真一郎+万次郎「シンイチロー、オレ、人殺しちゃったかも」
弟がきれいな顔でそう言った。
「……あー、生きてる生きてる。大丈夫だ万次郎」
河川敷の橋の下。ガチガチにかためられたリーゼントを鷲掴みに顔を上げさせて、頸動脈に指を当て脈を確認する。名前も知らねえ、顔も見たことねえやつの安否に内心ほっとしたオレは、やれやれと肩の力を抜いた。
ぱっと手を離せば、そいつ顔面がドシャッと地面に打ちつけられる。それでもそいつはうめき声ひとつ上げなかった。気絶してるにしろ声は漏れ出るもんだが、それほど深い気絶なのか……万次郎が「殺しちゃったかも」と思うのも無理はない。まぁ脈はあるから、本当に気絶してるだけなんだろうが。
「なにしたんだ?」
「なんもしてないよ。蹴っただけ」
「してんじゃねーか」
苦笑する。万次郎の蹴りはやばい。こんなちいせー体のどこからそんな力が出てくるんだってくらい、相手を一発でKOさせちまう。じーちゃんいわく「あれは天才」ってことらしいが……オレがおふくろの中に置いてきた喧嘩の才能まで一緒に持ってきちまったってことなんだろう、きっと。
「オマエ頭狙うからなー。ま、そのうち生き返んだろ」
ここに向かう途中、万次郎をバイクのケツに乗せながらなにがあったのか聞くと、「野良猫を蹴り飛ばして笑ってたから、ムカついて殺した」と言った。それはカスヤローだ。オレでも殺す。それにしたって、「本気で人を殺したかもしれない」ってことを報告するにしてはあんまりにも普通すぎると思うが。
「ふーん。死んでりゃよかったのに」
げほっ。
「……万次郎~~」
「うわっ、なんだよ!」
わしゃわしゃわしゃっ、とチビの頭をぐしゃぐしゃに撫でる。犬みたいにふわふわな髪質で、オレはこの感触が好きでよく万次郎の頭を撫でまわしていた。そのたびに万次郎はうっとうしそうにしたり諦めて好きにさせたりいろいろだが、そういう時の万次郎はオレのかわいい弟でしかない。
(……でもなあ、こいつのこーいうとこ)
オレはなんともいえない顔でため息をつく。万次郎がむすっとした顔で見上げてくるから、オレは屈みこんで万次郎とおなじくらいの身長になった。視線を合わせて、まっすぐにその瞳を覗き込む。
「オマエ、本気で言ってんだろ」
「? うん」
「バーカ」
「いてっ」
ビシッ、とデコピンしてやる。万次郎は反射的に目をつむって、デコピンされた額を両手で抑えながら「なにすんの」とオレを睨みつけた。
「喧嘩は好きなだけしろ。殺すゾって粋がるのもいい。でも、そんなふうには考えるな」
風が吹く。万次郎の瞳が瞬く。
静かに話したオレの声に、万次郎はなにかを感じ取ったらしい。反抗的な目つきは消えて、叱られたガキの顔になって視線を逸らす。
「……もし考えちゃったら?」
ぽつ、と呟かれた小さな声。オレは万次郎の頭にぽすっと手を置く。
「オレが叱ってやるから、今日みたいにオレのとこに来い」
この手に触れる、やわらかい感触は変わらない。万次郎の目も、ずっと変わらない。人を殺しちゃいけないのはわかっているが、それでも自分がその場所に立った時、万次郎の心は動かない。
だがオレの言うことを、頭では理解したんだろう。心では理解できなくても、こいつはオレのことが好きだから、オレの気持ちを汲み取って理解しようとしている。オレが悲しむことや苦しむことを考えて、オレの言葉を受け取ろうとしている。
それでいい。
「……わかった」
「うし。んじゃ帰るか」
「うん」
手を差し出せば、万次郎は素直にオレの手を握った。5メートル先にあるバイクまでの短い間、オレと万次郎は久しぶりに手を繋いだ。流れ込んでくる体温はぬくくて、オレよりもずっと小さい手はまだただのガキにしか思えない。
(でもこいつ、いつか本当に人殺しそうなんだよなあ)
それでそれをきっとなんとも思わねえんだろうな、と頬をかく。さて、どうしたもんか。オレがそばにいるうちは、ひとまずなんとかしてやれると思うけど。