「カエルうるっさ！！！！爆音上映かよ！！！！」
「田んぼに水が入ったからな」
夕暮れどきの往診帰り、舗装されていない道を歩く。
日中はだいぶ気温も上がって日も長くなったけれど、この時間になると肌寒くひんやりとした風が頬を掠める。
初めてこの村に来た時は毎日がただ必死で季節の移り変わりを気に留める余裕はなかった。
その年の冬はとにかく寒かった記憶しかない。
冬は寒いという普遍的な自然現象で風呂は億劫で朝はひたすらにつらく、そう遅くない時間から早々に闇に包まれる生活は初めてだった。
慣れない土地での寒いつらいしんどいを乗り越えて、ようやく浴びたこの陽気に龍太郎が浮かれるのも致し方ないことである。
龍太郎たちは冬の間に2人、老いた村人を見送った。
ひとりは季節の変わり目に肺炎を起こし、そのまま徐々に衰弱し他院に送ることなく近所の皆で見送ったり
ひとりは前日までニコニコと挨拶を交わしたが風呂場で倒れ琴切れていた。
医療人が追いつけないほど目覚ましい進歩を遂げる現代医療ですら"冬を越せなかった"を克服できないのだと痛烈に肌で感じた。
無力感のようなどうにもやるせない気持ちを抱えたまま、けれど自分の日々をこなすだけで精一杯だったのでその年の冬はただ寒かったということだけが強烈に残った。
そして季節は巡り迎えた春。
生命の息吹き。
全力で大地が目覚めていくのを、龍太郎は初めて目の当たりにした。
桜の時期は長い冬を越した村人たちの心をも大いに和ませ、ちょっとしたお祭りのようだった。
新緑から深緑へ変わり、冷たい雪解け水が田んぼに注ぎ農閑期に終わりを告げた村はにわかに活気づく。

「せんせぇ！！軒先にすげぇアリの行列！！！！」
「毎年梅雨入り前のこの時期だけ必ずここに行列を作る。数日もすると嘘のようにいなくなるので放っておけ」
「ぎょわーーー超個体(？)」

「あ、あの…フクロウとも違う、夜中に気味の悪い鳴き声がずっと聴こえるんスけど〜 。ﾄｯｷｮｷｮｶｷｮｸ‼︎みたいな」
「フ…お前にはそう聞こえるか。早口言葉うまいな」
「先生は違うんスか！？」
「ウブユカケタカ(産湯かけたか)」
「お医者っぽいなぁ」

「え、リス？マジでリスリスリス！！リスってこんなにちっちゃいの？？？オレの知ってるリスってこーんなぶっといんだけど。えー忙しなくてかわいい」
「それは多分野生化したタイワンリスだ。ここのはニホンリス。この通りは獣道になってるから運が良ければ会える。出会い頭のイノシシには気をつけろ」
「出会い頭は気をつけようがなくないっスか？」

「ぎゃー毛虫ぃ！！！！」
「毛虫も蛾も触れただけでただれるような毒性のある種は実は少ない。これも無毒だがごくたまに食害を起こす」
「なんでちょっと嬉しそうなんスか」
「お前に少し似ている」
「え」

肌に触れるもの、目にするもの、耳にするもの何もかも初めてだった。
都会のおぼっちゃんと思われても仕方ない。
だって本当に知らないことばかりなのだ。
龍太郎はおっかなびっくりしながらあれはこれはと聞き、図鑑を広げ、目をぴかぴかと輝かせた。
まるで毎日が夏休みの自由研究のようだ。
毎日が飽きないのは一人も同じだった。
日常業務に慣れここでの生活にも馴染んだのかそれとも生来の観察眼か、龍太郎はよくよく様々ことに気づいた。
村が体の一部のようになってしまって一人の視界には映らなくなったことも龍太郎が拾い上げ、見せてくる。
知識に偏りはあれど知らないことを初めて知ることに遅いということはない。
何より楽しそうなのがよい。
知る喜びに触れる若者を見るのは一人の心を踊らせた。