさを感じる。
    「風鈴は、風の音をまた違った姿で見せてくれるよき友人だな」
     藤が手元の命をじっと見つめる。
    「風鈴って、軒下に吊るせばいいのかな……?」
    「そうだな。内側でも良いが、此処ならあの簾の横とかが良いんじゃないか?」
    「いいかも!」
    「常に吊るしたままよりも、綺麗に手入れをして季節で楽しむのも大事だぞ。季節ごとに漂う空気や時々の行いで自身の感性も養い、手入れで物も育てるんだ。季節を大切にし楽しむ。そうして次なる楽しみも生まれるしな」
    「わかった! 大切に育ててみるよ」
     立ち上がってよいしょと背を伸ばす。ただ、その高さで「どうしよう……」と立ちすくんでいた。
     自身も立ち上がって藤の身を掬う。そのまま掛かる簾の傍へ持ち上げると目一杯腕を伸ばした藤によって無事に吊るされた。そよぐ風が肌を撫で、明瞭な生きている音を響かせる。
     気づくと陽は傾き、空は茜色から紅掛け空色へと移ろうとしていた。あともう少しもすれば深い紺に青紫が差し込む瞑色へと変化するだろう。
    〝知る事を恐れない〟藤はきっと今よりもずっと強く成長する。そしてそうであってほしいと願わずにはいられない程に、目を輝かせては此方に問うて来る。その表情を見るとつい此方も此方で嬉しくなってしまうのだ。
    (その好奇心に救われる事もある。これも何かの縁か、今日この行列達はお前に見つけられ、見出されなければ納戸にしまわれたままだっただろう)
    「朽名は、おにぎりの具は何が好き? どんな味が好き?」
    「突然どうしたんだ?」
    (今日は沢山動いて、気になるものを見つけて、色んな事を知った。それに花の事も、朽名の事も知れた。知れたことが嬉しくて、やっぱり朽名の好きをもっと知りたい。そう思ったんだ)
     けれど伝える為に開かれた口が閉じられる。それを伝えるには何だか気恥ずかしかった。
    「今日ね、おにぎりを握って食べたの。それで、朽名はどんな具が好きなのかなって考えて」
    「ふむ」
     蛇が思案し始める。
    「今はすぐには浮かばんな。私も気になるから今度試しに作ってくれないか?」
    「うん、わかった!」
     夏の狭間で鳴り響く涼し気で美しい音色。
    夏の温度も陽の照りも蝉の声も風の音も木々の色合いも、すべてが生きている。力強く生き生きと、生命が響いている。
     そんなひしめく生命の中に自分達が居た。


    「ああ、そういえば。梨を沢山貰って来たぞ」
    「なし?」
    「甘味があり、この時期に見かける事の多い果実だ。食べるなら剥き方を教えてやろう。幾つかあるから暫くは楽しめるぞ」
     ぱっと藤の表情が華やぐ。そろそろ夕ご飯にしようかと二人で厨に向かい始めた。


              ❖     ❖     ❖


     よくよく冷やしておいた丸く大きなそれをざくりと切り分ける。ついつい今日の夕ご飯の買い物で、「西瓜……買っていかいない……?」と言ってしまったのだ。
     縞模様の大きくまあるい姿や赤く甘いその味に引かれてしまったのもあるが、季節の変わり目でよくある「好奇心の坩堝」に心が浮かされたのもあるかもしれない。その季節のものが店先に並びだすと、新しく衣替えした空気の香りと共にわくわくとしてしまうのだ。
     そして〝共犯者〟も一緒になって喜んでくれるのでまたわくわく感が増していく。良い共犯者を得たものだ。
    (……前もこうして西瓜を食べてた気がする)
     その気づきに苦笑したが、二人で楽しく過ごせる事が何よりなのだからよしとしよう。

     朽名の元で落ち着いて、自分という者を見渡す余裕が生まれて気づけた事が沢山ある。
    (生きてて良かったって思ったんだ)
     それは気づけたものの一つだった。
     あの暗闇の中で、あれほど死を願ったのに。厨で一人そう自覚して、生きている事に自分は涙を流せたのだ。自分がまだ動けている事に自分でも驚く。
     そんなひ弱な命でも、どうしたって今自分は生きている。
     だから想える事も出来た。
    「朽名と共に居たくなった」「朽名の傍で共に様々な事を見つめ、学び続けたかった」「朽名の心に触れたくなった」
     置いて行かれる〝一人〟になりたくはなかったのだ。
     途方もなく長く長く生きてきたその相手。遠く遠くへと歩いているその相手に。見送るその背中に。

    「あ、風鈴」
     切り分けた西瓜を居間に持っていくと、見慣れた淡く青みのある箱が卓上に置かれていた。何時もの風鈴を出してくれたようだ。その横に切り分けられた西瓜が整列するお盆を置く。
    「そろそろ飾るかと思ってな」
     箱の中から丁寧に包まれた水縹色の風鈴を手に取る。
     きらきらと光の粒を反射するそれはまるで命を含んでいるようで、自身とその季節の生命を知らしめている。藤は軒下に歩み出ると、今年も手元のきらめきを縁側へと飾り付けた。



    「ひそやかな特等席」



     居間に行くと奴が居た。
     暖かく柔いその膝の上に居座り、普段己が堪能するその場所にそれは優し気な手まで添えられて鎮座していた。
     藤の指先がその毛の原に沈んでいる。そんな当人は静かな寝息を携え、もう少し日を進めたら春の陽が訪れるのではと感じる冬の日々の中で眠りに就いていた。
    (先まで修繕続きだったからな)
     依頼品の修復で体力を消耗したのだろう。
     長椅子に寄りかかり、健やかに眠る藤を眺める。少しばかり休憩しようかと戻った藤に、茶でも入れようかと離れたのが自分だ。その僅かな間にも疲れで眠りに入ってしまったらしい。今までもこうして休息の間に眠る姿を見かける場面は多々あった。
     湯気が登る茶器と、藤が好きな甘味が乗る盆を傍の卓上にそっと置く。せっかく休息に入ったのだから起こしたくはない。
    (あまりこうして藤を消耗させたくないのだがな)
     だが、この神社の在り方を決め、この隠世でどうしていくかは藤自身が選んだ事なのだから、余程でなければその選択の邪魔もしたくはない。藤の性分では何もしないで只々居るだけなど選ぶ処か考えもしないのだろう。
     だから己が休息と称して藤を堕落に引っ張るくらいが恐らく丁度良い。
     ただ私よりも遥かに藤の方が体力が少なく、その為に力を使用して物を直すとこうなり易いのだ。それでいてこれで家事もこなすのだから、やはり此方としてはもっと休んでほしいのだが……。
    (いや、寧ろもっと私を使えば好いものを)
     思い耽る。
     藤がそれをしたがらない事を分かってはいるが、心中で思わず願ってしまう。己なら幾らでも藤の傍に立ち、幾らでも手を貸す事を厭わない。藤の為に動く力は、当の藤から常日頃貰っているのだ。消耗しきれない程に。
     茶を入れている時でさえ、(今日はこのまま休ませ、あとは私が動くか)と考えていたのに、
    (……しかしな)
     目の前の藤の姿が愛らしい。だが、藤と共に休息をとる際の〝何時もの席〟が埋まっている。私の何時もの〝役回り〟が今日は他へと移っていた。
    (今日は私の〝休み〟でもあるらしい)
     居間や寝室、時々の場所でそのへびを目にする蛇が息をつく。
     それは以前に藤が手にした自分に似せたぬいぐるみだ。気に入っているのか、目にしてはじっと視線を向け、やがて笑みを浮かべる藤を蛇は何度か目撃している。
    (ならば今日は此処だな)
     しばし藤の姿を眺めたのち、自分は藤の隣に腰を下ろした。

     此処も己の特等席なのだ。



    「はじまりの朝」



     しばしその光景を眺めては落ちていた寝衣に腕を通し、そのに相手の口元に付いていた白縹の髪を退かしてはついでに頭を撫で、健やかに眠る顔を再び眺めては部屋を後にする。
     荷解きが終り、隠世に来て最初の朝だった。

     食欲がそそられる香りが寝室に訪れ始める。
    (……起きれなかった……)
     静かに目を開けた藤が息をつく。
     布団の触れ心地と中の温かさが肌に触れては手放しがたく、掛布に潜り、道連れにした枕に顔を埋めては暖かさを味わう。……身体に残る疲労までもその眠気に加担していた。
     手を伸ばしてはぽんぽんと辺りを探る。だが、すぐ傍で共に寝ているだろうと予想した相手の、あのするりとした鱗の触り心地を探しては見当たらずに疑問符を頭に浮かべ、そして流れてくる香りから未だ眠気を携える脳はそう察してしまったのだ。しかもその香りでお腹が擽られたらしく、低い音が掛布の中から聞こえた。
     それが朽名が寝室から去ってしばし後の事である。
    (俺がしようと思ってたのに)
     荷解きが終り、落ち着いた最初の朝なのだから自分が先に起床して準備をしようと思っていたのに、今朝は蛇がその役を担ったらしい。その理由に思い当たる節があるので枕に顔を埋めた藤が密かに悶える。
     だが、視界の端に見えた自分の身体にふと意識が其方に向く。
     番う事で、自身の姿かたちが以前と変化した。
     それは一目見た姿だけではなく、今までの感覚ともまた違う新しさもあれば、「自身には無かった筈のもの」までその場所に新しく生まれていた。
    (自分では気にしてないけど……)
     そういえばと思い至ってしまったのだ。
    (朽名は、どうなんだろう……)
     番うとどうなるか分からないと言ってはいたが、こう変化するとは思わなかった。姿も、そしてかたちも。
     自分も朽名も、姿だけが変化したと思い込んでいた。それに共に過ごし、事を成してから知っていく事もある。
    「……」
     浮かんでしまったその「もし」に怖くなってしまった。今考えても仕方ない事に心がそわそわしだす。
    (はやく、朽名を手伝いに行こう)
     名残惜しい寝具から勢いよく身を起こす。
     先に行動を始めたその人物の顔が早く見たい。それに、心を沈めて身を放っておくとそのまま瞼がくっつきそうで。
     何処かで散歩をしていた寝衣を見つけ出すと、その惨状を目にする前に急いで身体を通し、立ち上がっては少し名残惜しい温かな寝具を離れてまずは身を整えようと部屋を出た。


     厨では香りと共にもくもくと朝餉の湯気が立つ。
     衣服を置いておく部屋で身支度をしてから厨を訪れた。お米を炊き、汁物や副菜などを揃え、魚は藤が起きてからと思案する。
     そんな作業の合間では、当たり前のように藤の事を考えていた。荷解きの際に戸惑っていたその様子を思い出し、関係が変化した事でようやく藤が〝己へと〟意識したその嬉しさが一晩明けた今も薄れない。思い返すとにやけそうになってしまう。ずっと崩したかった「贄だから」をようやく崩せたのだ。
    (これが浮かれずに居られるか)
    「おはよう、くちな」
     まだ若干ぽへぽへとして、ふにゃりとした声で呼びかける。その声で更に内心喜々とした蛇が居た。
    「ああ、おはよう」
    「……俺が作ろうと思ったのに……起きれなかった……」
    「うむ……では、魚を焼いてくれ」
     朽名の提案に、しゅんとしかけた藤の顔が輝く。意気揚々と魚を取りだしては焼く準備をし始めた。昨日下準備をしておいた鰆の木の芽焼である。旬の鰆のふっくらした食感と、下味の風味が堪らない一品だ。
     次第にぱちぱちと熱を上げて焼けていく魚に心が躍る。美味しそうな香りが漂い始めた。
     そうしてワクワクとしながら魚を焼いている途中の藤に、卓上に食事を運んでいた蛇がにやりと笑みを生み出す。焼き具合に今か今かと待ち望んでいる相手へそっと近づくと、その耳元に言葉を落とした。
    「すまなかったな、此方に来たばかりなのに触れてしまって」
     突然昨夜の「事」を言われてしばし停止していた藤の顔がぼふんと赤くなる。
    「う、うん」
    「力は掛けておいたが、疲労の方は大丈夫か? 必要なら私が――」
    「あ、ほら! 魚やけたよ!」
     耳まで赤くした藤が早くこの話題を終わらせようと、丁度好く焼けた魚が乗る皿を相手に突きだす。
     そしてそのまま目が俯いた。
    「朽名は……姿や在り方が変わって嫌じゃない……?」
     息を飲み込んだ藤が、恐る恐る尋ねる。
     重みを支えていた手から突然重さが消える。ひょいととられたお皿は、相手の手の内に収まっていた。視線を其処へ向けたその途端に身がぐっと相手へ寄る。何時の間にか腰を掴まれていた。
    「お前は私の好みを知らんだろう?」
    「……朽名の〝好み〟を、聞いた事無いけど……」
    「お前が好みだ」
     心を振り絞って聞いたのに、あっさりと返って来て虚を突かれる。しかも良い笑みを向けてはじっと見つめながら言ってくるのだから、ぱちぱちと瞬く表情がまた赤味を増した。
    「す、姿が変わっても?」
    「ああ」
    「そっか」
     柔い笑みが藤に浮かぶ。呟かれた言葉も何処か柔らかい。それを確認しては喜々としている相手は深く深く藤を閉じ込める。
    (お前がお前として存在している限り、変化が姿だろうが性別だろうが技能だろうが何だろうが、お前だから私は選んだんだ)
    「なんならばより分かるように私が――」
    「い、いい! 分かったから!」
     その途端、炙られていた魚がぱちっと音を立てる。
    「あっ、魚焦げちゃうから!」
     訴えかけで腕の力を弱めてくれる。するりと抜け出した藤が慌てて持ち寄ったお皿に香ばしい魚を取り上げた。

     端っこが少しだけ焦げてる魚が一皿、陽に照らされ鮮やかさを増す温かな食事が並ぶ卓上へと置かれる。季節は僅かに違えど、何処かあの朝の様な空気を感じて懐かしさが沸き起こる。
     最初に共に食べた食事は、新しく始まった日に藤が初めて作ったのだ。味はまばらで美味しいとは言えないかもしれないけれど、温かくて二人を満たす食事を。
     楽し気な声がそういえばと思い出す。
    「なんだかあの時と逆かも」
    「いや、この食事は二人で作ったんだぞ藤。此処までこの魚の魅力を引き出したのはお前だ」
     藤が照れくさそうに笑う。
    「そっか、そうだね。……ね、これからも、二人で作るの楽しみだね!」
     これからの楽しみに心を躍らせながら、温かい食事を二人で味わう。
     また新しく始まった日に。



    「花咲く常盤の郷」



    「おそうじてつだう!」
     そう、小さな背の主は目一杯伸びをして自分が自分がと此方に問うている。その手には塵取りと、小さな掃き箒を携えていた。
    (かわいい……)
     小さな身で精一杯に事を成そうとしているその姿が愛らしくて、思わず胸を押さえたくなる。追い打ちの様に相手の耳や尻尾がぱたぱたしているから尚更だった。
    「じゃあ、あそこに落ち葉を集めていくから、手に持つ道具で袋の中に入れてくれる?」
    「うん!」
     犬張子の狗子童子が元気よく藤へと返事を返す。
     自身の身が隠されてから幾何か、蔦藤神社に初めてこの子が訪れた日だった。遊び相手が欲しくて訪ねてきた狗子は、現在藤のお手伝いをしようと息巻き奮起している。
     今日は掃除が終ったら一緒に遊ぼうと約束をしたのだ。


              ❖     ❖     ❖


    (……今度トウアとルカも誘って、みんなでしてみようかな)
     範囲は境内。
     掃除を終え、約束通り遊びに来た狗子と遊ぶ。やはり狗子のお気に入りの遊びはかくれんぼのようで、蛇姿の朽名と共に隠れる役を担っては見つかり、今度は鬼の役を担ってはその小さな身を探す。そして見つけてはまた交代をして遊びを始める。
    (すごい、元気いっぱいだ)
     ただ何回か繰り返す内に、少数人でやるよりも複数人居た方がより良いかもなと思ったのだ。みんなで楽しめるし、遊びの幅も広がる。何より持久力も違うと思ったのだ。……自身の体力的にもその方が良い。
     楽しいのだが、休憩もとった方が良いかもしれない。縁側に移動して三人で休憩をする。
    「大丈夫か? 藤」
    「大丈夫。ただ、ちょっと疲れちゃって」
     息を整えながら藤が笑う。
    「かくれんぼ上手だね」
    「かくれんぼすき!」
     万歳している狗子が誇らしげに言う。まだまだ元気一杯の子供が其処に居た。
    「このまま休憩しておやつにしようか。今日はお団子を用意しているんだよ」
    「おだんご!」
    (お団子が好きなのかな……?)
     元気一杯で遊びまわっていた狗子が、今度は目を輝かせて嬉しそうに此方を見ている。その期待に満ちた表情が、何だか此方にも元気を分けてくれる。
     よし、と気合を入れた藤が立ち上がった。
    「待ってて、すぐに用意してくるから」

     縁側からぱたぱたと急ぎ足で厨へ向かう藤を、小さな背が見送ってゆく。その横では蛇が人の身へと姿を変えていた。
     人の身でふーっと一息ついて縁側に腰掛けた朽名に、狗子がびくりと肩を震わせる。そうしてしばし躊躇いを見せた後、しずしずと近寄るとぽふりと縁側に腰を掛けた。
    (そういえばあの時は此方の身で会ったのだったか)
     その様子を見ていた朽名が口を開く。
    「あの時はすまなかったな。私もやり過ぎた」
     藤の身を隠されたあの日を思い出す。
     藤が消え、其処に居るであろう物置を見つけたその感覚で、大切な者を痛めつけられたあの蔵での出来事を思い返してまった。
     扉を開いて見えたあの光景を今でも覚えている。藤を失うかもしれないと思ったその恐怖は、今も己に焼き付いたままだ。大切なものを痛めつけ嬲り奪う者を目にした時、己はきっとそれを呆然と眺め続け、諦めては死に果てる屍にはなれないだろう。
     この隠世では、その心配をしなくともよい筈なのに。

     普段のその「再生」の力は、程よい加減まで状態を戻しては自身の意志で止めているだけなのだ。
     これまでやろうと思っていなかっただけで、恐らく己は物も者も、そのもの自体を「戻す」事が出来てしまう可能性が高い。力の限界まで「戻し続けてしまえる」のだろう。物の状態を直すのは、壊れた状態から壊れていない状態までを戻したり、或いはその物の形がそうと成る以前の形に戻す事が出来る。昔に藤の足についていた枷がそうだ。枷は今や素材としての金属の塊と、生成時に混ぜられた鈴の形として藤の手元に残っている。
     物だけの話ならまだいいのかもしれない。ただ、〝者を再生し続けたら〟どうなるかなど思いたくもないものだ。その者の状態が戻り続けるのか、はたまた体が治癒し続けるのか。或いは予想を超えた何かが起きる可能性もある。「再生」も、度を越したらいい事ばかりではないのかもしれない。
     毛頭する気などないのだが、それを行使する己が居た可能性は果たしてあったのだろうか。その姿を思うと己に嫌悪する。
     私は、藤が居るから今此処に居られるのだ。これまでその度を越した行為に思い至る事象が起きず、そして今は留めてくれる者が傍に居る。

    「かくしちゃってごめんなさい」
     隠された当人に、「めっ」とされた狗子がしゅんとする。
    (謝る事を学ぶのもまた強さか)
     落ち込む狗子の背を撫でて労を労う。顔を上げて此方を見上げる瞳には、行動の不思議さと驚きが隠れていた。
    「良い子になったんだろう?」
     ぱっと狗子の表情が輝く。
    「うん!」
     一つ学んだ狗子が考え深い。
     今まで藤が悪事に走った事も無いので、こうして学び成長している最中の子や相手へ叱る行為の経験はない。いざ対面するとどう対応すべきかと迷いはするが、そう言った意味では新鮮さも感じる。
     聞き分けがよく、自身でも学び考える子らに己は恵まれているのだろう。特にこの隠世はそうして日々学び続ける者達が集まる場でもあり、〝あの世〟とはまた違うのだから己はもう少しだけでもこの世を信頼してもいいのだろう。
    「知っているか? 藤は花が好きなんだ」
     今自分達が共通して話せることは藤についてである。休息のお供が現れるまで少し会話を楽しむ事にした。
    「お花がすきなの?」
    「ああ、昔からな。此方に来てからも丁寧に世話をするから、触れられた草花が煌めく事がある」
    「きらきら? いつもふよふよしてるもの?」
    「ああ。この隠世で見かけるものだ。想いを籠めて育てられたからだろうな。霊気が多く含まれ、力強く凛と育ち、楽し気に風と戯れ、向こうも優しく相手を想う。実際、この神社には自然や草木を好む精霊がよく寄り道に来るぞ」

     精霊は「しょうれい」又は「せいれい」とも呼ばれている者達だ。隠世を守る存在の一つで、大事な者達だ。
     あらゆるものや各々の土地に宿っている事が多く、守るだけでなく辺りに気を廻らせてくれたり他者へ霊気を分けてくれる存在でもあり、自身が持つ力で其処に棲む者達を手助けしてくれたりもする。
     そうした者達も含め、隠世の住人達は手を貸してくれた者達へ礼儀を持つ事を当たり前に携えている。街中や道など、隠世で多く見られる小さな祠や構造物は精霊に向けたものが多く、それは信仰からそう行われているものではなく敬意と礼儀から行われているもの。花や植物、果物や鉱物などの自然物を好み、そうした祠には精霊が棲んだり休息をとりに寄り道に訪れる。
     そうして大切に相手を想い、伴って土地を大切にしているとまた精霊が自身の力や気を廻らせてその土地を守り、時には其処に芽生える植物を保ってくれたりもしている。
     互いが互いに世界を支え守り、廻らせているのだ。

    「優しさを携えた藤はそうした者達に惹かれる事が多いから、庭仕事の合間にその者達と楽し気にしている事もあるぞ。厳しさよりも優しさにあふれた者だから、草花の手入れが上手いのかもしれない。だからお前もまた会いに来たのだろう?」
     狗子がこくりと頷く。その耳と尻尾は楽し気に揺れていた。
    「うん、またおはなししたいなっておもったの」
    「ああ、私も藤とは何度だって話がしたくなるものだ」
    「最中もあったの忘れてたから、持ってきた! みんなで食べよう?」
     喜々とした明るい声が背後から聞こえてくる。
     藤は狗子を朽名と挟んで座り、お茶を入れる時も嬉しそうだ。
    「お団子に最中も食べれちゃうなんて、何だか今日はちょっと贅沢だね」
    「うれしそう!」
    「藤は甘いものも好きなんだ」
     こそりと話し合う二人に藤が「ん? なんだろう?」と首を捻る。
    「あまいもの、すき?」
    「うん。お菓子も好きだし、果物も好きだよ」
    「ぼくも! おだんごすき! おもちもすき! おもちもおだんごも、やわらかくてもきゅもきゅしておいしいの」
     狗子が楽し気に教えるその声に、二人も楽し気に耳を傾ける。その声の主は耳と尻尾だけでなく、脚もぱたぱたと揺らしている。
    「おかしはね、ときどきぐひんさんがくれるの!」
    「ぐひんさん?」
    「うん。いっしょにすんでいるおおきなてんぐさん。おやまをまもっているの」
    「狗賓は犬や狼の様な頭を持つ天狗の妖だな。山や木々を守る役を持っていると聞く」
    「あまりおしゃべりはしないけど、やさしいの」
     ふと狗子が顔を上げて二人を見据える。
    「みんなお花みたいだね」
    「お花?」
     藤が白縹色の毛先を揺らし、その向こうでは小さなその背が伝えたい事を理解した蛇が、くすりと笑みを浮かべ頷いた。
    「ああ。此処かくせは花畑に居るかの様に〝温かい〟な」




              - 了 -




    ● 何の変哲もないただの戯言あとがき

     最初は民俗学風味のお話と、本編の零れ話を幾つか。
     次に投げる本編(15)はもしかしたら本編の一区切り(最終話)になるかもしれない?ので今回はちょこっとだけ朽名自身の事も(長くなりそうで15を半分にするか迷ってる)。零れ話や創作のメモでは以前の朽名の友人(というか蛇から変わった当初の話と言った方がいいのかも)の話とかもあるので、もし余力があれば書いてみたい。

     以前に出した「分岐表」のように、自分の創作の多くの世界基盤は和国(「現代現実」の日本とは大分違うもの)。
     自分は創作に「現代現実世界(自分や見ている側の)」をその創作の世界として恐らく今まで出していないです(これからも「現代現実」のこの世界を使うかは分からない)。なので創作内に出てくる物や事象などは実際の此方の事柄とはなんら関係がないものですが(そもそも世界が違うので当たり前の話ではある)、ただ似た事柄は出てくる事があります。

     季候とかもそうですね。
     二人が元居たコトヒト世界や隠世など、創作内での大方の夏の気温は「江戸時代の夏」程なので、それに加えて草木もより繁っているので温度を下げてくれているだろうし、此方より断然涼しさがあるもの。「江戸時代は小規模な氷河期だった」という話もあるので、もしかしたら想像よりは和らいだ暑さだったのかもしれない。

     塵さえも買い取っては再利用していた江戸時代もまた興味深い世。塵をくだらないものとし続けていたらこうなってはいないのだろうなと感じる。日本の「もったいない」という言葉と概念に海外が驚いた話とかもありますね。
     自分の生まれたこの国は「生む力」が強い国だと「自分は」考えている。表現力や感性もそうですが、少なくとも先人達は「想像力が高かった」からこそでもあるのかなと。「想像するから」生まれたり成せたり現実に実るのがこの世界。「人が想像出来る事は現実に成す事が出来る」という言葉があったりもしますね。
     古来からの在り方だけでなく、単純に作品に工芸品や生活の中等の物でさえ技術が高い。子供の頃から絵や創作以外に幻獣・妖怪やら逸話や民話や神話や類似性や民族学やらに惹かれる事があって、生きている中でふと出会うそれらを眺めたりもする。それは今もなのだけれど……。
     だけれど「考える度に・見渡す度に・〝知る〟度に」、今の日本人は「元より持っていた事柄」の多くを捨てさせられて来てしまったなと思う。人も命も血も尊厳も子供も文化も在り方も能力も人が持つ力も地も物も資源も自然も、「多くのもの(宝)」を奪われすぎた。酷い言い方をあえてするなら、「劣化させられた」なって。その末に「成り変わられてしまった」なって。

     今の多くの「日本人」が「気づいて」くれれば心から嬉しいのだけれど、少なくとも今の自分は予言者ではないので未来を確定して確実に言える事なんてない。今を生きる全ての現代日本人次第である。
     馬鹿だから、考える事を人はする。人が万能ならこの地で起こされている多くの悲劇は疾うに解決出来ている。身体能力や在り方、先人達が当たり前に成せていた事が成せなくなった者も多いのかもしれない。「強く成れよ日本人」と、自分は特に二〇二〇年の終わりからここ数年で深く思う。そして「思考を停止した〝人の間〟の者達」が一番恐ろしいのではと思う事も増えた。
     いち早く脳と能と心を取り戻して「己自身という者」を自身で蘇生してほしい。「依存」ではなく「立ち上がる力」を取り戻してほしい。考える者が増える程、犠牲の大きさは小さくなるのだから。
    「謙遜」と「自身が生まれた国を蔑ろにする」のは違う事なんだよ。

     そして「基礎が出来ているから、応用の幅が出る」という話。
    「本もの」になり替わろうとした多くの「偽もの」、感謝も礼儀も携えずにその国や者達の上に踏ん反り返り、その国で息をする多くの者を平気で貶める地盤が疎かな部外者達。早急に地盤をあつらえ、蔑ろにしていたらそれはもう崩れやすい。
     人も国も在り方も生き方も事の流れも、「様々な事に当てはまる話」。多くの物事は繋がっているのだから。
     世界の中に世界があり、また世界の中に世界がある。
     簡単な話である、ひょいと「土台にされているもの」を退いてしまえばいいだけだ。ただ、「それしか選択肢が無い」と思い込まされその簡単な事に気づける者が少なくされてしまったのが今の現状である。「よくあるやり方」の一つだ。ちんけな詐欺とかでもある手口。
    「操作」「恐怖」「怠慢」或いは「私欲」など理由はその人其々にあれど、ようは「視野」が狭くなってしまった。その果てに「人の強み」の一つである思考を捨てさせられた。「今のこの時」はとても悲しい程に歪んでいると思う。「人の流れ方」が不気味だ。
     だから自分は考える事をやめる気はないし、自分の声を持ち、自分がしたいと思う事を携える。そしてこの先で「感じ取った誰か」の助けに僅かにでも成ればそれでいい。灯を消してはいけないし、少しでも繋げる。それだって「人の強み」の一つなのだから。

     密かに決めて話の中に出すかは未定だったけど、良い機会なので「梔子神社」の名前もちらっと。
     梔子は「春の沈丁花」と「秋の金木犀」に並んで三大香木で初夏に咲く香りの良い花。それらに冬の蝋梅を加えて四大香木とも。
     朽名を始め山を管理していたその友人達が住んでいた辺りは梔子の木々があり、その木に蛇が休み、蛇の名が決まり、そして後の神社もその名を貰う。
    「蔦藤神社」は隠世に移り棲み、そしてその形や在り方も変化したので「新しく始まる生活の区切りとしてもいいだろう」と改めて名付けたもの。蔦(へび)と藤の花である。蔦藤神社の紋も「蔦と藤」をあしらった意匠。ちなみに蔦藤神社や母屋にも前の神社から移した梔子の木が幾つか植生している。
     うぃすを書いた後に知ったのですが、梔子の幾つかある名前の由来でその一説には「クチナワ(蛇)しか食べないから」というのもあって、あながち自分の作品の作り方はずれてなかったのかと少し驚きました。

    「もしのお話(5.5)」で、大きく穿る大穴を開けた後は自身に力を使っていたのがあの後のもしもの話の蛇。
     藤を弔った後に消えてしまったのか、際限なく戻ってしまったのか、隠世に一人移ったのか。どうなったかはあの朽名しか分からない事かもしれない。
     そうした意味でも「此処には居られなかった」だろうし、仮にそうでなくとももし朽名が「私欲の為に他者を貶める目的で」そうしていたとしたなら、隠世の仕組みによって訪れる事もなければ藤とすら出会えず、身を自ら滅ぼす結末に成っていたかもしれない。「学ぶ事すらしない怠惰な者」や、「他者を平気で貶める事で自身を自身で貶める者」は訪れる事は出来ないのが隠世。
     けれどそうでないのが朽名だったというお話。補足もすると、朽名の本来の姿である蛇の身も状況や他の者や藤に合わせているが、本来の大きさは住んでいた山に穴をあける程大きい。
     そうした力があるにも関わらず、朽名が「悪神」に至らないでそうして力を振らないのは、朽名自身にそれを押しとどめる良識と「自分自身という存在をしっかりと大切に出来る強さ」を備え、今では更に押し止める藤という存在のお陰でもある。

     言霊の話も興味深いもので、きっと書き出すと長くなる事。そしてそれは決して非現実の話ではなく、よく生活を見渡してみると溶け込んでいるからまた興味深い。在り方、想い方、御霊の話、礼儀、感性、言語……。興味深い事柄が多く、そして「持っていた多くのもの」が薄らいだこの世界よりも、隠世を始めとした創作世界の住人達の方が余程優良に使いこなし強さを持っているのだろうなとも。
     色々興味深い事柄はあれど、沢山ありすぎるので何時かその断片でも描けたら面白いのではないかなって感じながら今日も何だかんだ息をしている。

     楽しいは力だ。
     隠世の住人達は大変な手仕事や些細な事でも楽しさを生み、やがて「楽しい」を力にする「楽しむ達人」が多い。そして今回は「最中(さなか)、最中(さいちゅう)、最中(もなか)」なんて書きながらくすりとしてしまう。活き活きと生き、息をしながらまた生きをするそんな「狭間」で生きているもの達の零れ話。
     燈の中に灯を携え、息をしている者達の話だ。
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