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    金波宮を探検する陽子と景麒。

    初出 20200113

    ##十二国記

    玉椿 空のしんとした青さに気づく。秋の実りをもたらす高い空ではない。静謐な冬の蒼穹だ。さすがは立冬だなと陽子は仰ぎ見た。立冬の祭祀を終えた翌日、朝議の後は休みということにした。四阿あずまやから庭院にわを見渡していると、風もどこか冷たく鋭く感じられる。そして、着せられた着物も暦通り一枚二枚と律儀に増えているのだ。
    「主上、お待たせ致しました」
     声に振り返ると、これもまた冬の冷気を湛えたような顔をした麒麟がいる。休みだと言ったのに広徳殿に下がったと聞いて呼びつけてやった。手で促すと、景麒は一礼をして主人の向かいに座った。

    「冬が来たな」
     陽子が呟く。書斎で淹れた茶は既に冷えた。ええ、と景麒が相槌を打つ。いつもながら無愛想を固めたような臣下だが、彼が遠く戴に思いを寄せていることが陽子には分かった。なんせ、己自身そうなのだ。
     戴の冬は厳しい。驍宗と泰麒は民が凍える前に決着をつけようとするだろう。……泰麒の手紙からも、明言はされないがそう読み取れた。
     今日の休みは心ここにあらずという風に過ごす景麒のためであったけれど、あまり効果は無かったようだと陽子は微かに苦笑する。自分と違って仕事をさせてやった方がよかったのかもしれない。かと言って、かけるべき慰めもない。祈るしかないことは分かりきっていた。
    「頂いても?」
    「どうぞ」
     冷たい茶を飲む景麒を陽子は伺う。
     李斎を信じるならば、景麒は泰麒に親切にやさしくしていたと言う。それほどに大切にしていた同胞を戦場に送り出した景麒は、今どんなに心を削っているだろう。
     乾いた風が赤い髪と、金の鬣を揺らして去った。
    「なぁ」
    「はい」
     陽子が呼びかけると、景麒は生真面目に返事をした。
    「泰台輔は白圭宮には抜け道があるのだと書いていたけど、うちにもあるのかな?」
    「ございます」
     景麒はなにを言い出すのかと怪訝そうにしている。
    「案内しろ」
     突然の誘いに眉を顰めたしもべを、陽子は愉快そうに笑う。

     道は大きく分けて二種類。王が謀反から逃れるためのもの。疎んじられ遠ざけられた麒麟が王に会う、あるいは、王から逃れるためのもの。
    「王から逃れる?」
     面倒だと言わんばかりの態度でも、口下手な景麒なりに説明はしてくれる。陽子も慣れた。
    「王に虐げられた麒麟がいないわけでは」
     そんなことをすれば自分の首を絞めるだけではないか。陽子はぎょっとしたが、麒麟はすこし悲しげに目を伏せただけだった。
    「せっかくですので、正寝から禁門へ抜ける道にしましょう」
     淡々と言葉を続けて景麒は四阿を出る。その足取りは普段とひとつも変わりなかった。

     後を追って辿り着いたのは、なんの変哲もない回廊ろうかだった。半分が雲海に迫り出して建てられている建物の雲海側で、下には水面が見える。ここがお分かりになるかと問われ、陽子はなんとかと曖昧に答えた。なんと言っても三十二もの建物があるのだ。景麒が小さく溜息を吐いて長楽殿を指したので、ここがいつも使っている建物のすぐ奥であることが判明した。
    「班渠、障りがないかお調べしろ」
     景麒が言うと影から返事がある。
    「おひとりで探索なさる際にも使令をお使いください。もはやお止めして聞き入れてくださるお方とは存じますまい」
    「失礼だな」
     陽子は怒ってみるけれど、真実であるのはよく分かっていた。
     景麒が膝をついてこんこんと床を叩く。すると床の一部分が持ち上がった。四角く切り取ったものを嵌め込んでいたらしい。その板を取った下には、雲海ではなくもうひとつ床が見える。下に降りれば上の回廊の方が迫り出しているので、ちょうど周囲からは見えにくい。
    「なるほどな……」
     陽子が呟く。ついでに使令を使えと言った理由も分かる。どこか傷んでいてうっかり雲海に落ちるなど、想像だけでぞっとする。

     屈みながら進み、凌雲山をくり抜いて作った隧道に辿り着いた。そこを出ればどこかの庭院の奇岩が連なる後ろ。次は山茶花の影。景麒はいちいち現在位置を説明したが、陽子は半分も理解できなかった。しかし普段見ている景色の裏側を見ているようで面白い。樹々の後ろに隠れて仰ぐと霞みがかったような薄い青が小さく、遠くにある。

    「ちょっと待て」
     回廊の下に潜り込もうと、景麒が膝をついたときだった。
    「なにか」
    「髪が汚れるだろう」
     今度は地面の上を行く。膝裏まで伸ばした鬣が景麒の周りに散らばっていた。庭砂の白の上に散らされた金糸は角度で色を変え輝いている。はぁ、とよく分かっていないような声を彼が落としたので、陽子はこれ見よがしに溜息を吐いてやった。そして自分の髪を解く。
    「じっとしていろ」
     薄い金色の鬣をすくって、ゆるく三つ編みにしていく。景麒が狼狽したので陽子は得意げに微笑んだ。背に感じる指先がこそばゆい。簪で団子に仕上げて満足そうにしている主を景麒は見上げて
    「麒麟の鬣は結うものではございません」
     と顔を背けた。小言を言う割には機嫌がいいんだよなぁと陽子が気づく程度には、付き合いが長くなりつつある。

     回廊の床下を屈んで歩き、金で龍を描いた小さな標で外に出る。回廊と隣の建物との間、忘れられた隙間を左手に抜けて空に浮かんだ橋を渡る。渡った先は巨大な岩の上で何もない。そこから一.三mいっぽほど下へと飛び降りると小さな庭に着く。周囲に比べると一段低く、もしかすると空き地と言った方がよかっただろうか。凌雲山の斜面に気まぐれにできた小さな平地。見える建物からは背を向けられ、片や岩肌、片や崖が迫るだけの寂しい場所だ。ただ椿と庭石がある。

     景麒は無言で椿の木を見やった。崖側に白い花、山側に赤い花。その赤い方。眉を顰めた後、麒麟の表情は静まり返る。ここで溜息をつけば常日頃散々陽子が被害被ってきた一連の流れだったけれど、溜息は飲み込んだらしい。気を取り直して、景麒は主へ向く。
    「この木の裏に、隧道の入り口があるのですが」
     陽子が覗くと、木は枝を好きに伸ばし裏に人が入れそうな隙間はない。
    「入れば禁門に出ます」
    「そして脱出成功というわけだ」
     悪戯を成功させたような明るさで陽子は言うつもりだったけれど、耳に届いた声はぽつんと悲しげだった。この場所の持つ空気に飲まれたのかもしれない。打ちつける雲海の波飛沫のひとつひとつが聞こえてきそうなくらい寂しい。王が最後に見る景色がこれなのだ。その上
    「椿か……」
     椿は落ちる。たとえ雪のなかにあっても艶やかな葉と花は、本来ならば喜ばしいのだが。
    「主上、花をよくご覧ください」
     主の気持ちを察しただろうか、景麒が言った。表情にはなにも浮かんでいない。陽子は時折、この麒麟の卵果は間違って冷淡さで作られたのではないかと邪推してしまう。
     それはそれとして言われた通り、歩み寄って観察する。艶やかに美しい花は、花弁にしては滑らかに光を通した。
    「あ」
     すぐに分かった。
    「つくりもの……」
     振り返ると、臣下はやんわり頷いて答えた。
    「いつの時代だったか、麒麟が花のまま落ちる椿を憐れんだそうです」
    「へぇ……」
     気づかず声が漏れる。幼子のような憐みを、宝玉で慰められた時代があったのだ。陽子は皮肉げに、眩しそうに目を細めた。
    「もし……」
     景麒の声は消え入るように響いた。冬風が届けたその声に陽子は振り返る。
    「万が一のことがございましたら、この椿を隠遁の資金になさるように」
     なにも読み取れない表情のまま告げられた麒麟の言葉に、陽子は目を見開いた。このような不吉な話を嫌うのに。……泰麒の境遇に思うものがあったのだろうか。お守りできる場所にいてほしいと食い下がり、斃れたらという話に焦った無愛想な半身がここまで言う。
    「それを言うなら」
     ふぅと陽子は息を吐く。溜息ではない、幽かにやさしく微笑したのだ。景麒は怪訝そうにする。後れ毛がふわっと揺れて、真珠のような光を散らした。
    「王座奪還の資金だ」
     意識して強く、女王の顔をして断言する主に今度は景麒が目を丸くしている。薄紫の瞳が冬日を吸い込んだように純真で、陽子は破顔した。それが面白くてたまらないと言わんばかりに。
     そして彼女の半身は少し戸惑うように目を伏せてから、ゆっくり主に向き直って確かに微笑んだ。慈悲の獣であることを疑いようもなく美しかった。

     枝を切って先に進むかと問われて陽子は首を振った。この場所が気に入ったと言うと、すっかり仏頂面に戻っていた景麒は黙って頷いた。
     帰りは隠れず建物伝いに行く。景麒の案内で呆気なく進めることに、なぜか物悲しさがあった。
     ──あの椿のように、こんな場所にと思う宝玉は主上のためにございます。主上こそを王座に望み、御無事を祈るものです。御心に留め置かれますよう。
     これもどこか切なげに景麒は言って、しかしいつも通り、少しの乱れもない丁寧な礼をして下がった。気づけば薄闇が空気に混ざりはじめている。陽子は書斎をあたためるように女官に頼んで、しばらく夕暮れを見送った。
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    TANKAmore

    MOURNINGこれつまらない病になってしまった。
    三麒が冬の戴でお買い物する話だった。 鼻が痛い、とぽつりと落ちてきた声に泰麒は苦笑した。
    「鼻が凍ると申し上げたでしょう?」
    「ものの喩えかと思っておりました」
     騶虞に騎乗した景麒を見上げる。たっぷりと巻きつけられた布と帽子の隙間から、顰められた目許が見えた。
    「冬に慣れた方がいいな」
     前を歩いていた少年が軽く振り返る。雪道も歩けるようになんねぇと、戴でもうちでも困るぞ。彼も軽く苦笑したのが布に覆われていても分かる。景麒が少し憮然としたのを隠せないように、六太は明るさを隠さない。

     やわらかい湯気を道行く人々へ溢れさせる飯堂しょくどうをいくつか過ぎ、泰麒はここですと立ち止まった。六太はふぅんとその廛舗みせを見遣る。騶虞がゆっくりと身を伏せて、景麒は慎重に誰かが刻んだ足跡に足を降ろした。蒼く影を湛えた足跡は、幸い麒麟の重さでは沈まなかった。景麒は心のうちでひとつ安堵する。白圭宮の真新しい滑らかな雪原に景麒が降りたとき、彼は雪に足を掴まれて身動きできなくなったので。途方に暮れた景麒が使令に救出される様を、同胞はにこやかに、あるいは苦笑しつつ見ていた。
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