ぐだおの鼻歌を覚えた王様の話▽ルルハワ後
▽好きな人が自分の好きなもの覚えててくれたら嬉しいよねみたいな話(多分)
▽作中の歌詞はあまざらしさんのスターライト
▽ぐだキャスギル
ふと、電車の窓から見える景色を思い出した。密集している住宅と、立ち並ぶ高いビルと、雲の浮かぶ青空を横切る黒い電線、滑り込むホーム、降車した人たちがぞろぞろと出口に向かう姿、その波に混ざる自分。それはほとんど毎日見ていた景色。今までほとんど忘れていた景色。どうしてそんなものを突然思い出したんだろう、と思考して、後ろから聞こえてくる言葉のないメロディに気づく。後ろ、というのはベッドで、言葉のないメロディというのはつまり、鼻歌だ。そしてこの部屋にいる自分以外といえばひとりしかいない。
振り向けばいつものようにやわらかいクッションを背もたれに、ハワイ……ルルハワから持ち帰ったらしい黄金色のタブレットに指を這わせている、青いシャツを着たシンプルな装いのギルガメッシュが立香の目に映った。あのハチャメチャな特異点から帰ったあともその服がよほど気に入ったのか時折衣装替えをしている。バカンス中は王を名乗らないとは言っていたが、それには服装は含まれていなかったらしい。普段の服装よりも格段に露出の少ない、シンプルな装いではあるが、立香から見ても解る恐らくは想像もつかない値段がついているのであろう服や装飾品はとてもよく似合っていると思う。ファッションのことなどまるで気にしていなかったし理解しようともあまり思わなかった立香だが、全体的に主張しすぎず、だが存在感はあり、さり気ない高級感も漂わせている、そしてなおかつ似合っている、くらいは立香でも理解できた。現地でも(記憶が封じられている間)富豪だのなんだのと名乗っていたが、ベンチャー企業の若社長と言われても納得してしまいそうだ。すっかり使い慣れたらしいタブレットを操っている姿はとても約四千年前に生きていた人間とは思えない。戦闘になれば何をどうしているのかタブレットはいつもの粘土板のように古代文字が浮かぶ魔具と化しているが、本来の機能もちゃんと使えるらしい。ただのタブレットとしてその機械を使っている姿を見ると、とてもサーヴァントなどというファンタジーあふれた存在とは思えなくて、本当に、現代の、同じ時代に生きている人間のように錯覚しそうになってしまう。あの時死んでしまった人ではなく、この先もずっと、そばにいられるような。
頭を振ってその錯覚を振り払った立香は、若干の違和感があるそのギルガメッシュを改めて見る。聞き覚えのあるメロディの発生源にいるのはどう見ても、どう聞いても、どう考えても、ギルガメッシュだ。
機嫌がいいのか、と思うより先に立香の思考はどうしてその曲をギルガメッシュが知っているのか、という疑問で埋め尽くされた。その曲は紛れもなく立香の知る曲で、つまり、現代の曲だ。ギルガメッシュの生きた時代にはなかった曲だ。現界に際して現代の知識は与えられるようだったが、そこにこの歌が含まれているとは到底考えられない。
「…………王様?」
立香は一瞬、声をかけるか迷ったが、それよりも疑問というか好奇心が勝った。ギルガメッシュが歌っていたそれは立香がまだ何も知らなかった頃、世界の危機など知らずさして代わり映えのしない日常を送っていた頃に聴いていた曲だ。
「なんだ?」
呼びかけにギルガメッシュが応えた。目線はタブレットの画面に向けられたままだったが、声は届いているようだ。
「その歌、どこで知ったんですか?」
「歌? なんのことだ」
普段と変わらないトーンの声は嘘をついているようでも、そらとぼけているようでも、ごまかそうとしているようでもなかった。しかし発した言葉は立香の問いかけの答えにはなっていない。
「今歌ってたじゃないですか」
「は? なにをわけの解らないことを言っている。歌など歌っておらぬわ」
「でも鼻歌で」
こういう歌を、と立香は同じメロディを鼻歌で歌う。ギルガメッシュが歌っていたのはサビの部分だから、同じサビを。
「? それは貴様がよく歌っている歌ではないか」
「え?」
ギルガメッシュの言葉に、立香は面食らったような表情を浮かべる。よく歌っている?カラオケルームはあるが、某アイドル(自称)ふたりに占拠されて立香は滅多に利用しないし、したとしてもそこにギルガメッシュはいないのだが。
「オレが歌ってるって、どこで」
そこでようやくギルガメッシュは立香を見た。世界を見透かす真紅の双眸が立香を捉える。
「どこも何も、この部屋に決まっておろう」
他にどこがある、とやや小馬鹿にしたような笑いを含んだ声音で言われるが立香に心当たりはない。
「え、それって、いつ……?」
「五W一Hか? 貴様。その歌は、貴様が、この部屋で、レイシフト前……戦闘に備えている間に歌っていたであろう。何故かは我の与り知るところではないわ」
呆れながら念を押すようにひとつひとつ言い聞かされるが、立香にはやはり心当たりはない。首をひねる立香に呆れたままのギルガメッシュは溜息をついて、
「心当たりはないという顔をしているな。であれば無意識に歌っているのだろうよ」
「え、本当に歌ってます? オレ」
「こんな下らない嘘など吐かぬわ。我が歌っていると言うから歌っているのだ。この我に記憶違いなどということは有り得ぬゆえな」
つい先日記憶喪失になってたじゃないですか、と言いそうになってギリギリで踏み止まった。まあ、あれは特例中の特例でもある。特例中の特例のピコハンだ。特別なピコハンだ。特別なピコハンだし、このギルガメッシュがあの悪巧み?サービス?の障害になることくらいは解る。それにしても記憶喪失はないと思う。と、あの時のことを思い出して心がだいぶ少し痛む。態度や雰囲気は新鮮ではあったが、それでも負った傷はまだ癒えていない。
それはさておきギルガメッシュが言うのであれば間違いはないことは立香も理解している。心当たりがないのは、本当に無意識だったからだろう。レイシフト前、戦いに行く前、確かにその歌はふさわしいように思える。弱い人間が光を、答えを探してあがく、弱いけれど強い歌。自分がただの学生だった頃は何気なく聴いていた曲も、今改めて歌詞を思い返せば別の感情を伴う。
問題は、それを、ギルガメッシュが歌っていたことなのだが。
「オレが歌ってたのは解りましたけど……どうしてそれを王様が」
「しつこい奴だな。我は歌ってなどおらぬ」
ひとしきり説明したことで自分の役割は済んだとばかりにタブレットへ視線を戻しておざなりに返事をするギルガメッシュに、立香はこれ以上の追及は無駄かつ機嫌を損ねかねないと思考する。本人の言い分と自分の聴いたものを合わせると、導き出されるのは『ギルガメッシュも無意識に歌っていた』ということになるのだが。立香の好きな歌を覚えていて、無意識にそれをなぞっている。そのことに何とも言い表せない感情を覚えて立香の顔はどうしようもなく緩む。なんだろう、この感じ。立香は思考を巡らせるがやはり上手く表す言葉は思いつかなかった。思いつく中で一番近いのは「嬉しい」という感情だが、それも少し違う気がする。たぶん、それ以上だ。解るのは好きな人が自分の好きな歌をそらで歌えるということだ。歌詞を借りるなら、愛だ恋だって解らないけど、だ。
そう、愛だ恋だは立香には今でもよく解らないが、この感情は確かに好き、というものだし、愛とか恋とか、そういうものに近いのかもしれない。ギルガメッシュがいたからここまでこれたし、ウルクでのこともギルガメッシュがいなかったらきっと成し遂げられなかっただろう。勿論みんなの力があってのことだが、その中でもひときわ大きな部分を占めている。ギルガメッシュが最後まで諦めることなく戦ったから、その背を見たから、自分も諦めずにいられたのだと立香は思っている。それを愛だ恋だと言うならそうなのかもしれない。愛する人は守れ、と歌われているが、その点においてはなかなか難しい。単純な戦闘能力で言えば敵いようもない。だけど、ギルガメッシュが隣にいてくれるから、悪いことばかりじゃないと立香は思えるし、思い切り走れるしあがけるのだ。
そう思うとやはり何か言いようのない感情が湧いてきて、今すぐに抱きしめたいような気がしてきて、立香はタブレットに集中しているギルガメッシュへ歩み寄り、ベッドへ乗り上げて気持ちそのままに腕を回して金髪へ顔をうずめるようにして抱きしめた。手のひらに触れるのはいつものやわらかな皮膚ではなく、やわらかなことには変わりないが布地の感触だった。
「……邪魔をするな、立香」
「少しだけなので」
と言いつつギルガメッシュが呆れて諦めてタブレットを置くくらいの間、立香は腕を離さなかった。
「我と貴様の〝少し〟は随分と違うようだな」
「我慢してください。オレ今王様のことめちゃくちゃ好きなんで」
呆れを含んだ溜息をつくギルガメッシュに答えになっていないような答えを立香が返せば、ふん、と鼻で笑われる。
「まるでいつもは好きではないような物言いだな」
その言葉に立香は肩を掴んだままばっと身体を離す。立香が目を合わせる前に、悪戯っぽい笑みを伴ったまるい真紅が上目に覗き込んできた。冗談と解る声ではあったし、その表情を見れば戯れているのは明らかだったが。というか、ルルハワから帰って以降も、ギルガメッシュはよく笑うようになった……と立香は思っている。あの時も開放感からか新しい楽しみを見つけたからか、普段よりもよく……なんとなく、どことなく、子供っぽくはしゃいで笑っているような気がしていた。やっていることはホテル経営だの印刷会社経営だの、普段とそう変わりないような気がするが。ワーホリ、過労死王……という言葉が過って笑いそうになったところをすんでで堪える。もはやあれは趣味、習慣なのだろう。とにかくよく笑っていたのは良いことだと思う。好きな人が笑顔でいるのは素直に嬉しい。普段の王様然とした妙な色気のある流し目プラス微笑も立香にはとっては貴重な笑顔だったのだが。
「……そんなことないです! いつも好きです!」
思考を切り上げて立香は見惚れている場合ではなかった、と慌てて否定する。しかしギルガメッシュの笑みは変わらない。それどころか、更に口角が上がっているような気がする。端的に言うと無防備、無防備です王様、と立香の心中は穏やかではなかったが、それが伝わることはない、と思い込んでいる。
「……知っておるわ」
ふ、とギルガメッシュの顔全体が緩む。わあそんな顔もできるんですね、と言いたかったがそんなことを口にできる雰囲気でないのは立香でも解った。
「………………もしかして、誘われてます? オレ」
「貴様は真に鈍感よなあ」
「ゔ」
ぐさ、と心臓に言葉が刺さる。鈍感なのは身に沁みて理解している。理解している、が、鈍感なことには変わりない。そもそも、そんな経験などなかったのだから、確認もせずに雪崩れ込むなどできようもない。むしろこれでもだいぶ解ってきた方なのだ。
「よい。そこが貴様の愛いとこよ」
「わあ、王様そんな風に笑えるんですね、かわいい」
「……は?」
「あっ、やべ」
咄嗟に口を抑えたが時既に遅し。ふわふわしていたギルガメッシュの表情が一瞬にして凍りついた。ああ、失言だった、と悔やんでも後の祭りだ。かわいかったのになあ、と心の中で少し悄気げて、それでも立香は真っ直ぐに紅の双眸を見つめる。塩対応には慣れてるし、凄まれようが上目遣いだから対して威圧感もないのだが、気分を害してしまったこととあの緩んだ貴重な笑顔が消えてしまったのが悔やまれる。
「忘れてください」
「無理な願いだな。貴様が浮かれポンチで戦支度をしているところも含めて一挙手一投足記憶しているからな」
ふん、と自慢気に笑われる。が、
「それって、ずっとオレのこと見てくれてたんですか」
「は、」
立香の言葉で、今度はギルガメッシュの方が己の失言に気づく。悄気げていた立香が一瞬にして全開の笑顔になったことで更にその失言ぶりを強調させている。
「……………失言だ。忘れろ」
「や、無理ですよ。嬉しいですもん……って怪しいピコハン出すのやめてください!!」
空間が揺らいで波紋と共にオモチャのような、というかどこからどう見てもオモチャなピコハンがぬるりと出てくるが、それが何なのかはルルハワで痛いほどに理解している。このギルガメッシュの記憶を混乱させるような武器(?)など自分に使われたら過去を全部忘れそうだ。
「そ、それより! ……お誘いの、続きを」
話題そらしにしては内容がアレなことに言ってから気づくがやはり時既に遅し、だ。
けれど、出現しかけていた怪しいピコハンはぬるりと宝物庫へ消えていく。武器(?)なら何でもいいのだろうか。
「貴様も言うようになったではないか、立香」
ああ、上目で目を細めて笑われるとめちゃくちゃ破壊力ありますね、と立香はこみ上げる何かを胸の内で押さえつけて、ギルガメッシュの肩を押しながらその身体に跨る。
「バカンスはとっくに終わったというのにな?」
「バカンスとか、関係ないですし」
ルルハワでは同人誌作成と資材の調達に追われてロクにバカンスらしいことはできなかった。あれはあれで楽しかったが、何度八日目を迎えても疲労困憊でギルガメッシュの部屋へ戻っても立香はおやすみ三秒で何もできなかったのだ。ほぼ、なにも。
「それもそうであったな」
ふは、と笑う顔はやっぱり少し幼く見えて、ありがとう最初からほぼカンストしているようなものだった絆レベル、ありがとうルルハワ、と思いながら立香は緩んだ口許へ唇を押し当てた。笑みに細められた目元はやっぱりかわいいな、などと不敬なことを考えながら。
(そういえばあの歌の歌詞、言ってみようかな)
そんな考えが脳裏を過ったが、いや、やっぱりやめとこう、と思考を停止させる。歌詞を知ってしまったらもう歌ってはくれないだろうから。
『愛だ恋だって解らないけど 僕らは一人では駄目だ』
『愛する人は守れカムパネルラ 弱気は捨てろ スターライト』
『きっと悪い事ばかりじゃないよ 隣に あなたが居るなら』
隣にあなたがいるなら、オレはどこまでも行けますよ。無防備に閉じられた瞼を縁取る透けるような金色を見ていると、立香は自分の顔が緩むのを抑えられなかった。