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    mukkuntoboku

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    mukkuntoboku

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    なぎつば。椿ちゃん幼児退行。群フロネタ
    つづきのえろはいつかかきます

    白い世界 何を言うか、よりも、何を言わないか。


     寝室を分けたいと言い出したのは椿だった。
     付き合って一年、一緒に暮らす話が出て、部屋探しを始めた時に唯一彼女が出した条件がそれだった。
     普段夜を一緒に過ごすのはたいてい椿の部屋で、当たり前に両親がいない時だ。ベッドは一つで、客室の布団を運ぶのが面倒だからと椿のベッドで一緒に寝る。必ずといっていいほど背中を向けて眠るので、後ろから抱きしめるかたちでその体温をおさめると、形容しがたいような多幸感で渚はすこしだけ泣きたくなる。朝起きた時にまだ眠っている椿がこちらを向いていた時なんてなおさらだ。人は恋をすると強くなるというけれど、涙腺は弱くなるらしい。
     それで、そう。寝室の話だ。
     椿を抱きしめて眠ることの心地よさを知っていたから、渚はもちろん反対した。けれど、その条件を呑まないのなら同棲の話は白紙に戻すと言う。散々説得を試みるも椿の意志はかたく、結局同棲することと一緒に眠ることを天秤にかけて、渚は前者をとった。大学を卒業してからお互いの生活にズレが生じて、すれ違い始めていたことも危惧したからだ。
     一緒に眠ることは叶わなくなったけれど、寝坊しがちな椿を起こしてやったり、一緒に食卓を囲んだり、テレビを見ながら団らんしたり、いいフレーズを思いついた時に真っ先に聴いてもらえたり、と、いいことだって格段に増えた。部屋数を2LDKに増やした分家賃を抑えるために駅から遠い物件を選んだことだって、帰宅時間が重なった時に一緒に歩く距離が増えることの喜びになった。だからあの時懊悩の末に一緒に眠ることよりも椿との同棲を選んだことに後悔はなかった。
     なかった、のだけれど。


     休日、朝食用のパンがないことに気が付いて渚は一人買い物に出た。最近見つけた徒歩五分ほどのところにあるパン屋は椿のお気に入りで、一本の食パンが2斤ほどの大きさになる。二人暮らしには大きいけれど、もうスーパーに売っているような食パンに戻れないと言った椿に渚も同感だったので、そこには足繁く通っていた。
    「あら、渚ちゃん。おはよう、きょうは仕事休みなの?」
    「おばちゃんおはよー。そう、休みなんだけど、食パン切らしちゃってたみたいで」
    「彼女さんは? 一緒じゃないの珍しいわね」
    「アイツはまだ寝てるよ。いつも一緒にくるときは夜だろ?」
    「あらそうだったわね。いつもの、すぐに用意するわね」
     顔見知りの店員が手際よく食パンを包むのを眺めながら、渚は他人から聞く「彼女」という椿を指す三人称に嬉しくなる。椿と二人でこの店に来るのは仕事の帰りが重なった夜だけで、その時は恋人らしい雰囲気なんて出していないのだけれど、渚がたまに休日の朝にこうして訪れると「彼女さんは?」と訊ねられる。付き合っていることも一緒に暮らしているということも言った覚えはないから、これが接客業を営む観察眼か、と渚は密かに一目置いた。椿にはこのことを話していない。言うと世間体なんかを気にしがちな彼女はもうこの店には来られないと言い出しかねないからだ。
     目当てのものを買ってマンションのエレベーターを焼きたての食パンのいい匂いで充満させながら帰宅すると、家の中の様子が変わっていた。まず家を出る時に締めたはずの鍵が開いている。玄関脇の靴箱の扉も全開になっていた。
     慌てて部屋に上がると椿を探した。道中、洗面所に寄って案の定開けっ放しになっている洗濯機の蓋や浴室のドア、キッチンの戸棚を閉めてまわる。リビングのソファの座面部分にうつ伏せになって泣いている椿を見つけて、買ったばかりの食パンを置いて駆け寄った。
    「椿、おい、椿ってば」
    「……な、なぎ、……っ」
     顔を上げて渚の姿を認めた途端、涙腺が崩壊したみたいに涙が溢れだす。言葉を詰まらせながらこちらにすり寄って来るのを受け止めながら、渚はタイミングが悪かったと家を空けたことを後悔した。
    「またこわい夢見たのか?」
     ちいさくなって震えている椿の頭を撫でながらそう訊ねると、首が縦に数回振られる。そっか、とつぶやいて抱きしめなおすと、渚の背中に縋る腕に力が増した。
    「なぎ、さ……っ、どこ、にも、行かないで……っ」
     あの夢だ。ぜんぶを聞かなくても渚は確信した。
     椿がこうして泣きついてくるのは、決まって同じ夢を見た時だ。
     白い世界で、渚がいなくなる夢だという。
     そんな突拍子もない、と最初は笑い飛ばしたけれど、椿はその夢を繰り返し見た。渚が燐舞曲の前から姿を消して、ユニットは解散した。支えを失くした椿は一人で渚を探し続けるけれどどこにもいない。燐舞曲にいる時には彩りで溢れていた世界はモノクロームに退廃して、それでも雪の中探して、探し続けて、彷徨う夢。
     目が覚めると決まって泣いている。夢はどうしようもないくらいにリアルで、冷たい雪の感触まで思い起こさせる。目が覚めても胸の焦燥感は消えてはくれなくて、そのうちに夢と現実の区別がつかなくなる。渚を見つけるまで、椿は迷子になった子どもみたいに泣きながら探し続けるのだ。
     前にも一度、渚が家を空けている時に椿がこの夢を見たことがある。その時は今よりも戻るまでに時間が空いたから、家の中はもっと酷い有様だった。本人に確認したことはないけれど、家中の扉という扉が開いているのはそこに渚がいると思ったのだろう。さすがに洗濯機の中だなんて無理があるけれど。
     家中探しつくしても見つからず、しまいには裸足のまま外に出て渚を探した。エレベーターホールでちょうど戻ってきた渚と鉢合わせたからことなきを得たのだけれど、あとすこし戻るのが遅かったらと思うと今でもゾッとする。
     でも、今日だって玄関の鍵は開いていた。けっこうギリギリのタイミングだったんじゃないのか。
     出会って数年経つのに、椿が涙を見せるのはこの時だけだ。そのことに渚はすくなからず優越感を覚えてしまっている。
     一度このことで緋彩に相談したことがあった。心理学や夢占いの観点から何かアドバイスをもらえるのではないかと踏んだからだ。緋彩はすこし考えてから「多いのはいまの生活が終わることへの不安からくるものだけれど……」とこちらを覗き見た。
    「要するに、椿ちゃんはいまの渚ちゃんとの暮らしが幸せで、壊されたくないのよ。臆病な子ほど、悪い未来を想像しちゃうの。備えるためにね」
    「そ、備えるって何にだよ?」
    「なんの前触れもなく不幸が押し寄せるより、悪い想像をしておいたほうがダメージが減ると思っているの。無意識に予防線を張っているというか……」
    「意味わかんねー。幸せだったらそれでいいだろ……」
     椿がそれだけ渚のことを想ってくれているのだとしたら嬉しいと思う他ないのだけれど、それを実感する瞬間をなんだか間違えている。照れ臭いのといたたまれないのとで渚は頭を抱えた。
     そんな渚を横目に、緋彩は言いにくそうに口を開いた。
    「ほら、椿ちゃんって、その……、渚ちゃんと付き合う前、色々大変だったでしょう? だから、同じ思いをしたくないっていう気持ちからきてるのかもしれないし」
    「……そんなの、いま付き合ってるのはアタシなんだから、同じ思いなんてさせるわけないだろ」
     椿の過去を言及されて渚は思わず眉根を寄せた。はっきりと面白くない、という声で返したから緋彩には申し訳ないと思うけれど、こればかりはどうしようもない。今の自分が頑張ったって、どうにもならない部分だ。
     渚と付き合う前、椿は他に好きな人がいて、そいつにこっぴどい失恋をした。そんな椿を渚が慰めて、まるで坂を転がり落ちるみたいに付き合い始めた。あの頃の椿は本当にぼろぼろで、歌うことも儘ならずに燐舞曲は活動中止を余儀なくされたくらいだ。泣きこそしなかったけれど、そういう感情ごとどこかに落としたみたいに、泣くことも笑うこともしなかった。椿をそんなふうにしたやつを許せないと思うのと同時に、けれどその失恋がなければ椿と付き合うことすらできなかったと思うから、そのことを蒸し返されると渚はいつも不機嫌になってしまう。
     それをよく知っている緋彩は気にしたふうもなく、慈しむような笑みで「あのとき渚ちゃんがいてくれたから椿ちゃんはまた歌えるようになったのよね」と労る。それにすこし気を良くしていると、でも、と、首を傾げながら緋彩の目にも懸念の色が混ざった。
    「一度や二度ならただの惚気だったかもしれないけれど、夢が夢だからちょっと考えものね。具体的にはどのくらいなの? その夢を見る頻度とか」
    「えー……、月一、はあるかな? 一緒に暮らしてからだから、もうけっこうあったな……」
    「あら。同じ夢を繰り返し見ること自体は珍しくはないんだけど、椿ちゃんからしたら悪夢だろうから、つらいわよね」
    「だろ!? アイツの泣きっぷりもほんと子どもみたいで、めちゃくちゃ悪いことした気分になるんだよ!」
     全身でどこにも行かないでと訴える姿。渚を視界に入れた途端より一層泣くのは、安堵からきているのか、どこに行っていたのだと責められているのか。渚は滅多に夢を見ないからわからないけれど、椿の取り乱しようを目の当たりにすれば、それが相当惨憺たるものだと察した。
    「うーん……。考えにくいことではあるんだけれど……」
     遠くに視線を向けた緋彩が、珍しくもったいぶるような仕草で鷹揚に言う。
    「──もしかしたら、椿ちゃんの前世の記憶とか」
     そんな、突拍子もない。その時の渚はたしかに笑っていた。けれどこうして渚の腕の中で泣き続ける椿を相手にしていると、笑えなくなる。
    「椿、もうアタシは帰ってきたんだからいい加減泣き止めよ」
     胸に顔を押し付けて泣いていたせいでコップの水をひっくり返したみたいに洋服はびしょ濡れだ。肩を掴んで顔を離すと、いつもはつり上がっている鋭い瞳が鳴りを潜めて、今は涙に溺れている。袖口で拭ってもあとからあとから溢れ出て、結局止まらなかった。
    「ひっ、く……、うぅ、な、ぎ……」
    「うん」
    「おいて、か、ないで……」
    「行かないよ」
     渚の洋服をぎゅっと掴んだまま、消え入りそうな声でそう言うとぼろぼろと涙が零れてくる。拭うにももう袖口では追いつかなくて、テーブルの上のティッシュを取ろうにも椿をどかすこともできない。仕方がないから頬を伝う涙はそのままに背中をとんとんと撫でさすってやると、ぐっと眉根を寄せた椿がまた抱きついた。
    「な、なぎ、さぁ……」
    「うん。もう大丈夫だぞ」
    「ひ、う、……っ、行かない、でよお……っ」
    「一人にして悪かったって。ここにいるから」
     首元に押し付けられる頬は熱を持っている。こんなに泣いてエネルギーを使っているのだから当たり前だ。撫でさすっている背中も頭も、全身が熱い。けれど、手だけは違った。首に回されると思わず鳥肌がたちそうなほど、それは氷のように冷たいままだ。夢で、雪が降る中渚を探し回ったせいなのだろうか。
     手を握ってあたためてやりたい。やさしく涙を拭ってやりたい。泣き止んだらキスをして、ちゃんとここにいるのだとわからせたい。どうにもできないもどかしさを抱えながら、それでも椿がこんなにも自分を必要としてくれているんだと思うとどうしようもなく愛おしくて、渚はその時までじっと待ちながら椿を慰め続けた。
     どのくらいそうしていたか、出来立ての食パンがすっかり冷めたであろう頃にようやく椿は顔を上げた。
    「落ち着いたか?」
    「……、ん……」
    「あー、顔、ぐちゃぐちゃだな……。顔洗うか? 洗面所まで連れてくぞ」
     ようやくティッシュに手を伸ばしながら渚は訊ねた。濡れたまつ毛がキラキラして、けれどそれが痛々しくもあるので撫でるように拭う。擦ってこれ以上腫れたら可哀想だし、と壊れ物を触るみたいに手つきが恭しくなってしまう。
     黙ったまま首を横に振られて、渚は無意識にため息をついた。
    「寝直すか? まだ昼前だぞ。椿、休みの日はこの時間まだ寝てるだろ」
    「いい……」
    「じゃあ朝ごはんにするか? パン買ってきたけど」
    「……いらない」
     ぼぞりとつぶやく声はいまだに濡れている。いつ泣き出したっておかしくないくらい水分を含んだ灰色の瞳と目が合って、その色に微かによぎった欲を渚は見逃さなかった。
    「……じゃあ、アタシの部屋にくるか?」

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