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    kazami_memo

    @kazami_memo

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    kazami_memo

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    鬼のguと小鬼のtnの話。
    ※人外化アリ
    ※年齢操作アリ

    落日の境界線 はるか昔、人と人ならざる者は近しい間柄であった。
     人は人ならざる者の存在を認識し、畏れ、ときには崇め、良き隣人であろうと努めた。
     しかし人の悪心を知らず知らずのうちに吞み込んだ存在は、やがて悪鬼へと変貌し、人々を襲った。
     多くの人が亡くなった。
     多くの人が涙を落とし、憎しみを芽生えさせた。
     それから人は、人ならざる存在すべてを『悪いもの』と定め、これらを排他。認識することを恐れるようになった。
     自身たちの罪を、決して見ようともせず……。
     
     
    □□□
     
     
     打ち付ける雨が痛い。
     口の中がじゃりじゃりと砂っぽくて気持ち悪い。それだけでなく、安っぽい着物も、黒い髪も肌に張り付いて、嫌になる。
     濁った水溜まりに足を浸からせて、空を見上げた。
     変わらず雨は小さな身体に降り注ぐ。
     ……飯、どうしよう。
     ここ数日、人らしい食事をした覚えがない。
     最後に食ったの、なんだっけ……? 嚙み切れそうにない餅の欠片だったような気がする。
     結局水でふやかして、どうにか胃に流し込んだんやったっけ?
     飢饉が起きたこのご時世、みすぼらしい子供を拾ってくれるようなもの好きなんていやしない。問屋は米を蓄えてばかり。武士でさえ食いものに困る始末だ。
     おれ、なんのために生きてるんやろ……。
     心の中で吐露し、赤い瞳を閉じる。
     みんな、みんな、この目を怖がっては離れていった。
     まだ赤子だった俺を四つまで育ててくれた人も、近所の人も。
     ただ、人と違うから、と。それだけの理由で。
     なーんも悪いことなんかしてへんのに。
     足元の水溜まりが跳ねる。雨の波紋と薄暗さで水面はよく見えない。
     途端、唸るような雷鳴が轟いた。
     身体に打ち付ける雨が止む。決して天気が良くなったからではない。
     大きな傘が、俺の頭上よりうんと高い場所にあった。穴の開いていない、立派な番傘。
     周囲がほんの少しだけ静かになる。
     だれ……?
     親切心なのだろうが、どうせこの人も俺の目に怖がって、逃げていくに違いない。
     期待することはとうに諦めている。だから、逃げるならさっさとどこかへ行ってくれ。
     顔を上げる。傘をかざしてくれた人は、俺よりもずっと背の高い大人。
     でもまず俺の目を引いたのは、
     ─────俺と同じような赤い右目。
     明かりのない夜であるにも関わらず、その瞳だけが闇の中で輝いて見えた。
     綺麗な顔立ちだった。
     俺が今まで見たどんな人よりもずっと……。

    「幼い鬼子」

     大きい人は俺のことをそう呼んだ。
     鬼子、鬼の子、と。

    「生きたいか?」

     ざあざあと雨が降る雲の下であっても、腹の底から響くような低い声。
     その問いに、俺は、


    □□□


     夢を見た。
     たった二ヶ月前の話だというのに、遥か数年前の出来事のように思える。
     あの頃の、人以下だった生活が嘘みたい。裕福な暮らしとは到底言えないが、俺はとても満ち足りていた。
     ひもじさも、寂しさも、このところ縁遠いものとなっている。
     赤い目を擦って、欠伸をひとつ。
     けれど、独特な臭いのする煙が鼻について、顔をしかめた。
     鼻が曲がりそうな臭いのする奴なんて、生憎一人しか知らないし、一人いれば十分だろう。思わず鼻をつまんで声を上げる。

    「だいせんせ、くさい」
    「僕自体が臭いみたいな言い方やめてくれへん!?」

     青みがかった髪、底のない海を連想させるような青い瞳を持った男、大先生──俺らにそう呼ばせているだけで本当の名前は知らない──は右手に持った高価そうな煙管をくるりと一回転。灰を地面に落とす。

    「漬け物が腐ったみたいな臭いするで」
    「エッ、嘘ォ!?」
    「うそ。でも煙臭くてしゃーない」

     けほけほと咳を吐いて喉を整える。
     まあ大先生が煙臭いことは仕方がないので良しとしよう。問題はそこではない。
     今の問題は……、

    「……なんで大先生がここにおるん? ぐるさんは?」

     俺が寝泊まりしている長屋の一室は、俺の拾い主、グルッペン──異国の名前みたいで言いにくいので、ぐるさんと呼んでいる──が借りている部屋である。
     そこに我が物顔で居座っている大先生を、俺は半眼で見つめた。

    「いや、僕が来たときはもうグルッペンおらんかったよ」

     ぷかぁ、と煙を吐き出し、大先生は告げる。出来れば外で吸って欲しいものだ。

    「また金借りに来たん……?」
    「いやほんと、ちゃんと返しますんで……」

     数回会っただけで、俺はもうこの大先生のクズさ加減にほとほと呆れ返っていた。
     どうして借りた金で豪遊したり、女に貢いだりしているのだろう……。
     そんな彼を見限らないグルッペンも、大概どうかしていると思うが。
     いつか「鯉に餌をやる感覚」と言っていたのを思い出し、渋面で首を傾げる。

    「トントン、起きていたのか」

     噂をすれば影がさすのは本当だったのか。
     ガラガラと引き戸を開けて部屋に入ってきたのは、俺の拾い主、グルッペンだ。髪色は珍しい白金で、とてもきらきらとしている。
     彼は俺に目をやって、次に我が物顔で煙管を吹かせる大先生に目線をやった。

    「またお前、金借りに来たんか。ええ加減にせえよ」
    「すまぬ」

     呆れた物言いをするが、グルッペンは「仕方ねぇな」と言って財布から銭を取り出し、大先生に手渡す。
     銭同士がぶつかる子気味の良い音がした。

    「はい、八文」
    「どう……ええええ!? これじゃあ夜鷹しか買えへんやん! グルちゃんのケチ!」
    「かけ蕎麦でも食ってろ。八文で十分やろ」

     呻く大先生を無視したグルッペンは俺の隣に腰掛け、腕を組む。

    「相変わらず物価が上がっているから、俺らも蕎麦を食いに行こう」
    「おう!」
    「俺の天ぷら分けたるからな」
    「えぇ……ぐるさんもちゃんと食いや……?」

     ひもじい思いをしていた頃と違い、今の俺は少しだけ肉がついた。それでも痩せていることには変わりないので、グルッペンは俺に食べ物を色々と分けてくれる。
     それが、ぽかぽかする。
     グルッペンは目を細め、俺の頭を優しく撫でた。ときどき、黒い髪に埋もれた小さな二本の角に触れられて、少々くすぐったい。
     ​──────俺が鬼であることを見抜いたグルッペンも、俺と同じ鬼らしい。
     長い時を生きているのか、グルッペンは鬼の特徴とされる角と牙、赤い瞳を隠し通す力を会得していた。
     我の強い鬼が、同種とはいえ子供を拾い育てる話は稀だと大先生から聞いたが、泡沫の戯れであっても、俺を撫でてくれる手はほんのり温かい。
     初めこそ慣れない温かさに困惑したが、今では甘受している。
     みんなの言う家族って、こんなんなんかなあ……。

    「そういやぐるさん」
    「ん、なんだ」
    「よたか、ってなに?」
    「……お前は知らなくていいことだ」

     その後、グルッペンは大先生を雑に叩いていたが、理由はよく分からなかった。


     初めて天ぷら蕎麦を食べたときは、びっくりした。
     こんなに美味しい食べ物が世の中にはあるのかと。
     海老の天ぷらの衣はさくさくとしていて美味しい。出汁に浸しても、ふわふわとした食感に変わって、染み込んだ出汁がじゅわりと口の中に溢れて癖になる。
     あんまりに美味しくて夢中で頬張っていたからか、グルッペンは俺に色々な食べ物を食べさせてくれた。
     にぎりずし、蒲焼き、串焼きだけでなく、団子や饅頭、金平糖といった甘い菓子まで。
     持ち合わせは少ないだろうに……。けれど彼は「気にするな」と言って、俺が美味しそうに食べる姿を、小さく微笑んで眺めている。
     その視線がやっぱりちょっとくすぐったい。

     俺の鬼の特徴を隠す術をかけてもらい、馴染みの蕎麦屋で腹を満たしたあと、俺はグルッペンに手を引かれ、ある商家の前まで来た。
     大きな屋敷だ。瓦屋根は綺麗で、裕福な家であることが分かる。

    「そろそろ顔合わせとこうと思ってな」

     そう言ってグルッペンは、俺を片手で抱えあげ、しっかり捕まるよう告げる。
     知り合いでもいるのだろうかと思いつつ、グルッペンの首に両腕を回した、そのとき、
     軽い揺れとともに、いつの間にか屋敷の敷地内に降り立っていた。

    「へ……!? まって、門から入るんちゃうの!?」
    「正門から入ると、何も知らん丁稚やら番頭やらと出くわして面倒だからな。こっちの方が確実なんだよ」

     六尺(約一八〇センチメートル)をゆうに超える塀を、たった一回の跳躍で飛び越えてしまうとは。つくづく、この人はすごい鬼なんだなあと実感する。
     そのまま整えられた庭を歩いていると、ぱしん、扇子を閉じる音。

    「まーた塀乗り越えてきたん? ほんま身軽なやつやで。次から鬼じゃなくて、天狗名乗ったらどう?」

     音の出処を目で追えば、縁側でくつろぐ一人の男がいた。
     男は茶色の髪を風で揺らし、怪しげな目をより細め、抱えられた俺をじっと見る。
     心の底まで見つめられているような気がして、怖くなって固まった。

    「トントン、紹介しよう。こいつの名はオスマン。この商家の主人だ」

     グルッペンが声を発した途端、ふっと男の気が緩む。にこりと口角を上げ、人好きのしそうな顔を浮かべた。

    「初めまして〜! グルッペンの支援とかしてる、オスマンっていうもんです。まあこれ、継いだ名前で本名ちゃうんやけど、よろしくな〜」

     俺の目線に合わせ、固まった緊張を解すように頭を撫でられる。
     香を焚いているのか、ふわりと独特な匂いが鼻にかすった。大先生の煙とも違う、淡い匂い。

    「オスマンは人間だが、俺らに対し理解がある。胡散臭い見た目をしているが、そう身構えなくてもいい。安心しろ」
    「誰が胡散臭いんや」
    「うるせぇ、実際トントンビビらせてんだろうがよォ」

     そんな会話をしつつ、グルッペンは俺の顔に手をかざし、鬼の特徴を隠していた術を解く。にんしきそご、と呼ぶらしいが、俺にはまだよく分からない術だ。

    「綺麗なおめめしとんねぇ。混じりけのない鮮やかな真紅。まるで夕陽の一番ええとこを落とし込んだみたいや」

     面と向かって褒められてしまい、より一層グルッペンにしがみつく。こういうのはあまり慣れていない。

    「あぁ、お前の瞳は俺よりもずっと綺麗だ」

     そんなことない。
     少し昏く綺麗な赤い目で見つめられ、恥ずかしさのあまり下を向いた。
     グルッペンは俺の様子に気付いたのか気付いていないのか。構わず俺の頭を撫でる。

    「あ、そういやグルッペンにちょっと頼みたいことあるんやけど。明日とか、時間空いとる?」
    「おう、ええぞ」

     グルッペンは強い鬼だ。長い時も生きているため、こうして人からの頼み事をこなし、食い扶持を稼いでいるらしい。
     面倒事ちゃうやろな?
     低い声で念を押したあと、オスマンは手を顎に持っていき、唸るように口を開く。

    「こっから北西の辻にある武家の人、いつもうち贔屓してくれてるんやけど、なんかずっと体調悪くて、よう寝付けへんって言っててな。悪い気溜め込んでいるように見えるし、何とかして欲しいんや」

     オスマンが告げた内容は、酷くあっけらかんとしていた。

    「……それ、俺いらんやろ? 医者行くか、神社行って祓ってもらえよ」

     まだ小さい俺は、二人が話していることはよく分からない。だけどそれ、確かに鬼の出番ではないような気がする。
     鬼はだいたい、膂力が人よりあるとか、人より少し丈夫なくらいで、おとぎ話のような変な術をたくさん使えたりはしない。
     所詮、作り話だ。
     しかし、オスマンは困ったように首を傾ける。

    「勧めたし本人も行ったって言うてたよ? でもほんの気休め程度。すぐ悪化するみたいで……」
    「…………そうか、分かった。引き受けよう」

     グルッペンは少し悩む素振りを見せたあと、首肯。了承した。

    「ほんま? 助かるで。これはもう、謝礼は弾ませてもらうから。あっ、でも……」

     ふと、オスマンは思い出したかのように苦く笑う。

    「その人、怖いもん苦手やから、気をつけてな」


     次の日。グルッペンは俺を連れて、待ち合わせ場所となった茶屋街の端。大きなシダレヤナギの下で相手を待った。
     道中買ってもらったみたらし団子を頬張る。
     醤油が効いていながらも、ほのかに甘いタレは俺を幸せにしてくれる。焦げ目のついた団子も芳ばしく、もっちりと伸びて美味しい。
     手がベタつかないよう、最後の団子を惜しむように味わったあと、件の依頼人はやってきた。
     ちりん、とくぐもった鈴の音。

    「あんたが、オスマンの言っていた人?」

     短く切り揃えられた黒髪、シワひとつない薄色の着物は上質そうに見える。大小の差し料は彼が武家の人間であることを証明していた。
     だが、顔色は悪い。
     よほど眠れていないのか、特に目の下の隈が色濃く浮き出ている。時折、咳き込んでいる様子から見るに、相当具合が悪いようだ。
     俺はグルッペンの背後に隠れて、相手をよく観察する。

    「あぁ、グルッペンという者だ。事情はオスマンから聞き及んでいる」
    「グルッペンね。俺は……あー、ひとらんらん。うん、ひとらんって呼んでよ」

     それはおそらく偽名であろう。身分が明らかとなっていない俺らに対し、警戒しているらしい。名のある武家の出であれば仕方がないのか。
     グルッペンはさして気にせず、早速本題に入ろう、と言って頷いた。

    「寝付けない日が続いていると言ったな。具体的にいつからか、覚えているか?」
    「どうだったかな……ひと月、ぐらい前から……? 初めは疲労かと思ったんだ。それで、かかりつけの医師に診てもらって、やっぱり疲れだろうと診断してもらったんだけど……」
    「休んでも改善しない、と」
    「そう、事情を説明して仕事は休んだりしたし、オスマンの勧めでお祓いもしてもらった。それでも改善するどころか、寝床に着けば、誰かにじっと見られているような気もして……」

     やはりオスマンの言う通り、ひとらんは怖いものが大層苦手なようで、色の悪い顔をより白くさせ、ぶるぶると震えた。
     同時にまた、かすれた鈴の音が聞こえる。
     俺は首を傾げた。

    「あ、あの……」
    「うん?」

     ひとらんがこちらを見る。俺は未だグルッペンの後ろに隠れたまま、おそるおそる確かめるように口を開く。

    「と、トントンと言います。あの、さっきから鈴の音が聞こえて……」
    「鈴……あ〜、財布に付けている鈴だよ」

     ひとらんは俺の目線に合わせるよう屈み込み、袖から財布と思しき巾着袋を取り出す。
     そこには、古くなった銅鈴が付けられていた。
     年季の篭もった代物らしく、どうりで音がかすれているわけだと納得した。
     だが、嫌な気がする。言葉に出来ない寒気が、悪寒が、背筋を駆け抜けていく。
     鈴が音を鳴らすたび、体の芯がぐらつくような感覚を覚えた。
     そんな俺の様子にいち早く気付いたグルッペンは、俺を抱き抱え、安心させるよう背中を撫でる。少しだけ、気持ちが安らいだ。

    「その鈴、随分古いものだ。神社で買ったものか?」

     先程の延長のように話を続ければ、ひとらんは少し悩む素振りを見せ、答える。

    「そうだね、俺がまだ幼いときに神社で買ってもらったものだと思うよ」

     また、音が鳴る。
     かすれた、古い、音。

    「……古くから、銅鈴の音は境界を引く役割を持っている」

     グルッペンはぽつりと語り始める。
     はるか昔、祭司などしか持つことを許されなかった銅鈴が鳴らす音は、神聖な音色だ。

    「だが、長く同じものを持ちすぎると逆効果となることが多い」

     昔はきちんと役割を果たしていたのだろう。だが今や、ひとらんが持つ鈴の音は、神聖さとはかけ離れたものとなっている。
     長く持ち続けたことにより、穢れが集まったのだ。
     それは神社の御守りにも同じことが言える。御守りの有効性も一年が限度。一年が過ぎれば次第に穢れが蓄積され、持ち主に不幸をもたらす。
     そのため御守りの類は、一年経てば返納することが基本であった。

    「えっ……まさか原因って……」
    「十中八九これだろう。まったく、返納忘れによるものとは、さすがの俺も思わなかったが」
    「うわ、え、どうしよう、早速これ返しに行きたいんだけど」

     まさか、大切にしていた鈴が原因とは思うまい。ひとらんは焦った様子でその鈴を巾着袋から取り外し、うーんと低く唸る。
     どうやら、この鈴を買った神社が思い出せないようだ。
     だいたい御守りは、買った神社に返しに行った方が良いとされている。

    「良ければこちらで処理しておこう。お焚き上げの出来る知り合いがいてな。奴なら上手く祓ってくれるだろう」

     見かねたグルッペンが助け舟を出せば、まさに渡りに船、というようにひとらんが声を弾ませる。

    「いや、本当に申し訳ない。そうしてもらえるとこちらとしてもありがたいです……」

     グルッペンは鈴を受け取り、折り畳んだ手拭いに包んでから、確認するようにひとらんに告げる。

    「これで原因は断てるが、一応念の為、再度神社でお祓いを受けることを勧めるぞ」
    「うん、ありがとう。助かったよ」


     鈴の音を聞いてから、寒気が止まらない。
     まるで熱があるみたいで。これも鈴の穢れの影響なのだろうか。
     震える身体に我慢ならず、俺は温かさを求めてグルッペンの身体に身を寄せた。

    「すまんな、トントン。少し辛いだろうが我慢してくれ」

     しばらくグルッペンの腕の中で揺られていれば、目的地に着いたのか。神社横の古い家屋の前に来ていた。

    「カミ、邪魔すんぞ」
    「あれ、お客さんかと思ったらグルッペンやん。おひさ〜」

     雑に引き戸を開けた先から、呑気な声が聞こえる。そちらに視線を向ければ、妙な文字が書かれた面布を貼り付けた、背の高い男性が昼間から酒をあおっていた。

    「エッ、グルッペンが子連れ!? 一体誰との子なんですか!」
    「ふざけるな酔っ払い。早速で悪いが早急に引き取って欲しいものがある。あと柏手も」

     カミ、と呼んだ人へ、グルッペンは鈴を包んだ手拭いをぶん投げる。
     まるで手に吸い込まれるように受け取った彼は、少々顔をしかめて──顔は隠れているがそう見えた──手拭いの中身を見た。

    「あちゃー、なんかやばいやつ持ってきたね。そらそこの子もぶるぶる震えるわけよ」

     そう言って手に持っていた盃の中身を乱雑にぶっかけて、柏手ひとつ。すると鈴から漏れ出ていた淀みが、ぱんと弾け飛ぶ感覚を覚える。
     次第に俺にまとわりついていた嫌な悪寒も止んでいった。

    「ぐるさん、このひと、は?」

     なんとも不思議な力を持つ人だ。グルッペンの知り合いであり、かつ奇妙な格好をしていることから、ただの人間でないことは分かるが……。

    「俺はしんぺい神。よろしくね〜、トントン」

     教えていないはずの名前を呼ばれ、思わずぎょっとした。
     なぜこの人は、俺の名を……。

    「ぼく、大抵のことはなんでも知っとるよ〜。だって名前の通り、神やからね」

     ふわふわとした掴みどころのない口調で語りかけられ、俺の緊張の糸が自然にするすると解けていく。
     でもカミ……神ってことは、それってつまりすごいヒトなんじゃ?
     しんぺい神はそんな俺の心を読んだのか、見るからに嬉しそうな声音を発する。

    「そうやで〜、ちゃんと崇めるように!」
    「気をつけろトントン、こいつは良い神だが警戒は怠るな。気を許すと食われかねんぞ」
    「ちょっと何言ってんのキミはー! さすがに俺でも対象年齢ってもんがあるって!」
    「あん? どの口が言ってんだオメーはよ」
    「え……グルッペンが冷たい……俺たち長い付き合いやろ? 昔は俺に対してあんなにも従順やったのに……」
    「おうおう、そろそろ口閉じようか酔っ払い」

     内容の大半はよく分からなかったが、俺の頭上で漫才のような会話が繰り広げられて、くすりと笑い声をこぼす。
     そして二人の仲の良さに、ちょっぴり羨ましいと思ってしまった。
     いいなあ、俺もぐるさんと仲良くなって、ぐるさんの役に立ちたい。ぐるさんに喜んでもらいたい。

    「まあまあ、おふざけはこんくらいにして。んで、この鈴……あぁ簡易的に祓ったから今んところ大丈夫なんやけど、持ち主のほうはどう? 無事?」
    「……現状は体調不良のみで済んでいるが、あまり状況は芳しくない。今夜あたり、来るだろう」

     なにが、とは言わずとも双方分かっているのか。生憎俺にはその、なにか、は検討もつかない。
     そんな俺に、グルッペンは分かりやすく教えてくれる。

    「鈴は本来、境界を引く役割を持っているが、陰に転じてしまえば、逆に悪いものを寄せ付けてしまう。それは恨みを募らせた悪霊であったり、穢れに当てられ正気を失った悪鬼であったりと、様々だ」

     確かひとらんは「じっと誰かに見られているような気がする」と言っていた。
     グルッペンの言うことが正しければ、ひとらんのそれは気のせいでも何でもなく、本当に誰かに見られているということになるが……。
     なにそれこわい……。先程とはまた違う寒気に襲われた。

    「そういったものに襲われた人間の最期は悲惨極まりない。……死なれても寝覚めは悪いからな。オスマンの得意先でもあるし、俺がどうにかしよう」

     グルッペンの声は、珍しく硬かった。


     どうにも胸騒ぎがする。
     押し入れの奥に仕舞っていたらしい黒塗りの太刀を持って、グルッペンはひとらんが住む屋敷へ出かけていった。

    「危険やから、お前は留守番しといてくれ」

    とグルッペンに言われ、深夜に掛け布団を被っているが、なかなか寝付けないでいる。
     グルッペンは強い鬼だ。前だって、用心棒の仕事で悪漢を片手で打ちのめしていた。それはもう赤子の手をひねるような簡単さで。
     だから、悪霊とか、悪鬼とか、そんな存在に負けたりしない。
     そう自身にいい聞かせても、やはり安心できなかった。

    「……やっぱり、心配や」

     独り言を呟いて、俺は布団から身を起こし、長屋の外へ飛び出す。
     今晩は雲が多い。月の明かりさえない道は真っ暗だ。えも言われぬ恐怖が押し寄せるも、それをグッとこらえて夜の道を走る。
     きっとグルッペンに会えば、彼は俺を心配して強く叱りつけることだろう。けれど、怒られることは承知の上だ。
     怪我をしている可能性は限りなく低いだろう。だが今は、彼の無事をこの目で確かめたい。
     俺に温かさをくれた唯一のヒト。


     屋敷へ近づくにつれ、体にまとわりつく陰気が色濃くなる。鈴の音を聞いた時と同じ感覚だ。
     そろそろ夏も近いというのに、総毛立つようなただならぬ寒さに身を震えた。
     グルッペンから貰った赤い首巻、持ってくればよかったな……。
     陰気に長く触れ続けると、生物は弱る。人間しかり、人ならざるものしかり。

    「ぐるさん、どこ……」

     草木も眠る丑三つ時。風さえないこの夜は、不気味な程に静かだ。草履をこする土の音しか聞こえない。
     しかし途端、大きなモノがどさりと崩れ落ちる音がした。

     ごろごろと、足元に転がってくる、異形のくび。

    「うわっ!?」

     頸を切り落とされてもなおうごめくその目玉に驚き、俺は腰を抜かす。
     けれどその頭は次第に黒いモヤとなって霧散し、消えていった。まるで幻でも見ていたかのよう。地面には血の跡ひとつ、何も残らなかった。

    「トントン、留守番をしといてくれと言ったはずだが……」

     抜き身を引っさげ、俺の前へと歩いてきたのは、俺が探していたグルッペンその人だ。彼は呆れ返った様子で深々とため息を吐き、俺と目線を合わせるため屈み込む。

    「ご、ごめんなさい……でも、心配で」
    「いや、心配をさせた俺も悪かった。やけど、なあ……まだ終わってねぇんだよなあ」

     グルッペンは困った様子で頭を搔くも、その声音は硬い。
     空気は未だに淀んだまま。陰気は濃く、それに当てられた俺はぶるりと身体を震わせた。

    「ったく、オスマンから謝礼ぶん捕らねぇと、割に合わんぞ。とにかくお前は少し離れて……」

     震える俺を安心させようとグルッペンが手を伸ばしたとき、

     肉を裂く音がした。

     ぴしゃりと、地面に水のような何かが叩きつけられる音。
     鼻につく血の臭い。

    「ぐ、るさん」

     俺の視界に映ったのは、雲間から覗く月明かりに照らされたグルッペンの金色の髪と、身の丈をゆうに超える異形の姿と、大きな爪。
     彼は利き手に持った太刀で、振り返りざま異形の存在を一刀のもとに斬り捨てる。
     刀の切れ味は非常に良いものだった。きっと腕の良い刀工の作品なのだろう。
     逆袈裟斬りを喰らった存在は、どさりと膝をつき、先程の異形と同じように霧散して消えた。何もなかったみたいに、跡形もなく。
     けれど、血の臭いだけは消えない。
     嗅ぎなれない鉄くさい臭いは、俺の鼻について離れない。

    「ぐるさん……け、怪我して……」
    「これくらい、平気だ」

     抱き抱えられているため、グルッペンの顔はよく見えず。けれど、普段温かいはずの彼の体温は、長く水に浸したかのように冷たくなってきている。
     ……俺のせいや。
     俺が来なければ、グルッペンはこんな怪我をせずに済んだはず。分かりきっていたことだ。足でまといになることくらい。
     なのに、グルッペンは俺を優先したがために怪我を負った。彼の優しさを思えば当然のことだったはずだ。
     自身の思考の浅ましさに泣き出したくなる。

    「おまえのせいじゃない」

     そんな俺の心情を読んだのか、グルッペンは俺へ言葉をかけた。震えた弱々しい声で。
     彼は屋敷の塀に手を付き、緩慢な動きで力なくもたれかかる。

    「すまん、トントン……ちょっと、ふらつく、かも、知れん」

     地面には、無視出来ぬほど夥しい血溜まりが確かに出来ていた。今まで見たことがないその血の量に、サッと自身の血の気が引く感覚を覚える。

    「ぐるさん……! あかん、動いたら……」

     ずるずると力なく尻をつくグルッペンの腕から抜け出して、俺は彼の背中の傷を見た。大きく切り裂かれた傷口からはとめどなくどす黒い血が溢れ、着物はぐっしょりと水を含んだように重い。

    「おれは、へいき、やから」
    「こんな怪我して平気なわけあるかっ!」
    「おれは、おまえが……無事なら、いい」

     青白い顔をしてそれっきり。
     綺麗な赤い瞳はまぶたで覆い隠されて、見えなくなった。

    「ぐるさん……? ぐるさん!」

     声をかけても反応がない。触れた手はゾッとするほど冷たい。
     鬼は人間と比べ丈夫だと聞くが、それでも彼の背に死の影が近づいているような気がして。
     途端、俺は弾かれたように走り出していた。
     諦めた訳ではない。
     彼を見捨てた訳でもない。

    「助け……っ、助け、求めやなッ……!」

     俺が知っている大人は少ない。しかし誰かを頼らなければ、グルッペンが死んでしまう。
     泣き出したい気持ちをグッとこらえ、俺は夜の町を必死に走った。


    ■■■


     俺は、小さな小さな集落に暮らしていた。山と川に囲まれ、外からの人間も滅多に来ない、小さな村。
     そのため、同年代の人間さえ少ない。しかし、外からやってきた俺には、小さい頃から共に過ごす友人がいた。

     その友人の名を、トントンと言う。

     奴は、村の中でもそこそこの力を持つ家の子供だった。
     一方、俺は村の外から連れてこられた子供で、髪色の珍しさゆえか、村にも馴染めず、厩の隅で過ごすような奴隷じみた生活を送っていた。
     しかし、トントンはそんな俺を周りから救ってくれた唯一の人間。

     俺たちは村人の目から隠れるように山林の探索に出かけたり、文字の読み書きを教え合うなど、それなりに楽しく過ごしていた。
     やがて俺らは青年になり、俺の知識と頭の良さが多少なりとも認められ、村人から仕事を任せて貰えるようになった。
     このまま何も変わらない平穏な日々が続くのだろう、とか、金が溜まったら村の外にも出てみたいな、などと二人で笑いあう生活を続けていた。

     山から、悪鬼が降りて来るまでは。

     いつも通り、村人の目を誤魔化すように山へ分け入って話込めば、がさがさと草木か揺れた。
     イノシシだろうか。まさかクマとか。害獣であれば、畑を荒らされる可能性がある。
     そう身構えた俺たちの視界に、人としては有り得ないような、赤黒い肌が飛び込んできた。
     人間の身の丈を優に超える大きな身体と、異様なまでに膨張した筋肉。ぎょろりと剥く赤い目、額から生える角は、異形としての象徴。
     鬼だ。
     そう気づいたころには、鋭い爪がこちらに迫る。
     対盗賊用に持ち歩いていた稲刈り用の鎌を振りかざしたトントン。しかし、トントンが振った鎌は空を切り、鬼が払った鋭い爪が、大きな腕が、彼の横腹にめりこんで、木々の隙間へと吹き飛ばされる。
     メキリ、とおよそ人間から出そうもない音が鳴って、樹木にぶつかったトントンは苦しげに血を吐いた。
     俺は叫んだ。敵に背中を向けるなど愚策も良いところだが、思わず友へと駆け寄って、名を呼んだ。
     トントンはまた、ごふり、と血の塊を吐き出す。腹が抉れて、骨が折れて、内蔵のどこかに刺さってしまったのだろう。到底助かりそうにもない怪我だった。
     次第に閉じていく友のまぶたと、冷たくなる肌。流れ落ちる血の量を見て、俺は泣き叫ぶ。
     いくな、置いていかないでくれ、死なないでくれ。
     これからお前と共に外の世界を見るのだと語ったはずだ。なのに、なぜお前はここで死ななければならないのか、と。
     深い悲しみは俺を支配して……次第に憎しみが湧いて出てきた。

     俺は、背後に迫り来る悪鬼に視線を移す。やつは異様なまでに膨張した腕を大きく振り上げている。

     なぜ、トントンはこいつに殺されなければならなかったんだ。


     気がつけば、トントンを殺した鬼は、俺の足元で朽ち果て、霧散し、跡形もなく消えていた。
     俺の両手は真っ赤だった。着物も赤く染って、自分の血なのか鬼の血なのか、全く分からないほどドロドロになって……。

    「お、鬼だッ…………!」

     すると背後から、人の声が聞こえた。反射的に振り返ると、そこには山の異変に気付いて駆けつけた村人が数名いて、俺を指さしては怯える。

    「き、貴様っ、鬼だったのか!?」

     ……まて、何の話だ? 俺は、トントンを殺した鬼を、なんか、無我夢中で倒して……、

     もう鬼もいないというのに、村人が何に対してそんなに脅えているのか、俺には皆目検討もつかない。
     しかし、ふと自身の額に違和感を感じ、そこに手をやった。そこには、骨のように硬いものが大きく出っ張っている。

    「は……? えっ」

     それはまさしく、自身たちが鬼と呼ぶ存在にある角と、同じような出っ張り。

    「鬼だ……! 鬼が出だぞ!!」
    「おまえっ! 恩を仇で返すとは……!」
    「道理でお前は普通とは違う見た目をしていたのか!」

     傍で血まみれになって倒れるトントンを見た村人の悲鳴は、だんだんと波紋を呼んで、

    「出ていけ! 村から出ていけバケモノが!」

     混乱した俺は、非難の声から逃げるように、訳もわからず山を走った。


    □□□


     ふと目が覚めると、そこは冷たい地面の上……ではなく、見慣れた長屋の布団の上。
     そして鼻にかするのは、煙臭いにおい。

    「あ、目ェ覚めた?」
    「だい、せんせい」
    「うん、意識は大丈夫そうやね。さすが鬼の身体や。丈夫に出来とる」

     煙管をふかしてこちらの顔を覗き込んだのは、青みがかった髪を持つ煙の妖怪・煙々羅の鬱。俺より若い妖怪だが、様々な情報を収集する世渡り上手なため、我々人ならざる存在たちは面白がって、彼を「大先生」と呼んでいる。
     しかし、なぜこいつがここにいるんだ……? 俺は、確か……不意を突かれて……、

     ふと、腹部あたりが仄かに温かいことに気づいた俺は、傷のついた背中に負担がかからぬようにと、うつ伏せになったまま、視線を下に移す。
     するとそこには、俺に身を寄せるように寝息を立てる、小さなトントンの姿があった。目尻には、涙を流したような跡も残っている。

    「お前が酷い怪我した、ってな、トントン、真夜中に俺探しにやって来てんで」

     せっかく女と懇ろにやろうと思ったら、スパーンって障子開けてな、こっちが何やろって振り返る前に「父上なにやってるんですか!」って言ってきてんぞ、こいつほんま……どうやって女の誤解解けばええと思うよ、ぐるちゃん。
     お前のせいやぞ、とでも言いたそうな大先生に対し、知らんわ勝手にしろ、と言い放ち、俺はトントンの黒い髪に手を伸ばす。
     黒い頭の、その額に小さな出っ張りを触れば、トントンが僅かに身じろいだ。そして赤い目を薄く開けて、こちらを見る。

    「……ぐるさん……ぐるさん、目ぇ覚めたん? 背中だいじょうぶ?」
    「おう、お前のおかげでもう痛くない」

     本音を言うとまだ痛い。しかし、しばらく休んだからだろうか。身を起こすくらいは出来そうだった。
     心配そうにこちらを伺う赤い瞳へ薄く笑いかけて、俺は身を起こし口を開く。

    「お前が無事なら、それでいい」

     多分、これは、俺の贖罪。
     俺の、自己満足。

     世の中には、輪廻転生という概念が存在する。恐らく今俺の目の前にいるトントンは、あのトントンが生まれ変わった存在なのだろう。明言は出来ないが、俺はそう思うことにしている。

     例えあのトントンではないのだとしても、これは俺の罪滅ぼしなのだ。
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