通話「歌姫、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
庵はテレビの前のラグに座り込んでいる。推し球団の試合の顛末を伝えるスポーツニュースを見ながら、傍らに置いたスマートフォンから聞こえた五条の声に惰性で言葉を返した。スピーカーモードで通話を始めたのはスポーツニュースのコーナーが始まる前だった。
相手球団の大砲が決勝点になるスリーランホームランを打ったシーンに歯嚙みしたのと、「あのさあ」という五条の声が聞こえたのは同時だった。
「さっきから生返事ばっかだし、それですら相槌減ってるし、その上スポーツニュースの音が聞こえてきてるからね。バレないとでも思った?」
「バレても別にいいと思った。今更アンタ相手に取り繕う必要、感じないもの」
推し球団が勝てると思った試合を落とした今夜、庵は少しむしゃくしゃしていた。そこに来たのが五条からの着信である。愛想も愛嬌もいらない気安い相手だからと深く考えないままに通話開始のアイコンに触れたのは間違いだったかもしれない。我ながらいい態度ではないと、庵は思う。
「不誠実〜。みんな大好き歌姫先生しか知らないやつらが知ったら、幻滅して泣いちゃうんじゃない?」
「他の人にはこんな態度とらないから、そんな心配いらないの」
スリーランで逆転した点差を守り切った相手の勝ちを報じて、スポーツニュースコーナーが終わった。スマートフォンと並べて置いていたリモコンを手に取り、テレビの電源を切る。
「テレビ消したわよ。これで満足?」
言いながらリモコンを手放した。代わりにスマートフォンをつかみ、立ち上がる。お茶を飲みたかった。
「スポーツニュースのコーナーが終わったってだけじゃん」
五条の声を発するスマートフォンを携えて台所に立つ。作業台にスマートフォンを置いて空けた両手で、やかんに水を入れる。
「ご名答」
「うわ、何様だよ」
「アンタの先輩だよ!」
がん、とコンロの五徳に力任せにのせたやかんが音を立てた。作業台から「おお、怖」と声が聞こえる。向こうにも聞こえたのかと思うと、少しばつが悪い心地がした。コンロのつまみは、そっと回した。コップ一杯程度の量だ、すぐに沸くだろう。
紅茶のパックを取り出して、食後に洗って干しっぱなしだったマグカップに放る。
「たった三年早く生まれて、長く生きてるってだけだろ。人生、大事なのは量より質だって」
「アンタより弱くてもこの世界で準一級張って三年長く生き延びてるって点は、それなりの質だと思うんだけど?」
「そりゃそうだけど。僕の現場に比べたら、ねえ。かっこわらい」
「かっこわらい、じゃねーわよ。全ての準一級術師に詫びろ」
「準一級の話なんかしてないしー。あくまでも僕と歌姫との比較だしー」
「マジでその減らず口なんとかしろ! いつまで生意気盛りなの!」
庵の腹の虫と連動したように、やかんがカタカタとふたを鳴らし始めた。湯をマグカップに注げば、ゆらりとだいだい色がコップの中で踊る。あわせて立ち上る香りを意識的に吸って、吐いた。
「ほんともうアンタ、いいかげんにしなさいよ。そんなんじゃ、学生たちにも示しがつかないでしょう」
マグカップを持ち、スマートフォンを持ち、ダイニングテーブルへ居所を移す。
「ああ、年下になめられて情けないって?」
「私が、じゃないっつの。アンタのちゃらんぽらんな態度だ」
テーブルにスマートフォンを置いた。椅子に座ってマグカップ片手に、さて、と改めてスマートフォンを近くに引き寄せたところで、庵はふと気づいた。
「さてって何よ?」
「は? 急になんの話」
「いや、ごめん。こっちの話」
お茶をいれて飲むために、台所に行くにもダイニングに移るにも、五条の声を伝えるスマートフォンを丁寧に携えて歩く必要はあっただろうか。いや、ない。お茶いれてくるからちょっと待って、と言って席を外せばよかったはずだ。そもそも、通話を続ける必要もなかった。
他の相手となら、通話中にこんな生活音を聞かせるような作業は絶対にしない。する必要があるなら通話を切り上げる。
「おーい、歌姫? 耳遠くなってる?」
「気が遠くなってる」
親しき仲にも礼儀あり、だ。正常な判断ができていなかったと、庵はマグカップを置いた両手で頭を抱えた。
(2112040658)