こどくの先肌寒い風が商店街を吹き抜ける。
空は晴天だというのに、陽射しの暖かさは感じられず、指先を服のポケットから出すことすら出来ない。
この寒さのせいか、はたまた周囲に並ぶ無機質なシャッターのせいか、もうすぐ13時だというのに、他に人の姿はない。
長い白髪を揺らし篁帝は、商店街の一角、とある喫茶店に訪れた。
『喫茶綺羅』と書かれた看板が店先に置かれているが、窓はなく中の様子は伺い知れない。
中に入るべく、木製の扉に手を伸ばす。先ほどまでポケットで暖まっていた温もりが、一瞬にして奪われるくらい扉の金具は冷えきっていた。
扉を開けると、薄暗い空間に落ち着いたジャズが流れていた。
上質なソファとアンティーク調のテーブルが3組。あとはカウンターの前に5人分の椅子が並ぶ店内。
カフェを名乗っているが、カフェというよりもオーセンティックバーに近い様相だ。
そんな店内に足を踏み入れると、その場に似つかわしくないくらい明るい声が響く。
「いらっしゃいませー!あれ?みかにゃんじゃん!!珍しいねー!!!」
店員としての挨拶もそこそこに、黄色と黒のスカーフを首に巻き、オーバーサイズのセーターを着た赤毛の女性は帝に人懐っこい笑顔を向けながら近付いてきた。
「今日はどうしたの?行人さんに用事??」
「有栖さんは今日も元気ですね。特に用事というわけではありませんよ」
有栖と呼ばれた女性は帝の言葉を聞き、目を丸くしている。
「え?あの引きこもりのみかにゃんが、用事もないのにわざわざ来たんだ。本当に珍しいー!」
手元まで隠れているオーバーサイズのセーターの袖口で、口元を隠し有栖はケラケラ笑っている。
「失礼ですね。俺だってたまには外出くらいします」
「それに今日は万梨阿さんもお師匠さんのところに行くらしいですし、たまの休暇ってやつですよ」
「へぇ~、意外と仲良くやってんじゃん!感心感心!!」
「まぁ、そういうことならカウンターどうぞ~!行人さんもすぐ裏から戻ってくると思うよ」
有栖に案内され、カウンターに設置された椅子に腰掛ける。
木製の椅子のひじ掛けには、凝った意匠が施されており、店主のこだわりを感じる。
5分ほどしたら、カウンターの奥から1人の男性が顔を出した。
「おや?珍しい。いらっしゃいませ。帝君。」
「ご無沙汰してます。先生」
先生。男性は帝の殺人プランナーとしての先生であり、この喫茶店のマスターをしている吉良行人だ。
白いワイシャツに黒のベスト、一見フォーマルな装いだが、首もとに巻かれた黒と黄色のスカーフが彼の存在を異質なものへと変えている。
「今日は私からの依頼はなかったと思いますが」
行人はにこりと微笑み、カウンター越しに帝の前に立つ。
「普通に喫茶店のお客として来たんですよ」
「そうですか…お待たせしてしまったみたいですが注文はお決まりですか?」
「ブレンド珈琲をお願いします」
注文を聞くと行人は静かに頷き、珈琲を入れる準備に入る。
先ほどまで賑やかだった有栖は、行人が戻ってきてからカウンター席の後ろでにこやか表情のまま静かに立っている。
「そういえば、どうですか。新しいバディの方は?万梨阿さんでしたっけ?」
珈琲を丁寧に挽きながら、行人は帝に笑いかける。それは自分が仕掛けたイタズラの有り様を気にする子供のような笑みだった。
「疲れますよ。仕事はきちんとこなして頂けるので、その点は助かっていますが…生活面が」
帝の言葉が尻すぼみに弱々しくなっていく様子が心底愉快なのか、行人は楽しそうに言葉を続ける。
「ふふ、いいですね。人が困っている顔は本当にいい栄養です」
「先生、趣味が悪いです。こっちは壁壊されるわ、全裸で部屋を歩かれて依頼人呼べないわとか、いろいろ苦労してるんですよ」
「そんなもの一言注意すればいいじゃないですか」
「下手に機嫌損ねたら、殺されそうじゃないですか…」
「たしかに帝君はヒョロいですからね。万梨阿さんのご機嫌を損ねて、叩かれでもしたら簡単に死んでしまいそうですね」
何がそんなに楽しいのかわからないが、行人は珈琲を注ぎながらクスクスと笑っている。
後ろにいる有栖も口元を袖で隠しているが、肩が震えている。
「現状が打開できないのであれば、現状を楽しむ方に考え方を改めてみては如何ですか」
帝の前に珈琲を出しながら、行人は静かに尋ねる。
「それが出来れば苦労しませんが、どうやったらこの現状を楽しめるんですか」
「そうですね。例えばあのプロポーションの女性の裸を毎日見られるというのは、ある意味で羨ましいことではないですか」
「なっ!先生、よくそれを有栖さんの前で言えますね。殺されますよ」
行人の物言いに思わず、帝は振り返り行人の妻であり、バディの有栖を見る。
そこには先ほどと変わらない笑みの有栖が立っている。ミリも表情が変わっていない。
「ご心配ありがとうございます。ですが、有栖さんはそんなことしませんよ。私が愛してるのは有栖さんだけですから」
「そうですか……それは無駄な気遣いでしたね」
帝は苦笑いをしながら、珈琲に口を着ける。
「美味しいですね。珈琲」
「ありがとうございます。最近仕入れたものを使っているので、お口に合ったみたいで良かったです」
満足そうに行人は笑う。一時の沈黙の後に行人はゆっくりと口を開く。
「あなたはどうして今でも万梨阿さんとバディを組んでいるですか」
帝が飲んでいた珈琲から目を離し、行人の方を見る。
行人はスラリと伸びた指で口元を隠しながら、興味深いものを見るような瞳を向けている。
「どうしてって、それは先生が…」
「そうではないですよ。帝君。」
帝が口を開き答えようとすれば、行人はすぐさまその解を遮る。
「私が聞きたいのは、今でもバディを続けている理由です。バディを始めたきっかけではありません」
「まぁ、あなたにとって私が決めた相手だからという理由が一番でしたら、かまいませんが」
行人は言葉を紡ぎながら、視線を手元のミルに移す。ハケで珈琲の粉を落としている。その視線は先ほどよりも冷たい印象を受ける。
「かまわない…は、嘘ですね」
帝が発した言葉を聞き、行人は再び視線を帝に戻す。
「ほぅ、それはどうことですか。帝君」
次の言葉に淡い期待を向けるような瞳。そこに先ほどまでの冷たい印象は消えていた。
「そんな主体性のない解答をしていたら、先生は俺を殺しますよね」
行人は何も答えず、黙って帝を見つめる。
「プランナーはどんな時も自分の考えに基づいて決断すべし。先生が一番最初に俺に教えたことですよね」
「そんな初歩的な教えを守れないような弟子は、先生なら早々に切り捨てる気がします。」
行人は何かを思案するように目線を反らし、帝の後ろにいた有栖に微笑む。
「さぁ、それはどうでしょう」
「うわ……、そこで誤魔化しますか…」
「誤魔化すとは人聞きの悪い。私は帝君の成長を有栖さんと分かち合っただけですよ」
「そうだぞ~、帝!よかったな、死ななくて」
それまで静観に努めていた有栖から物騒な言葉が飛び出したが、帝はそれを指摘することはなかった。
「で、実際はどうしてバディを続けているのですか。帝君」
少し温くなった手元の珈琲を飲みほし、帝はゆっくりと口を開いた。
「直感ですかね。万梨阿さんは、俺が知りうる限りで一番強い殺人鬼だと思いました」
一番強い殺人鬼という単語に有栖がピクリと反応した気もするが、帝は構わず言葉を続ける。
「俺はプランナーです。となれば、自分の変わりに殺人を実行する殺人鬼は出来るだけ強い方がいいでしょう」
合理的な解答。パズルゲームのピースを当てはめていくように淡々と答えていく。
ただ最後のピースを嵌め込むような瞬間に、帝は一度口を閉じ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「それに一番殺したい相手は側に置いておく方がいいじゃないですか」
一瞬の静寂の後、有栖が大きな声で笑いだした。
「みかにゃんが、まりにゃんを殺すって!今年一番面白い冗談かも!!」
行人も有栖に釣られてか、静かに笑っている。
「有栖さん、そんなに笑っては帝君に悪いですよ。まぁ、現状は天地がひっくり返っても無理ですが」
帝は2人の様子に少し語気を強め言い返した。
「そんな笑うことないじゃないですか!」
「いや~、みかにゃんも目標を持つまでに成長できて、えらいね~!」
帝の言葉を受け、有栖はセーターで包まれた手を帝の頭に乗せた。まるで癇癪を起こした子供をあやすように有栖は帝の頭を撫でた。
「有栖さん、あまり子供扱いをしないでください」
有栖の行いに不満を漏らしていると帝の携帯が鳴った。
画面を見てみると万梨阿さんからだった。嫌な予感がする。
帝が電話に出ると、徐々に帝の顔から生気が消えていく。
やがて電話を終えると、帝はその場に項垂れた。
「すみません、もう行きますね…」
「ありゃりゃ、どうしたの?みかにゃん」
「万梨阿さんがトラブルを引いたみたいで…警察の厄介になりそうなので迎えに」
「それは急いだ方がいいですね、帝君。早くしないと警察の方々が危ない」
言われなくてもと言いきる前に、帝は椅子に掛けたコートを掴み店を出ていった。
「慌ただしいね~!」
「それほど誰かに固執することはいいことですよ。それがどんな理由であれ」
帝が出ていった扉を見つめ、行人は笑う。
「最強の殺人鬼を殺すですか、もしそれが帝君に出来るなら、これほど愉快なことはないですね」
「行人さんが、どうしてまりにゃんを彼のパートナーにしたか、少しわかったかも~」
「こういうのって蠱毒って言うんだよね!」
「よくご存知ですね、有栖さん。ええ、実力ある者に混ざりより卓越した殺し屋になってほしい。それは師として当然の想いです」
「それにいつも一人で仕事をしていた帝君が、他人のために動いているのです。それも見ていて実に微笑ましいことですよ」
行人と有栖は互いに笑い合い、次代の殺人鬼の行く末を語っていた。
「ところで、行人さん」
「何ですか、有栖さん」
「この珈琲に入れた毒、みかにゃん気付いてなかったけど大丈夫なの?」
「さぁ、新しく取り寄せた毒ですので何とも。帝君には毒の耐性を着けさせたので、死ぬことはないと思いますよ」
「うわ~、みかにゃん、可哀想」
その後、万梨阿の対応が終わった帝が数日寝込んだのは別の話。
「俺が何したって言うんだ……」