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    human_soil2_oto

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    ワードパレット静穏:瞼を伏せる、ゆるゆると、涼やか
    でした。楽しかったです。

    鷺とサカナの罪と罰 今日を以て、静穏な日々は終わりを告げる。
     オレはこれから、オレたちの「神サマ」を殺すのだ――。

     ◆◆◆◆◆◆◆

     オレが産まれたのは、ごく普通のどこにでもあるような一般家庭……ではなかった。オレの両親はオレよりもお互いよりも大事なものがあって、その為に心身の全てを捧げている人間だった。少なくともオレが物心つく頃には。その家族より大事なものは何か……って? 「神サマ」、だよ。

     ここまで言えば想像に難くないだろうが、オレの両親はとあるエセ宗教の熱心な信奉者だ。家には得体のしれない文章が羅列された聖書や何でできているかわかったもんじゃない偶像、儀式に使う幾何学模様で埋め尽くされた敷布や札がたくさんある。どれもこれも、法外な金額にもかかわらず両親が有難がって馬鹿みたいに購入したものだ。
     何かを、誰かを信仰すること自体は悪いことではない。人類の歴史を振り返ってみれば、宗教というものは戦争の原因になることもあるが、苦難に喘ぐ人々に数多の救いを与えてきた素晴らしいものでもある。けれど、オレの両親が信奉している宗教はどう考えても詐欺に近いのだ。

     オレたち家族の習慣は、毎週日曜日に教会を訪れて礼拝に参加し、組織の幹部の説教を聴いて、「神サマ」の恩恵を受ける対価として寄付や献金を行うことだ。入信して初回は無償で「神サマ」の加護を得られるが、その後は組織への「貢献度」に応じて、「神サマ」が御言葉をくださったり、御手によって加護を与えてくださったりするらしい。

     そんな両親のもとに産まれてもオレ自身は信者にならなかったが、両親が信者なら息子に選択権なんてあってないようなもので、オレは両親に連れられて毎週教会で過ごし、平日も放課後は組織の奉仕活動に参加していた。それが「普通」だと思っていた。

     しかし当然、歳を重ねるごとに自分の置かれた環境の異常性に気がつく。内に抱える違和は年々大きくなり、周囲の同世代との価値観の差異に苦しめられることになった。普通の生活をしたかった。けれどそれはできないことだ……少なくとも親の庇護が必要な子どもの間は。

     あれはたしか小学三年生の時だ。一度だけ「友達と遊びたいから日曜日に教会へ行きたくない」と両親に言ったことがあった。その時の両親の変貌ぶりは、今でも思い出すと震えるほどで、父親が激昂して口の中が切れるくらいの力で頬を叩かれた痛みも、母親がヒステリックに叫びながらオレを「説得」する耳障りな声も、まだ身体に残っている。オレはその時、この家で信仰に逆らうことは禁忌だと知った。そして二度と同じ轍は踏むまいと、分厚い仮面を被ることにしたのだ。大人になって自立した生活ができるようになり、この家を出るまで。

     オレは家の中でも外でも嘘を吐き続けた。誰とも何の問題を起こさず、外では真面目で優しく大人しい少年に、家では信心深く従順な信者の一人として振舞った。オレがオレでいられるのは唯一、自室で一人過ごす時間だけだ。誰か一人にでも嘘を吐いていることをばれれば、どこから話が漏れるかわからない。誰も、信じてはいけなかった。

     ◆◆◆◆◆◆◆

     オレは嘘を吐き続け、ついに高校生になった。高校を卒業すれば法律上は成人だ。一人でもなんとか生きていける。あと三年の辛抱だった。その頃オレは「敬虔な態度」が評価され、若いのにしっかりした模範的な信者として周囲から尊敬の念を集めるまでになっていた。両親もオレのおかげで組織内での地位が上がったようで毎日機嫌良く過ごしており、オレたち家族は少しずつ、組織の運営にも携わるようにもなっていった。

     組織の中枢に入り込んで初めて知ったのは、この宗教組織の長……つまりオレたちの「神サマ」はオレと三つしか歳が違わない青年だった、ということだ。

     教会の地下深く、長い廊下の先、最奥の部屋にその人はいた。組織の中枢に関与する信者になったため、オレたち家族は特別に会うことが許されたのだ。組織の幹部が二重に掛けられた南京錠をゆっくりと外し、重厚な扉が押し開かれる。青年は殺風景でだだっ広い室内の中央に置かれたベッドに寝そべり、腰まで届きそうなほど長く艶やかな黒髪がシーツの上を優雅に泳いでいた。なるほど確かに、これが「神サマ」だと言われれば信じてしまいそうだ。この宗教を信じていないオレでさえ、その人が纏う涼やかで清廉な空気に吞まれそうになったので、隣にいる両親はさぞ感嘆していることだろう。

     「君が噂の子かい? 名前は?」

     そんなことを考えていると、高すぎず低すぎず柔らかい絹のような声が耳から滑り込んでくる。妙になじみの良い声に聴き入って反応が遅れ、両親の刺すような視線を感じた。オレは慌てて、「はい。望月真聡もちづきまさとと申します。この度は謁見の機会を賜りまして、恐悦至極に存じます」と用意してきた台詞を吐く。

    「じゃあ、真聡くん。こちらへおいで」

     何故、突然。驚いたが、この場で彼に逆らうことは自殺行為だ。オレは戸惑いながらも彼の傍に寄り、跪く。

     「とても素直でいい子だね。ねえ、そこの君たち。私の世話係をこの子に交代してほしんだけど、いいよね?」

     彼がそう呼びかけるとすぐさま、幹部たちが「仰せのままに」と頭を下げた。両親の嬉しそうな声も背後から聞こえる。オレの意思なんてもちろん問われず、オレはその日から「神サマ」の世話係になった。

     別室に案内され、オレは前任者だという老人から引継ぎを受けた。分厚いマニュアルとともに、部屋の錠前と鍵、白い手袋を手渡される。鍵はわかるとして、この手袋はどういう意図だろう、と首を傾げていると老人は丁寧に教えてくれた。

     「神サマ」の手はその人間に直接触れることで過去、現在、未来を見通す……これはこの組織に属するものなら誰もが知っていることだ。つまりこの手袋は、世話係だからといってみだりに「神サマ」に触れて必要以上の負荷をかけたり、正当な対価を払わずに加護を受けたりしないようにするためのものだった。

     何度聞いても嘘くさい話だ。よくもまあそんな作り話で人を騙せるな、と逆に感心する。とりあえず仕事は明日からで良いということで、オレたち家族は一度家に帰った。
     その日の夜、日付も変わるかという時間にオレのスマートフォンに着信があった。見覚えのない番号だったが、こんな時間に掛けてくるなんてよっぽどの用があるのだろうと、俺は通話のマークをスワイプする。声の主は、今日話した老人だった。

     「夜分遅くにすみません。あなたにお伝えしておきたいことがございます。あなたには成し遂げていただかなければならない大切な役割があるのです」

     昼間の引継ぎの時に何か伝え忘れがあったのだろうか。電話で話さなくても明日も教会へ行くのに、と思いながら老人の言葉を待つ。

     「組織のために、現人神様にはそろそろお休みしていただかなければならないのです。あなたには現人神様が深く安らかな眠りにつくための補助をしていただきたい」

     いや、待て待て待て。今、この老人はなんと言った? お休みしていただく? 深く安らかな眠り? ただ睡眠をとることじゃないよな。そんなことでわざわざ電話はしてこないだろう。つまり。

     「あの方を殺せ、ということですか?」
     「強い言霊を使いなさるな! 現人神様は今、悪魔に憑りつかれておられる。周りの者たちに命令ばかりして、現人神として果たすべきお役目を果たそうとなさらないのです。だからこそ、永遠とわの眠りによる魂の浄化とそこからの完全な復活が必要なのです!」

     駄目だ。頭がイカれていて、聞いているだけでくらくらする。悪魔? 魂の浄化? 馬鹿げている。お前たちはただ「信仰」を隠れ蓑にして私腹を肥やしたいだけだろう。

     「待ってください! そんなことを言われても困ります。それ犯罪じゃないですか!」
     「犯罪? 違います。これは正当な儀式です。それに先ほどから申し上げているでしょう? 現人神様は復活するのです。かの神の息子のように!」
     「死んだ人間が、生き返るわけない」
     「生き返るのですよ。別の身体にその魂を宿して、ね。そうして我々は大いなる幸福を得るのです」

     ここまで聞いてわかった。この組織は自分たちに都合の悪くなったあの人を殺して、代わりにオレを「神サマ」にする気なのだ。そしてたぶん、ここまで組織の内情を知ったオレに退路はない。

     「ご両親からの許しはいただいております。あとはあなた次第ですよ」

     あなた次第だって? よく言う。拒否権なんて初めからない癖に。いい子になんてしているんじゃなかった。そうすれば、こんなことにはならなかったのに。両親も両親だ。息子を犯罪者にすることになんの躊躇いもないのかよ。ふざけるな。

     これが電話だったことだけが、不幸中の幸いだった。今のオレはきっと誰にも見せられないくらい酷い顔をしている。
     動揺していても仕方がない。オレはこみあげてくる熱いものを必死に堪えながら、一つゆっくりと深呼吸をして「わかりました。全てはオレたちの信仰のために」と宣言した。

     そして、オレの人生は失敗して組織に消されるか、成功して「神サマ」になってあの地下で一生幽閉されるかしかなくなったのだ。
     死んだら、全部終わりだ。これまでの努力も無に帰すことになる。ならば選択肢は一つだ。生きていれば、状況を打破できる可能性はゼロにはならないのだから。

     ◆◆◆◆◆◆◆

     世話係として、オレが組織から命じられたことは三つだ。

     一、「神サマ」と信頼関係を築き、懐に入り込むこと。
     二、その上で、飲食物に毒を盛り、外傷がない状態で自殺に見せかけて殺害すること。
     三、「神サマ」の死後、新たな「神サマ」として組織の頂点に君臨すること。
     
     「神サマ」がオレを世話係に指名しなければ、上二つはあの老人の役割だったらしい。最後の一つは、もともと「神サマ」と年齢が近く両親も本人も信心深いオレが第一候補だったそうだが。

     それからオレの生活は変わった。放課後と休日は「神サマ」の傍で仕えることとなったのだ。命令ばかりで我儘だと老人から聞いていたが、オレが年下な所為だろうか、全くそんなことはなく、むしろオレには組織にいる誰よりまともな「人間」に見えた。

     「神サマ」の世話は大変ではなかった。基本的な生活動作は行えるし、読み書きも会話も問題ない。まあ、「神サマ」であることに疑問を抱かないよう情報規制がされており、地下ではインターネットが一切使用できず、学校にも全く通っていない為、世間知らずであるくらいだ。「神サマ」として存在するために余計な知識を学ばせる必要はない、ということなのだろう。

     だから、オレがやっていることはほぼ監視だった。「神サマ」が「神サマ」にそぐわない行動をとらないように、そしてここから逃げ出してしまわないよう見張る役目。
     この部屋を出入りするたびに思う。この部屋の鍵は内側じゃなくて外側についているんだな、と。ここはまさに「神サマ」を捕らえておくための監獄だった。彼はきっとここが自分を閉じ込めるための檻であることすら知らないのだろう。

     「神サマ」と呼ばれようと、組織にとっては金を集めるための道具でしかないのだ。……組織の運営に関わらない普通の信者にとっては、彼は救世主なのかもしれないけれど、それでも自分の行いの所為で他人が搾取されていると知ったら、この人はどう思うだろうか。

     ……いや、余計なことを考えている暇はない。オレはあの人を懐柔しなければならないのだ。オレ自身が生き残るために。
     だからオレはまず、あの人をよく観察することにした。何が好きで、何が嫌いなのか、どういう性格で、何を大事にしていて、どういう考え方をする人なのかを。

    ◆◆◆◆◆◆◆

     オレが「神サマ」の世話係をするようになって半年が過ぎた。観察してわかったのは、彼の力は本物であること、苦いものや辛いものが苦手で甘いものを好むお子様舌だということ、普段部屋で寝てばかりで体力が皆無なこと、好奇心旺盛で思ったより茶目っ気もあること。それから「人間」という生き物を愛している底抜けのお人好しだということだ。

     「神サマ」は地下の部屋から出られない。唯一出られるのは、毎週日曜日の礼拝だけだ。世話係の付き添いのもと、「神サマ」が信者たちの願いを聴く「心願成就の間」に移る。週に数時間、それが「神サマ」が陽光を浴びることが許された時間だった。「神サマ」が異様なほど色白で華奢なのはこの為だろう。人間の上位存在として扱われている「神サマ」には、悲しくなるほど人間に満たない自由しか与えられていなかった。

     それなのに「神サマ」は信者たちを本当に大切にしているのだ。見ていればわかる。世話係は彼がそこにいる間中「神サマ」に害なす者が現れないか、後ろに控えながら信者たちとのやり取りを見守るのだが、オレは「神サマ」が信者たちの名前、顔、その人が抱えた悩みや憂いを全て覚えていたことに驚愕した。そして信者たちの手に触れながら話を聴き、優しく芯のある声で道を示すのだ。ああ、これは崇拝したくもなるな、と思った。それくらい完璧に「神サマ」は神様だった。

     観察という準備段階を終えたオレは、次に「神サマ」が感じているであろう孤独に付け入ろうと考えた。広いだけの部屋にずっと一人で、人間として扱われない生活をしていて孤独を覚えないはずはない。オレは「神サマ」とできるだけ一緒にいて、たくさん会話した。オレの話もしたし、「神サマ」の話も聴いた。地下の部屋で宿題をやって、高校でどんな勉強をしているのかを教科書を見せながら説明してみたら、これが「神サマ」には面白かったようで、数学、理科、社会、国語、英語、音楽、美術……あらゆる科目に瞳を輝かせて聴いていた。いつしかベッドの上を転がりながら、オレがクラスの皆と歌った合唱曲を口ずさんだり、家から持ってきたノートに絵を描いたり、地図帳や辞書をめくったりして過ごすのが彼の新たな日常になった。

     そうしてオレが外の世界のことを教えて、彼が知識を蓄えていくほどに、彼はそれを実際に見たいと思うようになった。ならばやることは決まっている。オレが連れて出せば良いのだ。事前調査で礼拝時の監視網に穴が開く時間と地点は押さえている。オレたちは二人してキャップを深く被り、ほんの短い時間ではあったけれど、近くの公園のブランコで遊んだり、図書館を覗いてオレのカードで本を借りたりした。毎度あまりにも早く時間が過ぎるから、一度うっかり幹部たちに脱走がばれそうになってひやひやしたけれど、口裏を合わせてごまかして、駆け込んだ地下室で「今回のは危なかった」と笑い合ったこともあった。

     彼がオレにこれは命令じゃなくてお願いなんだけど、と前置きして、「二人の時は敬語をやめてほしい」と言ってきたのは秘密の外出を何度か繰り返したあとのことだ。人間はこんなに簡単に操れるのか、と知ったオレの胸に湧いたのは、達成感ではなく虚無感だった。オレのやっていることはこの腐った組織のしていることと同じだ。理解者のふりをして、甘い餌をちらつかせて、自分の望む展開になるように操作している。
     「神サマ」といるのは時に使命を忘れるほど楽しくて、我に返って自分のしてきたことを思い出す度に鳩尾の奥が鈍く痛んだ。繰り返す悦楽と鈍痛の果て、オレはもう十分彼の懐に入っていると思えるのに、組織の定例会で「懐柔にはまだ時間を要する」と、気づけば嘘を吐いていた。
     
    ◆◆◆◆◆◆◆

     「神サマ」の世話係になって二年と半年。あの手この手で彼の命を奪うことから逃げてきたが、もうどうやっても引き延ばせないところまで来てしまった。これ以上はオレが幹部や両親に不審がられ、今後動きにくくなる可能性を上げるだけだろう。
     本当は嫌だ。あの人を死なせたくない。それでもオレはオレ自身の願いのためにやらなければならないのだ。「生きたい」という根源的な願い。自分の命より大切なものなんてないのだから。

     限られた時間のなかでオレは決めた。オレが十八歳の誕生日を迎えるその日に「神サマ」を殺すことを。生まれた日を人生最悪の日にすること、それがオレにできるせめてもの贖罪だった。人間一人の命に対してはあまりにも小さすぎるけれど。

     そしてその日はやってくる。オレは幹部から預かった無味無臭の毒薬を、彼が飲む水に混ぜた。そこでオレは一つ大きなミスを犯してしまう。普段なら絶対にしないような初歩的なミスだ。毒薬を飲み物に混入させるとき、自分が触れてしまわないようにゴム手袋をしたのだが、それを外したあといつもの白手袋をつけるのを忘れてしまったのだ。オレがいつものように水の入ったグラスを彼に手渡した時、確実にオレと彼の手が触れた……触れたものの過去と現在と未来を見通す「神サマ」の手に。これまでずっと直接触れないようにしてきたのに。よりによって何故今? 失敗した、どうしよう、どうするのが最善だ? 頭のなかはどうすればこの人と組織に言い訳できるか、そればかりがまとまりなく巡った。

     「違うんだ、これは……!」

     とにかく彼に弁明しなければ。そう思って、視線を向けると、彼はオレに触れたことで毒が入っているとわかったはずのグラスを躊躇いもなく傾けていた。今にもその液体は唇へ到達せんとしている。オレはわけがわからず頭が真っ白になった。そして――。

     身体が勝手に動いていた。脳が身体の支配権を取り戻した時にはもう、水の入ったグラスはベッドの上に転がり、中の液体は全てシーツに吸われて染みを作っていた。
     あれだけ覚悟を決めたつもりだったのに無意味だった。オレはこの人に軽蔑され、組織からも不要と判断されて無様に死ぬのだ。絶望の二文字が脳裏を埋め尽くした。

     「……どうして、あと少し待てなかったの? もう少しで君の願いを叶えてあげられるところだったのに」

     オレを正気に戻したのは彼のその言葉だった。あまりにも純粋な声。彼は本当にオレの行動の意味も自分の行動の重みもまるでわかっていなかった。

     「何言ってんだよ。オレはあんたを殺そうとしたんだぞ? 憎しみとか恐怖とか怒りとか、そういう感情はないのかよ。それになんで毒が入ってるって、殺されるってわかってあんな水飲もうとしたんだよ!」
     「だって君、なかなか私に願い事をしないのだもの。やっと願い事がわかったから叶えてあげたかったんだけど……違った?」
     「いや、違ったとかそういう次元じゃなくて、オレの願いなんて自分の命を懸けてまで叶えるものじゃないだろって言ってんだよ!」

     そこまで話して、彼は納得したように「なるほど」と呟いた。それからオレに向かってゆるゆると手を伸ばし、頬に触れて穏やかに微笑んだ。

     「それは価値観の相違だね。私には私の命より君の願いのほうが重い。君を助けて死ねるなら、それも悪くないかなって思ったんだ。本当は『神様』が特定の個人を贔屓したら駄目なんだけど、君は私の友達だから仕方ないよね?」

     この期に及んで何を言っているのか。自分を殺そうとした奴に友達も何もないだろう。最大級の裏切りをこんなふうに流されたら、オレはどうしたらいい。いっそのことオレのことを殺したいほど恨んでくれたほうがましだ。頬に触れた手を振り払ってオレは彼に言葉を投げつける。

     「……オレは、あんたを友達だと思ったことはない。オレがあんたに優しくしたのは組織に命令されたからだ、毒を盛る機会を得るために。あんたはまんまと騙されて、オレに友情なんかを感じている。はっ、世間知らずな馬鹿は扱いやすくて助かったよ。オレがあんたに抱いていたのは、憐れみだけだったっていうのに」

     傷つけ。怒れ。そしてオレを一生許さず、憎んでくれ。骨の髄まで。
     そろりと彼の様子を伺う。彼はオレの話など意に介さないように穏やかに笑っていて、オレは声を失った。

     「真聡。もう自分を傷つけながら嘘を吐かなくていいんだよ。だって君、泣いてるじゃない」

     言われて自分の頬に触れたら、確かにそこは濡れていた。

     「君は私に対して罪の意識を感じているんだね。だから私に罰されたいのだろう?」
     
     図星だった。沈黙は肯定を意味すると知りながら、オレは何も言えない。

     「君は私に嘘を吐いていたことを気にしているようだけど、それは違うよ。だって私は初めから全て知っていた。私もね、ずっと嘘を吐いていたんだ」

     言葉を切って、彼は続ける。

     「私は触れた人の過去・現在・未来を見通すだけじゃなくて、触れなくても近くにいる人の思念を感じ取ることができるんだよ。だから君がこの組織をよく思っていないことも、私を懐柔して殺すように命令され、苦しんでいることも知っていた。知っていて何もしなかった。酷いだろう? だから君が私に罪悪感を抱く必要はないんだよ」

     彼の告白に、驚きとそれ以上に耐えがたい悲しみが胸中を覆い尽くす。近くにいる人の思考がわかる、ということは幹部たちがこの人を集金の道具としか思っていないことも、自分に救いを求めてきた人たちが、組織に搾取されていることも全部わかっていたということだ。それでも逃げることはできないから、優しいこの人は自分を殺して理想の「神サマ」を演じてきたのだ。こんな残酷なことがあっていいのか。思わず喉から嗚咽が漏れる。自分のしたことを棚に上げて、相手の境遇を想って泣くなんてあまりに筋違いで、オレはそんな身勝手な自分を見られたくなくて俯いた。

     「やっぱり君は優しいね。普通、考えていることが筒抜けだと知ったら、恐怖したり嫌悪したりするんだよ。それにね、私は君の存在に救われていたんだ。こんなに長く私と一緒にいてくれた人も、私に外の世界を教えてくれて連れ出してくれた人も、言葉があってもなくても隣にいることが心地良いと思えた人も、何より私を一人の人間として扱ってくれた人も君だけなんだよ。だから、私が君の為に私の全てを掛けられるのは至極当然のことなんだ」

     オレはぶんぶんと頭を左右に振った。オレはただ目的の為、そばにいて耳障りの良いことを言って、望んでいるであろうことを想像して行動しただけだ。打算にまみれたオレに、君が大事にするだけの価値などない。オレのことなんて忘れたほうが君にとって有意義だ。時間を巻き戻せたら、記憶を消せたらどれだけいいか。

     「君は、そんなふうに思うくらい自分を許せないんだね。あの時の君の言葉や行動がたとえ嘘だったとしても、私はその嘘に救われたんだ。君が消したいと思っても、それはもう私のものだから、なかったことにはしてあげられない。ごめんね、我儘で。でも……そうだね、そんなに君が私から罰を受けたいというなら、考えてあげる」

     彼の言葉にそっと顔を上げると、彼は屈託のない顔で囁いた。

     「君の罰は『これからも私のそばにいること』。どう? 私に罪悪感を抱く君は一生私の顔を見る度に苦しみ続けるんだ。最低な罰だと思わないかい?」

     彼の言葉に目の前が、かっと赤くなった。血が沸騰して、衝動的に彼の胸倉を掴み、力の限り叫ぶ。

     「ふざけんな‼ あんたといることがオレにとって『罰』 になるわけないだろ! なんでそう自分のことを悪いものみたいに扱うんだ。オレだって本当は、楽しかったよ、あんたといるの。心が読めるならわかるだろ? なのに、なんで!」

     わかっている。この人はオレと同じだ。嫌いなのだ、自分自身が。他人に利用され、他人を傷つけ、その癖何もできない自分が。どうしたら変えられる? この人がそんな悲しいことを思わずに生きていけるようにするにはどうしたらいい?
     というか、それ以前にこれからオレたちはどうなるんだ? オレは組織に与えられた役割を果たせず処分されて、この人はオレじゃない別の人間に命を奪われる? それとも今よりもっと自由を奪われて組織に縛りつけられる? どっちにしろ最悪だ。

     「ねえ、真聡。一つ、提案があるんだけど」
     「……こんなときになんだよ」
     「二人で一緒にここから逃げるのはどう? 『罰』としてじゃなく私と君の未来のためにさ。それなら真聡はついてきてくれる? 私と一緒にいてくれる? 私たちなら大丈夫だよ。自分の未来は読み取れないからなんの根拠もないけれど、君と二人でならきっとどんな場所でも生きていける。そんな気がするんだ」
     
     今までで一番、彼の瞳が生きていた。強く揺るぎない、綺麗な瞳だった。
     オレは瞼を伏せ、一つ深呼吸をしてから、彼の瞳を見つめ返した。
     言葉は必要ない。オレたちは閉ざされた部屋から外へ飛び出した。思念を読み取りながら人に見つからないよう地上へ向かい、悪魔の巣窟をあとにする。

     今日は図らずも新月だ。月明りのない夜闇はきっとオレたちを隠してくれる。さて、これからどこに行こうか。どこでもいい、君と二人なら。
     

     そして、二人は姿を消した。彼らの行方は誰も知らない。
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    human_soil2_oto

    DONEワードパレット:女教皇 直感 海 傷つく
    恋を証明せよ! 私の部屋には箱がある。

     貴方に言えずに呑み込んできたいろんな言葉を綴って折った、小さな紙がたくさん詰まった段ボール箱。
     時が経つほど嵩を増す中身は、ただのゴミでしかないはずなのに、捨てる気にはなれなくて。
     この箱が満ちるまで、貴方が私の心に気づかなければ、私は貴方とさよならするのだ。随分前に、そう決めた。

     貴方はきっと私のことなど大して好きではないのだろう。コイビトであるはずなのに、一番でも、唯一でも、特別でもないのだろう。それもそうだ。家族、友人、仲間たち……貴方の周りには私なんかよりずっと大切な人がいると、私はとっくに知っている。

     コイビトなんて肩書にはなんの意味はない。貴方が私に向ける言葉や仕草にだってなんの価値もない。貴方にとってはなんでもない言葉や仕草に、意味だの価値だのを見出して、宝物みたいに抱き締めて、小さな幸せに縋っているのは、私なのだ。何もかも私の勝手なのだ。期待しても裏切られるだけだと、飽きるほど繰り返したはずなのに、今度こそはと信じてしまうのも、悲しいくらい私なのだ。私を一番傷つけてくるのは貴方なのに、私を一番幸せにしてくれるのも貴方なのだと気づいた日の絶望を、貴方は理解できないだろう。
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