おばけなんてないさ「か、勝己くん……」
「ん?」
弱々しい声に名前を呼ばれ、振り返るとオールマイトがDVDのケースを両手に持っていた。
ケースに見えるタイトルは最近流行りのホラー映画だ。
「あの、あのね? この映画、塚内くんが面白いってオススメしてくれたんだけど、あの、その、ちょっと一人では……」
「怖ェって?」
爆豪が続きの言葉を引き取ると、オールマイトは小さく頷いた。
「い、一緒に観てくれる…?」
随分縮こまって自分の様子を窺うように視線を送るオールマイトに、何をそんなに遠慮することがあるのか、と小さく息をつき「ん、わかった」と爆豪が返事をすると、大層安心したような嬉しそうな顔をして「ありがとう!」と抱きしめるのだった。
あいにくポップコーンは切らしていたので代わりにポテトチップスを机に広げて、DVDもプレーヤーにセットし、映画の見る準備は万端だ。照明のリモコンを握り、うんうんと唸っているオールマイト以外は。
「怖いんだったら別に付けっぱでいいだろ」
どこか呆れが滲む爆豪の声に、眉の下がった顔でオールマイトは口を開く。
「でも、やっぱり映画って暗いとこの方が臨場感あるじゃない……?」
オールマイトは映画が好きで、どうやらそこは譲れないポイントらしい。
「へいへい、じゃあとっとと観んぞ」
オールマイトの手からリモコンを攫って爆豪はさっさと照明を消してしまう。
「わ!」
慌てて持ってきた大きめのサイズのブランケットに包まりながら爆豪が座る隣に寄ってくる。
「……手繋いでもらっていい?」
まだ本編前の予告だと言うのに、オールマイトは随分とビビっているようだ。
「ん」
差し伸ばされた爆豪の手を両手でぎゅっと握るオールマイト。
(……こんな調子で大丈夫かよ)
そんなことを思いながら、流れる予告映像を眺める爆豪。
「……あ、これ面白そう」
「今度見るか」
「うん」
予告を見ながら次の予定を決めるふたり。
暫くすると本編が流れる。内容はとある禁忌の村に立ち入ってしまい、登場人物達が呪われて怪奇現象に見舞われるという、日本のホラー映画では定番の話だ。
日常にちょっとした違和感を覚えて、静かであるはずの空間でやたら水滴の音やら時計の針の音やらが大きく聞こえて、いないはずの気配や声を感じる。そんなありきたりの演出だが、オールマイトは肩を竦ませ、ブランケットに包まってその長身を小さく縮ませていた。
「……あんた、こんなんで本当に最後まで見れんのかよ」
爆豪が呆れ半分に問いかけると、オールマイトはぎゅっと手を掴みながら、かすれた声で「が、頑張る……」と震えながら答えた。
画面の中では、登場人物たちが呪いを解くために禁忌の村の奥へ足を踏み入れ、不気味な雰囲気がじわじわと広がっていく。夜の森の中で、風の音に混じって微かに聞こえる子どもの笑い声、ぎしぎしときしむ床、ふと映り込む影。
そして爆豪はああ、来るな。とぼんやり思った。
そして次の瞬間、画面には血走った目の女の霊が画面いっぱいに映っている。
「っひゃあ!!」
オールマイトが盛大に肩を跳ね上げ、爆豪の腕にぎゅううっとしがみつく。手どころか肘のあたりまでがっつり巻き込んで、ブランケットの中で震えていた。
「……そんなビビるかよ」
爆豪は呆れたようにため息をつく。
「だ、だって……! うう、心臓止まるかと思った……」
「あんたがそれ言うとシャレにならんからやめろ」
オールマイトは完全にブランケットに潜り込む勢いだ。ちらりと顔を覗かせたと思えば、また怖いシーンが来そうだと分かるとすぐに布を引き上げる。
震える声を漏らすオールマイトの横で、爆豪は平然とオールマイトに掴まれていない方の手をポテトチップスに伸ばし、ぽりぽりとつまんでいる。画面では登場人物の一人が、村の廃屋で「何か」を見てしまったらしく、ガタガタと震えながら後ずさっていた。
「たぶん次、来るぞ」
爆豪が温情のつもりで淡々と告げた瞬間――バンッ!!
突然、画面の中で扉が激しく開くと先程の女の霊が映り込み、同時に耳障りな効果音が響く。
「わああああっ!!」
オールマイトは悲鳴を上げると、完全に爆豪の腕に抱きついた。
全身で怯えるオールマイトにしがみつかれたまま、爆豪は小さく息をつく。
画面では次の展開が進んでいる。心臓を押さえながら、オールマイトはようやく爆豪の腕から顔を上げた。しかし、また次の恐怖が来るのではと警戒して、視線はテレビと爆豪に行ったり来たり。
「観るのやめるか?」
爆豪がそう問いかけると、オールマイトは首をぶんぶん横に振る。
「や、やめない……最後まで観る……! だって、塚内くんが面白いって……!」
そんな言葉のわりにガッツリ爆豪の腕を掴んだままで、説得力はゼロだった。
「ね、ねぇ、勝己くん……」
「ん?」
「ぎゅってしてもらっていい……?」
オールマイトはブランケットに包まりながら、涙目でこちらを見ている。唇は不安そうに震えていて、耳までほんのり赤い。
「…………」
そんなに怖いならよせばいいのにと思うが、それ以上に、いつもは凛として、悠然としているオールマイトがこんなに怖がって自分を頼ってくるのが嬉しくて、愛らしくて。爆豪は文句を言うより先に、腕を回してオールマイトを安心させるようにぎゅっと抱き寄せた。
「これで満足かよ」
「……うんっ」
オールマイトはぴたりと爆豪にくっつくと、少しだけ安心したように息を吐いた。とはいえ、画面はまだホラーシーンの最中。今度は暗闇の中、主人公が不気味な廊下を歩くシーンに入っている。
「ほら、また来るぞ」
「えっ……や、やだ……!」
爆豪の言葉の直後、ギィ……と映画の中で、古びた扉がゆっくりと開く。
「ひっ……!!」
オールマイトは完全に爆豪の体にしがみついた。肩口に顔を埋め、映画を直視しないようにしている。
「もうこれ観てる意味あるか?」
そう言いながらも、爆豪はオールマイトの背中をぽんぽんと軽く叩いてやる。オールマイトはぶるぶる震えながらも、ブランケットからひょこっと顔を出し、また画面をチラ見する。
「……あっ……や、やばい……これ絶対……!」
オールマイトが不安げに身を縮こまらせ、爆豪の服をぐっと掴む。
画面の中の不気味な女が耳をつんざくような悲鳴が響かせる。
「わああああっ!!」
オールマイト自身も悲鳴を上げながら爆豪に飛びついた。とっくに手どころか、身体ごとしがみついて離れない。
「予測できてんなら覚悟しとけよ……」
呆れたように言うが、オールマイトの手はますます強くしがみついてくる。
「……はぁ。最後まで観れんのかこれ」
こんな状態で本当に持つのか疑問ではあるが、少なくとも爆豪は黙ってオールマイトの抱き枕に徹してやるつもりだった。
「おい、大丈夫か俊典」
よしよし、と優しくオールマイトの頭を撫でる。
「だ、大丈夫じゃない……」
震えた声でそう言うと、オールマイトは爆豪の胸に顔を埋めたままピクリとも動かない。
「なあ、もうこれ観てるって言わなくねェか?」
「……もう……もう私、勝己くんがいないと無理……」
オールマイトの言葉に、爆豪は思わず言葉を詰まらせる。
心臓が少しだけ早くなるのを感じながら、オールマイトの頭をもう一度そっと撫でる。
「ったく、しょうがねぇな……」
結局、映画が終わるまでオールマイトが爆豪から離れることはなかった。
「お、終わった……」
映画のエンドロールが流れ始め、オールマイトはぐったりと爆豪にもたれかかったまま、ほっと息をついた。
「お疲れさん」
爆豪はそう言いながら、リモコンを手に取って部屋の照明をつけた。見慣れた明るさが部屋を照らし、さっきまでの不気味な雰囲気が一気に薄れる。
「……はぁぁ、怖かった……」
オールマイトはブランケットをぎゅっと抱え、未だに爆豪の体にぴったりくっついていた。
「……そういやあんた、ゾンビとかは平気だよな」
ふと爆豪が尋ねると、オールマイトはブランケットの中からひょこっと顔を出した。
「え? うん、平気だよ」
オールマイトはきょとんとした顔で爆豪を見る。
「殺人鬼とか悪魔とかピエロとか平気だよな」
爆豪は思い返す。オールマイトがここまで怖がる姿を見たのは初めてだった。これまでにも洋画のホラーは何度か一緒に観たことがあったが、そのときは驚くことはあっても、今回のように震えてしがみついてくることはなかった。
「うん」
やはりけろりして、どうということもないように返事をするオールマイト。
「あんたの怖いの基準がようわからん」
「……だって」
ブランケットの端を指でいじりながら、少しだけ考え込むような顔を見せるオールマイト。
「だって、幽霊って殴れなさそうで怖い……」
オールマイトはそう言って至って真剣な顔で訴える。
「……は?」
爆豪は一瞬、何を言われたのか理解できずに固まった。
「ゾンビとか悪魔ならパンチとかキックとかで反撃できるかもしれないけど、幽霊は物理攻撃効かなさそうじゃない!?」
オールマイトは本気で言っているらしく、眉をひそめて少し震えている。
「それなのに向こうは干渉してくるのってずるくない……!?」
「……っ!!」
爆豪は一瞬ぐっと唇を噛みしめたが、耐えられなかった。
「……ははっ……っははははは!! なっ……何だよその理由!!」
そしてとうとう爆笑した。腹を抱えて肩を揺らし、涙が出るほど笑い転げる。
「殴れねぇから怖ぇって!! あんた、マジで言ってんのかよ!!」
「そ、そんなに笑わなくてもよくないかい!?」
オールマイトは頬を赤らめながらぷくっと膨れたが、爆豪の笑いは止まらない。
「あ、あんたほんとに、そんな理由であそこまでビビってたのかよ……」
「だ、だって……!」
オールマイトはむくれる。しかし、その表情があまりにも必死で、愛らしくて、爆豪はさらに笑いがこみ上げる。
「……っく、はは……はぁ。ほんとあんた最高だわ……」
肩を震わせながら爆豪はオールマイトの頭をぐしゃぐしゃっと撫で回す。
オールマイトは「もう!」と拗ねた顔をするが、その赤い耳はまだ恥ずかしさを物語っていた。
そんな中。
――ぱたり。
背後の本棚で、何かが倒れる微かな音がした。
「っ……!?」
オールマイトはびくうっと肩を震わせると、反射的に爆豪の腕へと飛び込んできた。
「……まだ怖いんか?」
そう聞くと、オールマイトは爆豪の胸に顔を埋めたまま、小さくこくりとうなずく。
怖がる理由も、頼ってくる仕草も、何もかもが愛らしくてたまらない。爆豪はふっと笑うと、腕の中のオールマイトをそっと抱きしめた。
「なあ、いいこと教えてやろうか、俊典」
「な、何ぃ……?」
弱々しい声で縋るように見つめてくるオールマイト。そんな様子を見て、爆豪は口角を上げる。
そしてオールマイトの顎を掬い、唇に軽く優しく口付けた。
「っ!?」
オールマイトの目が大きく見開かれる。ほんの一瞬だったけれど、間違いなく爆豪の唇が触れた感触が残っている。
顔が一気に真っ赤になり、固まって言葉にならない声を漏らすオールマイトを見て、爆豪はくつくつと喉を鳴らして笑う。
「幽霊ってのはエロいこと考えてると寄ってこんらしい」
「へ……?」
ぽかんとするオールマイトを見て、爆豪は笑ってまた口付ける。今度は離れる時に少しだけオールマイトの唇を舌でなぞった。
「んむ……っ! な、な……! 何するの勝己くんってば!」
「だから、こっち集中しとけ」
オールマイトは一瞬固まる。
「そ、そんなの聞いたことない! 嘘でしょ!?」
耳まで真っ赤にして爆豪の胸をばしばし叩く。
「試してみるか?」
爆豪はべ。と舌を出し、悪戯っぽく笑んだ。
「え、えぇ……? うーん……」
オールマイトは怖いのが半分、恥ずかしいのが半分といった様子で、悩ましげに視線を泳がせる。
「……ほんとに、そんなの効果あるの?」
「だから試すんだろうが」
爆豪は当然のように言い放ち、オールマイトの顎を軽く持ち上げる。
「わっ……!?」
オールマイトが驚いて小さく声を漏らした、その瞬間を爆豪は逃さず、わずかに開いた唇に舌を差し入れた。
「んぅっ……」
オールマイトの肩がビクリと震え、身体が強張る。突然の深いキスに、思考と意識が爆豪に奪われる。
「っん、っ、ふ……」
唇の奥まで侵入され、戸惑いながらもオールマイトは爆豪の服をぎゅっと掴む。そんなオールマイトの仕草に気を良くした爆豪はさらに舌を進め、オールマイトの歯列や上顎をゆっくりとなぞった。
「……っん、ぅんん……っ」
オールマイトの指先に力が入り、爆豪の服を握る手が強くなる。息苦しさに眉を寄せながらも、それを拒む様子はない。
「……っぷは、っん……」
唇が離れた瞬間、オールマイトはうるむ瞳で爆豪を見つめた。顔は真っ赤に染まり、まだキスの余韻が抜けきらないのか、ほんのり震えている。
「か、勝己く……」
息を整えながらか細い声で言葉を紡ごうとするオールマイト。しかし、うまく続きが出てこない。
そんなオールマイトをじっと見つめたまま、爆豪は口元にゆるく弧を描いた。
「いねェもんより、俺のこと考えてろよ」
そう囁きながら、爆豪はゆっくりと舌なめずりをする。
「っ……」
まるで獲物を前にした捕食者のような爆豪の仕草にオールマイトの心臓が跳ねた。
「どーするよ」
爆豪は悪戯っぽく言いながら、オールマイト頬をゆっくりと撫でる。
「ちょ、ちょっと待って勝己くん……っ」
オールマイトが身じろぎするが、爆豪は逃がす気などさらさらない。
「ほら、怖いんだろ?」
その言葉と共に、爆豪はオールマイトの耳元へ唇を寄せ、ふっと息を吹きかける。
「ん、ひゃっ……」
オールマイトの身体が小さく跳ねる。恐怖とは違う、くすぐったさと別の感覚が混ざり、まともに爆豪の顔が見れない。
「なあ、どーする、俊典?」
爆豪の低く甘い声が耳をくすぐり、オールマイトは視線を泳がせながら小さく呟いた。
「……キスじゃなくていいから、抱きしめててほしい」
その掠れた声で望む控えめなオールマイトの願いが本当に愛らしくて、愛おしい。爆豪は口元の笑みを深めながらゆっくりとオールマイトを引き寄せる。
「あんたが怖くなくなるまで、いくらでもこうしててやるよ」
爆豪はそう囁いて、オールマイトに優しく腕を回すと、オールマイトもゆっくりと爆豪の首の後ろに手を回した。
あれだけ怖がっていたはずのオールマイトの身体から余計な力は抜け、爆豪のぬくもりに安心しているのが伝わってきた。
けれど、互いが満足するまで、ふたりはただ黙って抱きしめ合い続けるのだった。