NG 気づけば外が暗くなっていた。運転しながら、いつの間にか日が暮れるのも早くなったなと季節の巡りに思いを馳せていると、ビルより大きな芋虫のようなものが一度ぐねりと身をよじるのがフロントガラス越しに見えた。あれは、廃校のあるあたりだ。
「本物ってことかあ……?」
十年ほど前に統廃合で地図から消えた小学校の噂は、取材の合間によく聞く。知り合いの知り合いが肝試しに行ったらメンバー以外の声がしたらしいとか、歩き回っているうちに一人いなくなったらしいとか、ありがちな心霊エピソードだ。
オカルトは記事にならない。ただ行方不明が本当だったり、はたまた肝試しがエスカレートしてしまったりすれば、それは事案だ(まず侵入自体良くないけども)。当局に問い合わせても何もないの一点張りだが、気をつけておきなよ新人と先輩に言われたのは記憶に新しい。
心霊スポットとかオカルトとか、そういうものには無邪気に関わる気になれない。いわゆる、見える側なのだ、俺は。あの芋虫モドキもその類いで、見えない人たちには見えていないし、世の中そういう人たちの方が多い。怖いと訴えたところで笑われるばかりで信じてもらえない少年時代を経て、社会サバイバル術としてお口チャックというスキルを習得した。
車を停めて、取材の根拠が芋虫モドキじゃ誰もまともに取り合ってくれないよなあと廃校を眺めていると、校舎が光って、崩れた。
……崩れた?
廃校を発破するなんて話は知らない。建物の発破があんな光り方をするなんてのも聞いたことがない。自然と崩れることはあるだろうか、耐震性能の問題だとか。それでも光りはしないか。
現場を注視しつつ、助手席へ手を伸ばす。デジイチの定位置だ。指先が触れたベルトをそのまま腕に絡めてカメラ本体を引き寄せ、つかんで車を降りた。レンズは望遠をつけている。
崩れ落ちた校舎をフレームに収める。シャッターボタンに添えた指を押し込めば、オートフォーカスのかかるピピッという軽い電子音が耳に届き、間を置かずにシャッターが下りる、はずだった。
「はい、取材拒否」
シャッターボタンに添えていたはずの指が浮いている。俺の人さし指をすくい上げてボタンから引きはがしているのもまた、一本の人さし指だった。——誰の?
「こういうの、ジムショ通してーっていうのが常套句なんだっけ? 僕、別に芸能人じゃないけど」
目の前に男がいた。上下黒ずくめどころか、目元も黒い布に覆われている。髪の毛だけが差し引いたように真っ白で、見上げるほどにそびえる高身長もあいまって異様だ。例の指は、男の指だった。しかし不思議なことに感触がない。
ぐぐぐ、と人さし指が可動域いっぱいまで持ち上げられて、ついに俺はカメラから手を離した。バランスを欠いたカメラが左手から滑り落ちたが、腕に絡めたベルトでぶら下がっている。
男は俺をじいと覗き込んでいる、はずだ。布で目が隠れているので視線が全く分からないものの、顔はこちらにまっすぐ向いているし、何より息苦しいほどの圧を感じる。
「あの、取材拒否って、あの校舎を発破した業者だったり、するんですか」途切れ途切れに言葉を並べる。
「業者じゃないけど、あれやったのは僕だね」
「業者じゃない?」
「んー、これ以上は本当にNG」でも、と男が続ける。「今後のオハナシ次第かな」
オハナシ?とこちらが尋ねるより先に、男が目を覆う布をずらしてその片目を晒しながら言った。
「君、見えてるでしょ」
断言のイントネーション。作り物めいた青い瞳。いやます圧。鳥肌が立ち、汗が噴き出た。喉が張り付くほどの渇きを訴えてくるのを鞭打って、声を絞り出す。
「なんの、はなしです?」
「ウチのお手伝いしてみないかって。なんにせよ『取材拒否』のことがあるし、詳しい話、伊地知から聞いといてよ」
そう言って目元の布を戻した目隠し男の横にぴたりと着いた乗用車と、そこから降りてきた男のスーツは、これまた黒い。暗くなっていたはずの空だけが、なぜか今更、夕焼けで赤かった。
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