二人の出会い編――光忠って今アルバイト探してたよね?
きっかけは大手法律事務所である織田法律事務所で弁護士をしている兄からの勧めだった。最近独立した後輩弁護士が事務員を募集しているからやってみないか?と。
「そう言われたけれど、場所ここで合ってるよね….?」
兄から送られて来た地図アプリのリンクを頼りに件の後輩弁護士の事務所が入っているビルは見つかったのだが、看板などが何も無い。念のためもう一度スマホを開いて、アプリに表示されているビル名を確認するが目の前のビルと同じだ。
ひとまずビルの中に入って事務所があるはずのフロアを目指すことにした。経年劣化で灰色に霞んだ壁から妙な圧迫感を感じながら階段を登る度に、光忠の足は重たくなる。兄からの打診はもう少し検討すべきだったろうか、とほんの少しの後悔を胸にドアのインターホンを押す。
…………。
何も反応が返ってこなくて首を傾げる。キョロキョロ視線を動かせば、ドアの横に小さな看板で『長谷部法律事務所』と控えめな主張だけはされている。
「……!鍵かかってないんだけど……」
試しにとドアノブを回してみたら何の抵抗もなくまわることに目を丸くする。外に看板もなければ戸締りさえちゃんとしていない――自分の雇い主になるかもしれない人物に対し、光忠の猜疑心は膨れ上がる一方だ。
「お邪魔しまーす……事務員の面接に来た長船ですー……っ!?」
音を立てないようにドアを閉めた光忠の視界に飛び込んできたのは、床が見えないくらい散らばった書類と積みすぎて山を作っている書籍で埋め尽くされた部屋だった。もはや机が見当たらないほど物だらけの一室は、人が仕事をする空間とは到底思えない。ミニマリスト寄りの考えの光忠にとってはこの部屋にいるだけで今すぐ片付けたくなる衝動に駆られる。
「な、何この部屋……」
ひとまず部屋の中に入ろうとした時だった。肩にかけていたカバンが積まれた書籍にぶつかり、静かな部屋の中で大きな音を立てながら崩れてしまったのだ。直した方が良いのでは、しかし元々散らかっていた部屋だからどう直せば良いのか……と狼狽えていた時だった。
「貴様、何者だ!」
溌剌とした声が静謐な部屋に響いた。声の方へ顔を向けると、机があるであろう空間から短く切り揃えられた煤色の髪をセンターパートにしている青年が現れた。光忠とそう年齢の変わらなさそうな彼は、藤色の瞳を鋭く歪ませながらで光忠を睨みつけている。
「空き巣か?弁護士の事務所とわかって入っているならいい度胸の持ち主だな」
「ちがっ、僕は面接にきてっ……!」
「御託はいらん!今すぐ警察に連絡してやる」
「兄から勧められたんです!最近独立した長谷部弁護士が事務員を探しているって!」
彼のスマホを持つ手の動きがピタリと止まった。そして光忠を凝視してきたかと思えば、眉間に皺を寄せて呆れたようなため息をつく。人の顔を見てため息とか失礼な人だな、と光忠はムッとしてしまう。
「あいつめ余計な真似を……兄ってもしかして」
「長船実休は僕の兄です。そして僕はこういう者です」
光忠は財布の中にある学生証と免許証を同時に彼に見せる。身分を明かすそれらと光忠を何度か見比べた後、怪訝な表情を浮かべながらも返してくれた。どうやら最低限の信頼は得られたようだ。
「大学で法学部を専攻している、長船光忠と申します。本日は面接に伺いに来ました」
「…………長谷部法律事務所の弁護士の長谷部だ。上がれ、出せる茶などはないが」
――これが、僕と長谷部くんの出会いの話なのだ。