果報 公園のベンチに座る庵を見て、その女性は「庵さん、庵歌姫さん?」と立ち止まった。見覚えのある顔に、庵は思わず「あっ」と声をあげる。
「お久しぶりです。三年前に私、事件に巻き込まれて……庵さんにお世話になったんです」
彼女は、改めてありがとうございました、とお辞儀をした。女性の傍らにいた少女が庵のことを「だあれ?」と問う。
「ママを助けてくれた人だよ」
庵の目線まで抱き上げられた少女は、母の腕の中から庵をまじまじと見つめている。
「おけが? いたいいたい?」
「もう痛くないのよ。ありがとう、優しいね」
頬に伸ばされた小さな手を己の手で包みながら、庵はやんわりと否定した。どいたまして、と少女が言ったのは、たぶん「どういたしまして」と言うつもりだったのだろう。
「あのとき庵さんに助けてもらって、無事にこの子に会えました。ほんと、何度お礼を言っても足りないって思います」
「身に余るお言葉です。お元気そうでよかった」
「こちらこそ、娘を見てもらえて嬉しいです」
勘違いと思い込みから生まれた呪いに巻き込まれた女性だった。事件当時、彼女のおなかが大きかったことを庵は覚えている。あのときの胎児がこの少女なのだろう。
「また何か起きてるんですか?」女性が尋ねる。
その少し深刻そうな顔が、休日の午後の陽だまりにはあまりに不似合いで、庵は少し笑ってしまった。
「いえ、純粋に休みの日の遠出です。心配いりませんよ」
そう返したところで、二人を呼ぶ男性の声がした。女性の腕から降りた娘が「パパー!」と駆け寄っていく。女性は庵に向き直った。
「大きな怪我、されたみたいですけど」女性が庵の頬を見て少し言い淀む。「それでも庵さんにもう一度会えて、よかった。どうかお元気で」
あなたたちも、と庵が返したのに笑顔を見せてから、女性は家族の元へと駆けていった。ベンチに残ってそれを見つめる庵の頭に、コツンと後ろから何かが載せられる。
「友だち?」五条が頭に載せた何かをぐりぐりと動かしている。
「任務で助けた人」
庵が頭に手をやると紙コップがあった。温かい。リクエスト通りのホットコーヒーだ。
五条は庵が手を添えたのを確認して、コップから手を離した。回り込んできて庵の隣に腰を落ち着ける。五条の手にもスリーブ付きのホットドリンクのカップが収まっていた。甘い香りはココアだろう。
「助けたときはあの女の子、おなかの中にいたの」
「二、三年前ってとこ?」
「三年前。しみじみしちゃう」
元気そうでよかったと、今度はひとりごちた。呪霊が関わる事案で一般市民が命を落とすことは珍しくない。見えないから避けることができないのだ。そんな中であの女性は胎児とともに生き延びて、今、家族三人で生きている。
「なんだかちょっと報われた気分」
冬のボーナス?と笑った五条の脇腹には、そんな俗っぽいもんじゃないわよと、きまらないと分かっていても拳を入れておいた。ボーナスは当然嬉しいけども、それとこれとは別なのだ。
(2110200510)