譲歩 事細かに綴られた報告書から、庵は目線を上げた。デスクの上に置いたアナログ時計が、この報告書に向き合って十五分が経過したことを示している。
「あ、やっと終わった?」
これで三人、提出された全員分を読み終えた。最後に読んだものは丁寧だったが、悪く言ってしまえば情報過多だ。現場の状況が伝わってくる丁寧な報告でした、次は上げるべき内容の取捨選択を意識しましょう——と最終ページに書き込む。報告書は情報だ。量が多いのなら、整理をつけて記載する工夫が必要になる。今回がどうだったと書き留めるだけでなく、後々それを読んだ人間にとってどんな記録がどう役に立つか、意識せねばならない。できないことは、少しずつできるようになればいい。
三通の報告書をクリアファイルに入れ、デスクの書類ケースにしまう。明日の授業の前に返却、と頭の中でToDoリストに追記して、ううん、と伸びを一つ。肩あたりの骨が、こきんと音を立てるのを感じる。前日に学生たちの任務を引率した際に課した報告書の評価作業も、これで一段落だ。
「今、音したよね」
窓の外でカラスが鳴いているのに気づいた庵は、カラスといえば冥さんだな元気かなあと、大斧を獲物とする先輩の勇姿に思いを馳せる。東京にいたころは幾度か任を共にした。今となっては先方は単独任務が多いのだろうが、機会があればまた一緒に働きたいものだ。己の術式の解釈や身のこなしなど、今も学べることはきっと多い。
「おーい、もしかして耳遠くなってる? 本格的に老化始まってんじゃないの」
ここにきてどうにも無視できなくなった庵は、窓に向けていた視線を一八〇度動かして、現実に目を向けた。そこにあるのは教員室の片隅に設置された応接コーナーだ。ミニテーブル一つと、それを挟むように小ぶりな二人がけのソファー一組を置いてある。
五条はソファーに腰を落ち着けている。長い手足というか長身をうまいこと納めて、しかし同時にどっかりという表現も似合う様で、どこまでも器用な男だ。五条が座るとソファーのサイズが(変な言い方だが)ちんちくりんで、縮尺間違えてないか、と庵は思った。五条を右クリックで倍率変更からの縮小、なんなら削除してやりたかった。右手がマウスを探す。ない。
「東京から任務のために出張してきた後輩に、なんの労いもないのってどうよ」五条が足を組み直す。「甘いものが食べたいな。僕ほどの素晴らしいパフォーマンスには、相応の補給が必要なんだよね」
庵はデスク備え付けの引き出し最下段を開け、お徳用チョコレート二粒×二十袋入り(二パックで特別価格税込み五百三十円也)を二つ取り出した。席を立ち、奥の給湯スペースで深めの菓子盆を拝借する。
ハサミは使わずに手で力いっぱい、ばり、と音を立ててチョコの封を切る。包装はかなり裂けたが、中身が飛び散りはしなかった。よかった、食べ物に罪はないのだから。あとはパックを菓子盆の上で景気よくひっくり返せば、菓子盆いっぱいのチョコの池だ。勢いを殺すことなくもう一袋も開け、池が山となった菓子盆をソファーにふんぞり返る五条の目の前に楚々と置いてやった。
「すーごい、色んな意味で、パワープレイ」
「召し上がりやがれ」
早速お徳用チョコレートを一粒咀嚼しながら、五条が「やっと喋った」と言った。
(2110290605)