甘いもの「おかえり」
「……ただいま」
五条は庵の暮らすマンション前のガードレールに腰掛けていた。片手を上げて、勤務明けの庵に出迎えの口上を告げてくる。応えようと右腕を動かしかけたが、紙箱を持っていることを思い出す。結局、庵の反応は言葉だけにとどまった。
その不自然な動きで五条も庵が持つ紙箱の存在に気づいたらしい。じっと箱を見てくる。
「何よ」
視線を無視して五条を置き去りに、エントランスへ入る。ショルダーバッグから取り出した鍵で自動扉を解錠すれば、五条もついてきて、庵に並んで体を滑り込ませた。
「スイーツ?」
階段を上る庵の背に、五条が問いを投げかけてきた。明示はないが、先ほどの痛いほどの視線からして箱のことを聞いているのだと分かる。
「そう」
「お菓子?」
「そうだけど」
「甘いもの?」
「さっきから何が言いたいんだよ!」
階段を上る足を一度止めて、振り返りざまに近所迷惑にならない程度の声で怒鳴りつける。わざとらしい質問攻めに、思わず箱を振りかぶりかけた。数段下をついてくる五条に箱をたたきつけなかった己を褒めたい。
「歌姫が甘いもの持って帰ってきた……」
「はあ?」
「それ、誰からもらったの」
これは見当はずれな質問だ。首を横に振ってから、また五条に背を向けて階段上りを再開する。
「買った」
「〝買った〟!」
一段音量を上げた五条の声は、驚愕を全面に押し出していた。
自室がある階にたどり着いて階段を振り返れば、五条が庵を見上げている。レアなアングルだ。その角度ゆえ、まんまるく見開かれた青い目もサングラスの隙間に見ることができる。普段は布やら、光をほとんど通さないサングラスやらで目元を隠している男だ。その五条の目の表情というのは、これもまたレアだった。
レアな光景を前に庵が足を止めているうちに、五条も階段を上りきって庵に追いついた。改めてじろじろと庵の持つ紙箱を眺めてくる。
「それって、どういう心境の変化? もしかして歌姫、スイーツが甘いこと知らない?」
「失礼極まりないわね、アンタ。そんなこと言ってたら、あげないわよ」
箱を後ろ手に回して五条の視線から隠しながら言えば、五条が「えっ」と声を上げた。
「まさかそれ、僕に買ってきたの? 歌姫が、わざわざ、甘いものを、僕に?」
途端、庵は胸をどんと内側から突き上げられた。何事かと思ったが、なんのことはない。心臓である。ど、ど、ど……と存在を過剰に主張し続ける心臓の脈動を感じながら、右手の紙箱の存在を改めて意識する。
五条の言う通りだ。庵は、わざわざ、甘いものを、五条のために買ってきた。甘いものなんか、庵自身は好きでもないのに。
「……捨てる」
「なんで⁉︎」
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