珠魅の涙▽ぐだおと王様が『聖剣伝説 LOM』に登場する『珠魅』という種族になってるパラレルですが、設定を知らなくても読めなくはないと思います
▽ご存知の方には物足りないパラレルです(多分)
▽ぐだキャスギル
雨が、ざあざあとノイズのように降り注いでいる。
国は滅びた。民も冨も兵士も臣下も何もかもを失った。何もかもを失ったのに、己は未だ無様に生き恥を晒している。王のみが逃げてなんとする。国を持たぬならば最早王とすら呼べまい。そうなれば己はただの道端の石に過ぎない。玉石だの輝石だのと持て囃された真紅の核も、今にも砕けそうだ。もう一歩も動けない。四肢に力も入らず、木の根元に座しているのがやっとだ。それももう長くは保つまい。頭が重い。身体も、意識すら錘をつけられたように重い。ざあざあと降り続く雨は元々体温のない身体からも熱を奪う。せめて雨の当たらぬ場所を、と思って身じろぐと、ぐら、と傾いだ頭が支えられず地面にどしゃりと倒れ込んだ。濡れた枯れ葉が、雨に打たれて震えている。もう、起き上がる気力すらない。目を閉じる。何も残さず砕け散ることだけが唯一の救いだった。奴らに欠片の一片すら渡すわけにはいかない。
ざあざあと雨が降っている。その音も、ゆっくりと遠ざかり――――
「――――」
意識を手放す刹那、何かに呼ばれた気がした。
「―――か――」
誰かの声、だろうか。死に際に見る幻覚の類か。
「――大丈夫ですか」
肩を何かに掴まれた。重たい瞼を持ち上げると、気遣わしげな顔をした誰かが見えた。誰だろうか。誰であってももう、構わない。後に残るのは何も――
「ああ、そんな……、珠魅……貴方珠魅ですね」
問われたところで肯定も否定もできない。それが誰であろうと、もう、
「間に合え……!」
地面に横たわっていた身体が引き起こされる。自ら支えることのできなくなった身体を、その誰かは腕で抱きかかえるように支え、袖で濡れた核を拭う。本来ならその不遜な腕は斬り落とされていただろうが、もうそんな力はない。
「死なないで――」
祈るような声だった。そして、拭われた核にぽつ、と何かが落ちる感覚。ぽつ、ぽつ、と続けて触れた何かから、熱を感じる。ぼんやりとした視界の中で、己を抱えたその〝誰か〟は、泣いていた。海のような深い蒼が、溶けて、落ちて、――――
(暗転。)
✧✦✧
窓の外はざあざあと大粒の雨が降っている。
「――今回もまた随分と荒れているな?」
「そうですねぇ……」
窓の外の雨を眺める真紅と溟海がふたつずつ。一人は硝子を叩く雨を忌々しげに見、一人はただ見上げ、眺めていた。
鮮やかな血のような真紅の瞳を持つ一人は、ベッドの上に横たわるどこか気だるげな深い海色の瞳を持つ一人に膝を貸していた。
「そうですねぇ……ではないわたわけ。これでは動けぬではないか。雨ならば足跡も消せたものを……」
文句のような小言のような独り言をぶつぶつと呟きながら窓の外を見る真紅が、けれど決して一人で出発しようとはしないことを知っている。
「今回の珠魅狩りはあれで全部だったみたいですから、大丈夫ですよ。それよりギルガメッシュ王、核の具合はどうです?」
柔らかいとは言えない太腿に頭を乗せたまま、見上げる先のうつくしい人に問いかける。その頬に伸ばした手で触れても、文句は言われなかった。
「……問題ない。それより貴様であろう、立香」
立香、と呼ばれた蒼い瞳の青年は、するりとしろい頬を撫でて手を下ろす。本当は手を動かすのも億劫なのだが、触れられるチャンスがあれば触れておきたい。
「オレは大丈夫ですよ。少し、泣きすぎたかもですけど……」
目を閉じて、ゆっくりと呼吸する。珠魅は核を傷つけられると死ぬ。核は珠魅の流す『涙石』でしか癒やすことができず、けれど涙石は流した分だけ、流した者の核が傷ついていく。自分の命を削り、他者を癒やす。そういう風にできているのだ。そうしてお互いに助けあって命を繋いできた種族なのだ。孤児である立香には、その実感は薄いけれど。いや、薄かった、の方が正しい。今はこうして大切なひとを癒やせているのだから、珠魅であることを誇りにすら思う。
「であるならば、我の涙石を……」
「ダメです。治したばかりなんですよ? 無理しないでください」
ぐ、とギルガメッシュが言葉に詰まる。だがそもそもギルガメッシュが核に傷を負ったのは立香を守るためにその身を挺したからで、立香は無謀を責められこそすれ、気遣われていい立場ではない。確かに少し涙石を流しすぎたかもしれないが、それは立香が良しとしているのでギルガメッシュが気に病むようなことではない。立香の涙石で、ギルガメッシュの瞳と同じ深い紅色をした核に負った傷は癒えていた。身体に負った方の傷も、綺麗に消えたことだろう。ギルガメッシュは露出の多い服を着ているし、傷があれば目立つはずだ。ざっと見た限り、目立った異変はない。そのことに立香は安堵する。
「オレは王様の膝枕で充分すぎます。少し休んだら動けますから、そしたら、出発して……――」
遅めの瞬きをした立香は、ギルガメッシュが眉根を寄せ、険しい表情をしていることに一瞬遅れて気がついた。険しい、と言うより悲痛と言った方がその表情にはあう。きゅう、と核の奥が締めつけられるような表情。今にも泣きだしそうだ。
「王様、大丈夫ですよ。オレはそう簡単に砕けたりしませんから」
あまりに悲しげな顔をするものだから、頭を撫でたい衝動に駆られたが、届かないので頬へ触れるに留めておく。その手にギルガメッシュが頬をすり寄せて、立香の胸はまた締めつけられるのだけれど。
「王様、」
「……ん」
「もう少し、こっちに」
「……」
無言で頭を下げるギルガメッシュに、立香は頭を少し持ち上げて唇を寄せる。柔らかいもの同士が触れあい、それだけで締めつけられていた胸の奥が解けるような気がした。ギルガメッシュも同じなら、いいのだけど。
「――」
触れる以上のことはせず、立香は頭を太腿へ戻す。目を閉じていたギルガメッシュがゆっくりと瞼を持ち上げ、視線が絡む。笑いかけると、いくらかマシになった顔で溜息混じりに笑い返してくる。これは立香にしか見られないもの。普段の苛烈さも不遜さも鳴りを潜めた、飾らない表情。凛と立つ普段の姿も好きだけれど、立香を想ってその表情を曇らせているのだと思うと愛おしさを感じる。などと言えば機嫌を損ねるだろうか。そういう素直でないところも好きなので、どう転んでも好きにしかならない。
「王様、」
後ろ髪を引かれる気持ちで膝枕から頭を持ち上げ、「よいしょ」とまだ重い身体を起こす。もう少し膝枕を堪能したかった気持ちもあるが、もっと触れたくなった、と言えば聞こえがいいだろうか。
立香の動きを見守っていたギルガメッシュと向かい合わせで座り、膝同士が触れあう距離にまで近づく。そうしてギルガメッシュのすらりとした手をとり、真剣な表情など作ってみる。
「王様」
「なんだ」
「もう少し、触れてもいいですか?」
触れるだけのキスでいいと思ったはずなのだが、それだけでは足らなかった。存外に自分は欲深くあるらしい。右手で取ったギルガメッシュの手を、指を絡めて握り込む。ギルガメッシュは、少しきょとんとしたような、虚を衝かれたような顔をして、ぱちぱちと瞬きをして、それから立香の視線から逃げるように斜め下へ真紅の瞳を動かし、頷いた。この部屋の薄暗さでははっきりと見えないが、その頰から耳はきっと赤く染まっていたのだろう。
許可を得た立香は、身体の怠さなどは一旦忘れ、ギルガメッシュの両肩辺りを掴みゆっくりとベッドの上へ押し倒す。ぽすんと枕へギルガメッシュの頭が収まり、猫のような紅い眼が立香を見上げた。立香はこの目が好きだ。勿論好きではないところなどないので当然なのだが、特にこの瞳は好い。千里を見通すのがよい、というわけではない。それ自体は確かにすごい能力だとは思うし今まで何度も命を救われてきたが、この瞳が好きな理由はもっと単純だ。美しい人に美しい瞳、それを好いと思わないほど立香に審美眼がないわけではない。この、心の裏まで見透かすような瞳はとても美しい。何より、笑うと細められたり閉じたりするところがまた好いのだ。矛盾しているが。そしてこうしていると立香ただひとりを映しているのが、好い。
「王様、核は――きれい、ですね」
良かった、と独り言のように呟く立香を見上げる目が、少し険しくなる。気に病む必要などないのだが、ギルガメッシュは立香の核が傷つくのを厭う。当の立香は、愛されてるなぁなどと呑気なことを考えているのだが、それを伝えたところで厭うのは変わらないだろう。逆の立場になったら立香も同じことをするので、その気持ちを否定したりはしない。
ギルガメッシュの、傷ひとつない核を指先でそっと撫でる。ギルガメッシュは、核までも美しい。深い紅の核は、間接照明のみの薄暗い部屋でも僅かな光を拾って煌めく。
「ん、……」
するすると核を撫でていた立香の耳に、鼻にかかったような小さな声が届く。くすぐったいのだろうか。
「――――」
深紅の核に、唇で触れる。体温を持たない身体だが、それでも核の石はひやりと冷たい。珠魅はこの核さえ傷つかなければ百年でも千年でもずっと生きていられるらしい。人間として育てられた立香にはその実感はあまりないのだけど。
「ん……、……立香、」
甘い低音にやや咎めるような音が混じる。顔を上げると、胸の核と同じ紅い目がこちらを見ていた。この先への期待と、それを堰き止める理性との間でゆらゆら揺れている。それにふと笑いかけ、
「大丈夫ですよ。流石にそこまでの元気はないです」
言っていて悲しいような気がしたが、事実なので変えようもない。やはり涙を流しすぎたのだろう。
「……でも、ちょっとだけ」
「りつ、んん」
最後の一音のために開きかけていた唇を塞ぐ。隙間から舌を滑り込ませて、でも深くはなりすぎないように。火がつかないように。舌の表面をすりあわせるだけでも目が眩みそうなほど気持ちいいのだけど。
「んぅ、……ん、ん……」
おまけに気持ちよさそうな鼻にかかった声を出されて、ねだるように首の裏に回した手で引き寄せられては――いや、今日はいけない。少しだけ休んだら、雨が降っているうちにここを発ちたい。早く次の街へ、更に次の国へ、珠魅狩りのいない、誰も二人のことを知らない、平穏な土地へ行かなければならない。そうすればふたり自由に――
「……ん、く、……ん、ぁ、」
こくんと何かを飲み込んだ音がして、立香は顔を離す。つつっと糸を引いて唾液がギルガメッシュの唇へ落ち、それを濡れた舌が舐めとって口内へ戻っていく。もっと、と思う気持ちは尽きないが、これ以上は予定に差し障る。まだ熱の残る蕩けた眼で立香を見上げるギルガメッシュを見ていると決心がぐらぐらと揺らぐので、断腸の思いで目を逸らした。ふ、と笑みの混ざった吐息が下から聞こえる。
「……笑いごとじゃないんですけど」
「嘲笑ったのではない。その殊勝な心がけが愛い、と思ってな」
うい、と立香は呟いて、ややあって脳内で正しく変換する。それから、縦長の瞳孔を丸く開いて立香を見ているギルガメッシュの上へ、のしかかるように身体を伏せた。重い、と苦情が耳に届いたが無視をする。
「も⌇⌇……なんでそういうこと言う……」
「なんだ? 思うまま口にしたまでのこと。気に入らぬか?」
唸る立香にクスクスと笑って応えるギルガメッシュ。気に入らないなどと、そんなはずがないことを解っている声だ。
「録音して一生聞いてたいです!」
「ふは、ハハハ、やめよ、こそばゆいわ」
紅い核にぐりぐりと額を押しつける立香に、ギルガメッシュは止める気もなさそうな声で言う。実際くすぐったいのだろうが、目くじらを立てるほどではないといったところだろうか。笑っているギルガメッシュの機嫌を損なわないうちにやめ、伏せていた身体を起こす。広くはない宿屋のベッドは、大の男二人が並んで寝るには狭すぎるが、狭いならくっついていればいい、と仰向けのままのギルガメッシュに腕を回し脚を乗せて抱きつく、というよりしがみつく。機嫌が良いままのギルガメッシュは、ふは、と吐息だけで笑って立香の方へ身体を寄せてきた。横を向いてくれたお陰で抱き締めやすくなったので、遠慮なく抱き締める。抵抗もせず身を委ねてくるギルガメッシュは苦しいほど愛おしい。いつもは立香より上にある真紅の瞳も、今は同じ高さだ。ぼんやりとした薄明かりの中で、ふたつの真紅に立香だけが映っている。顔を寄せるとその眼が閉じられたので、瞼にくちづける。それから前髪に隠れた額にも。くちづけながら、抱き締めている手を後頭部へ回し、さらさらの金髪を撫でる。目を開けたギルガメッシュは、瞳孔の円く開いた目で立香を真っ直ぐに見詰めてくる。同じように見詰め返して、笑いかけてみる。無反応かと思ったが、ふ、と微笑って、それでまた愛おしさに拍車がかかる。この人を幸せにしたい。珠魅狩りなどおらず、戦争もない、穏やかな場所で二人静かに生きていけたら、どんなにか幸せだろう。それを幸せだと思ってくれるかどうかは、ちょっと解らないけれど。どうもこの王は逆境を愉しむタイプのような気がする。命の危険がない程度にしてもらえたら、立香としてはとても有り難い。
「どうした。百面相か?」
大人しく頭を撫でられているギルガメッシュが、笑いを含んだ声で問うてくる。どうやら思考が顔に出ていたらしい。
「幸せについてちょっと考えてただけですよ」
「幸せだと? ……ふむ。申してみよ」
「え」
「戯れに聞いてやる、と言っているのだ。そら、好きなだけ語るがよい」
「えっ、えー……」
そんな大層なことは考えていなかったのだが、ギルガメッシュは聞く気満々でこちらを見ている。逃げられそうもない。
「や、大したことじゃないですよ。珠魅狩りも、戦争もない平和なとこで王様と一緒に暮らしたいなぁって、それだけです」
期待を裏切ってしまう気がするのが若干心を軋ませるが、考えていたことを素直に告げた。聞いていたギルガメッシュは、驚くでもなく、嘲るでもなく、ふむと呟いた。
「一緒に、という点は評価しよう。しかしその未来、些か刺激に欠けるな」
「それはそうですね、今が刺激だらけってこともありますけど……」
「やはり企業を起ち上げるしかない、か……」
「いや何するつもりなんですか王様は」
いやに真顔で呟くものだから、思わずツッコミを入れてしまった。どこか遠い国で店なりなんなりを始めようとでも言うのだろうか。それはそれで楽しそうではある。
「変わらぬモノなど退屈なだけよ。この、我らの膨大な時間、無為に過ごすは愚者のすることと知れ」
ふふん、と自慢気というかドヤ顔気味に笑って語るギルガメッシュを、立香は両目を細めて笑顔で見遣る。その間にギルガメッシュは滔々と新しい事業について語り、聞き慣れた声のトーンに立香は徐々に眠気を感じる。会話の途中で寝るなんて、とは思うものの、涙石を流してついた疵によるダメージから回復しきっていないのだ。身体は休息を求めている。
「――であるからして、この計画は――」
ギルガメッシュは愉しそうに語っている。うとうとし始めた立香は、そのギルガメッシュを可愛い、と思い、それから、
「――その暁には貴様にもそれなりの報酬を…………なんだ、眠るのか?」
最後の問いより報酬、という言葉の方が耳に残った。瞬きの増えた両眼でギルガメッシュを見、脱力した笑みを浮かべる。
「報酬なら……、……王様がいてくれるだけで……」
意識が眠りという名の錘に引きずられていく。もっと話を聞いていたいけれど、少し眠りたい。
ギルガメッシュは短く息を吐いて、立香の後頭部の髪をぎこちない手つきで撫でる。
「おうさま……すみませ……、……おやすみな、さい……」
あやすように撫でる手が、優しくて眠気を誘う。かろうじて一言二言発した立香は、するりと眠りへ落ちていった。
「……貴様は真、欲のない男よな、立香。……いや、欲深いのか?」
立香の意識が落ちたのを確認してからギルガメッシュは呟く。疑問に答える声はない。そうして先程立香にされたように、黒髪の上へ唇を押し当てる。
またすぐに宛のない旅路へ戻らねばならないが、未だ外は嵐だ。
「おやすみ、立香」
今だけは、眠る間だけは、立香の望む穏やかで平和な世界であればいい、とそう願い、ギルガメッシュはもう一度額の辺りへ祈るようにくちづけた。