たい焼き 野宿には慣れている、というサンダウンのおっさんが、本当に手際良く火をおこす。
手持ち無沙汰で、ふと上を見れば、赤紫色に濁って澱んでいる空が目に入る。
だんだん暗くなってきたし、俺たち自身も疲れてきたから、たぶん夜になったんだろう。よくわからない世界で無理をするのはよくない、野宿でもして休んだ方がいい、と言い出したのは、サンダウンのおっさんだった。
せめて星でも見えたらいいのに、と、不穏な空を眺めながらぼんやりと思う。こんな森の中ならきっと、普通の世界なら、さぞかし綺麗に見えるだろう。
俺が住んでいるところからは、星はそんなに見えない。
家やビル、建物の明かりが夜でも光っているからだ、と教えてくれたのは、父ちゃんだったか、妙子姉ちゃんだったか、それとも、松だったか。
「すごい空の色だな」
元の世界とは大違いだ、と、いつのまにか俺の隣で、俺と同じように空を見上げていた高原が言った。
おそらく高原も野宿に関してはからっきし素人なので、やることもなく、ぼんやり空でも眺めるか、と思ったのかもしれない。
そして、俺たちの隣に、さらにキューブが加わった。キュルキュル、と何かをしきりに言っている様子を見て、俺は目を閉じ、精神を集中させた。キューブの考えていることを読み取り、口に出す。
「……宇宙船から見た空もこんなのじゃなくて、星がたくさん見えた? カトゥーに星の名前を教えてもらった……って、お前、宇宙船に乗ってたロボットなのか!? すごいな!」
「へえ…SFの世界だな」
俺と高原が感心してそう言うと、キューブは、なんとなく誇らしげな顔をした気がした。
まあでも、それを言うなら俺も、古代バビロニアのうんたらかんたらのロボット、ブリキ大王に乗ってたんだから、大概だけどな。
「おい、できたぞ」
サンダウンにそう声をかけられ振り返ると、そこには確かに焚き火がおこっていた。
少し肌寒いのでありがたく近寄って、手をかざしながら火にあたる。サンダウンは荷物から何かを取り出し、火に近づけて炙りはじめた。
「なんだよ、それ」
俺が興味本位でそう聞くと、干し肉だ、という簡潔な答えが返ってきた。
「食べるか」
「あ、いや、俺はいい……あっ、そうだ」
俺はそこまで言うと、自分の荷物を探った。確かここに、あったあった!
「たい焼きがあった! あと、バナナクレープと、ド根性焼きと、ミサワ焼きも! いっぱいあるからやるよ」
俺がそう言ってたい焼きをサンダウンに差し出すと、サンダウンはぴくりと眉を少しだけ上げ、それは何だ、と訝しげな声で聞いてくる。
「たい焼き。えっと…甘い、お菓子…」
アメリカ人、だよな? ガンマンって。しかも結構昔な気がする。まあ、昔のアメリカならそりゃ確かに、たい焼きなんてなさそうだし、知らないか。
「……甘いものはあまり、酒の方がいい」
そう言って首を振るサンダウンに、俺は、うーん、と唸った。
「いやあ、酒は持ってないんだよな……」
「おっ、たい焼きか? うまそうだな」
高原の目は俺の手元のたい焼きに釘付けになっている。ほれ、と言ってたい焼きを渡すと、サンキュー、と言って高原は笑みを浮かべた。
そして一口かじると、うまい、と言い、さらに笑みを深くする。
「これはうまいな! しかし、何でお前、こんなにやたらとたい焼きや色んなものを持ってるんだ」
「ああ、その……オレ、たい焼き屋サンやっててさ」
そう言うと、高原は驚いたような顔でオレをまじまじと見た。
「そうなのか!? そんななりで…意外だな。じゃあこれ、お前が焼いたのか」
「あ、いや、それはその、……違うんだ」
これは松が焼いたやつだ。筑波に殴り込みに行く前、公園で松のたい焼き屋サンの値段つけを手伝っていたら、これ持ってけ、と言ってずいぶんたくさん持たされた。
「それは、松っていう、俺の、兄貴みたいな、父ちゃんみたいな、師匠みたいな奴が焼いたやつで……俺は今、松がやってたたい焼き屋の屋台を引き継いでやってて」
「へえ、じゃあ、ここに来る前に沢山持たされたのか? お前が突然消えて、心配してるだろう、今ごろ」
「……もう、死んじまったから」
俺がそう言うと、高原は少し黙り、それから神妙な顔で、すまなかった、と言って頭を下げる。俺はそれを見て思わずかぶりを振った。
「いや、いいんだよ、松が死んだのは事実だし! ……松はたい焼き屋サンをしてて、行くと手伝わされたんだ。手伝うたびにいつも焼いたやつくれて、ここに来る前にもいっぱいもらっちまってさ、でも、こんなに食いきれないし、よかったらまだあるから食ってくれよ。キューブは…食べないか。サンダウンのおっさんも、よかったらどうだ? たい焼きは甘いけど、ド根性焼きは甘くないぜ」
そう言って俺がド根性焼きを差し出すと、サンダウンのおっさんも神妙な顔ーーといっても普段とほぼ変わらないがーーをして受け取り、すまん、と言う。そして一口頬張り、「悪くない」と呟いたので、俺は笑った。
俺がわけのわからない世界に来ちまって、昔のガンマンが自分が焼いたド根性焼きを食うだなんて、松は予想もしなかっただろう。
「ごちそうさん、うまかったぜ」
そう言って高原は手を合わせた。
「他にも色々あるぜ、食う?」
俺がそう言うと、高原は、いや、いい、と言って笑う。
「それはお前が食べた方がいいと俺は思う」
「なんで」
「そいつはうまい。松って人はきっといい腕前のたい焼き屋サンだったんだろう。お前、きっと、その人に見込まれてたんだよ。跡を継がせたいって。その…口で説明されてもわからないことって、あるだろ? 俺は格闘の技をただ説明されてもよくわからない、相手と直接対戦して技を食らえばよくわかる。たい焼きの味ってのもきっと同じだと思うんだ、作り方を説明されるより、とにかく食って味を覚えて、再現する方が早いようなもんなんじゃないか? だから、その松って人は、お前が手伝うたびにそれをくれたんじゃないかって思うんだ、俺は。お前に食わせて、覚えさせるために」
手伝うたびに、焼いたものばっかり持たされた。駄賃でもくれればいいのに、と思ってそう言ったら、ガキが生意気言うんじゃねえ、金なんかあったって悪いことにしか使わねえだろ、と言ってどつかれた。沢山もらったそれを、いつも、ちびっこハウスで皆にお土産に渡して食べて。
「……俺と対戦して、技を食らわせてきた奴らも、もう皆死んじまった。でも、俺は皆覚えてる。俺が生きて、忘れずに、技を使えば、あいつらはずっと俺と一緒に生きていられる。だからお前も、その、松って人のたい焼きの味、ちゃんと食って覚えて、忘れずにいろよ。そうすればお前もきっと、ずっと松って人と一緒に生きていられる」
高原はそう言うと、「あーあ、柄にもない事べらべら喋っちまった」と言ってごろんと横になった。
俺は自分の荷物を探り、たい焼きをひとつ取り出して頬張った。もう食わなくたって、どんな味か完全に覚えてるくらい散々食いまくった、松のたい焼き。
自分で焼いても、どうも全く同じにはならない。一見さんはおいしいって言ってくれるけど、ちびっこハウスの奴らに言わせると「松さんの方がおいしかった」。
子供ってやつは容赦がない。
でもその通りだ。
俺が一番わかってる。
松は俺じゃないし、俺は松じゃない。
松はもう死んでしまった。
「……使え」
サンダウンのおっさんがそう言い、ふと顔を上げると、俺のすぐそばにキューブがいた。キューブは何かを掲げて、……布、か?
「あんまり綺麗な布じゃないが、顔ぐらい拭けるだろう」
サンダウンのおっさんはそれだけ言うと、こちらに背を向けた。
俺がそう言われて顔に手をやると濡れた感触があって、……ああ、そうか、俺、泣いてたのか。
どうやらサンダウンの持っていた布を運んできてくれたらしいキューブからそれを受け取り、ありがとな、と言って撫でると、キューブは嬉しそうに、キュルル、と言った。
ごしごしと布で顔を拭き、そして、食べかけだったたい焼きを全部口に放り込む。
帰らないと。
わけのわからない世界に来ちまって、どうしたもんかと思ってたけど、こいつらと一緒に頑張れば、きっとどうにかなる気がする。
帰って、俺はまた、たい焼きを焼くんだ。
俺が忘れさえしなければ、松はずっと生き続ける。
そしていつか、俺も松と同じ味の、たい焼きを。
「キュ、キュルキュル」
キューブが俺にしきりに話しかけてくる。目を閉じ、キューブの思考を読んで、俺は笑った。
「何、たい焼きの作り方、教えて欲しい? コーヒーと合いそうだから? ……へえ、お前のカトゥーって父ちゃんと、ダース伍長?って人もコーヒー好きなのか? よし、じゃあ、松直伝、アキラ特製のたい焼きの作り方教えてやるよ。耳かっぽじってよ〜く聞けよ! ……耳、あんのかな? それに宇宙船でたい焼きって……ま、いいか。ええっと、まずは……」